大竹しのぶさんは1970年代から活躍する大物女優で、私生活では2度の結婚をし子供が二人います。
ここでは大竹しのぶさんの離婚歴を歴代旦那や子供の情報とともにまとめています。大竹しのぶさんと明石家さんまさんとの子供はIMALUさんのみです。
この記事の目次
大竹しのぶのプロフィール
名前:大竹しのぶ
出身地:東京都
生年月日:1957年7月17日
血液型:A型
出身高校:東京都立小岩高等学校
学歴:桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科中退
デビュー:1973年
大竹しのぶさんは、1973年にドラマ「ボクは女学生」のヒロイン役の公募で合格し、芸能界デビューしました。以降、ドラマ・映画・舞台と多くの作品に出演する人気の実力派女優です。
2011年秋の褒章では、紫綬褒章を受章しています。
私生活では2度の結婚を経験し子供が二人います。以下より詳細をまとめていきます。
大竹しのぶの離婚歴①元旦那・服部晴治と子供(二千翔)
大竹しのぶ、最初の旦那との結婚から別れ
大竹しのぶさんが最初に結婚したのは、プロデューサーとして活躍していた服部晴治さんです。
一人目の旦那:服部晴治さん。
婚姻期間:1982年〜1987年
職業:TBSプロデューサー
子供:二千翔(にちか)
大竹しのぶさんは、TBSプロデューサーであった服部晴治さんと1982年に17歳の年の差結婚し子供を1児もうけましたが、1987年に死別(服部さんがガンのため亡くなる)。そのため離婚歴というのは少し語弊があると思いますが、大竹しのぶさんにとって最初の旦那さんになります。
ただその始まりは略奪愛でした。服部さんはかつて歌手の中村晃子さんと結婚寸前でしたが、そこから大竹しのぶさんが略奪し結婚までしました。
「当時、すでに中村と服部さんは同棲していたのですが、服部さんの行動がおかしいということで、中村が仕事終わりの服部さんの車を尾行したところ、大竹をピックアップ。しかも、信号待ちの間、大竹との熱いキスシーンを目撃。同棲解消となったのです」(前出・芸能レポーター)
中村から「泥棒猫」と罵倒されたものの、17歳の年の差婚を果たした。
「服部さんはドラマを手がける売れっ子ディレクターで、しかもバツ2のモテ男でした。一部の先輩女優からは、“枕営業”で役を得る大竹とは共演できないとの声が上がったものでした」(ドラマ関係者)
その後に服部さんはガンが見つかり、大竹さんが看取っています。
結婚後まもなく服部氏に末期ガンが発覚する。
「医師から余命宣告を受けても、大竹は『それでも子供を産みたい』と長男を出産している。局看板ディレクターと結婚し、女優、妻、最後に母としての座を死守した大竹の執念は見上げたものと言うしかない」(芸能デスク)
87年、緑山スタジオで行われた服部氏の葬儀で、憔悴した大竹が幼い長男・二千翔(にちか)君の手を引く姿が見る者の涙を誘った。
大竹しのぶの子供(長男の二千翔)
現在は、WEBサイト運営などのお仕事をされているそうです。
これまでの経歴。
慶應大学卒業後、アメリカで就労。一年半で飽きて帰国。 芸能事務所にて大竹しのぶとIMALUのマネージメントを担当後、芸能情報総合サイト「narrow(ナロー)」を運営。現在に至る。
引用:大竹二千翔Twitter
生まれてすぐに実の父親を亡くした二千翔さんですが、1988年に大竹しのぶさんが明石家さんまさんと再婚し、その後は野田秀樹さんと事実婚状態でした。当時のことを二千翔さんがインタビューで回顧しています。
簡単にまとめると……。
・さんまさんは同居人で、なんか家に人がいる…そしていなくなったという感じ。
・野田さんとは同居していたことを知らなかった。よく家に来る人という認識だったそうで、いつの間にかいなくなったという感じ。
以上のようなことを語っている二千翔さんですが、明石家さんまさん等とは今でも良い関係を続けていることが知られていますね。明石家さんまさんの家族エピソードでは、実子のIMALUさんだけではなく二千翔さんのことが語られることも。
・恋人が長くいない二千翔さんを心配するさんまさん。
さんまは、「『お前、デートせぇよ』って言うんや。したら『もったいないよ』『何が?』『いや、お金が』って言うねや」と語ると、女性陣は「え、ウソ!」と驚きを隠せない。「お前、一生結婚できひんど、デートするのにお金がもったいないって。ほんで、ちょっと前に北海道から来た女の子とデートしとってんけど。それも『もったいない』言うて、途中でやめて・・・」と息子のちょっと変わった性格を明かした。
そして、そのことも母と娘に凄いバカにされているようで、「『お兄ちゃんさ、もったいないからってデートしないんだよ。最低だよね』って。ほんで母がかぶせて『ホント、最低』とか言いよんねん。可哀想に・・・」と父の悩みを語った。それでも、「エエねん、二千翔は二千翔の人生やねんから」と2人に言っているというさんま。
二千翔さんとさんまさんは1988年の再婚から1992年の離婚までの短い期間しか一緒に暮らすことはありませんでしたが、その後も親と子として面会を続けていたそう。
いろいろと語られるエピソードを見ていると、さんまさんは息子を心配する父親そのものですね。ちなみに現在二千翔さんが結婚しているという情報は見当たりませんでしたので、まだ独身と考えられます。
大竹しのぶの離婚歴②元旦那・明石家さんまと子供(IMALU)
大竹しのぶ、元旦那・明石家さんまとの結婚
二人目の旦那:明石家さんまさん
婚姻期間:1988年〜1992年
職業:お笑い芸人
子供:IMALU(本名:大竹いまる)
大竹しのぶさんは、1988年に明石家さんまさんと再婚し子供をもうけましたが、1992年に離婚しました。
大竹しのぶさんと明石家さんまさんの馴れ初めは、1986年のドラマ「男女7人夏物語」で共演したことから。当時大竹しのぶさんは服部晴治さんと婚姻中で、いわゆる不倫から始まった関係だったのではないかと噂されます。
「服部さんは、かなりの遊び人で、大竹と結婚後も銀座のクラブにも彼女が何人かいたんです。ところが、胃がんになって、長期入院することになった。大竹は、ひたすら夫を看病する健気な妻を演じていましたが、一方では、服部さんに内緒で、ドラマで共演したさんまとデートを繰り返したいんです」(元TBS関係者)
ただ大竹しのぶさん曰く、服部さんを亡くしたショックで辛かった時に寄り添ってくれたのが、明石家さんまさんだったと語っています。
服部氏が亡くなってから、半年くらい眠れない夜が続いたという。寂しくて誰かに電話したくても、真夜中に親しい友人に度々は連絡できない。「でも、さんまさんだけは夜中の3時に電話しても必ず起きていて、私の話を聞いてくれた。」本当に優しい人だった―と大竹は語る。
大竹しのぶ、元旦那・明石家さんまとの離婚原因
大竹しのぶさんと明石家さんまさんとの離婚原因は、本人たちが語るエピソード含め、さまざまな事柄が挙げられています。ただもっともよく言われているのが、「専業主婦を望んだ明石家さんまさんと、女優業を続けたかった大竹しのぶさん」との間に食い違いが出てきてしまったことです。
実際にさんまさんは結婚自に、大竹しのぶさんが家に入るという約束があったことを明かしています。
さんまは大竹との話をし、「結婚する時に奥さんに女優やめてもらう条件で結婚したのは確かやねん」と明かした。古田は「ええっ」と驚き、「そうですか?ほんまですか?」と繰り返しツッコんだ。
さんまは「そういう条件で。やめるっていうので分かったと」などと振り返り、「せっかく結婚したのにまたロケだ、家にいないというので。それなら結婚しないでばらばらで仕事してるほうがええやんか。家にいて、帰ってきたらご飯作って欲しかった」と離婚の理由を語った。
ただやはり、根っからの女優で憑依型女優となんて言われ方もする大竹しのぶさん。子供を産んでしばらくは良かったものの、長く家にとどまることはできなかったようです。
さんまと再婚し長女のIMALUを授かり、1年半ほど育児に専念していた大竹。IMALUが成長すると、彼女の中で「またお芝居がしたいな。」という気持ちが大きくなってきた。さんまにその気持ちを話すと了解してくれたので、話がきていた朗読劇で大竹は女優復帰を果たした。
大竹はさんまとの離婚で“女優の自分を受け入れてくれない男性との結婚は無理だ”と悟り、「もう結婚はしなくても良いかな」と考えているようだ。ただ「年をとった今なら、さんまさんも私も、結婚が続けられたかもしれない。若いと相手の要求に過剰に反応するから。」と遠い目で語る、大竹が印象的だった。
また一部では、大竹しのぶさんが野田秀樹さんと不倫していたという話もあります。
さんまとは92年に離婚。この間、舞台『真夏の夜の夢』を演出した野田秀樹(55)との不倫が発覚した。さんまが「真夏の夜の悪夢だ!」と発言したのはあまりに有名。
でも離婚後も仲良し?
離婚後ネタにしたり、共演したり、そこで見事な掛け合いを見せたりと大竹しのぶさんと明石家さんまさんは、復縁も良いのでは?と思うようなことがありますが、実際は今だからこそ上手くいっているようです。
明石家さんまさんは、離婚時に子供に会うため大竹さんの要求を全てのみ、その後の関係もある意味”上っ面”だから上手くやっていけていると話しています。
元妻・大竹との関係について「仲いいですよね~」とうらやましがられたさんまは「仲良くないですよ。子供に会いたいから、上っ面でいろいろ陽気にやってるんです」と説明。「いまると二千翔に会いたいから、せやから、条件全部のみ込みましたよ、離婚の。そのため(子供に会うため)には、かなり言うこと聞きました」と離婚後も子供2人に会うために、大竹が出した離婚の条件を「全部」のんだことを明かした。
大竹との結婚、離婚を経た上で得た独自の結婚観も披露。「上っ面で会話しようとする、それの方がうまくいく。陽気になるから、上っ面でいい。一歩踏み込むとケンカになるんです」と現在心がけている“ルール”を明かしていた。
ちなみに誰でも別れた人に結婚・離婚当時のことを話されるのは良い気分ではないと思いますが、大竹しのぶさんと明石家さんまさんの場合は「ウケたらOK」という条件があるそうです。
大竹しのぶの子供(長女のIMALU)
芸名:IMALU(いまる)
本名:大竹いまる
生年月日:1989年9月19日
父親:明石家さんま
IMALUさんはモデルやタレント、歌手として活動しています。明石家さんまさんと大竹しのぶさんの子供ということで、二世タレントとしてもっとも有名な一人でしょう。
IMALUさんの幼少期に母親は実父と離婚し、その後野田秀樹さんと事実婚状態……。
一体どんな風に思っていたのかな?という感じですが、IMALUさん的には嬉しかったそう。
「お父さんがいっぱいいるって、うれしかったんですよ。お父さんが私には人より多くいるんだっていうふうに考えられたんです」と幼少時の気持ちを振り返っていた。
IMALUさんは中学卒業後に海外留学していましたが、帰国してから芸能界デビュー。もちろんそこには大竹しのぶさんと明石家さんまさんという芸能界の大物の名前を使った”コネ”がありました。
ただ何もかも中途半端だったIMALUさんは結局うまくいかず、父親の言葉を胸に改めて自ら努力していったそう。
母のコネの力であっという間にデビューへ向けての準備が進み、初めてメディアに出るという前日、母の勧めで父に直接会って報告をすることに。すると父・さんまは、真面目なトーンで「一生懸命頑張ってきてる人の中に、お前は親の名前で入るわけやから、人の倍は努力せなあかんで」。それが初めての父からのアドバイスで、それ以降も一度も何も言われたことはないという。
19歳、デビュー1年目にしてファッションモデル、連ドラ女優、CMやバラエティー番組出演、歌手などの大きな仕事を次々に経験。しかし、待っていたのは批判、バッシングの嵐だった。厳しい現実に直面したIMALUは「コネで出てるくせに、すべてが中途半端だった。何も結果が出せなかったのは、私の実力不足だった」と当時を振り返る。自分自身の力で戦ってみようと母の事務所から独立したのが23歳。自ら新しい事務所を立ち上げ、デビュー6年目の去年には、念願だった音楽番組のナビゲーターにも起用された。
最後にIMALUは、「これからは、“人一倍努力しろ”という言葉を忘れずに、また“生きてるだけで丸儲け”という言葉を胸に、頑張っていきたいと思います」と宣言。
大竹しのぶの離婚歴③事実婚状態だった野田秀樹
事実婚だったお相手:野田秀樹(のだひでき)
事実婚期間:さんまさんとの離婚後、だいたい5年程度
職業:俳優・演出家等
子供:なし
大竹しのぶさんは1992年の舞台「真夏の夜の夢」にて野田秀樹さんと出会い交際に発展。明石家さんまさんとの離婚後は同棲し事実婚状態でしたが、結婚には至らず破局しました。二人の間に子供はいませんが、野田さんは二千翔さんとIMALUさんとは親子のように暮らしていたそう。
一緒に暮らしていたことを語る野田秀樹さんとIMALUさん。
「IMALUちゃんがとても小さい時に、誰もが最もかわいらしかった時代っていうんですか、そういう時代にちょっと暮らせたことが私は今でも幸せだったなと思っています。これからも頑張ってください」
野田氏のVTRメッセージを受け「わ~、野田さん。めっちゃ、うれしい」とIMALU。「幼稚園から小学生ぐらいまで、ずっと一緒に住んでいたから。一緒に住んでた唯一の男の人が野田さん」と父親的存在だったことを認めた。
大竹しのぶさんと野田秀樹さんはやがて破局してしまいますが、その後も仕事を共にするなど関係は良好。破局後の野田秀樹さんとの関係について語る大竹しのぶさん。
さんまと離婚後には舞台で知り合った劇作家の野田秀樹氏(59)と数年間同居生活を送っていたが、現在でも「一緒に仕事をしたりとか、一緒にご飯を食べる」仲という。
「才能は今でも尊敬するし、それに触れたいと思う。この世界にいて、才能に対しては敏感でありたい」とさんまや野田氏の才能を今でも尊敬していることを明かした。そして「一緒にいる時のほうが才能にやんなっちゃう。あたしと別れた方が、野田さんも凄く良かったし、面白いし。さんまさんもあたしと結婚している時はあんまり面白くなかった」と“本音”を語った。
大竹しのぶは魔性の女!経験人数30人超え?
大竹しのぶさんと関係のあった男性ーー服部晴治さんはプロデューサーとして、明石家さんまさんはお笑い芸人として、野田秀樹さんは演劇界(演出家)において、それぞれの分野の一流の人たちです。そんな男性たちと付き合い、それを女優の糧としてさらに輝く……大竹しのぶさんは、そんな凄い魔性の女であるなんていう言い方もされます。
大竹しのぶさんの2011年の秋の紫綬褒章を受章時のコメントからも、それが見て取れます。
芸能やスポーツの分野で功績のあった人に贈られる紫綬褒章を受章した女優の大竹しのぶ(54)は「結婚した主人、つかこうへいさんには何も考えず前に出る芝居を教わった。(明石家)さんまさんとのドラマ『男女7人夏物語』では私の中の“軽い”部分、コメディも楽しく思えるって部分を出してもらった。あと蜷川幸雄さん、野田秀樹さん」とこれまでの女優人生に影響を与えた人に感謝の弁。
「いろんな男の人たちが支えてきてくれたんだなって思います」と静かに微笑んだ。
もちろん、上記にご紹介した以外にも多くの男性と交際していたという大竹しのぶさんは、さぞモテそうです。
2017年5月に発売しされた雑誌の対談において発覚した経験人数は、なんと”30人超え”で、中には今をときめく若手イケメン芸能人がいるという噂も?!
7月に還暦を迎える女優の大竹しのぶが、30人を超える経験人数を告白した。5月9日発売の雑誌「婦人公論」に掲載された脚本家の三谷幸喜とタレントの清水ミチコとの対談で明かしている。
さんまと92年に離婚した後は演出家の野田秀樹と同居していた大竹。その野田はさんまと同い年で、演劇界ではさんまのような超大物だったが、野田と別れた後の大竹は驚くほど恋多き女だったという。芸能ライターが語る。
「最近は『君の名は』の主題歌で知られるRADWIMPSの野田洋次郎や俳優の三浦春馬、さらには嵐・松本潤とも噂になっています。30歳前後の彼らから見れば大竹はもはや母親の世代。ですが、素顔は年齢を感じさせない可愛らしさにあふれていますから、何人かはすでに篭絡されているかも…」
いずれにしても、大竹しのぶさんは多くの男性から好まれるような魅力的な女性なのでしょう。そしてそんな男性たちとの出会いと別れがあってこそ、今の”大女優・大竹しのぶ”があると言えそうです。