ドラマ『失楽園』などで知られ、生前ベテラン女優として活躍していた川島なお美さんは2015年9月24日に胆管がんのため54歳の若さで死去しました。
最期の前には腹水の症状もみられた川島なお美さんの死の真相、また若い頃から現在までの活躍をまとめました。
川島なお美のプロフィール&生い立ち
死の間際まで女優として生きた川島なお美
川島なお美さんが2015年9月24日に亡くなって、2018年4月現在でもう2年半以上が経ちます。生前は女優としてドラマ、映画、舞台と精力的に活動し、ワインと愛犬と葉巻をこよなく愛していました。
夫で有名パティシエの鎧塚俊彦さんに支えられた闘病生活の末に逝去しました。死因は胆管がんでした。
川島なお美さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 鎧塚 なお美(よろいづか なおみ)
生年月日: 1960年11月10日
没年月日: 2015年9月24日(54歳没)
出生地: 愛知県守山市(現・名古屋市守山区)
死没地: 東京都
身長: 158cm
体重: 不明
血液型: AB型
職業: 女優
ジャンル: 映画、テレビドラマ、バラエティ番組
活動期間: 1979年 ‐ 2015年
配偶者: 鎧塚俊彦(パティシエ)
引用:Wikipedia – 川島なお美
川島なお美さんは芸能界随一のワイン通として知られ、ワインブームの際にはワインタレントとして活躍しており、フランスの四大ワイン産地から騎士号を授与されている唯一のタレントでもありました。
しかし、2013年に胆管がんが見つかりワイン断ち、2014年3月からミネラルウォーターの専門スクール・アクアデミアに入学し、5月に一般社団法人アクアミネラーレ協会認定の「アクアアドバイザー」として認定されました。
川島なお美さんが飼っていたミニチュアダックスフンドは2匹で「シナモン」とその子供の「ココナッツ」ですが、ブログに頻繁に登場していたもののシナモンは川島なお美さんが亡くなる8ヶ月前に先に亡くなってしまいました。
川島なお美さんの生前の活躍と、胆管がんの闘病の真相について詳しく総まとめしましたのでご紹介しましょう。
川島なお美の父親は裁判官、母親は画家
川島なお美の父親は裁判官だった
川島なお美さんの父親は裁判官で母親は画家で中学の美術教師をしていました。
川島なお美さんには5歳年下の妹がいるようですが、ハローワークの職員をしている”さとみ”さんだと言われています。
川島なお美さんは病弱だったようで、生まれてすぐに股関節脱臼してしまったそうです。
両親に愛情込めて育てられた川島なお美さんには父親が遺した8ミリフィルムがたくさんあるようで『はなまるマーケット(TBS系)』など番組でも放送されました。
ピアノを4歳の頃から10歳まで習っていましたが、川島なお美さんは先生から手を叩かれて指摘されるのが嫌で辞めました。
川島なお美さんは子供の頃は活発な時期と内気で大人しい時期を繰り返していたようで、近所の宮地和徳くんが初恋の相手で、頬へのファーストキスの相手のようです。
悪いことをすると裁判官だった父親から「有罪!」と怒られていたようです。
川島なお美は青山学院大学出身
名古屋市立守山小学校に入学した川島なお美
川島なお美さんは地元の名古屋市立守山小学校に入学しました。
小学校時代の川島なお美さんはやんちゃだったようで、男の子と遊ぶのが好きでよく喧嘩をしていたそうです。
名古屋市立守山東中学校に進学した川島なお美
川島なお美さんは地元の名古屋市立守山東中学校に進学しました。
中学校に入ると川島なお美さんは演劇部に入りましたが女優に憧れていたわけではなく、ドラマ『アテンションプリーズ(TBS系)』を観てスチュワーデス(現・キャビンアテンダント)に憧れて英会話を習い始めたようです。
愛知県立中村高校に進学した川島なお美
川島なお美さんは勉強が優秀だったようで愛知県でも有数の進学校である愛知県立中村高校に進学しました。
川島なお美さんは高校時代に野球部のマネージャーと剣道部を兼任していたようですが、剣道の腕前は有段者だと言われています。
高校1年生の頃は夏休みにアメリカに2ヶ月ホームステイするなどスチュワーデスになるための英語の勉強に力を入れていたようです。
青山学院大学文学部第二英文科に進学した川島なお美
川島なお美さんは青山学院大学文学部第二英文科に進学しました。
大学ではドライブサークルに入っていたようですが、車の免許がないため助手席専門だったようで男子学生の取り合いになっていたのかもしれませんね。
川島なお美さんは大学在学中に芸能界入りを果たし、女子大生タレントの先駆けとして活躍していました。
しかし、大学試験でのカンニングが発覚。川島なお美さんが開き直り発言をしたことでバッシングを浴びてしまいました。
女子大生タレントの先駆けとして活躍した川島なお美
女子大生DJとしてデビューした川島なお美
川島なお美さんは1981年10月からスタートした『ミスDJリクエストパレード』の初代DJに起用されて女子大生DJとして夜の顔となっていました。
川島なお美さんはプロレベルの漫画を描ける特技を持っていたことから『お笑いマンガ道場(日本テレビ系)』で三代目女性レギュラーとなり注目を集めました。
この番組が川島なお美さんのスタートキャリアとなるようですが、後にこのキャリアを捨ててワイン通のセレブタレントとして売り出したことから和田アキ子さんから批判を受けています。
順調に活動していた川島なお美さんですが、1989年8月8日に舞台『水戸黄門』のフィルム撮影のために明治座に向かっていたところロケバスが崖から転落して第七頸椎を骨折する重傷を負ってしまい、出演ができず降板することになりました。
女性大生タレントのイメージが中々抜けなかった川島なお美さんは、芸能界デビューしてからしばらくは出演番組が限定されるなど伸び悩みましたが、1997年7月のドラマ『失楽園(読売テレビ)』に主演で出演して妖艶な演技を見せたことで一躍ブレークして有名女優の仲間入りを果たしました。
有名パティシエ・鎧塚俊彦と結婚した川島なお美
有名パティシエの鎧塚俊彦と結婚した川島なお美
川島なお美さんは「Toshi Yoroizuka」ブランドのお店を経営するパティシエ・鎧塚俊彦さんと2009年2月1日に結婚しました。
川島なお美の旦那・鎧塚俊彦が西川可奈子と再婚?現在まで総まとめ
川島なお美さんは2005年末に出演した料理番組で鎧塚俊彦さんと共演して出会いましたが、当時は異性として何も感じておらず会話も無かったそうです。
鎧塚俊彦さんの方も川島なお美さんの初対面の印象は「味の分からない人だな」というマイナスなイメージだったようです。
しかし、後にフィギュアスケーターの荒川静香さんの誕生日会のための川島なお美さんがバースデイケーキを鎧塚俊彦さんにお願いし、その誕生日会で親交を深めたことで距離が縮まったそうです。
川島なお美さんは当時結婚願望はそこまで無かったようで女優一筋に邁進し、鎧塚俊彦さんもパティシエとしての仕事に没頭していたようですが、時間とともにふたりの距離は近づいていったようです。
そして、川島なお美さんはそれまで男性を部屋に入れたことは無かったところ、鎧塚俊彦さんを初めて自宅に招待したことから本格的な交際に発展していったようです。
今日のおやつシリーズ😁
— シュンヤ🙆 (@rosyumo1166) 2018年4月11日
㍾くちどけプレミアム カスタードプリン🍮
鎧塚俊彦プロデュース👍
マスカルポーネチーズ入りで、甘過ぎず美味でした😳💨 pic.twitter.com/ZrTJnViyHa
鎧塚俊彦に逆プロポーズした川島なお美
プロポーズはフランス旅行中だった
川島なお美さんと鎧塚俊彦さんは映画『ハウルの動く城』の舞台となったフランス・イルハーデンに旅行に行きましたが、その時に川島なお美さんからプロポーズをしたそうです。
川島なお美さんは鎧塚俊彦さんに「おばあちゃんになってもお姫様だっこしてね。これ、私のプロポーズ」と逆プロポーズをしました。
鎧塚俊彦さんはそのプロポーズに応えるようにポケットから指輪を取り出して川島なお美さんにプレゼントしたそうです。
そして、川島なお美さんと鎧塚俊彦さんは2009年2月1日に結婚しましたが、2012年には鎧塚俊彦さんが左目に網膜中心静脈閉塞という目の病気を患い失明してしまいました。
川島なお美さんは「私があなたの目の代わりになる」と励ましたようですが、その翌年の健康診断で胆管がんが発覚してしまいます。
川島なお美の胆管がんの闘病まとめ
がん発覚もすぐに治療しなかった川島なお美
発覚後すぐに手術をしなかった川島なお美
川島なお美さんは2013年8月の健康診断で肝内胆管がんが見つかりすぐに手術を勧められましたが拒否しました。
川島なお美さんは手術の代わりに抗癌剤治療も勧められましたがそれも拒否して治療をしませんでした。
しかし、その後川島なお美さんは命を預けても良いと思った医師に出会ったため、2014年1月に手術を受け、極力体に傷を入れないために全て腹腔鏡下で手術を行ったため12時間を要しました。
最初に手術を受けなかったのが川島なお美さんの死因を早めたと言われています。
川島なお美さんは手術を終えて仕事に復帰するとオフィシャルブログ上で「完治した」と報告しましたが、2014年7月に再発してしまいました。
先に夫の鎧塚俊彦さんが余命1年と知らされましたが、それを川島なお美さんには伝えず抗癌剤治療を受けながら芸能活動を続けていました。
末期がんで余命1年を宣告された川島なお美
ゴルフの帰りに余命宣告を知らされた夫・鎧塚俊彦
夫の鎧塚俊彦さんは2014年7月に夫婦でゴルフを楽しんだ帰りに医師から電話を受け、川島なお美さんの余命が1年であることを知らされました。
鎧塚俊彦さんが医師から受けた余命宣告は”もって1年”ということでした。
すでに打つ手は無い状態で、抗癌剤治療を受けても受けなくても余命は変わらないという残酷なものでした。
余命宣告を知らされていない川島なお美さんは今度も治ると信じてそれまで以上にがん治療の勉強をして様々な民間療法を取り入れていましたが、当然どれも効果は無く鎧塚俊彦さんはそんな川島なお美さんの姿を見ていて辛かったと語っています。
余命宣告を受けた矢先に、2015年1月に川島なお美さんの愛犬・シナモンが亡くなってしまいました。
川島なお美さんは自分の代わりに病気を引き受けてくれたと語っています。
しかし、川島なお美さんの病状は悪化する一方で、腫瘍熱と呼ばれる高熱に毎日うなされるようになりましたが、それでも解熱剤と点滴を受けながらも舞台に上がり続けました。
がんに負けずに女優として仕事に邁進する川島なお美さんの姿に、夫の鎧塚俊彦さんはこみ上げる感情を抑えられ無かったそうで、舞台中に何度も涙をしながら立ち上がって川島なお美さんを激励しそうになるのを堪えていたそうです。
2015年6月 ついに腹水がたまり始めた川島なお美
ついに腹水が溜まり始めた川島なお美
川島なお美さんは6月頃にはついにガンの末期症状である腹水が貯まり始めました。
腹水が貯まり始めたことに川島なお美さんはついに「もうダメなのかな…」と弱音を吐き始めたそうです。
2015年9月7日に夫の鎧塚俊彦さんと一緒に出席したシャンパンのイベントで、その激やせした姿に世間は衝撃を受けました。
当時、川島なお美さんは1日に腹水が5リットルも溜まるようなっていたようで、腹水を抜いても次の日には妊娠したようにお腹が腹水で膨れていました。
川島なお美さんの38キロの体重のうち5キロが腹水だったようで、立っているのも不思議なくらいの衰弱状態だったことでしょう。
しかし、川島なお美さんの中にはそれでも舞台から降りるという選択は無く、毎日腹水を抜いて解熱剤と点滴を受けて舞台に上がっており、命懸けで女優として生き続けたそうです。
川島なお美の死因と最期~ワインが原因でがんに?
最期まで女優であり続けた川島なお美
死の間際まで女優であり続けた川島なお美
川島なお美さんは文字通り死ぬ直前まで女優として舞台に上がっていたそうです。
川島なお美さんは死の直前の2014年9月16日までミュージカル「パルレ~洗濯~」に腹水のたまった身体で出演していました。しかし、すでに限界だった川島なお美さんはその翌日に降板。
立っているだけでも辛いはずの状態で舞台に上がり続ける川島なお美を最期までなぜ止めなかったのかという質問は死後に鎧塚俊彦さんに度々投げかけられたそうです。
しかし、鎧塚俊彦さんは「お叱りを受けるのは承知だが、止められなかった」と答えており、最期の時まで女優として生き続ける川島なお美さんを止められなかったと苦しい心の内を明かしています。
2015年9月24日に54歳の若さで逝去した川島なお美
舞台降板からわずか1週間後の2015年9月24日、鎧塚俊彦さんはついに川島なお美さんの臨終の時に立ち会うことになりました。
川島が永眠した9月24日19時55分。臨終の間際に、鎧塚氏は不思議な光景を見た。一瞬頭を起こした川島は、手を握り、強いまなざしで夫を見つめた後、大きな息をついて意識を失った。
昏睡した時点で心肺も停止していたが、鎧塚氏が川島の名前を叫び続けると、それに呼応するかのように2度大きく息をしたのだという。
《医学的にどうかは知りません。ただ、私からの止まぬアンコールの声に、魂で応えたカーテンコールだったに違いありません》
その後、告別式は死の翌月10月2日に東京・青山葬儀所で行われ約1500人が参列しています。
また、川島なお美さんの早すぎる死にネット上ではワイン好きががんの原因になったのでは?と囁かれています。
事実、「私の体はワインでできているの。私の血も肉もワイン」と豪語するほどのワイン好きで知られていた川島なお美さん。また、葉巻も好んでいたようでこれが胆管がんの原因となったのかもしれません。
川島なお美の手記を鎧塚俊彦が完成させ出版
川島なお美さんは闘病中にずっと手記を書いていましたが、書き終える前に逝ってしまったため鎧塚俊彦さんが加筆して2015年12月8日、共著である『カーテンコール』が出版されました。
川島なお美の死から2年半、夫の鎧塚俊彦に再婚の噂も
川島なお美の死後2年半、夫・鎧塚俊彦に再婚の噂
2017年の三回忌には夫の鎧塚俊彦さんが生前動物を愛した川島なお美さんのために「川島なお美動物愛護基金」を設立しましたが、2018年に再婚の噂が浮上して話題になっています。
鎧塚俊彦さんはすでに50代に入り、川島なお美さんの3回忌を済ませましたが、亡き妻への思いは微塵も忘れたことが無いようです。
そんな鎧塚俊彦さんに週刊誌が再婚について質問した際に以下のように答えています。
「女房は“できれば再婚はしないでね”と言っていましたからね……。ずっと誰も好きにならずに、恋愛もせずにいるかどうかは正直わかりません。でも、今は再婚というのはありえないですね」
川島なお美さんの死から2年半あまりが過ぎ、2018年4月6日に発売された写真週刊誌「FRIDAY(フライデー)」で鎧塚俊彦さんの密会デートが報じられました。
鎧塚俊彦さんの恋人だと言われている相手は22歳年下の女優・西川可奈子さんで、NHK大河ドラマ『西郷どん』に出演して注目されており、4月に公開された映画『私は絶対許さない』では主演を務めている現在注目株の女優です。
鎧塚俊彦さんと西川可奈子さんは六本木のレストランで食事した後に、鎧塚俊彦さんの高級タワーマンションに消えていったと報じられています。
後日鎧塚俊彦さんは週刊誌記者に直撃取材を受け、西川可奈子さんとの交際について聞かれましたが、詳しく回答することを避けています。
「誰にでも優しく、温厚な人。彼の作るスイーツのファンは多い。川島さんを通じて、芸能人や著名人などと広く交友もあります。そんな鎧塚さんですから、女性とデートすることもあるでしょう。昨年、三回忌の法要も終えましたし、そろそろ新しい恋が芽生えても不思議ではない」
鎧塚俊彦さんも寂しい思いをしていると思いますし、川島なお美さんの死に十分喪に服していますので恋愛するのは自由だと思いますが、相手が西川可奈子さんというタレントであったことに一部で残念がる声もあるようです。
今日の「ぴったんこカン・カン」は在りし日の川島なお美さんと鎧塚俊彦さんご夫妻。
— KYOKO (@ODYSSEY0901) 2015年10月2日
川島なお美さんって…改めて見るとやっぱり素敵な人だなぁって思う。
甘えた仕草もとっても可愛いくて、夫婦って多分いろいろあるんだろうけど、何か良いなぁ✨って思わせてくれました。
本当に残念😢
川島なお美さん鎧塚俊彦さんご夫婦。
— きょうちゃん (@1417Tsubakurou) 2015年9月24日
いつも相手を思いやり、愛溢れるご夫婦でしたよね。
これだけ医療が発展している現代でも「癌」には勝てないのか…
残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
川島なお美について総まとめすると・・・
・川島なお美さんは2014年7月に余命1年と宣告され、2015年6月頃には腹水がたまり始めていた。
・川島なお美は2015年9月24日、胆管がんのため54歳の若さで亡くなった。
ドラマ『失楽園』でブレークしてからベテラン女優として活躍し、2015年9月24日に胆管がんのため死去した川島なお美さんについて総まとめしてきました。
川島なお美さんは死の直前まで舞台に立ち続けていたようで、ついに脳の指令が伝達しなくなり体が動かなくなったことで女優としての仕事を終え、直後に亡くなったそうです。
まさに女優のために生きた川島なお美さんの壮絶な生き様は発売された手記『カーテンコール』に克明に記されているでしょう。