元プロ野球選手の吉井理人さんですが、現役引退後は指導者に転身して現在は千葉ロッテマリーンズの監督を務めています。
この記事では、吉井理人さんの年俸やこれまでの経歴、結婚した嫁と子供など家族情報、そして現在の様子などについてまとめてみました。
この記事の目次
吉井理人のプロフィール
吉井理人(よしい まさと)
生年月日:1965年4月20日
出身地:和歌山県有田郡有田川町
身長:188cm
プロ入り年:1983年ドラフト会議2位
吉井理人、ヤクルトスワローズで二度の日本一に貢献
和歌山の名門・県立箕島高校野球部を経て、1983年に近鉄バファローズに入団した吉井理人さんですが、近鉄時代は主に抑え投手として活躍しており、1988年に「50試合 10勝 24セーブ 防御率2.69」の成績を残して、最優秀救援投手に輝いています。
とはいえ、近鉄時代の吉井さんは、当時のパ・リーグが観客数十人と揶揄される不人気時代だったせいもあり、全国的にはまだまだ無名でした。
吉井さんの知名度が飛躍的に上がったのは、セ・リーグのヤクルト・スワローズに移籍した1995年以降となっております。
当時のセ・リーグでは、ゴールデンタイムの全国中継が当たり前だった読売ジャイアンツ戦があったため、ヤクルト時代に先発投手として3年連続二桁勝利をあげ、2度の日本一に貢献した吉井さんの知名度は全国区となりました。
吉井理人、野茂英雄の一言でメジャーリーグ挑戦を決意
1997年オフにFAでMLB移籍をした吉井理人さんですが、NPBの各球団より獲得オファーも殺到していたようですね。
特に読売ジャイアンツは、交渉の場で4年12億円を提示するなど、当時の年俸が9500万円だった吉井さんからすると破格の条件で獲得オファーを出して来ました。
さらには、監督として交渉の場に立ち会った長嶋茂雄さんからは、ポケットマネーから1億円追加するとの条件まで出されるなど、いたせりつくせりの状況でした。
MLB移籍を念頭にFA宣言をしていた吉井さんですが、この時の読売ジャイアンツの誠意あふれるオファーには心が揺らぎ、渡米を断念しようかと思ったこともあったとか。
しかしながら、近鉄時代の後輩であった野茂英雄さんに揺れ動く心を見透かされてしまい、「ビビってないで、思い通りにやった方が後悔しませんよ」とハッパをかけられたことが迷いを断ち切るきっかけとなりました。
ちなみに、MLB移籍というと日本時代とは桁外れの年俸を稼ぐイメージがありますが、吉井さんの場合は、32歳とベテラン時の挑戦だった他に、メディカルチェックで異常が見つかったため、「20万ドル+出来高」の条件での契約がやっとだったようですね。
MLBでは5年間プレーをして通算32勝とまずまずの成績を残した吉井さんでしたが、アメリカ時代の累計年俸額は667万5000ドル(7億2400万円)に過ぎず、お金よりも夢を取った形となってしまいました。
その後、2003年から日本に戻り2007年に引退することとなった吉井さんは、NPB通算で「89勝 62セーブ 763奪三振 防御率3.86」、MLB通算で「32勝 447奪三振 防御率4.62」の成績を残しております。
吉井理人の引退後…栗山英樹との不仲説やコーチとしての実力
吉井理人、日ハムコーチ時代は栗山英樹との不仲が話題に
現役引退後の吉井理人さんに関しては、近鉄バファローズ時代の先輩だった梨田昌孝さんが監督を務めていた縁から、日本ハム・ファイターズより投手コーチのオファーが来たため、指導者としてセカンドキャリアを歩むことになりました。
投手コーチとしての吉井さんは、自身の現役時代の経験を踏まえ、頭ごなしにアドバイスを押し付けることを避けた選手との対話を重視する指導方法が特徴です。
一方で、元々の一言居士的性格に加えて選手ファーストの方針から、投手起用について監督と揉めることも多かった吉井さんは、梨田さんの後を継ぎ日本ハムの監督となった栗山英樹さんとは犬猿の仲との噂もあります。
根も葉もないことが多い有名人同士の不仲説ですが、吉井さんの場合は栗山政権下で2度(2012年オフ、2018年オフ)更迭の憂き目となっているため、野球ファンの間では既成事実化しています。
とはいえ、コーチとしての評価を得ている吉井さんは、2018年オフも日本ハム退団直後にロッテ・マリーンズからオファーがあり、2019年より同球団の投手コーチに就任するなど仕事が途切れない状況が続いています。
吉井理人、現役時代は一匹狼で尖っていた
引退後は指導者として活躍が続く吉井理人さんだけに、昔からコミュ力の高い人脈豊富なタイプの人物かと思いきや、現役時代は一匹狼として有名だったようですね。
現役時代の吉井さんが群れない男だった理由については、野球選手同士で馴れ合うとシーズンに入って厳しい攻めが出来なくなり、成績に悪影響が出るといった信念がありました。
自著『投手論』の中で吉井は、その理由を「自分の中に、球界にいる選手はみんな敵だという意識が強くあった」と告白している。
仲間として酒を飲んだり、ゴルフをすると次のシーズンに響く。相手が嫌がる内角にシュートは投げにくいというわけだ。当時ですら珍しい、昭和の香り漂う一匹狼。
吉井さんの一匹狼ぶりはかなり徹底していたらしく、昭和40年生まれのプロ野球選手たちの親睦会である「昭和40年会」にすら不参加を貫くほどでした。
吉井理人、筑波大学の大学院でスポーツコーチングを学んでいた
高卒でプロ入りを果たすという、野球選手としてはエリートコースを歩んで来た吉井理人さんは、引退後もコーチとして成功を収めています。
とはいえ、現役時代の経験からコーチの何気ない言動が選手の成績を左右することを熟知していた吉井さんは、スポーツコーチングを学ばずに選手を指導することに対して限界も感じていました。
そのため、2012年オフに日本ハムを退団し野球解説者に転身していた吉井さんは、2014年4月になると、筑波大学大学院人間総合科学研究科に進学し体育学を専攻しています。
48歳にて院生となった吉井さんですが、筑波大学大学院での日々は先端のスポーツ科学を学ぶこと以外にも、人脈面に大きなプラスアルファをもたらしています。
具体的には、筑波大学大学院での同窓生に元プロ野球選手の工藤公康さんがいたため、工藤さんがソフトバンク・ホークスの監督に就任した2014年オフに、同球団より投手コーチのオファーが来て指導者復帰するきっかけとなったそうですね。
吉井理人、激やせしたと話題になったことも
吉井理人さんは、野球解説者をしながら筑波大学大学院に通っていた2014年頃に、野球ファンの間で激やせしたと話題になったこともありました。
当時49歳という年齢柄、病気などの心配もされていた吉井さんですが、2014年8月になると、筑波大学大学院人間総合科学研究科の田中喜代次研究室で開発された「スマートダイエット」を実践していたことをブログでカミングアウトしています。
食事制限ではなく食生活の改善によるダイエットプログラムだという「スマートダイエット」の効果は凄まじく、吉井さんの体重は3か月で13.1キロも落ちたそうですね。
吉井理人の年俸…最高年俸は2000年の300万ドル
吉井理人、現役時代の年俸は意外にも安かった?
日米共に年俸バブルが始まった1990~2000年代にバリバリの現役投手だった吉井理人さんですが、タイミングに恵まれなかったこともあり、イメージほど高額年俸を稼いでいない印象です。
1984年:年俸300万円(契約金3000万円)
1985年:年俸320万円
1986年:年俸350万円
1987年:年俸400万円
1988年:年俸650万円
1989年:年俸1950万円
1990年:年俸3380万円
1991年:年俸4100万円
1992年:年俸3700万円
1993年:年俸3500万円
1994年:年俸4200万円
1995年:年俸5000万円
1996年:年俸7700万円
1997年:年俸9200万円
1998年:年俸107万5000ドル(1億1600万円)
1999年:年俸200万ドル(2億1700万円)
2000年:年俸300万ドル(3億2500万円)
2001年:年俸30万ドル(3250万円)
2002年:年俸30万ドル(3250万円)
2003年:年俸6600万円
2004年:年俸5000万円
2005年:年俸5000万円
2006年:年俸2000万円
2007年:年俸3300万円
吉井さんの現役時代の生涯年俸については、24年間の現役生活で13億4450万円となっています。
吉井理人、コーチとしては高年俸を貰っていた
2019年よりロッテの1軍投手コーチを務めていた吉井理人さんですが、年俸の方は2500万円となっていたようですね。
選手に比べて指導者の年俸が安いことでお馴染みなプロ野球界では、1軍コーチの年俸相場は1000~1500万円程度だと言われております。
また、ロッテの1軍コーチ陣の年俸と比較すると、吉井さんの2500万円という年俸はヘッド・コーチの鳥越裕介さん(2000万円)よりも高く、指導者としてのこれまでの実績が反映された破格の条件だと言えます。
★ヘッドコーチ:鳥越裕介(年俸2000万円)
★内野守備・走塁コーチ:根元俊一(年俸1500万円)
★戦略コーチ兼バッテリーコーチ補佐:的場直樹(1100万円)
★打撃コーチ:大村巌(年俸1100万円)
★外野守備・走塁コーチ:大塚明(年俸1100万円)
★バッテリーコーチ:清水将海(年俸1100万円)
★投手コーチ:川越英隆(年俸1100万円)
★打撃コーチ:河野亮(年俸1500万円)
吉井理人の結婚した嫁と子供について
野球関係者の中ではかなりの有名人の部類である吉井理人さんですが、家族については一切不明です。
とはいえ、2007年にロッテから戦力外通告を受けた際に、家族への配慮もあり現役続行を諦めたというエピソードに加え、指導者に転身して以降は家族を大阪に残して単身赴任中という噂があるため、吉井さんが既婚者である可能性は高そうですね。
また、過去にタレントの森脇健児さんが、大阪・梅小路で家族連れの吉井さんと遭遇したことがあったようで、子供も生まれているようです。
関西住んでると割と幼少期に梅小路行ってる人間も多いからな~、家族連れの吉井理人と森脇健児が遭遇したとかどっちかがラジオで言ってたしw
— バイセコー@未定 (@cycleout) 2015年10月10日
吉井理人の現在①馬主として所有する馬が初勝利
吉井理人さんは2019年1月になると、京都競馬場で行われた「3歳未勝利戦」にて、所有馬マゼがデビュー2戦目にして初勝利をあげています。
競馬好きが高じて2013年より馬主となっている吉井さんにとって、マゼの勝利は自身の所有馬の初勝利でもあったらしく、スポーツ新聞などでも大々的に報じられていました。
同馬は新馬戦3着から迎えた2戦目は断然の1番人気で堂々の逃げ切りだった。
吉井氏は「嬉しい。足が震えた。シーズンオフ中しかこうして現場で観戦できないからね。それもユタカ君に乗ってもらっての勝利だから格別」と初勝利の感想を語った。
ちなみに、これまでに6頭の競走馬を所有してきた吉井さんですが、2022年までの通算獲得賞金は3000万円ほどとなっています。
吉井理人の現在②ロッテの監督に就任
出典:https://www.excite.co.jp/
吉井理人さんは2019年から千葉ロッテマリーンズで3年間投手コーチを務め、2021年シーズンはピッチングコーディネーターとして活躍しました。
史上最年少で完全試合を達成した佐々木朗希投手を1年目から指導してきたのも吉井さんであり、2022年からは日本代表の投手コーチも兼任するなど、吉井さんの指導者としての手腕は高く評価されています。
そんな吉井理人さんが、ロッテの一軍監督に就任することが2022年10月に発表されました。
吉井さん自身も驚きの監督就任要請だったようですが、ロッテが掲げる「2025年に常勝軍団になる」という目標に向かって戦っていける人材として吉井さんに白羽の矢が立ったようです。
吉井氏は球団を通じて「ただただ驚いています。これまではコーチとして勉強しながらやってきましたが、これからは全体のマネジメントを任されることになり、身が引き締まる思いです。選手のパフォーマンスと人間力を向上させ、最終的に勝つこと、10月に大舞台に立つことを目指していきます」とコメントを発表しました。
監督就任発表後、ロッテの公式YouTubeチャンネルで、吉井さんのみやざきフェニックス・リーグ(プロ野球の教育リーグ)での舞台裏などが撮影された動画が公開され、おちゃめで人の良さそうな姿が反響を呼びました。
吉井さんはロッテファンから監督としての活躍に大きな期待が寄せられており、今後も注目を集めていくことになりそうです。
吉井理人についてまとめると…
・吉井理人は結婚して子供がいるが、家族情報を明かさず詳細は一切不明である
・吉井理人は引退後は指導者として活躍しており、2022年にはロッテの監督に就任することが発表された
引退後も理想的なキャリアを送っている吉井理人さんですが、アラフィフ世代になってから大学でスポーツコーチングを学ぶなど、それ相応の努力も怠っていないということになります。
吉井さんの末長い活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。