姉妹音曲漫才トリオ「かしまし娘」で人気だった正司照枝さんが91歳で亡くなりました。
この記事では正司照枝さんの年齢や若い頃の画像や経歴、旦那さんとの結婚や長男である子供、息子さんと結婚した磯野貴理子さんとの関係、自宅の場所や現在、死因などについてまとめました。
この記事の目次
- 正司照枝(かしまし娘次女)のプロフィール
- 正司照枝(かしまし娘次女)の年齢は91歳(死去時)
- 正司照枝(かしまし娘次女)の若い頃① 旅芸人の家に生まれ3歳で初舞台
- 正司照枝(かしまし娘次女)の若い頃② 1956年に3姉妹でかしまし娘を結成
- 正司照枝(かしまし娘次女)の若い頃③ 松竹新喜劇や女優として活躍
- 正司照枝(かしまし娘次女)の結婚は1969年
- 正司照枝(かしまし娘次女)の旦那さんは一般の方
- 正司照枝(かしまし娘次女)の子供は息子(長男)の正司宏行さん
- 正司照枝(かしまし娘次女)の元義娘は磯野貴理子(姑と嫁の関係)
- 正司照枝(かしまし娘次女)の自宅
- 正司照枝(かしまし娘次女)の現在…2024年7月8日に91歳で死去
- 正司照枝(かしまし娘次女)の死因は急性心臓死と発表
- まとめ
正司照枝(かしまし娘次女)のプロフィール
正司照枝のプロフィール
生年月日:1933年3月15日
没年月日:2024年7月8日(91歳没)
出身地 :北海道小樽市
身長 :150cm
正司照枝(しょうじ・てるえ)さんは、昭和の時代に人気を集めた姉妹音曲漫才トリオ「かしまし娘」の次女で、かしまし娘が活動を休止した後は主に女優として活躍し、数々の映画やテレビドラマ、舞台に出演しました。
近年も2011年のNHK朝ドラ「カーネーション」、2017年のTBSドラマ「陸王」、2018年の日テレドラマ「高嶺の花」に出演するなど女優として活躍されていました。
そんな正司照枝さんが2024年7月8日に91歳で亡くなり、若い頃の経歴や結婚や旦那さん、子供などにも注目が集まっています。
正司照枝(かしまし娘次女)の年齢は91歳(死去時)
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正司照枝さんは1933年3月15日の生まれで、2024年7月8日に亡くなった時の年齢は「91歳」でした。
3姉妹による漫才トリオ「かしまし娘」の次女で、俳優としても活躍した正司照枝(しょうじ・てるえ、本名照江)さんが8日、急性心臓死のため大阪府の自宅で死去した。91歳だった。
正司照枝(かしまし娘次女)の若い頃① 旅芸人の家に生まれ3歳で初舞台
正司照枝さんは1933年3月15日に北海道小樽市で3姉妹の次女として生まれました。
父親は正司光長さんという方で、元々は鳥取県で石材店を営んでいましたが、正司照枝さんら姉妹が生まれる前に興行師になり、70人もの座員を率いて興行で全国を回っていました。
母親は出雲高子という芸名の北海道出身の歌手で、父親の正司光長さんの三味線や尺八の演奏で安来節や追分節などを歌い一座の看板歌手だったそうです。
正司照枝さんも一座の娘として3歳で初舞台を踏み、4歳上の姉・正司歌江さんと姉妹漫才コンビを組み、新興キネマに所属して「天才少女姉妹漫才コンビ」として売り出され、名古屋市の寄席を中心に話題になりました。
ところが、1948年に姉の正司歌江さんがヒロポン中毒で療養する事になり、正司照枝さんは3歳下の妹の正司花江さんとの新たな姉妹コンビで活動する事になり、上方を代表するしゃべくり漫才の兄弟コンビ「夢路いとし・喜味こいし(当時は荒川芳博・芳坊)」の指導を受けて芸を磨き、大阪の戎橋松竹や名古屋の富士劇場などで舞台に立ち、歌謡漫才をしていました。しかし、正司歌江さんとのコンビほどの人気は得られませんでした。
正司照枝(かしまし娘次女)の若い頃② 1956年に3姉妹でかしまし娘を結成
その後、正司照枝さんは結核の療養で一時、正司花江さんとのコンビを解消するなどして人気が低迷したため、戎橋松竹の支配人だった勝忠男社長(のちの松竹芸能社長)が、「確か姉がおったな。三味線も弾けて歌も上手いらしいやないか。姉を呼べ」と言い出したため、姉の正司歌江さんが呼び戻されました。当時はヒロポン中毒は克服していたようです。
そして、正司照枝さんは、23歳になった1956年、姉の正司歌江さんと妹の正司花江さんと3姉妹で、姉妹音曲トリオ「かしまし娘」(デビュー当時はカタカナ表記のカシマシ娘)を結成。同年8月31日に大阪の難波駅前にあった南街ミュージックホールのストリップの幕間で初めて3人でステージに立ちデビューしています。
他にはいない珍しい若い3姉妹の漫才トリオで、歌謡曲から浪曲、民謡、小唄、長唄までこなせる芸風が民衆にウケ、また、ちょうど民放テレビ局が普及するタイミングが重なった事で「かしまし娘」は絶大な人気を獲得し、1958年には松竹芸能の前身である松竹新演芸の所属タレント第1号となりました。
かしまし娘の芸風は、3姉妹がギターや三味線を弾きながら、浪曲から流行歌まで取り入れた音曲漫才で、「ウチら陽気なかしまし娘、誰が言ったか知らないが、女三人寄ったら、かしましいとは愉快だね~」の歌いだしで始まるテーマソングで一世を風靡しました。
正司照枝さんはリードギターを担当し、特にジャズのジャンルを得意にしていましたが、3姉妹ともにあらゆるジャンルをこなす実力派でもありました。
かしまし娘は、民放放送が始まったばかりのテレビにもすぐに出演し、1959年から1965年までは朝日放送と専属契約を結び、多くの番組にひっきりなしに出演し、瞬く間に全国区の人気者になっています。
長く愛されたかしまし娘は1965年に結成10周年を迎え、1966年には上方漫才大賞を受賞しています。
正司照枝(かしまし娘次女)の若い頃③ 松竹新喜劇や女優として活躍
正司照枝さんはその後もかしまし娘で活動を続けましたが、1970年代後半頃になると徐々に人気が低迷。グループの生みの親である勝忠男社長(松竹芸能社長)が3人に「もう(かしまし娘での活動は)ええやろ」と通告し、結成25周年を迎えた1981年にかしまし娘はグループとしての活動を休止する事になりました。
かしまし娘の3人は最初は戸惑ったそうですが休止を決意してそれぞれピンで芸の道を進む事に決め、正司照枝さんは松竹新喜劇で6年間客演し、喜劇俳優の藤山寛美さんの厳しい稽古に耐えて、その後は女優としても映画やドラマに多数出演しました。
正司照枝(かしまし娘次女)の結婚は1969年
正司照枝さんは、かしまし娘で人気を博していた1969年に結婚しています。
この時には、姉の正司歌江さんも、妹の正司花江さんも既に結婚しており、かしまし娘は3姉妹ともに結婚生活をしながら芸能活動を続けていました。
結婚後も女性が変わらず仕事を続けるというのは当時としては珍しい事でしたが、正司照枝さんの一家は元々旅芸人の一座だったため、そうした活動に理解があったようです。正司照枝さんは結婚後すぐに子供を出産していますが、両親と同居し、子供を両親に預けてかしまし娘での活動をされていたそうです。
照枝さんは結婚後、両親と同居し、預けることができたため、子どもを楽屋に連れてくることはなかった。
「照枝姉ちゃんは、足の不自由な妹の面倒を見てくれたし、両親と一緒に暮らしてくれた。
引用:かしまし娘・正司花江、裏ではトリオ仲が悪かったという噂の真相を告白「ケンカばっかして“一緒に舞台出るのがイヤや”と先輩から苦情を言われるほどでした」
正司照枝(かしまし娘次女)の旦那さんは一般の方
正司照枝さんの旦那さんは一般の方のようで情報は公開されていません。
正司照枝さんの名前や職業、年齢、現在なども不明です。正司照枝さんが旦那さんとは離婚しているとの情報もインターネット上で確認できますが真偽不明です。
正司照枝(かしまし娘次女)の子供は息子(長男)の正司宏行さん
正司照枝さんは旦那さんとの結婚から2年後、1971年に1人目の子供を出産されています。
正司照枝さんの子供は息子さん(長男)で、石井光三オフィスでマネージャーを務めていた正司宏行さんという方です。石井光三オフィスでは当時所属していたタレントの磯野貴理子さんを担当し、交際を経て結婚されています。(ただし、その後離婚)
所属事務所「石井光三オフィス」の担当マネジャー正司宏行氏(32)と結婚することが明らかになったタレント磯野貴理子(39)が9日、東京・東新橋の日本テレビで会見を開いた。
したがって、正司照枝さんと磯野貴理子さんは姑と嫁の関係になりますが、これについては次の見出しで紹介します。
正司照枝さんの息子の正司宏行さんは、2017年に「株式会社シュープロモーション」という芸能プロダクションを設立し、現在も代表取締役を務められています。
正司照枝さんも晩年はこの「株式会社シュープロモーション」に所属されていました。
正司照枝(かしまし娘次女)の元義娘は磯野貴理子(姑と嫁の関係)
上でも触れているように、正司照枝さんの長男の正司宏行さんは2003年にタレントの磯野貴理子さんと結婚されています。
つまり、正司照枝さんと磯野貴理子さんは姑と嫁の関係でした。
磯野貴理子さんは結婚発表時、正司照枝さんの長男の正司宏行さんとは約10年前からの交際を経て結婚を決めたと話されていたので、1993年前後から交際していたという事になります。正司照枝さんと磯野貴理子さんも長い付き合いだったのではないかと思われます。
貴理子は開口一番「私、磯野貴理子は結婚することになりました!」と報告。正司氏が貴理子の担当になった直後の約10年前からの交際で「純愛ですよ。彼一筋です」とのろけた。明確なプロポーズはなかったが、近く「目覚めのいい日に2人で」婚姻届を提出し、来春に挙式する予定という。
長男の正司宏行さんと磯野貴理子さんの結婚が発表された際、正司照枝さんも会見し、「早く孫の顔が見たい」と嬉しそうに話されていました。
宏行さんの母で元漫才師の正司照枝(70)も9日会見し、「結婚の報告は8日の夜に受けました。早く孫の顔が見たいですね。男の子がエエなあ」と相好を崩した。
嫁姑の関係になった後、正司照枝さんと磯野貴理子さんは何度も共演し、お互いの破天荒なエピソードを披露し合い、度々話題になっていました。磯野貴理子さんは正司照枝さんの事を師匠と呼んだりと仲の良さそうな様子でした。
嫁姑の関係となってからはテレビや舞台で共演した。テレビ朝日「徹子の部屋」に2人で出演した際には、磯野が交際当初、照枝さんの楽屋に初めてあいさつに行った際に緊張のあまり無言となり、食事中は緊張をほぐそうと酒の力に頼り泥酔。気づけば下着も着替えた状態で照枝さんの自宅の布団に寝ていたというエピソードを披露した。
また、磯野は照枝さんを「師匠」と呼んで敬った。
ところが、正司宏行さんと磯野貴理子さんは結婚6年目の2009年に離婚しています。
タレント、磯野貴理(45)が漫才トリオ「かしまし娘」の正司照枝(75)の長男で担当マネジャーだった夫、正司宏行さん(38)と離婚したことが5日、分かった。10年の交際を実らせゴールインしたが、互いに多忙のためスレ違いが続き、結婚6年目で破綻。
離婚の理由については、お互いが多忙だったためのすれ違いと、子供に恵まれなかった事、さらに、嫁姑問題なども挙げられていました。
正司照枝さんは息子の正司宏行さんと磯野貴理子さんが離婚したすぐ後の2010年1月22日に放送のバラエティ「紳助!! ホンネの殿堂」にゲスト出演した際に、司会の島田紳助さんに磯野貴理子さんと息子さんの離婚について話を振られ「あの嫁はちょっとキツかった」と爆弾発言をして話題になりました。
一方、磯野貴理子さんも、正司照枝さんの「キツかった」発言の後にこの件についてコメントを求められ、「もう関係ない、今は姑いないですし」、「思い出しちゃうじゃない」と微妙に毒を含んだコメントで反撃されていました。
元姑の正司照枝が某番組で「あの嫁はきつかった」と発言した件について意見を求められた磯野は、「もう関係ないです。“今”は姑いないですし。やだ~、思い出しちゃうじゃない! それ(番組)も見てないので大丈夫です」と、すでに過去の話として吹っ切れた表情をのぞかせた。
正司照枝(かしまし娘次女)の自宅
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正司照枝さんの自宅は大阪府吹田市内にある立派な和風の住宅です。
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地元では正司照枝さんの自宅はよく知られていたようです。
また、正司照枝さんの自宅のすぐ近くには妹の正司花江さんの自宅があり、姉妹で助け合って生活されていたそうです。正司花江さんの自宅は平屋の住宅でした。
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2015年7月、正司照枝さんはトークバラエティ「徹子の部屋」に出演した際に、妹の正司花江さんとは自宅が一見置いて隣である事や、一人暮らしをしている自宅に花江さんに手作り料理を運んでもらって、夕方4時からお酒を飲んで楽しんでいる事などを明かされていました。
「かしまし娘」の次女で芸歴80年を誇る正司照枝さん。82歳で一人暮らしを謳歌するライフスタイルは、まさに“照枝流”。一軒置いて隣に住む妹の花江さんに手作り料理を運ばせ、夕方4時から好きなお酒を心ゆくまで呑む。
2022年には、妹の正司花江さんが「婦人公論」のインタビューで、お互いすぐ近くに自宅を構える事になったきっかけが、半世紀も前に土地の抽選に当たったことだったエピソードや、ずっとお互いの自宅を行き来し姉妹で支え合って暮らしている事などを明かされていました。
今住んでいる土地が売り出されて抽選に当たったんです。それで照枝姉ちゃんにも勧めたら、うまいこと一軒先の土地の抽選に当たって。お互いここに住んで半世紀。そばに公園があって、静かないい場所です。今は、照枝姉ちゃんの家を朝晩2回のぞくのが日課。顔を出して「大丈夫?」って聞くと、「いちいちうるさいな」と怒られるんで、「変わりない?」って聞くことにしてます。(笑)
引用:正司花江「かしまし娘、3人合わせて267歳!近所の姉に毎日夕食のおかずを届けて。いつまでも住み慣れた家で暮らせたら」
正司花江さんによれば、当時、正司照枝さんは14時半には正司花江さんが持ってきた夕食のおかずを食べて、それからドラマ「相棒」を見ながらウイスキーを飲む事を楽しみにされていたのだそうです。
姉の夕食は14時半からなんですよ。『相棒』ってドラマが大好きで、それを観ながらウイスキーを飲んで食事したいの。前は17時に一緒に食べてたけど、だんだん早くなってきてね。さすがにつき合えへんから、姉は毎日温かいもの食べて、私は冷たいのを食べてます。(笑)
引用:正司花江「かしまし娘、3人合わせて267歳!近所の姉に毎日夕食のおかずを届けて。いつまでも住み慣れた家で暮らせたら」
正司照枝(かしまし娘次女)の現在…2024年7月8日に91歳で死去
正司照枝さんは2024年7月8日に91歳で亡くなられています。
正司照枝さんの訃報は、息子さんの正司宏行さんが代表を務める所属事務所「シュープロモーション(SHUプロモーション)」により7月10日に発表されました。
弊社所属タレント正司照枝 (91)(本名・正司照江 )が急性心臓死により
令和6年7月8日 午後6時頃、自宅にて逝去いたしました。
葬儀告別式は故人の遺志により家族葬とさせていただく予定です。
7月8日の18時に吹田市の自宅で亡くなったという事ですが、何か病気を患って自宅で療養していたという事ではなく、いつもと同じように過ごしていて突然に亡くなられたようです。
近くに自宅があり、普段から行き来をしていた妹の正司花江さんが「亡くなった当日もいつもと変わらぬ様子で 誰の手も煩わせることなく静かに逝きました。」とコメントされているので、本当に突然の死去だったのだと思われます。
なお、姉の正司歌江さんは、正司照枝さんが亡くなるちょうど半年前の2024年1月19日に老衰により94歳で亡くなっており、この時には正司照枝さんは「これでおしまい かしまし娘~です 穏やかな最期だったようですが いまはただ悲しい」と、かしまし娘のお馴染みのフレーズをかけて、悲しみのコメントを発表されていました。
正司照枝(かしまし娘次女)の死因は急性心臓死と発表
正司照枝さんの死因は「急性心臓死」と発表されています。
姉妹漫才トリオ「かしまし娘」のメンバーで俳優の正司照枝(しょうじ・てるえ、本名・照江=てるえ)さんが8日、急性心臓死のため死去した。
正司照枝さんの死因の急性心臓死とはあまり聞き慣れませんが、横浜血管クリニックのオフィシャルサイトの説明によると、健康だと考えられていた人が突然、心臓に関連する症状で24時間以内に亡くなる事を言うという事です。日本でも年間に6万〜8万人がこの死因で亡くなられているとの事で、特に珍しい死因という事ではないようです。
急性心臓死とは、健康だと考えられていた人が突然に、狭心症、心筋梗塞などの虚血性心疾患や重篤な不整脈(いわゆる致死的不整脈)を起こすことで、発症後24時間以内に死亡することをいいます。日本においては、急性心臓死によって年間約6〜8万人が亡くなっています。
引用:横浜血管クリニックオフィシャルサイト テレビ朝日 『大下容子ワイド!スクランブル』で急性心臓死について監修しました。
まとめ
今回は、昭和の時代に3人姉妹の音曲漫才トリオ「かしまし娘」の次女として活躍し、かしまし娘の活動休止後は女優として活動した正司照枝さんについてまとめてみました。
正司照枝さんは2024年7月に亡くなっています。年齢は91歳で死因は「急性心臓死」でした。
正司照枝さんは若い頃は、旅芸人の一座の娘として生まれ3歳から舞台に立ち活動。その後、姉妹での音曲漫才で活動を始め、1956年に姉の正司歌江さん、妹の正司花江さんと結成した「かしまし娘」で国民的な人気を獲得しました。
正司照枝さんは1969年に一般人の旦那さんと結婚し、1971年に子供も生まれています。正司照枝さんの子供は息子で正司宏行さんという方です。
正司照枝さんの長男の正司宏行さんは、芸能プロダクションのマネージャーの仕事をされており、その際に担当したタレントの磯野貴理子さんと結婚しました。
正司照枝さんと磯野貴理子さんは嫁姑としてテレビや舞台で共演し仲良しな様子を見せていましたが、正司宏行さんと磯野貴理子さんは結婚6年目に離婚してしまいました。
正司照枝さんの自宅は大阪府吹田市で、妹の正司花江さんとは一軒挟んだ隣同士で、お互いに行き来して姉妹支え合いながら生活されていたそうです。
現在は、正司照枝さんの訃報に関係者やファンに悲しみの声が広がっています。