ジャニーズ事務所の元副社長の白波瀬傑さんが逃げたと話題になっています。
この記事では白波瀬傑さんの現在の年齢、学歴や経歴、オネエ疑惑、2度の結婚や嫁と子供、自宅、性加害問題の要因の1つと批判されている件や逃げたと批判された経緯、現在などについてまとめました。
この記事の目次
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)のプロフィール
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の年齢
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の学歴
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の経歴① 所属タレントのマネージャー
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の経歴② 宣伝部を担当し取締役に出世
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の経歴③ 一時ジャニーズを辞めるも副社長として呼び戻される
- 白波瀬傑(元ジャニーズ副社長)の経歴④ 石川県金沢市の元暴力団員との噂も
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)のオネエ疑惑も話題に
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の結婚と嫁
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の子供
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の自宅
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)が性加害の要因の1つになったとの批判も
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)は性加害問題で逃げたか
- 白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の現在
- まとめ
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)のプロフィール
白波瀬傑(しらはせ・すぐる)さんはジャニーズ事務所(現在の株式会社SMILE-UP.)の元取締役副社長で、1975年から2023年10月18日まで長年にわたってジャニーズに関わった人物です。
白波瀬傑さんは主にジャニーズの、テレビや雑誌などのマスメディアに対する広報と宣伝の役割を担い、ジャニー喜多川とメリー喜多川(いずれも故人)の番頭的存在でした。
白波瀬傑さんはジャニーズのメディアコントロールを担ってきた存在とされ、都合の悪い記事をもみ消したり、敵対する記者を出禁にしたりとメディアに対して圧力をかける役割を果たしていたとされています。
また、取締役としてジャニー喜多川に対しての監視・監督義務を怠っていたとされ、ジャニー喜多川による未成年タレントに対する性加害問題の発覚を遅らせ、継続させる要因になった1人として批判されています。
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の年齢
出典:https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/
白波瀬傑さんは生年月日を公表しておらず、現在の年齢は不明です。
ただ、生年は1950年か1951年という真偽不明の情報があるようです。これが事実だとすれば白波瀬傑さんの現在の年齢は73歳か72歳前後という事になります。
また、白波瀬傑さんは1975年にジャニーズ事務所に入社していますが新卒入社ではなく、大手芸能事務所「渡辺プロダクション」からメリー喜多川に引き抜かれる形で入社しています。
仮に20代半ばから30代の頃に引き抜かれたとすれば、白波瀬傑さんの現在の年齢は少なくとも70代以上という事になります。
ジャーナリストの松谷創一郎さんは、Yahoo!ニュースに寄稿した記事の中で、白波瀬傑さんの年齢について現在70代前半と見られると書かれていたので、ジャニー喜多川の性加害問題について取材されている方の見立てでもそのあたりの年齢とみられているようです。
長らく広報を担当してきた白波瀬傑副社長も重要人物だ。現在70代前半と見られる白波瀬氏は、メディア側には広く知られた存在だ。
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の学歴
出典:https://www.ghibliexpo-aichi.com/
白波瀬傑さんの学歴については、東京都立川市の「東京都立立川高等学校」を卒業後、「立教大学」の法学部へ進学するも中退したとの情報が流れています。
ただ、この白波瀬傑さんの学歴については元ジャニーズタレントからのリーク情報が元ネタとなっていますが、証拠が示されておらず真偽不明の情報です。
ちなみに、白波瀬傑さんの最終学歴とされる東京都立立川高校の偏差値は「70」と全国でもトップクラスの進学校です。
白波瀬傑さんは立教大学法学部を中退したともされていますが、中退の理由などの情報はなく、こちらも本当かどうか疑わしい情報です。
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の経歴① 所属タレントのマネージャー
白波瀬傑さんの経歴については、元々は大手芸能事務所の「株式会社渡辺プロダクション」に所属していたところを、当時渡辺プロダクションと業務提携の関係にあったメリー喜多川からスカウトされ、1975年にジャニーズ事務所へと引き抜かれています。
白波瀬傑さんのジャニーズ事務所に入社してからしばらくの間は所属タレントのマネージャーをされていました。
当時、白波瀬傑さんがマネジメントを担当していたのは、豊川誕さん、郷ひろみさん、田原俊彦さん、「KinKi Kids」などでした。
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の経歴② 宣伝部を担当し取締役に出世
1982年にジャニーズ事務所に宣伝部が創設されると同時に、白波瀬傑さんはメリー喜多川を直属の上司として広報部長として宣伝と広報、メディア対応を担当するようになり、メリー喜多川の指示を受けながら取材対応など宣伝業務を担当しています。
白波瀬傑さんはその後、1996年に取締役に就任しその後専務に昇格しました。
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の経歴③ 一時ジャニーズを辞めるも副社長として呼び戻される
白波瀬傑さんの2016年頃に一度ジャニーズ事務所を退社しているとの情報があります。
しかし、2019年にジャニー喜多川が死亡した時に、それまで副社長を務めていたメリー喜多川が代表取締役会長に就任したタイミングで後継の副社長として呼び戻されたと言われています。
ただ、白波瀬傑さんは肩書きが変わっても業務内容は特に変わらず、ずっとジャニーズの宣伝と広報、メディア対応の役割を中心となって担ってきました。
白波瀬傑(元ジャニーズ副社長)の経歴④ 石川県金沢市の元暴力団員との噂も
白波瀬傑さんは若い頃に、石川県金沢市で暴力団の構成員をしていた経歴があるという情報が確認できますが、こちらは真偽不明の情報です。
白波瀬傑さんが元暴力団関係者という情報の元ネタは、元ジャニーズタレントで当時、白波瀬傑さんがマネジメントを担当していた豊川誕さんが、2021年10月22日にブログで明かされた内容です。
当時16歳か17歳だった豊川誕さんは仕事終わりに居酒屋で白波瀬傑さんと2人で飲んでいた時に、酒に酔った白波瀬傑さんが「俺は金沢のヤクザで親分の娘に手をつけて、それで組を辞めた」と自分の身の上話をしたのだそうです。
酔った上の発言であり、白波瀬傑さんもまだ10代の頃の記憶を綴った内容なので、あまり信ぴょう性は高くないように思えます。
なお、豊川誕さんのブログは現在は削除されています。
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)のオネエ疑惑も話題に
白波瀬傑さんには「オネエ疑惑」がある事も話題になっています。
白波瀬傑さんと面識のある、ネットメディア「SIrabee」では、ある出版関係者の証言として、白波瀬傑さんは語尾に「〜なのよ」とつける独特の口調で話すとの情報が明かされています。
ある出版関係者は、白波瀬氏についてこう評する。
「年齢は60~70代で、広報としてテレビ局やスポーツ新聞、週刊誌など複数のマスコミとやりとりしていました、語尾に『~なのよ』と独特の口調で話し、マスコミ界隈では『しーさん』の愛称で親しまれていました。
白波瀬傑さんには他にも全体的に女性のような話し方だったとの証言もあり、オネエ疑惑が生まれたようです。
確かに、現在までに出回っている白波瀬傑さんの数少ない画像や映像を見ると、体格は細くなで肩で表情も女性的でオネエっぽく見えなくはありません。
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の結婚と嫁
オネエの噂も出ている白波瀬傑さんですが2度の結婚歴があり嫁がいます。
白波瀬傑さんの結婚や嫁については、元ジャニーズで白波瀬傑さんがマネージャーを担当していた豊川誕さんがブログで書いていた事から判明しました。ただ、このブログはすでに削除されています。
豊川誕さんのブログの内容によれば、白波瀬傑さんの1度目の結婚は1983年で、嫁は兵庫県神戸市出身の一般女性で、豊川誕さんの熱心な追っかけファンだったそうです。
この白波瀬傑さんの元嫁で豊川誕さんの追っかけファンだった女性は通称で「イモコ」と呼ばれており、ファンの中でも一番ヤンチャな存在だったとの事です。
豊川誕さんのブログによると、白波瀬傑さんはイモコさんとの結婚前から、タレントのファンの女性に手を出していたとの事なのでオネエではないのかも知れません。
ただ、白波瀬傑さんはイモコさんと交際するようになってからは財布にイモコさんの写真を入れて持ち歩くなど一途な一面も見せていたそうです。
どういった経緯で白波瀬傑さんと元嫁のイモコさんが交際し結婚されたのかまでは明かされていませんが、イベント会場などで度々顔を合わせるうちに親しくなって結婚したのではないかと言われています。
しかし、白波瀬傑さんは元嫁のイモコさんとはその後離婚しています。離婚の時期などは不明ですが、遅くとも2000年代までには離婚しているようです。
白波瀬傑さんはその後、2000年3月に2度目の結婚をされています。白波瀬傑さんの2度目の結婚相手の嫁については情報がなくどのような方かは不明です。
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の子供
白波瀬傑さんには1度目の結婚の嫁のイモコさんとの間に子供が1人生まれているという事です。
ただし、これも豊川誕さんのブログが情報元で、本当かどうかわからない情報です。
白波瀬傑さんの子供についてはこれ以外には情報はなく、年齢や名前、学歴や職業などは不明です。ただ、結婚が1983年なので子供の年齢は40代である可能性が高そうです。
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の自宅
白波瀬傑さんの自宅は東京都内のようですが、詳細な場所は明らかにされていません。
ただ、2023年7月発売の月刊誌「ZAITEN」(2023年8月号)が有名人の自宅を紹介する人気コーナー「新あのひとの自宅」にて、藤島ジュリー景子社長と白波瀬傑さんの自宅を紹介しています。
また、マスコミメディアは白波瀬傑さんの自宅を特定しており、直撃取材を行なっているメディアもあるようですが、白波瀬傑さんは応じていないという事です。
「それでは納得できないと自宅を直撃取材する記者が出てきています。ある元週刊誌記者は、かつて記事をつぶされたとして謝罪を求める内容証明を郵送したそうです」とはジャニー喜多川氏の性加害問題の再燃以前からジャニーズに詳しいマスコミ関係者。 白波瀬氏は直撃訪問には応じていないが、郵便物は受け取っているという。
ただ、郵便物を受け取っている様子が確認できているようなので自宅にいる事は確かなようです。
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)が性加害の要因の1つになったとの批判も
白波瀬傑さんは現在、ジャニーズ事務所の前社長のジャニー喜多川によるタレントに対する性加害が長きにわたって放置されてきた要因の1つになったとして批判されています。
白波瀬傑さんは長年にわたってジャニー喜多川の番頭的存在として、メディア対応にあたっており、ジャニーズ事務所の裏側の事情について最も詳しい1人のはずです。
ところが、ジャニーズ事務所が2023年9月7日と10月2日に開いた、ジャニー喜多川の性加害問題に関する記者会見に、いずれも白波瀬傑さんは出席しませんでした。
ジャニーズ事務所の開いた2度の記者会見では、いずれも重要な情報はほとんど出てこず、記者達からは不満の声が上がり、最も裏事情を知っているはずの白波瀬傑さんがなぜ出席していないのかと批判も声が上がりました。
白波瀬傑さんは、長年ジャニーズの広報・宣伝担当としてマスコミに対応してきましたが、メディアに対して強い圧力をかけて、気に入らない事があるとジャニーズのタレント使わせないなどの脅しをかけていたとの証言が出ています。
常に目は光らせていた。そして、気に入らないことがあると『ウチは引き揚げさせてもらいますから』とやるんです。その番組や企画のみならず、すべてタレントを引っ込めるという。まあ、脅しですね」(民放関係者)
ジャニー喜多川によるタレントへの性加害は、1980年代から噂されており、実際の被害者が暴露本まで出して訴えているにも関わらず、ジャニーズタレントが引き上げられるのを恐れた多くのマスコミが、性加害疑惑について追及する事はありませんでした。(ほとんど唯一、週刊文春だけがジャニー喜多川の性加害疑惑を攻撃していた)
これが、ジャニー喜多川の性加害が長年にわたって表沙汰にならない大きな理由でしたが、矢面に立ってそうした圧力をかけていたのが白波瀬傑さんその人でした。
そうした意味において、白波瀬傑さんの存在がジャニー喜多川の性加害が長年にわたって放置される要因の1つになったと指摘されており批判が集まっています。
そればかりか、9月7日に開かれたジャニー喜多川の性加害に関する会見以降も、白波瀬傑さんがメディアの報道内容に対して電話で抗議をしていたとの情報も出ており、10月2日の記者会見を裏で仕切っていたのも白波瀬傑さんではないかとする推測も出ています。
9月7日の会見以降も、メディアに対し、報道内容について電話で抗議したという話が一つや二つではありません。FRIDAYデジタルが『ジュリー氏も会場にいた』と報じ、ジャニーズ側は『事実無根』と完全否定していますが、実質的に2日の会見を裏で仕切っていたのも白波瀬氏でしょう。構造は全く変わっていないのです
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)は性加害問題で逃げたか
ジャニー喜多川の性加害に関するジャニーズ事務所の記者会見に2度とも出席しなかった白波瀬傑さんですが、2023年9月5日に藤島ジュリー景子元社長が引責辞任したのと同時に、取締役副社長を辞任していました。
ただその後も、白波瀬傑さんは嘱託社員としてジャニーズ事務所と契約を結んでおり、事後処理の協力にあたっていたという事です。
ジャニーズの記者会見では、白波瀬傑さんが副社長を辞任しているため説明責任はないと説明されましたが、嘱託社員として会社に留まっていたなら記者会見に出席し説明にあたるべきだったとの声が上がりました。
こうした経緯が明らかにされたことで、白波瀬傑さんは記者会見でジャニー喜多川の性加害に加担したのではと追及する事を恐れて逃げたのではないかとの批判が大きくなりました。
さらにこの2度の記者会見欠席で批判が高まった後に、白波瀬傑さんが嘱託社員としての契約も終え、ジャニーズ事務所を完全に退職する見込みである事を日刊ゲンダイなどが報じ、何の説明責任も果たさないまま逃げた事が確定的になります。
再発防止特別チームの調査報告書では、ジャニー氏に対する監視・監督義務を全く果たさず、性加害の継続を許す要因になったなどと指摘されていた重大責任者のひとりである。9月7日と10月2日に行われた記者会見にも姿を見せなかったため大いに批判されたが、一切、口をつぐんだまま事務所を去るつもりのようだ。
白波瀬傑さんが逃げた事に怒りを覚えているのは、これまでに散々圧力をかけられてきたマスコミ関係者が中心ですが、ジャニーズの元関係者やタレントからも怒りの声が出ています。
元ジャニーズタレントで田原俊彦さんやシブがき隊のマネージャーも務めた板野俊雄さんも白波瀬傑さんや藤島ジュリー景子前社長が逃げた事が一番許せないと週刊文春の取材に対し話されています。
田原俊彦やシブがき隊のチーフマネジャーを務めた板野俊雄氏(67)だ。1975年に3人組グループ「ジャニーズ・ジュニア・スペシャル(JJS)」のリーダーとしてレコードデビューした元所属タレントでもあり、ジャニーズ事務所の表も裏も知り尽くした人物だ。「事務所って商品であるタレントを守るところでしょう。会見で、その商品を加害者のように矢面に立たせて、ジュリー(藤島ジュリー景子前社長)と白波瀬(傑前副社長)は逃げた。そこが一番許せないんです」
引用:「ジャニー氏は16歳の僕にブランデー、タバコの煙を口移し」レコードデビューも果たした元ジャニーズマネジャーが実名顔出しで明かす“50回の性被害”「フランケンシュタインにジャニー氏が扮し…」
白波瀬傑(ジャニーズ元副社長)の現在
白波瀬傑さんの現在は2023年10月15日付でジャニーズ事務所を完全に退職した事がわかっています。
白波瀬傑さんがジャニーズを完全に退職する見込みである事は10月13日に日刊ゲンダイなどが報じていましたが、10月18日に朝日新聞が報じた事で事実である事が確認されました。
ただ、ジャニーズ事務所(現在は株式会社SMILE―UP.)の説明では、ジャニー喜多川による性加害の被害を訴える人の過去の在籍確認などを行う際に引き続き協力してもらう予定としており、完全に関係が切れたわけではないようです。
故ジャニー喜多川氏による性加害問題で、旧ジャニーズ事務所(現・SMILE―UP.)の副社長を引責辞任し、その後嘱託社員として在籍していた白波瀬傑氏が、15日付で嘱託社員としての契約も終了し、事務所を退職していた。18日に事務所が朝日新聞の取材に明らかにした。白波瀬氏は現在、関連会社も含め契約関係になく、グループ会社に就職した事実もないと説明。一方で、被害に遭ったとして補償を求める人の在籍確認などを行うにあたり、事務所は「引き続き、協力してもらう予定」としている。
とはいえ、表に出てきて説明を果たさない限りは「所属タレントを矢面に立たせたまま逃げた」という批判の声は収まりそうもありません。
まとめ
今回は、ジャニーズ事務所(現在は株式会社SMILE―UP.)の元取締役副社長で、主に広報や宣伝、マスコミ対策などを担当していた白波瀬傑さんについてまとめてみました。
白波瀬傑さんの年齢は非公開ですが、70代前半と見られています。
白波瀬傑さんの学歴は、「東京都立立川高等学校」から「立教大学」の法学部に進学するも中退しているとの情報が出ています。ただし、こちらは真偽不明の情報です。
白波瀬傑さんの経歴については、元々は大手芸能事務所「渡辺プロダクション」に所属していたのを、メリー喜多川の引き抜きによって1975年にジャニーズ事務所に入社。しばらくタレントのマネジメントを担当後、1982年に宣伝部に配属され広報部長としてマスコミ対応を担当するようになります。
その後、1996年に取締役に就任し、2016年に取締役副社長に就任しています。
白波瀬傑さんは語尾が「〜なのよ」という口調である事からオネエ疑惑が出ています。しかし、元ジャニーズタレントの豊川誕さんのリーク情報によると、白波瀬傑さんは過去に2度結婚し子供も1人いるという事です。白波瀬傑さんの1度目の結婚の嫁は、豊川誕さんの熱心な追っかけだった兵庫県神戸市出身の一般女性である事も豊川誕さんによって暴露されています。
白波瀬傑さんの自宅は東京都内にありますが、詳細な情報は非公開となっています。
白波瀬傑さんはジャニーズ事務所の最古参の1人で、ジャニー喜多川の性加害についても詳しい事情を知っているのではと見られていますが、記者会見には2度とも出席しておらず、10月にはジャニーズを完全に退社し責任を果たさないまま逃げたと批判されています。
白波瀬傑さんの現在の詳しい事は不明ですが、ジャニーズ事務所は今後も協力してもらう予定と発表しており、完全にジャニーズと縁が切れたわけではないようです。