結婚とふたりの子供の出産で長らくレギュラー主演の無かった女優・石田ひかりさん。
14年ぶりにドラマ『屋根裏の恋人』で主演を務めますが、夫や子供、そして姉である石田ゆり子さんとの現在の関係についてまとめたのでご紹介します。
女優・石田ひかりのプロフィール&生い立ち
アイドルから女優になった石田ひかりの生い立ちとは?
今では石田ひかりさんの姉である石田ゆり子さんの方が若干有名になってしまいましたが、芸能界に入ったのは同時でした。
石田ひかりさんのお姉さんである石田ゆり子さんは直近では2016年の大人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で名演を見せたことや『コントレール ~罪と恋~』でヒロイン、2015年にも『医師たちの恋愛事情』でヒロインを演じるなどアラフィフに突入しようという現在でも活躍を見せています。
どうしても姉の活躍の影に隠れてしまいがちな妹の石田ひかりさんですが、これまでどのような活躍をして、そして結婚・出産に至ったのでしょうか?
石田ひかりさんの生い立ちや経歴について詳しくご紹介していきます。
本名: 訓覇 光(くるべ ひかり)
旧姓: 石田 光(いしだ ひかり)
生年月日:1972年5月25日
出生地:東京都
血液型:A型
職業:女優、歌手
ジャンル:映画、テレビドラマ
活動期間:1986年 –
配偶者:訓覇圭(2001年 – )
著名な家族:姉・石田ゆり子
事務所:風鈴舎
石田ひかりさんは意外と多趣味で、パソコン(ネットサーフィン)や庭いじり、ドライブ、海外旅行、インラインスケートを趣味に挙げていますが、この他にも鎌倉に引越したことを機にサーフィンを始めたようです。
石田ひかりさんの特技は中国語、乗馬、料理、水泳で、特に水泳はかなり熟練していたようで、台湾居住時に水泳大会で優勝し地元紙に載ったことがあるという。
ただ、あまりにスパルタなトレーニングだったためいつも辞めたかったと石田ひかりさんはインタビューで語っています。
石田ひかりの実家はかなり厳しかったのでしょうか?
石田ひかり、中学3年まで台湾で過ごす
幼少期から台湾に数年移住した石田ひかり
石田ひかりさんの両親は転勤族だったようで、父親が日本郵船に勤めていた関係で小学校6年生から中学校3年生はじめ頃まで台湾に移り住みました。
石田ひかりさんは1972年5月25日に愛知県名古屋市に生まれました。
石田ひかりさんのお父さんが転勤族だったことから3歳まで兵庫県西宮市、小学校6年生まで神奈川県川崎市と移り住み、その後台湾・台北市に移住しています。
石田ひかりさんのお父さんが勤めていた会社が日本三大海運会社のひとつ、日本郵船だったため転勤は非常に多いものの年収はよかったようですね。
日本郵船の平均年収推移は836万円~1034万円となっており、生涯年収は以下のとおり。
日本郵船の生涯年収は4億2441万円となっており、ここ10年の平均年収推移から算出しても3億5948万円~4億4462万円と推定され、非常に高額です。
4億円以上となると、一般的なサラリーマンの生涯推定年収の2倍近くとされるため、かなりの高年収の企業だという事が分かります。
当時はバブル期真っ只中でもあり、年収は最低でも1千万円以上はあったでしょう。
この数字からすると石田ひかりさんの家庭はかなり裕福だったことが伺えます。
石田ひかりさんは台湾で住んでいたマンションの部屋の中でローラースケートを履いて遊んでいたというので、かなりの広さのある部屋だったようです。
石田ひかりさんは台湾では姉の石田ゆり子さんと共に台北市日僑学校に通っていました。
ちなみに、この学校には金城武さんも在学していたそうです。
石田ひかり、水泳でロス五輪を目指す!?
なんと石田ひかりさんと石田ゆり子さんは水泳でロス五輪の強化選手に選ばれる可能性があるところまで行っていたようです。
今の石田ひかりさんと特に石田ゆり子さんを見ると想像もつきませんが、台湾在住時に習っていた水泳はちょっと泳げるという一般レベルではなかったようです。
厳格なお父さんの考えで石田ひかりさんと石田ゆり子さんは台湾の国営水泳チームに所属させて学校とプールを行き来するような本格的なトレーニングを送る日々が続いていたようです。
そのため、ロス五輪の強化選手に選ばれる可能性が出てくるようなレベルにまで成長し、国内の大会では優勝したことから地元紙にも載ったことがあるそうです。
石田ゆり子さんは後に日本でも神奈川県の代表選手に選ばれるなどしていたようですね。
かなりのアスリートだった石田ひかりさんと石田ゆり子さんですが、厳しすぎるトレーニングが嫌で早く辞めたかったと語っています。
石田ひかり、帰国後スカウトされ芸能界デビュー
15歳で日本に帰国した石田ひかりはまもなく芸能界デビュー
15歳の中学3年生の頃に帰国した石田ひかりさんは、高校1年に上がった頃にスカウトされて芸能界デビューを果たします。
石田ひかりさんは台湾から帰国後、高校1年生の頃に世田谷区二子玉川で芸能事務所・ボックスコーポレーションの社員にスカウトされます。
しかし、実は1か月前に姉の石田ゆり子さんも同じ会社に目黒区自由が丘にある亀谷万年堂前でスカウトされていたのです。
スカウトマンは二人が姉妹だと知らずに全くの偶然でスカウトしたそうです。
お父さんは単身赴任中で不在で、石田ひかりさんのお母さんは反対したそうですが、二人そろってスカウトされたということもあり芸能界デビューをすることになります。
1986年に『妻たちの課外授業II(日本テレビ)』で女優デビューした石田ひかり
女優として芸能活動をスタートさせた石田ひかりさんはバラエティ番組の水泳大会で活躍するなど幅広く出演しています。
石田ひかりさんは主演の娘役で女優デビューを果たすと、ドラマ『花のあすか組!(フジテレビ)』や『ママハハブギ(TBS)』などで重要な位置づけの役で出演し認知度を次第に上げていきました。
”透明感のある美少女”と世間で噂になり、女優デビューから1年後の1987年5月に、石田ひかりさんはシングル「エメラルドの砂浜」でアイドル歌手デビューを果たしました。
その後もシングル10枚、アルバム5枚をリリースするなどかなり歌手活動もしていますが、石田ひかりさんは「全く売れなかった」と自嘲気味にコメントしていたようです。
それでも、一応花王の「ピュア」シャンプーのイメージソングに「く・ち・び・る・♥2」や「恋は確率51%」などが選ばれました。
石田ひかり、高校は堀越学園
学業と芸能活動を両立した石田ひかり
石田ひかりさんは多くの芸能人が通う”芸能科”のある高校・堀越学園に通い、その後亜細亜大学法学部へ進学しました。
石田ひかりさんは亜細亜大学で少年法に関する卒業論文を書き、卒業後は二松學舍大学大学院の文学研究科国文学専攻博士前期課程を終了。
ここまで石田ひかりさんが亜細亜大学に進学し他大学の大学院にまで進んだ理由としては、女優を続けるか迷っていたからのようですね。
当時、石田ひかりさんは何度となく女優を辞めたいと考えていたという。
何度もあります!深く考えずに始めてしまったことで。学校にも通っていました。逃げ場を作っていたんですよね。半分学生、半分社会人みたいな。どっちにも逃げられるっていう保険をかけてたんです。いよいよ私は芸能界に就職するんだ、もう逃げられないぞ、そう思ったのは大学卒業した22歳の時でした。
石田ひかりさんが大学院に進んだのはやはり芸能界で生きていく覚悟が座らなかったからなのでしょう。
それでも、石田ひかりさんは芸能界で女優として生きていく道を選択しました。
石田ひかり、1992年からブレーク
1991年に大林宣彦監督の映画『ふたり』で初主演した石田ひかり
石田ひかりさんは映画の主演が続いたことから注目されブレークし始めます。
1991年に大林宣彦監督の映画『ふたり』で映画初主演を果たした石田ひかりさんは、1992年にドラマ『悪女(読売テレビ系)』でドラマ初主演、さらにNHK連続テレビ小説『ひらり』のヒロインに大抜擢されて一躍ブレークを果たします。
1993年も映画『はるか、ノスタルジィ』で主演を務め、石田ひかりさんの代表作とも言われるドラマ『あすなろ白書』で主演を務めました。
完全に時の人となった石田ひかりさんは、1992年と1993年の『NHK紅白歌合戦』で紅組司会を務めています。
この頃が間違いなく石田ひかりさんの芸能生活における絶頂期でしょう。
1999年には姉・石田ゆり子と個人事務所「風鈴舎」を設立した石田ひかり
石田ひかりさんは姉で女優の石田ゆり子さんを社長に据えて自身は副社長となり、個人事務所「風鈴舎」を設立しました。
その後も結婚する2001年までに、石田ひかりさんは下記のように安定して主演作に出演しています。
1995年…ドラマ『輝く季節の中で』
1996年…ドラマ『ナチュラル 愛のゆくえ』
1998年…映画『ベル・エポック』
1999年…映画『アドレナリンドライブ』
その他、NHK大河ドラマ『徳川慶喜』にも出演し、石田ひかりさんは安定した芸能活動の中で結婚に恵まれました。
結婚した石田ひかりの家族、夫や子供について
2001年に結婚した石田ひかり
石田ひかりさんは2001年5月に当時NHK大阪放送局ディレクターだった夫の訓覇圭(くるべ けい)さんと結婚しました。
石田ひかりさんの夫となった訓覇圭さんは実は凄い人で、社会現象を巻き起こしたNHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』でプロデューサーを務め、東京ドラマアウォード2013プロデュース賞を受賞しています。
『あまちゃん』のプロデュース(制作統括)を担当するまでも、『オードリー』で演出、『まんてん』で制作と訓覇圭さんの出世の段階が伺えます。
その他にも多くの有名番組で制作やプロデューサーとして関わっています。
現在の訓覇圭さんの役職はNHK制作局ドラマ番組部チーフ・プロデューサーとなっているようで、NHKの年収相場からすると1,150万円~1,500万円は貰っているようです。
石田ひかりさんも結構稼いでいると思いますが、こうした巨額の安定収入のある夫と結婚できたのは良かったですね。
お金のことではないと思いますが、石田ひかりさん自身も良き夫と結婚できてよかったと語っています。
石田ひかりの夫・訓覇圭は出来た夫
子育てをしながら主演女優を14年ぶりに務める石田ひかり
2017年6月4日にスタートしたドラマ『屋根裏の恋人(フジテレビ系)』で14年ぶりに主演を務める石田ひかりさん。子供たちが中学校に上がったことで子育てに余裕が生まれての主演挑戦となったようです。
石田ひかりさんがドラマ『屋根裏の恋人』に14年ぶりとなる主演を務めることになり、ORICON NEWSのインタビューで夫の訓覇圭さんや子供たちのことについて語っています。
石田ひかりさんが主演を務めることができるようになったのも、子供たちが中学校へ上がったことで子育てに少し余裕が出てきたからのようです。
加えて、夫の訓覇圭さんが石田ひかりさんが忙しい時には家事や育児をやってくれているようなのでバックアップ体制は十分のようです。
精神的に疲れた時にも夫の訓覇圭さんが支えてくれるようです。
「できるだけポジティブでいようと心がけていますが、自分のことよりも子どものことでなにかあるとダメージは大きいし引きずります。そういうときは旦那さんに相談したりしますね。私は本当に旦那さんに恵まれた。この先なにがあるかわかりませんが、それでもいてくれてよかったなと思います」
訓覇圭さんもNHKのチーフプロデューサーなので相当忙しいと思いますが、それでも時間ができれば家事育児をちゃんとこなすところをみると出来た夫のようです。
石田ひかりの子供は?
石田ひかりの子供は二人共娘
石田ひかりさんは夫・訓覇圭さんと結婚した2001年の5月31日に長女を出産し、2005年1月23日に次女を出産しています。どちらも自宅出産だったというのですごいですね!
石田ひかりさんの長女と次女の名前や画像は残念ながら公開されておりません。
石田ひかりさんは教育に関して熱心なようで、長女については幼稚園や小学校を受験させたことが報じられたことがあるようです。
幼稚園はわかりませんが、小学校はカトリック系の私立学校である清泉小学校に入学したそうです。
清泉小学校はしつけが厳しいと言われており、宿題も多く日記はしっかりと付ける習慣をつけさせられるようです。
ただ、校風自体は時間にとらわれない伸び伸びとした教育を重んじ、チャイムは鳴らないという珍しい学校のようです。
また、清泉小学校は女子のみ系列校として清泉中学校・高校の一貫校がありますので、石田ひかりさんの長女は現在清泉中学校に通っているかもしれませんね。
石田ひかりの彼氏遍歴は?
石田ひかりはサッカー選手と交際していた
「石田ひかり 彼氏」と検索すると関連キーワードで「サッカー選手」と出てきますが、石田ひかりさんは結婚前提で元サッカー選手で現在は浜松開誠館中学校・高等学校のサッカー部で監督をしている青嶋文明さんと交際していました。
石田ひかりさんが訓覇圭さんと結婚する前に交際していた彼氏に、Jリーグ発足前のジャパンフットボールリーグのチーム・本田技研でプレーをしていた元サッカー選手の青嶋文明さんがいます。
現在は、サッカーの名門である浜松開誠館中学校・高等学校で監督として指導し、教え子の中にはプロ入りしている選手もいます。
結婚をするつもりで交際していたようですが、しかし当時サッカーがメジャーではなかったことや、青嶋文明さんの経歴に石田ひかりさんがそぐわないと感じたのか父親に猛反対されてしまいます。
ふたりの熱愛報道は世間を沸かせましたが、結局石田ひかりさんと青嶋文明さんは破局してしまいました。
しつけに厳しい石田ひかり
「私、怖いので」と自ら言うほど教育熱心な石田ひかり
石田ひかりさんは教育に厳しいようで、好き嫌いは絶対にさせないようです。
長女の学校がしつけに厳しい清泉小学校であることからも、石田ひかりさんはかなりの教育ママのようですね。
食べ物の好き嫌いに関しては問答無用で食べさせているようで、子供にとっては始めは辛いと思いますが結果的には母である石田ひかりさんに感謝することでしょう。
石田は自ら「私、怖いので」と言うほど、普段は厳しい母親だという。食べ物の好き嫌いなどは「一切言わせない」そうで「世界には食べられない人もいるのに『あなたたちは(食べる物を)選べるんだよ!』と、いつも説教してます」。おかげで子供に好き嫌いは全くないとか。「あるかもしれないけど、言わせません!」
食べ物に好き嫌いがあり、特に野菜や発酵食品など重要な栄養素のある食品が嫌いなだけで成長には大きな悪影響が出ます。
こうした石田ひかりさんの教育姿勢を見る限りでは、ふたりの姉妹はしっかりした少女だと想像できます。
石田ひかり、姉・石田ゆり子を尊敬している
インタビューでは石田ひかりが姉の石田ゆり子を尊敬していることも語られている
石田ゆり子さんは現在もアラフォー独身を貫いています。女優として美貌・スタイルを保つためにかなり気をつけているようで、石田ひかりさんは姉との現在の関係を語りました。
石田ひかりさんの大切な家族のひとりと言えば、もちろん共に芸能界で女優として活躍している姉の石田ゆり子さん。
前述しましたが、石田ひかりさんは1999年に姉と共に個人事務所・風鈴舎を設立して共同経営しています。
そんな姉・石田ゆり子さんについて石田ひかりさんは”戦友”だと語っています。
また、石田ひかりさんは女優業の傍らで2児の母としてほとんど自分の時間が無いような生活をしてきたと思いますが、独身の石田ゆり子さんが自由を謳歌していることに少し羨ましくも思っているようです。
しかし、心から姉を尊敬している石田ひかりさんの気持ちがインタビューに現れています。
いつ電話しても『これからエステ』『これからピラティス』と言って電話を切られるんですよ(笑)。本当に優雅。立派&優雅ですね。あの人はずっと綺麗じゃないですか。それはものすごい努力をしているから。
確かに石田ゆり子さんはアラフィフだとは思えないほどに美しさを保っていますが、石田ひかりさんも負けてはいないように思います。
しかし、石田ひかりさんは2児の母で多忙な日々を送っていることから「太った」「劣化した」ともネット上で言われています。
石田ひかりさんは本当に劣化してしまったのでしょうか?
石田ひかり”劣化説”は本当?
石田ひかりは結婚、出産、子育てで劣化した?
女性は結婚して出産を経験し、子育てに追われていると美容は後回しになりがちで劣化しやすいのはしょうがないですが、石田ひかりさんも例外ではなかったのでしょうか?
インターネット上ではよく石田ひかりさんが「太った」「劣化した」と言われているようです。
上図はドラマ『屋根裏の恋人』の報道で使われた石田ひかりさんの画像のようなので、2017年6月現在で比較的新しいものでしょう。
確かに…ちょっとふくよかですね(笑)。
太ったと言われれば否定はできないかもしれません。
痩せていた頃の画像がこちら。
2012年ドラマ『13歳のハローワーク』の頃の石田ひかり
2012年1月27日からスタートしたドラマ『13歳のハローワーク』3話で出演した40歳の頃の石田ひかりさんは今より痩せています。
この画像を見る限りでは「太った」「劣化した」と騒ぎになるような感じは受けませんが、そうすると2012年以降に石田ひかりさんは太ってしまったのでしょうか?
2013年ドラマ『ラストホープ』の頃の石田ひかり
2013年2月5日にスタートしたドラマ『ラストホープ』の公式スタッフブログにアップされた石田ひかりさんの画像。ちょっと太ったでしょうか?
この画像を見る限りでは石田ひかりさんは2012年初期から約1年余りで少し太ったように思えます。
また、ちょっと老けたようにも見えるため劣化したと言われても否定はできないかもしれません。
石田ひかりさんは私生活が子育てに追われて大変で体調の変化が出てしまったのでしょうか?
2015年ドラマ『邪魔〜主婦が堕ちた破滅の道』の頃の石田ひかり
2015年9月2日に放送された2時間ドラマ『邪魔〜主婦が堕ちた破滅の道』で石田ひかりさんが主演した時の画像です。顎の肉がたるんでいますね。
石田ひかりさんは2015年の時点で顔がさらに丸くなってしまい、顎肉も少したるんでいるようです。
明らかに太ったことは間違いなく、劣化したと言われれば間違いないでしょう。
ちなみに、姉の石田ゆり子さんと比較してみると一目瞭然です。
2016年ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の頃の石田ゆり子
2016年10月11日にスタートした大人気ドラマ『逃げ恥』で主演の新垣結衣さんと一緒に映った石田ゆり子さんの画像。この時すでに47歳なので驚異的な若さですね。
さすが頻繁にエステやピラティスに時間を割いているだけあって、石田ゆり子さんは若々しさを保っているようです。
酷かもしれませんが、石田ひかりさんと並んだら石田ゆり子さんの方が妹に見えてしまうでしょう。
仕事に家事育児と追われるとどうしても所帯染みてしまうため仕方がないとは思いますが、それでも石田ひかりさんはまだ恋愛ドラマで主演女優を務めることができるだけ若いと言えるでしょう。
石田ひかりについてまとめると…
ドラマ『屋根裏の恋人』で14年ぶりにレギュラー主演を務める石田ひかりさんの家族(夫・子供・石田ゆり子さん)についてご紹介してきました。
石田ひかりさんの父親はかなり厳格な人のようなので、インタビューでのコメントからは早く自立したかったような印象を受けました。
両親についての話を一切しないことからもあまり仲は良くないのかもしれません。
子供たちが中学校に上がったことで、今後も石田ひかりさんのドラマ出演は増えてくるでしょう!