「新橋ストーカー殺人事件(耳かき店員殺害事件)」の犯人の林貢二の身勝手な犯行動機や生い立ちが注目されています。
この記事では林貢二の起こした事件の内容や被害者の江尻美保さんへのストーカー行為や犯行動機、生い立ちや在日の噂、現在などについてまとめました。
この記事の目次
林貢二は「新橋ストーカー殺人事件(耳かき店員殺害事件)」の犯人
林貢二は、2009年8月3日に東京都港区西新橋の被害者の自宅で発生した「新橋ストーカー殺人事件(耳かき店員殺害事件)」の犯人です。
「新橋ストーカー殺人事件」の概要
最初に林貢二の起こした「新橋ストーカー殺人事件」の概要を見ていきます。
2009年8月3日の午前8時50分頃、林貢二(事件当時42歳)が、東京都千代田区秋葉原駅近くの耳かき専門店「山本耳かき店」の店員だった江尻美保さん(事件当時21歳)の東京都港区西新橋の自宅に押し入りました。
林貢二は、1階で鉢合わせた江尻さんの母方の祖母の鈴木芳江さん(事件当時78歳)をまずハンマーで殴った後、首や顔などを果物ナイフで20回以上滅多刺しにして殺害。
その後2階で眠っていた江尻美保さんを襲撃し、同じく首や顔などを20回以上滅多刺しにしました。江尻美保さんはその後すぐに病院に搬送されましたが、約1ヶ月後の同年9月7日に入院先の病院で死亡しました。
事件現場には江尻美保さんの家族(江尻美保さんの母親と兄)もいましたが、この家族達に怪我などはありませんでした。
林貢二はその後、通報により駆けつけた警察官によってその場で現行犯逮捕されています。
なお、この「新橋ストーカー殺人事件」は「耳かき店員殺害事件」とも呼ばれています。
林貢二は江尻美保さんにストーカー行為を働いていた
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林貢二は、「新橋ストーカー殺人事件」を起こす前から、被害者の江尻美保さんにストーカー行為を働いていて、その延長線で事件を起こしています。
江尻美保さんは林貢二からのストーカー行為を周囲に相談しており、被害届は出していないものの警察にも相談していました。
林貢二は2008年2月頃に、インターネットで江尻美保さんが働いていた耳かき専門店「山本耳かき店」の存在を知り来店、接客した江尻美保さんの事をすぐに気に入り、その後は江尻美保さんを指名予約して来店し常連客になっています。
2008年秋頃には、林貢二は土日と金曜の夜を中心に、週3日〜4日もの頻度で江尻美保さんを指名してこの耳かき店に来店しおり、長い時には1日7時間から8時間もの間、店に滞在していました。
この耳かき店の料金システムは当時、基本料金が30分「2700円」、1時間で「4800円」、延長する場合は30分ごとに「2700円」、指名料が500円という事で、林貢二はこの店に通うために1ヶ月に何十万円を費やしており、事件を起こすまでにこの店に使った金額は200万円以上に上るという事でした。
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なお、この耳かき店のサービスは耳かきや耳の産毛処理などのほか、肩のマッサージやヘッドマッサージ、ハンドマッサージなどで、性的なサービスはありませんでした。もし客が性的なサービスを要求した場合、店外に出される事もあり、場合によっては出入り禁止にされるルールもあったようです。また、原則的に店外での店員と客との接触は禁止されていました。
2008年11月頃、江尻美保さんは同耳かき店の新宿の系列店にも掛け持ちで勤務するようになりましたが、林貢二はそちらにも江尻美保さんを指名して頻繁に来店しています。
この時、秋葉原の店から新宿の店に移動する時に、林貢二は一緒に移動したいと求め、それを江尻美保さんが「店外での接触はルール違反なので出来ない」と断っています。しかし林貢二はその説明に納得せず、大声で江尻美保さんや店舗の店長に文句を言うなどしています。
また、この頃から、林貢二は江尻美保さんに手を握って欲しいと言うなど、要求をエスカレートさせ、江尻美保さんは店長や同僚に相談しています。
江尻美保さんの証言によれば、林貢二は、江尻さんに「僕の事を、かっこ良くない、普通、かっこ良いの3段階で分けるとどのへん?」と聞き、江尻美保さんが気を遣って「普通よりちょっと上」と答えると途端に不機嫌になって「そんなに低いのか」と言って不貞腐れたり、江尻美保さんが少しでも否定的な言葉を伝えると突然泣き出したりと、かなりおかしな言動が目立ったようです。
江尻美保さんはやんわりとルール違反である事を伝えていたにも関わらず、林貢二は店外で会う事をしつこく要求するようになり、2009年4月3日には、勤務時間が終わったらファミレスで食事をしようと誘っています。江尻美保さんは「店のルールで禁止されている」と断りますが、それでも林貢二は4日と5日にも連続で来店してしつこく食事に誘い続けています。
江尻美保さんは「なんでわかってくれないの?」と涙声で林貢二に訴えたそうですが、林貢二はそれを無視して食事に誘い続けたようです。
そして、4月5日にはついに店側が林貢二を出入り禁止にする事を決め、江尻美保さんがその事を直接伝えています。出入り禁止を伝えられた林貢二は「じゃあもういいよ来ないよ!」と捨て台詞を吐いて逃げるように店を出て行ったそうです。
しかしその後、林貢二は再び江尻美保さんにメールを送り「また店に行きたい」と求めています。江尻美保さんはこれに「もう無理です」と返しはっきりと断っています。
5月の初め、林貢二は秋葉原駅で帰宅する江尻美保さんを待ち伏せて後をつけ、自宅付近で呼び止めて「また店に行きたい」などと求めています。時刻は23時頃だったようです。
この時、江尻美保さんは耳かき店の店長に電話で助けを求めています。それ以降、店側は江尻美保さんを系列店の店長が送迎するなどの対応を取っています。江尻美保さんも防犯ブザーや防犯スプレーを持ち歩く、伊達眼鏡で変装するなど対策していたという事です。
同年7月19日の夜、林貢二は江尻美保さんの自宅を突き止めて付近で待ち伏せし、「眠れないほど悩んでいる。また店に行きたい」などと訴えたようです。江尻美保さんはこの林貢二の行動に怯え、近くのコンビニに逃げ込んで警察に通報しています。
しかし、その後も林貢二は江尻美保さんへのストーカー行為を続け、8月1日にも江尻さんの自宅付近へと行っており、それに気がついた江尻さんの母親から店に連絡が行っています。
そしてその2日後の8月3日の朝、林貢二は江尻美保さんの自宅に押し入り、鈴木芳江さんと江尻美保さんの2人を殺害しました。
林貢二の犯行動機
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林貢二は、江尻美保さんを殺害した動機について、逮捕後の取り調べで「交際を断られて腹が立ち、殺そうと思った」と供述しています。
この供述では、林貢二は江尻美保さんに交際を断られて腹がったのが殺害の動機という事ですが、裁判では林貢二は一転して恋愛感情を否定し、「もう店に行けないという絶望感等から、怒りが頂点に達した」などとその動機を説明しています。
また、江尻美保さんの祖母の鈴木芳江さんを殺害した動機については、「はっきり覚えていない」などと供述しています。
林貢二の「新橋ストーカー殺人事件」での判決は無期懲役
林貢二の第一審は2010年1月から始まり、検察側の求刑は死刑でした。また、被害者遺族も極刑を望んでいました。
裁判では、林貢二の身勝手な犯行である事は認定されたものの、祖母の鈴木芳江さん殺害については計画性はなかったと認定され「無期懲役」の判決が下されています。
林貢二は控訴せず、この無期懲役判決が確定しています。
林貢二の生い立ち
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裁判では、林貢二の生い立ちについても簡単に触れられていました。
それによると、林貢二は千葉県千葉市の生まれで、両親と兄の4人家族でした。地元の公立中学校・高校を卒業しており、裁判での母親の証言によると林貢二は学校の成績は悪かったものの、生活が荒れるなどはなかったそうです。また、あくまでも弁護側の主張ですが、林貢二は子供の頃から大きな声を出したり怒りをあらわにする事はなかったという事です。
林貢二はその後、電気系の専門学校を卒業し、配電設備の設計をする会社に就職。「新橋ストーカー殺人事件」を起こすまでずっとその会社に勤めていたという事です。林貢二はこの会社で設計主任の肩書きで、4人のチームの責任者だったそうです。
また、これも弁護側の主張ですが、林貢二は社会人になってからもトラブルを起こす事はなかったという事です。
その後、林貢二は26歳の頃に「膠原(こうげん)病」を発症しています。
女性関係については、裁判記録によれば、過去に3人の女性との交際歴があるという事ですが、真剣に付き合っていた女性はおらず、膠原病の再発リスクなどを考えて結婚は考えていなかったという事です。
林貢二は、28歳からは千葉市内で一人暮らしをしており、それ以降は実家に帰るのは正月程度だったという事です。
林貢二の生い立ちとして示されたのはこれだけで、それ以外の情報は、裁判でも週刊誌やワイドショーなどでも何故か明かされていません。
林貢二は在日ではないかと言われている
「新橋ストーカー殺人事件」は世間から注目された事件だったにも関わらず、林貢二の生い立ちの情報は極めて少なく、どのような人間だったのかよくわかりません。
ネット上では、林貢二の生い立ちは在日ではないかという噂も囁かれているようです。
それによると「林貢二」というのは在日の人が使う通名で、本名は「朴貢二」ではないかという事でした。
ただ、こうした在日説は注目度の高い凶悪犯罪があると必ず噂されるので、はっきりした根拠が示されている場合以外はあまり信用できません。
林貢二が在日であるとする根拠として示されているのは、「身勝手な理由で2人を殺害したのに死刑ではなく無期懲役刑だというのはおかしい。これは人権団体の圧力やなんらかの外交的圧力がかけられたに違いない」といった説得力を感じないものばかりなので、客観的に見てあまり信憑性は高くないです。
また、在日の方がこの「朴」を通名として「林」に見立てるというのはあまり例がなく、本名が「朴」の場合は通名は「木下」にする例が多いようです。
そもそも「林」という姓は、韓国人の姓でも「リム」や「イム」といった読み方で一般的に存在するので、仮に林貢二が在日だとして、通名だとするなら本名の姓も「林」と考えるのが自然なのではないかと考えられ、外国人登録証の画像などの証拠が示されない限りはあまり信用できないです。
ただ、林貢二の生い立ちについての情報が不自然なほどに少ないので、何か表に出せない理由があるのではないか?それは在日だからではないのか?という疑いが出てくるのも無理はないかもしれません。
林貢二の現在
林貢二は無期懲役判決を受けて服役中で、現在も刑務所に収監されています。林貢二の現在の年齢は52歳前後のはずです。
無期懲役は最低でも30年間は仮出所は認められないため、林貢二は現在の時点で最低でもあと18年は服役する事になります。仮に30年で仮出所が認められたとしても、その頃には既に70歳で、林貢二には子供もいないので、出所したところで受け入れてくれるような身よりはいないでしょう。
まとめ
今回は2009年に発生した「新橋ストーカー殺人事件」の犯人の林貢二についてまとめてみました。
林貢二は、秋葉原の耳かき店の従業員だった江尻美保さんに一方的に付き纏い、ルール違反したことによって店舗に出入り禁止にされた事を逆恨みし、江尻美穂さんの自宅を突き止めて押し入り、江尻美保さんとその祖母の2人をナイフで滅多刺しにして殺害しました。
林貢二は現行犯逮捕され、その後の裁判で無期懲役判決が下されています。
林貢二の生い立ちについてはほとんど情報がなく、公立の中学、高校を卒業後に電気系の専門学校を卒業し、その後、配電設備の設計をする会社に就職し、「新橋ストーカー殺人事件」を起こすまでその会社に勤めていたという程度の事だけがわかっています。
ネット上では林貢二が在日ではないかとの噂が流れていますが、証拠は示されておらず信憑性は微妙です。
現在も林貢二は無期懲役刑で服役中です。