女優など様々な分野で活躍していた原千晶さんですが、最近は自身の子宮頸がんをもととした講演活動を精力的にされているイメージが強いです。
この記事では、原千晶さんの若い頃、結婚した夫と子供、そして子宮頸がんの病状や現在の活動について総まとめしました。
この記事の目次
原千晶やのプロフィール
原 千晶(はら ちあき)
生年月日: 1974年4月27日
出身地: 北海道帯広市
血液型: O型
身長: 165 cm
体重: 非公開
スリーサイズ: 86 – 64 – 88 cm
職業: 女優でタレント、アロマインストラクター
原千晶さんは1994年に芸能界への登竜門として知られていた第21代クラリオンガールとして芸能界デビューを果たし、以後ドラマや映画、バラエティ番組や雑誌など幅広く活動されています。
父親が転勤族だったこともあり、原千晶さんの幼少期は各地を転々とされていたようです。小学生の時は学校でのいじめに遭うなど、大変な幼少期を過ごしたとか。
また実際に原千晶さんご自身で運営されているブログでも記載されておりますが、小学4年生ででバセドウ病を発症されたようです。発症後から3ヶ月以上入院をし、治療薬としてメルカゾールという薬を高校生になるまで服用されていたようです。
バセドウ病を発症は原千晶さんにとっては、大変な経験でしたが、同時に良い転換点ともなったようです。
4年生の夏休みに福岡の小倉に転校することになってしまって。夏休みの最中に引っ越したから、なかなか友達ができず。言葉が違うと言われて、「嫌い」を「すかん」と言ってる意味もわからなかった。
2学期の途中で甲状腺の病気、バセドー病になってしまって3カ月くらい入院したんです。子どもがなる病気じゃないんですが、ストレスがたまって発症したのかもしれません。学校になじめないなか、完全に出はなをくじかれた。人生の最初の挫折です。
2004年にかねてから興味のあったアロマインストラクターの資格を取得など全く新しい分野にもチャレンジしていましたが、2005年、2009年にがんを発病し、2度の手術と抗がん剤を使用した厳しい、闘病生活を経験しました。
がんから復帰後は自身の闘病生活をシェアするため、「原千晶39歳がんと私、明日の私、きれいな私。」という本を出版されております。また全国各地で精力的に、自身の闘病経験を元にした講演で登壇されています。
原千晶さんは2020年3月31日付で所属していたワタナベエンタテインメントを退社し、心機一転新しいスタートを切ったばかりとなります。
原千晶の若い頃…セクシーなグラビアで一躍人気に
クラリオンガール時代の原千晶②
クラリオンガール時代の原千晶③
現在は落ち着いた印象の原千晶さんですが、デビュー当時はセクシーなグラビア撮影も多数こなしていました。
そんな原千晶さんの実家は北海道の帯広で、2人兄弟の姉で3歳下の弟がいたそう。また、TBSアナウンサーの安住紳一郎さんとは従兄の関係だそうです。
原千晶の結婚した旦那と子供について
原千晶、2010年に番組プロデューサーと結婚
旦那とともにがんを乗り越えた原千晶
原千晶さんと旦那は2010年に結婚しています。旦那は番組制作プロデューサーで、原千晶さんが子宮頸がんで入院した2005年からのお付き合いのようです。
旦那は子宮頸がんの治療のために休業し手術し、回復後の復帰作として出演した2007年のフジテレビ系昼ドラマ「母親失格」のプロデューサーの男性だとか。
原千晶さんはドラマ中の「千賀子」の役作りのため、度々現在の旦那に相談する事があったようで、そこから交際に発展したようです。
その後、2010年に子宮頸がんと子宮体がんを併発しました。この時の手術は大手術で、子宮の全摘出とそれに付随する周辺部までも手術対象だったようです。
手術が壮大な手術だっただけでなく、術後の放射線療法や抗がん剤治療なども壮絶なものだったと想像できます。実際に髪が抜けるなど壮絶の一言では表現しきれない闘病生活で、これを常に支えていたのが現在の旦那だそうです。
この闘病生活が返って2人の関係を深めたのか、治療が落ち着いたところで、2010年10月10日の大安の日に都内区役所に婚姻届を提出し、新居での結婚生活を始められたようです。
原千晶、子宮全摘手術により子供はいなかった
子宮の全摘出手術をしているため子供はいない
原千晶さんと旦那の間に子供はいるか気になるところですが、原千晶さんは現在の旦那とは2010年つまり、子宮の全摘出手術後を受けた後に結婚しています。
実際に結婚前には、「一緒にいられるなら子供はいなくても良い」とプロポーズをされたそうなので、原千晶さんと旦那の間に子供はいないと思われます。
原千晶のがん闘病歴…2005年と2009年に子宮頸がんを発症
原千晶、2009年に子宮頸がんと子宮体癌を併発
がんの転移はなく落ち着いている
原千晶さんは2005年の初めに精密検査で子宮頸がんとが発見され、子宮を残す円錐形切除を受けて復帰。
しかし2009年末に子宮頸がんと子宮体がんの併発し、2010年初に子宮全摘出手術を受けています。
最初のがん発覚時に子宮の全摘出手術を断ったことで、5年間は子宮の経過観察をしながら定期検診で通院することになりました。
最初の2年間は子宮に少し違和感を感じるとすぐに診察を受けに行っていたようですが、5年という期間はあまりにも長かったのか、検診への足は徐々に遠のきました。
そして1回目の手術からあと数日で5年目という節目のある日、再び酷い腹痛を感じ、仕事を休んで病院に駆け込みました。診断結果は子宮体がん。この時原千晶さんは子宮の全摘出手術を覚悟し、6時間に及ぶ手術を受けることとなりました。
原千晶さんは、この治療の経験を2016年10月26日の「がん治療新時代WEB」で、こう語っています。
幸い転移はなく、6時間に及ぶ手術は成功した。術後の化学療法では、味覚障害、便秘、しびれや不眠、脱毛などの副作用に悩まされたが、どんなときも母がそばでサポートしてくれた。ウイッグで脱毛をカバーし、治療を続けながら仕事にも復帰。抗がん剤治療が終了して6年が過ぎた。
「今日の私があるのは、多くの人の支えがあったから。今度は私が支えになる番です」と、自らの体験を多くの人に語り続けている。」
原千晶はなかなか子宮全摘出に踏み出せなかった
子供が欲しくて決心ができなかった
原千晶さんは1回目の子宮頸がん患部の手術後に、子宮の全摘出手術を勧められたようです。先生と両親の説得もあって1度は子宮全摘出に同意するも、30歳代で子宮摘出はどうしてもできないという思いに至り、予定されていた手術日の前日にキャンセルしたそうです。
子宮頸がんに関する経験は、原千晶さんの言葉に近い記述を読んで頂くのが良いと思いますので、2015年2月5日の「NEWS ポストセブン」の記事から抜粋しました。
子宮頸がんを発症したのは2005年、HPVウイルスが原因でした。手術することになったのですが、「再発防止のために子宮全摘出を」と主治医の先生には言われたのですが、将来子供を産むかもしれないと、部分切除(温存手術)をお願いしました。
今でもその判断自体は後悔していませんが、術後に“逃げてしまった”ことは後悔しています。がんを抱えていること、もしかしたら再発してしまうかもしれないこと、その恐怖から逃げるために、術後の定期検診から足が遠のき、“大丈夫”と自分に言い聞かせながら病院に通うのをやめてしまったんです。
原千晶さんは、がんを経験したことのある両親の必死な説得に心が揺れるも、最終的には女性としての心に従ったのでしょう。ただこの後に、がんという事実から逃げて定期検診を避けていた事が原因で、2度目のがんを引き起こしてしまったようです。
原千晶の現在① 女性がん患者の会「よつばの会」を設立
原千晶、全国各地で講演会をしていた
原千晶はがん経験シェア活動に従事している
原千晶さんは子宮頸がん手術、子宮全摘出手術と、2度の手術経験の壮絶な体験を生かし、2011年によつばの会を設立しました。これはがん闘病時に原千晶さんに寄せられた、婦人科の病で苦しむ女性のメッセージの数々がきっかけとなっています。
女性特有の悩みや、病の経験を経験者同士でシェアする事で、女性が元気になったり、自信を取り戻したりするきっかけ作りになればと設立したとか。
よつばの会の活動は、毎月都内某所にて少人数で集まり、3時間のコミュニケションを通して、お互いの経験をシェアするというシンプルなものですが、この集まりがきっかけとなって、連絡先を交換したり、個別にお食事に行かれたりなど、人と人とをつなぐ会となっています。
またよつばの会の他に、全国各地で女性のがんと自身の闘病生活をもととした講演を全国各地でされています。
最近では、2019年1月26日に大津市、滋賀県がん対策推進運動員会主催の講演会にて登壇されています。この他にも宮城県、堺町など全国各地にて精力的に講演活動を行われています。
原千晶の現在② 2020年3月にナベプロを退社して独立していた
原千晶は芸能活動をセーブし日常を楽しんでいる
原千晶さんは2020年3月31日に、デビュー当時から所属していたワタナベエンターテイメントを退社しています。時を同じくして、10年間レギュラー出演されていた「ひるおび」も卒業しています。子宮全摘出から10年という節目で、新たなスタートをきるための決意だったそうです。
皆さんに大切なお知らせです。
私、原千晶は25年間お世話になりました
ワタナベエンタテインメントを
3月31日で退所しました事を
お伝えいたします。
21歳だった、まだまだ駆け出しの私に
様々な事を丁寧に教えて下さり
今まで変わらず面倒を見て下さり
ワタナベエンタテインメントに所属
していなければ出会えなかった
素晴らしい先輩方、後輩達、
これまで私に携わってくださったスタッフの
皆様
皆様に出会えた事で
私の人生は数え切れないほどの色彩で
彩られ、沢山の素敵な景色を見せて頂きました。
事務所退社からのチャレンジとして、現在はダイエットに取り組まれているようです。2020年4月末現在で約2ヶ月間に及ぶ月曜日断食を継続されており、4-5kgのダイエットに成功されたそうです。
またプライベートでは、ミニチュアフード作りに興じられており、こちらの腕前もなかなかのものです。その他にもアロマインストラクターの資格を取得されている事から、アロマの漢方の会も主催するなど、本当に多才な活動をされています。
今日は46歳の誕生日。
— 原千晶 (@seribukristal) April 27, 2020
私は朝6:18に産まれたのですが
今朝母親が早朝に目覚めて私が産まれた時のことを思い出していたと連絡がありました。
それだけで胸が熱くなり
私はずっと両親に愛され、誰よりも応援されて育ってきたんだと。
本当にありがとう。
原千晶についてまとめると…
・原千晶は2005年に子宮頸がんを発症し子宮を残す円錐形切除を受けるも、その後2009年末に子宮頸がんと子宮体がんが発見され子宮全摘手術を受けた
・原千晶は闘病を支えてくれたドラマのプロデューサーと2010年に結婚した
・原千晶は2020年3月末に所属していたワタナベエンターテインメントを退社、現在はフリーで講演会活動やコメンテーターとして活動している
原千晶さんというとドラマやバラエティ番組の印象が色濃く残っておりますが、一方で小学4年生の時をはじめ、30歳を過ぎてから子宮頸がんに子宮体がんと大病を経験されていらっしゃいます。
人が一生でも経験しないようなことを乗り越え、この経験を発信し続けているという現代の強い女性の代表のような方でしょう。