プロ野球選手や野球解説者・評論家として活躍した張本勲さんが、2026年に亡くなりました。
張本勲さんの国籍や韓国との関係、結婚した嫁と子供、炎上したコメントなど嫌われていた理由、死去や死因を徹底的にまとめました。
この記事の目次
張本勲のプロフィール
名前:張本 勲(はりもと いさお)
愛称:ハリさん・張さん・ハリ・ハリやん
生年月日:1940年6月19日
出身:広島県広島市
身長:181 cm
体重 :85kg
プロ入り:1959年
最終出場:1981年10月10日
張本勲さんは子供の時から体が大きく、ガキ大将としていつも大勢の子分を連れて歩く様な子供で、小学校5年のときに町内の野球チームに誘われたのをきっかけに野球を始め、当時は右投げ左打ちだったものの、右手の怪我の影響で変化球を投げづらかった為、サウスポーに転向しました。
中学時代には水泳が得意だった事から水泳部に入ろうとしたものの、進学した中学校に水泳部がなかった為に、仕方なく野球部へ入部し、2年生のときにはレギュラーエースで4番打者として広島県大会で優勝を飾ります。
しかし、中学時代は野球とケンカに明け暮れていました。そんな張本勲さんを本気で野球に目覚めさせたのは当時の読売ジャイアンツの宿舎の食事風景からで、戦後の物資不足や飢餓をまだ引きずる時代に、選手たちは分厚い肉を食べ、当時は珍重されることも多かった生卵を3つも4つも茶碗に放り込んでいたのを見た事がきっかけとなったそうです。
「トタン屋根の長屋から抜け出すにはこれしかない」、「母親に広い家をプレゼントする」、「美味しい食べ物を腹一杯食べる」という夢を胸に野球に真剣に取り組む様になりました。
高校時代には甲子園出場を夢に、地元の強豪・広島商業、広陵高校への入学を希望したが、素行不良で入る事が出来ず無名の松本商業高校定時制に進学する事になりました。
その後広島を出て、大阪の浪華商業高校へ転校するものの、3年時の夏の甲子園直前部室内での暴力事件が発覚し甲子園の夢は絶たれてしまいます。
しかし、この年在日韓国人高校生で構成する日韓親善高校野球の選手に選抜され渡韓し、主軸打者として韓国各地を転戦、選抜チームも14勝1敗と圧勝し祖国の野球ファンも驚かせました。

プロ入りは1959年に東映フライヤーズへと入団し、入団1年目からレギュラーに定着し、13本塁打を放つなど活躍して新人王を獲得します。2年目には打率3割をマークし、3年目の1961年には打率.336で21歳にして首位打者、4年目の1962年にはMVPと、同年から新設された最高出塁率を獲得する程の選手にまで成長していきました。
そして1974年には通算7回目となる首位打者に輝き、「安打製造機」の異名がつけられる程でした。日拓ホームフライヤーズとなった1973年の後期からは、選手兼任でコーチを務める程になります。
1976年には高橋一三選手・富田勝選手との交換トレードで巨人へ移籍し、巨人でも高打率を残します。2年連続でリーグ2位の打率を記録し、1978年には日本記録となる通算16回目のシーズン打率3割を記録しました。

巨人時代は短く、1980年にはロッテ・オリオンズに移籍すると、日本プロ野球史上初となる通算3000本安打を本塁打で達成する快挙を成し遂げます。しかし、翌年の1981年に現役引退となります。
引退後は野球解説者、スポーツニッポン野球評論家を務め、TBSテレビの「サンデーモーニング」のスポーツコーナー「週刊 御意見番」にもレギュラー解説者として出演していました。
張本勲の国籍は日本!在日韓国人二世だったが帰化
張本勲さんは在日韓国人二世であることを隠さず活動を続けていました。
現在では在日韓国人と明かす人も増えてきていますが、張本勲さんの時代に隠さずに在日韓国人と公表していた人は稀です。
小さい頃から家庭内では韓国語で育っていた為、韓国語は流暢に話す事が出来たようで、1991年に日本で行われた第1回日韓野球スーパーゲームの中継では、韓国テレビ局側の野球解説者として出演する程でした。
張本勲さんの韓国名は張勲(チャン・フン)と言い、この名前で韓国のファンにも親しまれていました。
張本勲さんは、日本国籍取得の意思がないとの発言をしていたこともありましたが、2025年のインタビューで数年前に日本に帰化したことを公表しており、晩年は日本国籍として過ごしたことが判明しています。
張本勲の実家の家族構成
張本勲さんの実家の家族構成は、父親、母親、長姉、兄、次姉、張本さんの6人家族です。
父親:張 相禎(チャン・サンジョン)
• 名前:張相禎(チャン・サンジョン)
• 生年月日:詳細な生年月日は非公表(または不明)
• 詳細: 1939年に妻と3人の子どもが広島へ渡るより前に日本へ来ており、または一時韓国へ帰国していた時期があるとされています。書道塾などを営んでいましたが、張本勲さんが幼い頃、病気で早くに亡くなっています。
母親:朴 順分(パク・スンブン)
• 名前:朴順分(パク・スンブン)
• 生年月日:1900年頃(1939年当時39歳)
• 没年月日:1985年(83歳頃死去)
• 詳細: 夫の死後、女手一つで4人の子どもを育て上げました。戦後は広島市東雲町でトタン屋根のホルモン焼き肉店を営み、生活を必死に支えました。張本勲さんがプロ入り(東映フライヤーズ)して日本への帰化を勧められた際にも「祖国を捨てるくらいなら野球をやめろ」と猛反対するなど、強い信念を持った母親でした。のちに張本勲さんは契約金の半分で母親に広島の家をプレゼントしています。
兄(長男):張 世烈(チャン・セヨル / 日本名:世治)
• 名前:張世烈(チャン・セヨル / 日本名:張本世治[せいはる / せいじ])
• 生年月日:1931年頃生まれ(1939年当時8歳)
• 詳細: 張本勲さんの約9歳年上の兄です。張本さんが高校時代(浪華商業高校)に大阪で野球を続ける際、自身の給料(月給約2万4,000円)の中から毎月1万円という大金を弟に仕送りし続け、経済面からその才能を支え抜きました。張本勲さんにとって「もう一人の父親」のような存在であり、1996年に64歳で亡くなっています。
長姉(長女):張 点子(チャン・ジョンジャ / てんこ)
• 名前:張点子(チャン・ジョムジャ / 日本名:てんこ)
• 生年月日:1933年頃生まれ(1939年当時6歳)
• 詳細: 張本勲さんの約7歳上の姉です。1945年8月6日の原爆投下時、建物疎開の勤労奉仕に出ていたため中心部で被爆しました。数日後に家族によって発見されブドウ畑などに避難しましたが、全身大やけど(ケロイド)による重傷のため、間もなく息を引き取りました。
次姉(次女):張 貞子(チャン・ジョンジャ / 日本名:小林 愛子)
• •名前:小林愛子(旧姓:張)
• 生年月日:1938年頃生まれ(原爆投下時7歳)
• 詳細: 張本勲さんの約2歳上の姉です。1被爆当時7歳で、5歳だった弟の張本勲さんの手を引いて爆心地から避難し、九死に一生を得ました。戦後は小林愛子として兵庫県加古川市に暮らし、自身の被爆体験を後世に伝える「かたりべ」としての活動や、核兵器廃絶を訴える署名活動などに尽力しました。
張本勲が結婚した嫁と子供について
張本勲さんはプライバシーを徹底的に守っていたようで、嫁や子供に関しての情報はあまり出回っていません。
ただ、子供に関しては娘が2人いると言われていました。
実際に番組内で「下の娘が親不孝」とコメントしていたこともあったようです。また、張本勲さんには孫もいたと言われていますが、孫の人数は明らかになっていません。
張本勲の評判「嫌い!老害!」
張本勲さんは失言なども多く、コメントに対して批判的な意見を浴びせられる事も多くありました。
張本勲とかいうじーさんが3×3の何が面白いのか?オリンピックにいらないみたいなこと言ってたみたいだけどバスケも知らねーくせにうだうだ言ってんじゃねーよって思う
— ゆ☆ (@SPBUSTERs) 2017年6月18日
一回見てから言えよよくそんなこと言って金もらえるよなまじでふざけんなよ
『ごく普通の高校生』としての意見です。
— Ryochin (@Ryochin0013) 2017年6月18日
叩かれる覚悟もできています。
張本勲さんの価値観はどうかしていると思う。せっかくオリンピック種目になった3×3を『相応しくない』とか言って切り捨てる。これから盛り上げていくスポーツをすぐに否定。
僕はそんな大人には絶対になりたくない。
バスケの3×3に対しての張本勲さんのコメントに対しては否定的な意見が多くあがっていました。
SNSなどを見る限り、張本勲さんに対して素晴らしい打者だったというコメントも見られましたが、コメンテーターなどとしてメディアに出演する張本勲さんに対しては「嫌い」「老害」「不愉快」といったコメントも多く見られました。
毒舌でストレートな意見を言う立場となっていた張本勲さんは、嫌われる事が多かったのでしょう。
張本勲の代表的な炎上失言5選
批判の多かった張本勲さんですが、実際にどんなコメントを残していたのでしょうか?いくつか炎上してしまったコメントを紹介していきます。
大谷翔平投手

2016年に日本球界最速となる164キロを出した大谷翔平投手に対し「スピードガンが甘いんじゃないの?今度は165キロが出るんじゃない?」とのコメントをしました。
そんなスピード出せるわけないと言わんばかりのコメントで、野球ファンはもちろん、大谷翔平投手ファンからも批判を浴びました。
イチロー選手

イチロー選手に関してはいくつかの炎上したコメントがあります。実際張本勲さんと並ぶ程の打者はイチロー選手と言われている事もあり、ライバル視していた部分もあるのかもしれません。
そんなイチロー選手へのコメントは
- 「イチローの記録は日米通算での言わば参考記録。日本記録は私。」
- 「アメリカは勝負してくれるけど、日本は勝負してくれない。」
- 「王さんだってアメリカでやっていれば、もっとHRを打っていた。」
- 「だから私の方がイチローよりもすごいんですよ。」
- 「もう辞めてもらいたいわ。こんな使い方されてたんじゃ。お金もしこたま残っているだろうし、辞めてもらいたいね」
などです。
このコメントはイチロー選手のファンからは特に批判的な意見があったようです。コメントだけ見ていても、過去の栄光にすがって、イチロー選手の功績を認める事が出来ないという形にも見えてしまいます。
イチロー選手がきっかけとなって野球を始めた人も多くいるでしょう。言ってしまえば野球界のヒーロー的な存在とも言えます。
そんなイチロー選手に対してこのコメントは、叩かれたり炎上したりしてしまうのも仕方ないでしょう。
水谷隼選手

卓球の水谷隼選手が、試合で勝ってガッツポーズを見せた事に対してのコメントです。
「あんなガッツはダメだよ。手は肩より上にあげちゃだめなのよ。やっつけたというような態度をとっちゃダメ。この国は、礼に始まり礼に終わる。ガッツは肩の下まで」
とのコメントをしました。
言っている事は正しい様な気がしますが、ガッツポーズに対してそこまで厳しい意見をぶつけるのは、テレビを見ている人、応援していた人からすれば決して良い気分ではなかったことでしょう。
浅田真央選手
ソチ冬季五輪後に、
「真央ちゃんは好きな人も作らず、食べたいものも食べずに頑張ってきた。これからは女の幸せをつかんで欲しい」
とのコメントがありました。問題のあるコメントは浅田真央選手が200点超えをした時の発言です。
- 「浅田真央の200点超は審判が採点を甘くしたんじゃない?」
- 「韓国のキム・ヨナがいなかったからプレッシャー感じなかっただけでしょ」
女の幸せを掴んでほしいと言うコメントの中には今まで頑張ってきたと褒める部分があるにも関わらず、いざ200点越えをすれば、採点が甘いというのはどこか矛盾している様に感じてしまいます。
また、韓国のキム・ヨナ選手がいなかったからという発言も韓国びいきの発言に思えますね。
中央大学
中央大学陸上部が箱根駅伝の予選会で敗退してしまったことに対してのコメントがこちらです。「情報によれば内紛があるそうだから…よく考えて立て直した方がいい」
なんとこのコメントに関しては、事実と異なると中央大学からクレームが入ったそうです。確かにこのコメントが本当だと思われてしまうと中央大学自体の評判も下がってしまいます。
しかしなんとTBS側は謝罪したものの当の本人の張本勲さんは謝罪を拒否したそうです。
間違った事を言っていないという自信があったのか…、しかしその情報というのはどこから仕入れた自信のある情報なのかもわかりません。
それで謝罪をしないというのは大人げなく見えてしまいます。
張本勲の現在~2026年に86歳で死去・死因は不詳
サンモニを卒業し穏やかな老後を過ごしていた
張本勲さんは2021年いっぱいで「サンデーモーニング」のスポーツコーナー「ご意見番」を卒業しています。
老後をゆっくり過ごしたいと語っていた張本勲さんは、その後はメディアなどで見かけることは少なくなりましたが、2024年5月に行われた巨人の創設90周年を記念する「王貞治デー」の一戦に参加。
「サンデーモーニング」卒業から2年半が経ち、激痩せして一気に老け込んだ姿を見せた為、ネット上で驚きや心配の声が上がりました。

出典:https://newseveryday.jp/
張本勲さんは2024年春に腰の手術を行っており、「年齢もあり筋肉が落ち、杖をつくことになったが特に大病をしたわけではない」と自身の様子について説明していました。
2026年8月2日には、「サンデーモーニング」に「スペシャル御意見番」として出演。

出典:https://www.instagram.com/
この時は元気そうな姿を見せていた為、安心する声があがっていましたが、これが生前最後のテレビ出演となってしまいました。
2026年に死去

出典:https://syun-toreneta.com/
2026年9月、張本勲さんが亡くなった事が明らかになりました。86歳でした。
張本勲さんは、9月9日に奥さんを乗せて車を運転中、東京都大田区の路上で停止した直後に意識を失い、搬送先の病院で死亡が確認されたという事です。死因は公表されていません。
張本勲さんの突然の訃報には驚きや悲しみが広がり、多くの追悼コメントが寄せられました。
20年以上にわたり出演していた「サンデーモーニング」からも、「張本さんに感謝を込めて、心からの『あっぱれ!』を贈ります。ありがとうございました」とのコメントが発表されました。
まとめ
失言コメントで炎上することが多かった張本勲さんですが、現役時代は歴史に名を残す程の有名で才能のある打者でした。
時代的にも貧しい時代の中で努力し勝ち取った栄光という事もあり、スポーツなどにおいて厳しく批判的だったのかもしれません。張本勲さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。























