50歳を迎えた今もその美しさで注目を集め、「美のカリスマ」「奇跡の50歳」とも呼ばれている君島十和子さん。
当時名高かったファッションブランド「KIMIJIMA」の家に嫁ぎ、結婚当初はご主人の誉幸さんの婚外子騒動や君島家のお家騒動で大変な時期を過ごしていました。
君島十和子さんの結婚、家族についてや、一連の騒動などについてまとめてみました。
この記事の目次
君島十和子プロフィール
君島 十和子(きみしま・とわこ)
別名義: 吉川十和子、吉川とわ子
生年月日: 1966年5月30日
出身地: 東京都豊島区
最終学歴:日本女子大学付属高等学校卒業
中学時代より、「吉川とわ子」の芸名で雑誌『mc Sister』にてモデル活動をしており、高校3年時には「’85JAL沖縄キャンペーンガール」に選抜。翌年には、雑誌『JJ』の専属モデルとなっています。
1988年、NHK銀河テレビ小説『新橋烏森口青春篇』で女優デビューを果たし、以後はドラマや映画、舞台などで幅広く活躍していました。
現在は夫の君島誉幸さんが代表を務める君島インターナショナルのスーパーバイザーとして活動する傍ら、自身でも化粧品ブランド「フェリーチェトワコ・コスメ」のプロデュースを行っており、50歳とは思えないその美貌で「奇跡の50歳」としても注目を集め続けています。
君島十和子の結婚、夫・君島誉幸の婚外子騒動や君島家お家騒動について
君島誉幸プロフィール
君島十和子さんは、1995年12月11日に日本のオートクチュール界で名高かったファッションブランド「KIMIJIMA」の創始者・君島一郎さんの息子である君島誉幸(当時は君島明)さんと入籍しています。
君島誉幸(きみじま・たかゆき)
生年月日:1965年3月19日
パリの社交界や日本の皇族も御用達のブランド「KIMIJIMA」の息子ということで、十和子さんとの結婚時には注目も集めましたが同時にスキャンダラスな事実が発覚し騒動に。
また、以前は医師をしていたこともわかっています。
最初は佐藤明の名でそこから君島明へと改名し、現在は君島誉幸となっています(説明は後述)。
君島十和子と君島誉幸の馴れ初めは?
十和子さんと誉幸さんの出会いは1994年、当時「KIMIJIMA」の副社長を務めていた誉幸さんが週刊誌記者にブライダルコレクションのゲストモデルとして、誰かいい人がいないか相談したことがきっかけでした。
そこで記者が推薦したのが当時は女優としても活躍していた十和子さん。
翌年2月にふたりは初めて顔を合わせますが、お互いの第一印象は共にいまいちだったと語っています。
それでも打ち合わせや採寸、仮縫いと何度か仕事で顔を合わせるうちに、同年代のふたりは少しずつ打ち解けていった。’95年5月30日、十和子さんの29回目のバースデーに初デート。プロポーズは、初デートの翌月の6月だった。
初デートからプロポーズまで約1ヶ月と、進展はかなり早かったようです。
ですがこの結婚が、一筋縄ではいかないものでした。
君島誉幸は婚外子!さらに君島誉幸にも婚外子が発覚
名だたるファッションブランド「KIMIJIMA」の息子・誉幸さんと十和子さんの結婚は大きな世間の注目を集めましたが、同時に誉幸さんが一郎さんの愛人の子供で婚外子であることや、誉幸さん自身にも婚外子がいることが発覚し、当時大きなスクープとなっていました。
皇室御用達ファッションブランドとして当時ブティックを展開し一世を風靡していた「KIMIJIMA」のデザイナーである故・君島一郎氏を父に持ち、ブライダルモデルをしたことが縁で同ブランドの後継者であった君島明(現在は君島誉幸に改名)と1995年に婚約を発表したが、誉幸氏を産んだ母親が一郎氏の本妻ではなかったことや誉幸氏の隠し子騒動などがスキャンダルとして大きく報じられる。
義父・君島一郎と君島十和子の写真
誉幸さん自身も子供の頃はその事実を知らず、婚外子と知ったのは20代になってからだと言います。
まさか本妻とその子供が他にいるとは思ってもみなかったようです。
誉幸さんは最初佐藤明という名前でしたが、その後「君島姓」を名乗れるようにと、誉幸さんの母親と一郎さんの母親が養子縁組を結んだことで誉幸さんは君島姓となっています。
さらに、結婚発表から数日後に誉幸さん自身にも婚外子がいることが報道され、騒動に。
周囲からはバッシングを浴びることになりましたが、十和子さん自身は婚約の時点ですでにその事実は誉幸さんから聞かされており、それでも結婚したいと納得したうえで結婚したため本人的には何でもなかったと語っています。
君島一郎が死去し、君島家お家騒動が勃発
誉幸さんと十和子さんが入籍してからわずか半年ほどで、一郎さんが急性心筋梗塞により急死。
ここから、一郎さんの借金問題や君島家の複雑な家族関係・人間関係が明るみとなり、さらに正妻の息子である立洋さんと明さんの異母兄弟2人の間で「君島ブランド」を巡って遺産争いなどの骨肉の争いが勃発しています。
経営当初は立洋さんが副社長を務めていたそうですが、その後立洋さんは他会社設立のため退任しており、後に誉幸さんが副社長に就任しています。
誉幸氏は結婚直後に父であるデザイナーの君島一郎氏が急逝したことから、異母兄との遺産相続問題がクローズアップされ、ワイドショーや週刊誌などに追いかけられる日々が続いた。そのため十和子さんとは「すぐに離婚するのでは」などといった憶測が流れていた。
この騒動は連日ワイドショーで取り上げられ、華やかだった「KIMIJIMA」のブランドイメージは一気に失墜。
売上は激減し経営状況も悪化、2000年代の半ばには全ての店舗が閉店し、「KIMIJIMA」は18年で幕を閉じることとなりました。
一郎さんの遺言により、結果誉幸さんが家業を継ぎ遺産を相続していますが、同時に莫大な借金も背負うこととなっています。
当時は40億円とも報じられていたようですが、このことについて後に十和子さんは「そんな借金出来るわけない」と否定しており、また現在はすでに完済していることも明かしています。
この結婚してすぐの大騒動について、十和子さんは「世の中は誰ひとりとして、祝福どころか賛成もしてくれない、そんな結婚でした」と語っています。
最後に君島ブランドのお家騒動で家族が危機に陥ったとされる件では「危機というのはないです。外側が騒いでいるので、お嫁に行った主人の母と毎日テレビを見て、何を言われているのかちゃんと見ないといけないと思いまして。『あれは事実』とかひとつひとつ確認しあっていたので、そこで家族の絆が深くなりました」と笑顔で話した。
君島十和子の子供は娘が2人!長女は宝塚の男役・蘭世惠翔
君島十和子には娘が2人、長女は宝塚の男役・蘭世惠翔!
君島十和子さんと君島誉幸さんの間には2人の娘さんがいます。
長女は憂樹(ゆうき)さんで現在18歳、次女は幸季(みゆき)さんで現在15歳だそうです。
誕生したばかりの娘を抱く君島誉幸・十和子夫妻
長女の憂樹さんは2014年に競争倍率26・6倍の難関を突破して宝塚音楽学校に合格しており、現在は卒業して蘭世恵翔(らんぜ・けいと)の名で昨年3月に初舞台を踏んでいます。
宝塚音楽学校に合格し涙する君島十和子の長女
蘭世恵翔(らんぜ・けいと)として活躍
現在は宝塚歌劇団月組に所属する男役となっています。
十和子さんは宝塚音楽学校に憂樹さんが入寮する日のことを振り返り、子供の巣立ちの寂しさについて語っていました。
番組では子どもたちの「巣立ち」について話題になり、君島は、蘭世が宝塚音楽学校に入学する日を振り返った。「長女が『今日から寮生活です』って言ったときに…そんなのは百も承知だったんですけど、サヨナラも言わないで歩いていった背中が…」と巣立ちの瞬間が悲しかったことを述べた。
宝塚では松岡修造の娘・松岡恵や黒木瞳の娘との因縁対決に注目も
実は、蘭世さんと先日宝塚に合格した松岡修造さんの娘・松岡恵さんは日本女子大付属高校の先輩にあたると言い、今回の松岡さんの合格に蘭世さんは焦りも感じていると報じられています。
「最近の宝塚の男役は身長170センチ以上が多いなかで、彼女は男役としては意外と小柄です。ラインダンスでも頭身のバランスが悪く、足が短いのが目立っています。ファンからも『男役としてはちょっと‥‥』という声が漏れ伝わってきます」
そのため、今から松岡さんがデビューする2年後のタカラジェンヌ対決が今から注目されていると言われています。
さらに、この蘭世さんをめぐっては十和子さんと女優・黒木瞳さんとの間にも因縁がありました。
宝塚の元トップスターである黒木さんと、元カリスマモデルでもある十和子さんは宝塚を目指し娘を同じ名門バレエ教室に通わせていたと言います。
ですがある日、娘たちのバレエ発表会をめぐって2人の間に火花が散ったようです。
「『くるみ割り人形』を上演したのですが、2人とも娘を主役につけようと必死だった。割り当てのチケットを競うように買い、100万円単位のお金を使ったとも噂されたほど。結局、最終的に異例のダブルキャストになり、日替わり交代の主役だったが、これをきっかけに、2人は犬猿の仲になった」(黒木の知人)
現在まだ黒木さんの娘さんは宝塚音楽学校に入学していませんが、もし合格した暁にはこちらの対決も注目を集めると見られています。
君島十和子の現在は「奇跡の50歳」!自宅写真も公開
君島十和子さんは、2005年に「FELICE TOWAKO COSME(フェリーチェ・トワコ・コスメ)」という化粧品ブランドを立ち上げ、その十和子さんの美貌や生き方からも大人気ブランドになっており、2013年には年商13億とも言われていたようです。
「美のカリスマ」と呼ばれ、50歳となった今では「奇跡の50歳」とも言われるように。
雑誌のオンラインで連載していた「十和子道」では、その気になる自宅の写真も公開しています。
君島十和子自宅の家族写真
娘さんの写真もたくさん並んでいます。
一郎さんから譲り受けたダイニングテーブル
ガラス板のダイニングテーブルは、義父の一郎さんから譲り受けたものだそう。
食事などのほか、十和子さんが時折お化粧もする場所だそうです。
家の掃除の大切さも説いており、その美貌にも通じるものがあるようです。
例えば“掃除という自分磨き”から始まる第1章。掃除は「やったらやった分だけ確実にキレイが返ってくる『100%報われる努力』」だからこそ、君島家では毎日欠かさず台所のふきんを固形石けんでゴシゴシと手洗いすることで白さをキープ。しかもキッチンやお風呂などの水回りは、水滴厳禁。一滴残らず、専用のふきんでしっかりと水滴を拭き取るという。
結婚20年を迎えても夫婦仲は良好!
君島十和子さん・誉幸さんは結婚20年を迎えていますが、結婚当初にあれだけ離婚危機が囁かれていたとは思えないほど仲が良いようです。
現在の君島誉幸・十和子夫妻
十和子さんは誉幸さんについて「99点」と評し、「私にはもったいないぐらいの人」と語っています。
残り1点は心配性すぎる部分だそうです。
ネット上では、綺麗すぎる君島十和子さんに絶賛の声も寄せられていました。
15: 2017/03/15(水) 12:12:57.97
50でこれなら女優の中でもトップクラスだな
29: 2017/03/15(水) 12:13:48.54
十和子今の方が綺麗w
引用:【画像】君島十和子と君島誉幸夫婦が『徹子の部屋』に登場 体重管理や宝塚で活躍する長女・憂樹(蘭世惠翔)についても告白「娘の夢がかなってよかった」
「トワラー」と呼ばれる十和子さんに憧れる人たちもおり、50歳台に突入しても十和子さんの勢いは衰えることはなさそうです!