白川由美さんは、2016年6月14日に心不全のため、お亡くなりになりました。
この記事では、白川由美さんの家族である夫二谷英明さんや娘で元女優の二谷友里恵さんのこと、そして彼女の死因についてもまとめています。
白川由美のプロフィール
芸名:白川由美(しらかわゆみ)
本名:二谷 安基子(にたきあきこ)旧姓山崎
出身地:東京都
生年月日:1936年10月21日
没年月日:2016年6月14日
最終学歴:頌栄女子学院高等学校卒業
所属事務所:セブンス・アヴェニュー
家族
夫:二谷英明(1964年〜2012年:死別)
娘:二谷友里恵
白川由美さんは1956年の東宝に入社し女優デビュー以降、約半世紀以上に渡り、日本のドラマ・映画界を支えてきた大女優です。
白川由美さんの若い頃の画像。
年を経てもなお美しく上品な顔立ちの白川由美さんでしたが、デビュー当初も本当にきれいで、「日本のグレースケリー」というキャッチフレーズがついたほどでした。
さまざまな映画・ドラマに出演しただけではなく、その人柄の良さからも「芸能界の母」と呼ばれ、多くの芸能人に慕われていたと言います。長渕剛さん(1983年「家族ゲーム」)や笑福亭鶴瓶さん(1988~89年「純ちゃんの応援歌」)などの他、特に事務所の後輩にあたる松嶋菜々子さんとは世代を超えた「親友」の間柄であったことが有名です。
2016年6月14日に浴室内で倒れているのを発見され、その後病院にて死亡が確認されました。
白川由美の家族① 旦那・二谷英明
白川由美さんの家族には、2012年に亡くなった夫・二谷英明さんと、娘で元女優の二谷友里恵さんがいます。
名前:二谷英明(にたにひであき)
出身地:京都府舞鶴市
生年月日:1930年1月28日
没年月日:2012年1月7日(死因:肺炎)
出身高校:京都府立東舞鶴高等学校
最終学歴:同志社大学文学部英文学科中退後
二谷英明さんは、1960年代前後に日活スターの一人として、一時代を築いた名俳優です。
1970年代以降は、テレビにも進出し、人気刑事ドラマ「特捜最前線」(1977~1987年)に長きに渡り出演し、そのスポンサーであった日産自動車のセドリックのCMキャラクターを務めるなどしてきました。
白川由美さんと二谷英明さんはおしどり夫婦として知られ、JRのCM「フルムーン夫婦グリーンパス」(1988〜1993年)で夫婦共演をして話題を呼びました。
そんな二人の馴れ初めは、白川由美さんがラジオのディスクジョッキーを務めていた頃に出会い、意気投合したことから。1960年代は映画会社がスタッフから役者までを抱えていた時代でしたので、白川由美さんが東宝、二谷英明さんが日活という所属する会社の垣根を越えての結婚は話題を呼んだと言います。
1964年に結婚し、同年11月には一人娘友里恵さんも誕生しています。
しかし白川由美さんと二谷英明さんという、まさに昭和の美男美女カップルは、実は略奪愛だったのではないかとも噂されます。二谷英明さんは日活に入社前、佐世保でラジオのアナウンサーなどを務めていた時に一般女性と結婚し子供も一人いたそうですが、白川由美さんとの不倫をきっかけに離婚したと言われています。
ただ1964年というと、半世紀前の話になるため確かな情報源が見つけられず、ここでは「噂」としか言えませんが、そう見る声が多いのも事実です。
二谷英明さんは、1990年代から積極的にボランティア活動もしていましたが、2003年に脳梗塞で倒れ老人ホームに入所。その後、芸能活動に復帰することもなく、2012年1月7日に肺炎のため死亡しました。
二谷さんは昨年12月26日に慶応病院に検査入院。その後、肺炎を患っていた。この日午後2時すぎに容体が急変。妻で女優の白川由美(75)や、一人娘で元女優の二谷友里恵さん(47)と夫の平田修トライグループ会長、孫にみとられ息を引き取った。
最近は大好きな読書に熱中する日々。体調は安定していたといい、この日も家族はいつも通り見舞いで訪れていた。
弔問には、かつての日活スター仲間であった宍戸錠さんや小林旭さんの他、映画「片翼だけの天使」(1986年)で共演した秋野暢子さんらが訪れています。
白川由美さんはあまりのショックのため、しばらくご遺体から離れられなかったとも報じられています。
白川由美さんは、東京都港区の増上寺で行われた夫二谷英明さんの葬儀のあいさつで、以下のように語っています。
今朝方、(二谷さんの)夢を見ました。
「(弔問客の顔が)本当に懐かしかった」みたいなことを言っていました。
「長いこと仕事場から遠ざかってしまったけど、みんな来てくれたんだね」と言っておりました。みなさまのおかげです。
二谷英明さんの戒名は、慈雲院學徳俊英居士(じうんいんがくとくしゅんえいこじ)。
「優しく慈しむ心で、雲のように包み込む包容力を持ち、学校を作るような徳を残す、優れたものを持っている人」との意味で付けられた。
引用:二谷英明 wiki
※二谷英明さんが生前行っていたボランティア活動の一環には、カンボジアの勉強を受けられない子供たちのために学校作りに尽力していたことも挙げられます。自らも何度かカンボジアに渡航して、支援を行っていたそうです。
白川由美の家族② 娘・二谷友里恵
名前:二谷友里恵(にたにゆりえ)
出身地:東京都
生年月日:1964年11月16日
出身高校:慶應義塾女子高等学校
最終学歴:慶應義塾大学文学部英米文学科卒業
夫:トライ創業者の平田修さん(2000年〜)
(元夫:郷ひろみ(1987年〜1998年))
二谷友里恵さんは元女優で、現在実業家として「家庭教師のトライ」のトライグループ代表取締役社長を務めています。
彼女は、幼少期から慶應義塾に通い、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾中等部、慶應義塾女子高等学校、慶應義塾大学文学部英米文学科をエスカレーターで卒業しています。
高校時代に父親の二谷英明さんと出演した資生堂のエクボデオドラントのCMで、芸能界デビュー。
美男美女のご両親の血を受け継いで、きれいな二谷友里恵さん。
大学時代にはドラマ「青が散る」(1983年)で女優デビューも果たし、1984年には母親の白川由美さんと「家族ゲーム」で共演しました。
1987年の大学卒業後、6月には郷ひろみさんと結婚し、女優を引退。その後事業を始めます。
1988年に、ファッションブランド「YURIE NITANI」を創業し、デザイナーとしても活動。1990年からは「YURIE NITANI」のライセンスビジネスを展開し、さまざまな会社と契約を交わします。
二谷友里恵さんは郷ひろみさんとの間に二人の娘が生まれ、どちらも自身の母校である慶應義塾幼稚舎に入学させましたが、結婚から11年目の1998年に、郷さんの度重なる女性問題の末離婚。
二谷友里恵さんと郷ひろみさんの離婚後は、郷さんの著書「ダディ」で友里恵さんの「潔癖性や暴力」を誇張するような表現があったり、二人の娘に対する養育費や面会権にまつわる裁判が開かれたりと、少しゴタゴタしてしまいます。
離婚に際して郷は友里恵さんとの夫婦関係や二谷家の内幕を暴露した「ダディ」を幻冬舎からゲリラ的に出版。これが100万部を超えるベストセラーになり、二谷家の凄まじい怒りを買うことになったからだ。
当時、友里恵さんは本の出版を承諾していたそうだが、インテリで温厚な人柄で知られた二谷さんや白川さんは激怒。郷はその後、友里恵さんとの間で娘の親権を巡って裁判も起こしており、二谷家とは絶縁状態だったといわれている。
結果としては、友里恵さんに対する誹謗中傷を生んだ暴露本「ダディ」について二人の娘達の「事実を伝えて欲しい」という懇願を受け郷さんが新たに「楯」(2001年)に出版し、子供をめぐる裁判ても「郷さんに会いたくない」という娘達の証言もあり、郷さん側が訴えを取り下げる形となりました。
2000年に、二谷友里恵さんは「家庭教師のトライ」創業者の平田修さんと再婚しました。
二谷友里恵さんと平田修さんは、彼女が郷ひろみさんとの婚姻中からの知り合いで双方既婚者でしたが、その後二人とも離婚していますので、バツイチ同士の再婚になります。郷ひろみさんも含め夫婦揃って平田修さんとは昔から懇意にしていたそうで、その経緯で郷さんが家庭教師のトライの広告に出たこともありました。
二谷友里恵さんは2005年にトライグループの代表取締役社長、2007年に子供向けフィットネス・幼児教室を行うMy Gym Japanの代表取締役にも就任するなど、現在事業家として活躍しています。
白川由美の現在は死去している…死因は心不全
白川由美さんは、2016年6月14日に心不全で急逝しました。
14日夕方に白川さんが自宅の風呂場で倒れているのを家人が発見した。すぐに119番に通報したが、すでに心肺停止の状態で病院に搬送されたという。事件性はないが突然死のため、監察医が死因を調べ、一夜明けた15日になって心不全と特定された。
亡くなる少し前から、娘の二谷友里恵さんのご自宅に同居していたそうですが、変わらずお元気であったことを語る近隣住民もいました。
周囲によると、ここ最近はとても元気で、体調不良を訴えることもなく、通院などもしていなかったという。近所の人も「いつも、明るくあいさつをしてくれる人でした」と話し、突然の訃報に驚いていた。
心不全とは、心臓の働きが不十分なことによって起こる病状態を指します。また死因としての心不全は「心臓が止まった」状態でしかないため、死亡診断書に用いられることは滅多にありません。
しかし著名人の死因として、詳しい内情を伏せるために「心不全」と用いて公表されることもあります。たとえば自殺や薬物などによる突然死、心筋梗塞、脳出血なども、「心不全」や「急性心不全」として公表されるケースもあるようです。
白川由美さんの場合は、ご高齢であったことを考えれば、心不全に関連した病気による急逝であったと考えるのが自然です。
白川由美さんの葬儀にも、亡き夫二谷英明さんと同じようにたくさんの弔問客が訪れました。
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娘二谷友里恵さんの元夫で、二谷家とは色々あった郷ひろみさんは訪れませんでしたが、かつてのことを以下のように回顧しています。
「懐かしい、いい思い出が脳裏をよぎりました。手を合わせに行かない方が心配りと思って、遠くから手を合わせる次第でした」としんみり語った。
1987年に友里恵さんと結婚したが98年に離婚。「ある時期、我が子のようにかわいがってくれた」と振り返りつつ「(離婚した後も)僕の写真を、目の届くところに飾っていてくれたと後になって人づてに聞いた。本当に思っていてくれたんだなあ、と…。感謝という思いしかない」と天国の白川さんに思いをはせた。
(ちなみに郷さんは、二谷英明さんの葬儀には訪れています。郷ひろみ かつての義父へ“ケジメ”より。)
ご冥福をお祈りします。