大原麗子

大原麗子の若い頃や晩年と病気!渡瀬恒彦や森進一など結婚歴や離婚原因も総まとめ

大原麗子さんは、2009年に亡くなった往年の大女優です。私生活では大病を患い、また渡瀬恒彦さんや森進一さんとの結婚・離婚を経験するなど波乱万丈な人生を送りました。

 

ここでは大原麗子さんの若い頃から晩年までの様子を画像とともにまとめながら、彼女の病歴や結婚歴についてもご紹介しています。

大原麗子のプロフィールと生い立ち

 

芸名:大原麗子(おおはられいこ)

本名:飯塚麗子(いいづか※2回目の離婚後、母方の姓に)

出身地:東京都文京区

出身高校:北豊島高等学校卒業

デビュー:1964年

生年月日:1946年11月13日

没年月日:2009年8月3日(62歳没)

血液型:AB型

 

 

大原麗子、幼少期は実父から暴力を受けていた

 

 

大原麗子さんは日本を代表する女優の一人ですが、2009年に亡くなりました。

 

大原さんは1946年に東京都文京区にある老舗和菓子屋「田月堂」を経営する家に生まれました。

 

子どもの頃は父親に顔が腫れるほどの暴力を受けたり8歳の頃に両親が離婚したりと、波乱の幼少期を過ごしています。

 

離婚後は母親側に引き取られ裕福ではない生活になりましたが、バレエ教室に通わせてもらうなど愛情を注がれ育ちました。

 

高校卒業後にスカウトされ芸能界入りし、1964年のドラマ「幸福試験」で本格的なデビューを果たします。

 

1960年代は高倉健、梅宮辰夫、千葉真一ら銀幕スターたちと多数の作品で共演を果たし、1970年代にはテレビドラマにも多く出演するなどし人気女優となりました。

 

大原麗子さんはさまざまな役柄をこなす演技派で、映画・ドラマを中心に多くの映像作品に出演しましたが、晩年は公の場に姿を見せることが少なくなり、2009年に自宅で亡くなりました。

 

 

大原麗子の若い頃~お嫁さんにしたい女優として大人気だった

 

若い頃の大原麗子さん

大原麗子さんは若い頃に六本木野獣会(※)に所属。そして高校卒業後、芸能界入りしスターへの階段を駆け上がりました。

 

(※六本木野獣会…良家の子女が集う遊び人のグループで、スターを夢見る若者たちが多く所属。メンバーには田辺靖雄、峰岸徹、中尾彬、小川知子、井上順等がいて、のちに芸能界入りした人も多い)

 

 

1960年代の大原麗子さん

画像は、大原さんが生涯憧れ敬愛した高倉健さんとの共演作品で「網走番外地」シリーズより。

ロングヘアのイメージが強い大原麗子さんのショートカットです!この頃は20歳前後。

 

 

1970年代の大原麗子さん

ドラマ「雑居時代」より。美人です!この頃は20代後半ぐらい。

 

 

若い頃の大原麗子さん

だんだんと大人っぽく、セクシーな雰囲気も出てきます。当時は「お嫁さんにしたい女優」と言われたほどの人気女優でした。

 

 

かつ日本を代表する演技派女優

作品によっては大胆で妖艶な演技を見せる演技派でもありました。

 

 

映画「男はつらいよ」ではマドンナ役を2度

1978年と1984年にマドンナ役で出演。画像は1984年公開の映画より。

 

 

1980年代の大原麗子さん

ドラマ「わたしの名は女です」より。和服もよく似合うまさに日本美人。

 

 

1986年に世田谷区成城に大豪邸建設

トップ女優であった大原麗子さんは、当時芸能界で最高額と言われた大豪邸を世田谷区成城に建設。

 

2F建ての4LDKで母親と長いこと暮らしました。高倉健さんの自宅が近くにあったことからここに家を建てたと言われ、また貧乏だった子供時代から「大きな家を建てたい」という夢を叶えた家でした。

 

 

 

1989年NHK大河「春日局」主演!

橋田壽賀子脚本の「春日局」は、歴代でもトップクラスの平均視聴率をマーク。まさに大物女優の一人でもあった大原麗子さん。当時まだ30代後半ぐらいですが、すでに貫禄がすごいです。

 

大原麗子さんは芝居に対する情熱が熱く、時には脚本や演出に口出しすることも。春日局でも重要シーンでセリフをつけ足させたことがあったそうです。

 

 

1990年代の大原麗子さん。

高倉健さんと共演した「チロルの挽歌」(1992年)は、大原麗子さんが「生涯の代表作」というほど思い入れが深かった作品です。

お年を召しても、やはり綺麗ですね。

大原麗子さんが長く出演していたサントリーお酒のCMでは、彼女の少し独特な低い声で囁く「すこし愛して、なが〜く愛して」がよく耳に残ります。現代でもよく知られている大原麗子さんの代表的なCMです。

 

 

 

 

大原麗子の晩年〜病気発症や整形失敗で仕事は激減

大原麗子、二重整形手術の失敗で主演映画を降板

大女優・大原麗子…晩年は仕事も少なく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大原麗子さんはデビュー後から順調にスターダムにのし上がり、長い間、演技派女優として多くの作品に出演しました。

 

しかし演技に対する情熱が強いあまり、自分が気に入らない作品には出演しなかったとも言います。

 

特に春日局など大作に出演し女優としての格が上がると、さらにそれがエスカレートしたといい、徐々にキャスティングからも敬遠されるように。また周囲で支えたスタッフたちも徐々に離れていったそうです。

 

 

おおはら

出典:https://uwatopi.com/

整形失敗で映画降板、さらに仕事減少へ

(画像は2004年のテレビドラマ出演時。)

 

 

1999年、大原麗子さんは2000年を迎えるにあたり「何か自分も変わらなければ」という思いで二重整形を決断。ばれないようにと考え闇医者のところで手術した結果、失敗しまぶたが腫れ上がってしまったそう。

 

その後に再手術しできる限り元に戻しましたが、当時決まっていた映画主演作を降板し、自信も喪失してしまい、さらなる仕事減少へ繋がりました。

 

 

大原麗子、ギラン・バレー症候群や乳がんを発症

度重なる病気…ギラン・バレー症候群や乳がん等

 

・乳がん…1990年代後半に発覚し手術。

 

ギラン・バレー症候群(※)…最初は20代後半で発症し1年間の休養を経て復帰しましたが、1999年に再発・休養。2003年に復帰したものの2008年10月には再び再発し、同年11月には転倒し重傷。

 

(※ギラン・バレー症候群…ウィルス・細菌感染からなる自己免疫性疾患。手足などに筋力低下が起こり、進行すると寝たきりになったり死に至るケースもあります。脳神経や呼吸筋麻痺、自律神経障害などの症状を呈する場合も)

 

ただ実弟は大原麗子さんの晩年のギラン・バレー症候群再発について、本当は違ったのではないかと疑っているそうです。

 

 

さらにうつ病も…

1990年代後半からギラン・バレー症候群の再発や主治医の死、整形失敗、母親の介護などが重なり、うつ病になってしまったそう。

 

 

 

大原麗子さんの実弟・大原政光さんによると、晩年は躁鬱状態だったと話します。

 

大原麗子といえば晩年、「犬の鳴き声に大声で怒鳴り散らす」といった近隣トラブルの噂があったが、実弟によると本当だという。整形の失敗で引きこもりにつながり、とにかく精神的に荒れ、躁うつ状態だったという。仕事仲間や友人にも電話で暴言を浴びせるようになってしまい、知人は減っていったという。

引用:芸能人のワケあり大豪邸 (バラエティ/情報)

 

大原麗子、晩年は生活に困窮し友人たちも離れていった

晩年はやはり寂しいものだった?

 

 

トップ女優だった大原麗子さんですが、晩年は生活に困窮。

 

所蔵する高価な絵画や骨董品はすべて売り払った晩年には、年金の受給開始年齢になる前に一部を受け取れる「繰り上げ受給」を申請し、さらに弁護士と一緒に社会保険事務所を訪れて、「年金額がなんでこんなに少ないんですか」と抗議したほどだった。

引用:大原麗子さん 年金の繰り上げ受給申請するほど貧窮していた

 

長年親交があり、大原麗子さんが「姉」と慕った浅丘ルリ子さんは、彼女の晩年を以下のように語っています。(以下、浅丘るり子さんの弔辞より)

 

ここ数年、何度も云い合いをし喧嘩になって距離を置いた時期がありました長々と人様や自分の不平不満を訴えるだけの一方的な長電話、こんな事が何回も重なるとあなたの声を聴いていることさえつらくて、もう麗子からの電話には出たくないと思ったものです。何故あなたは回りの人をこんなに混乱させたまま逝ってしまったのでしょうか?

貴女の抱えていた病気と、独りでいる淋しさがどんどん貴女の心をかたくなにしていったのだと今さらながら解ったような気がします。貴女がどんなに私のことを拒否しても姉として貴女をちゃんと受け止めてあげるべきだったのです。うしろからやさしく背中をさすってあげればよかったのに本当にごめんね麗子!

引用:「女」ではなく「女優」として生きた…なぜ、大原麗子は孤独死を迎えたのか?

 

浅丘ルリ子さんの他にも女優・鹿沼絵里さんが、長電話の下りなど同じようなことを話しています。

 

そういったことも重なってか森光子さん、浅丘ルリ子さんなど長年親交にあった人たちも、やがて大原麗子さんとは距離を置くようになったそうです。

 

またそれ以前にも扱いにくい女優として、周囲のスタッフが離れていった経緯もありますので、大原麗子さんの晩年は寂しいものだったと言われています。

 

 

大原麗子の結婚歴① 渡瀬恒彦との離婚原因は嫁姑問題と浮気?

大原麗子、1973年に渡瀬恒彦と結婚

 

名前:渡瀬恒彦(わたせつねひこ)

出身地:島根県生まれ、兵庫県育ち

生年月日:1944年7月28日

没年月日:2017年3月14日(72歳没)

デビュー:1969年

大原麗子との婚約期間:1973年〜1978年

 

渡瀬恒彦さんは、兄に渡哲也さんを持つ俳優です。胆嚢癌による多臓器不全で2017年に亡くなりました。

 

 

結婚当時の大原麗子さんと渡瀬恒彦さん。

二人は1970年の映画「三匹の牝蜂」で共演し、1973年に結婚。当時すでにスターだった大原麗子さんと、駆け出し俳優だった渡瀬恒彦さんの結婚は格差婚とも言われました。

 

ともに一目惚れをし、とくに大原麗子さんは渡瀬さんにゾッコンだったそうです。

 

なお大原さんの実弟の話では、渡瀬さんとの間に子供ができたものの、子宮外妊娠のため死産をしたという辛い過去があったそう。

 

「姉は結婚前に渡瀬さんの子を身籠り、それが子宮外妊娠だったため、泣く泣く緊急手術をしました。そのとき渡瀬さんから輸血を受けています。離婚後も姉は『渡瀬さんの血が今でも体に流れているから嬉しいの』と言っていました」

引用: 渡瀬恒彦さん 元妻の大原麗子さんとは嫌いで離婚したわけではない

 

大原麗子と渡瀬恒彦の離婚原因

 

離婚原因は女優か主婦かの天秤だった?

後年、渡瀬恒彦さんは結婚当時の大原麗子さんについて「妻としての自分、女優としての自分の間で葛藤していたのでは」と話しています。

 

再び大原さんの実弟の話からですが、嫁姑関係などいくつかの問題があったよう。

 

渡瀬の実父が死去し、独り身となった実母を渡瀬夫妻が引き取ったことが転機となったのだ。「渡瀬さんのお母さんは“恒彦と私の2人で食事を摂るので、あなたは独りで食べてください”と言うような、とても昔ながらの方。姉は歩み寄ろうとしたんですがね……」

引用:渡瀬恒彦、大原麗子からベッドインを拒否されていた 三枚目な私生活

 

それ以外にも、渡瀬恒彦さんは大原麗子さんに家庭に入って欲しかったけれど、大原麗子さんは女優を続けたかったという思惑の違いも大きく影響したと考えられています。

 

また婚姻期間中から大原麗子さんは、その後の再婚相手である森進一さんとの不倫関係を週刊誌に報じられました。

 

結局ふたりは離婚という選択をしますが、生涯大原麗子さんにとって渡瀬恒彦さんは特別な存在でした。

 

大原麗子遺作は元旦那・渡瀬恒彦との共演作品

生涯続いた親交

大原麗子さんの遺作となったのは、元夫渡瀬恒彦さんとの共演作「十津川警部シリーズ 東北新幹線「はやて」殺人事件」(2004年)です。

 

十津川警部シリーズの森下さんによると、大原麗子さんの出演の経緯は…。

 

森下さんが渡瀬さんに頼んで実現させた共演がある。

「’04年の12月に放送された33作目に、元奥さんの大原麗子さんに出てもらいました。恒さんに、出てもらいたいと伝えると“オレはいいんだけど、奥さんに聞いてみるわ”って。奥さんは、“もうそんな小さいことは忘れているからいいわよ”と言ってくれたそうです。麗子さんは相変わらずわがままだったから、恒さんは自分の出番がなくてもマネージャーのようにずっと彼女についていましたね」

引用:渡瀬恒彦さん哀悼秘話、芸能界”最強の男”が10年以上通い続けた650円の支那そば

 

生涯大切だった元夫・渡瀬恒彦さんの存在

 

 

大原麗子さんは別れたあとも生涯を通して渡瀬恒彦さんのことを特別に思っていたそうです。

 

渡瀬さんとは5年で離婚してしまったけれど、嫌いで別れたわけではない。兄妹みたいな関係」と言って、離れてからもよく連絡を取り合っていました。「渡瀬さんの家に電話すると再婚した奥さんが出て、私が『大原です』と名乗ると、『ギャッ』と驚かれちゃうのよ」なんて笑って話すんです。テレビを見ていても、「カヨさん、渡瀬さんが出てるわよ、フフフ」って、いつも嬉しそうにしていました。

引用:5年で離婚した大原麗子さん 「嫌いで別れたわけではない」

 

渡瀬恒彦さんは、大原麗子さんが亡くなった後もお別れ会や法要、墓参りなどをして亡き前妻を弔ったそうです。

 

自身もすでに病魔におかされながらの訪問でしたが、渡瀬さんは「別れたとはいえ、僕の妻でしたから…」と語ったといいます。

 

元夫婦であるこの二人の関係はやはり特別なもののように感じられますし、また渡瀬さんの奥様の懐の深さにも心打たれます。

 

 

大原麗子の結婚歴② 森進一との離婚原因と中絶

大原麗子、1980年に森進一と再婚

 

名前:森進一(もりしんいち)

出身地:山梨県生まれ、鹿児島育ち

生年月日:1947年11月18日

デビュー:1966年

大原麗子との婚約期間:1980年〜1984年

 

 

 

結婚当時の大原麗子さんと森進一さん。

もともと同じ事務所の同僚だったふたり。しかし、始まりは大原麗子さんが渡瀬恒彦さんとの婚姻期間中からの不倫交際だったのでは?と噂されています。

 

 

当時をよく知るベテランマネジャーによれば「大原は、今から35年ほど前に手の森進一との不倫騒動が持ち上がり、それが原因で心労が重なり〝ギラン・バレー症候群〟を発病、東大病院に入院したんですよ」という。
大原さんは当時、俳優の渡瀬恒彦と結婚していた。それだけに「大原と森の不倫記事が週刊誌にスッパ抜かれ大騒動に…。彼女は主役ドラマを全て降板させられるなど、大打撃を受けてしまったんです」(同マネジャー)。

引用:故大原麗子さん〝不倫騒動〟が病の一因か

 

 

大原麗子と森進一の離婚原因

 

離婚会見で「家庭に男が2人いた」発言

あまり背景を知らずにこれだけ聞くと、さすが名女優だなという発言ですが、これには渡瀬さんの時と同様に大原さんが家庭よりも仕事を取ったからことから出た言葉でした。

 

 

後年、森進一さんが大原麗子さんとの結婚や離婚について語っています。それによると、やはり彼女は最終的に仕事を取ったと言えそうです。

 

「デビュー当時から知ってましたから。結婚する気はあったんだけど、彼女は仕事を、ボクは家庭をというズレがあった。だからもうやめようといった。先のことを考えれば、いつかは主役を譲らなきゃいけない。それを考えて努力してくれるなら、結婚できるかもと話したんです。そしたら彼女が次の日に『努力する』といってくれたんです」


1980年6月結婚。しかし、2人とも仕事が絶頂にあった。「生涯女優でありたい」という大原。「約束を破っているよ」となった。「ロスに行っていて、お土産を買って帰るよと電話したら、『いらない』という」「ボクが会見で、『家庭ができなかった』と言っちゃったんで、その反動で『男が2人いた』と

引用:森進一が語る 故大原麗子との結婚と亀裂

 

今でこそ共働き世帯が多いですが、1970〜1980年代は圧倒的に女性が専業主婦という家庭が多かったため、渡瀬さんや森進一さんも大原さんがそうなることを望んだことも自然な流れでした。

 

そんな時代でも大原さんは女優という仕事を愛し、生涯続けていったのです。

 

 

大原麗子、森進一との子供を仕事のために中絶

 

 

また大原さんの実弟の話しによると、森さんとの婚姻期間中に仕事のため子供をおろしたことがあったそう…。

 

「姉が『子供ができた』と相談してきました。もちろん森さんとの間にできた子です。しかし姉はこのとき、あるドラマの主演が決まっており、出産は降板を意味していた。姉は『堕ろしたい。病院を紹介して欲しい』と言った。決意は固かったですね。森さんは何も知らなかった。姉が一人で決めたんです。ただ、悩んだ末の決断だったことは確かです。というのも、姉は中絶した直後に、キャッシュカードの暗証番号を変えたんです。新しい番号は、子供を堕ろした日付でした」(政光氏)

引用:鳩餅 (はともち)

 

これも離婚に影響したのかもしれませんね。

 

ただそんな森進一さんも、大原麗子さんが亡くなった際には彼女のお別れ会等に出席。かつての夫たちに見送られた大原麗子さんは、やはり多くの人から愛されていたのでしょう。

 

 

 

 

大原麗子の孤独死〜死因は不整脈による脳内出血

大原麗子、2009年8月に自宅の寝室で孤独死

 

往年の名優が孤独死

 

大原麗子さんは、2009年8月3日に自宅で亡くなりました。しかし彼女の死が判明したのは亡くなってから3日後の8月6日のこと。

 

実弟の政光さんが彼女と連絡が取れなかったことを不審に思い警察に通報し、警官と一緒に自宅に訪れたところすでに死んでいた大原さんを発見しました。

 

大原麗子さんは自宅2Fの寝室ベットの上で仰向けのまま息絶えており、右手の指先は15cm先にあった携帯電話へと伸びていたそうです。ちなみにこの時、携帯電話で助けを求めていれば助かったかもしれないという話もあります。

 

当時、大原麗子さんの家には彼女一人で暮らしており、長年一緒に暮らしていた実母も2009年3月から施設に入っていたため、誰にも気づかれないまま死後3日が過ぎてしまっていたようです。

 

ただ不思議なことに真夏だったにもかかわらず、彼女の遺体は死臭や腐敗などもあまりなかったそう。そんなかつての人気女優の孤独死は、世間に大きく報じられました。

 

その後の行政解剖によると、大原麗子さんの死因は「不整脈による脳内出血」でした。

 

 

大原麗子さんの晩年のギラン・バレー症候群再発は実弟などから疑問視されていますが、ギラン・バレー症候群の症状の一つには「自律神経症状からの不整脈」が見られます。

 

大原麗子さんは亡くなる1か月前ぐらいに、実弟に”(復帰を目指して)筋トレをし、通院は欠かさない”と笑顔で話していたそうですが、そこからの急死となりました。

 

 

大原麗子についてまとめると…

・大原麗子は若い頃、お嫁さんにしたい女優として絶大な人気を誇っていた

・大原麗子の晩年は整形失敗やギランバレー症候群の発症により仕事はなくなり、生活に困窮していた

・大原麗子は渡瀬恒彦との離婚後に森進一と再婚、女優業優先のために中絶をしていた

・大原麗子は2009年8月に自宅で孤独死、発見されるまで3日も経過していた

 

大原さんは孤独死ということもあり、その晩年は寂しいものだったのかもしれませんが、お別れ会には400名をこす弔問客が訪れ、死者を弔いました。

 

また親交の深かった人がコメントを出していますが、それを見ても、やはり多くの人から愛された女性だったのではないでしょうか。森光子「幸せです、彼女は」――大原麗子さんお別れの会参列者の主なコメント

 

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