海外犯罪者ランキング

海外の凶悪事件・犯罪者ランキングTOP38!シリアルキラーまとめ【最新版】

日本でも10年に一件以上は凶悪連続殺人事件が起きていますが、海外での事件は日本とは一線を画した猟奇的なものが多くあります。

 

この記事では、海外の凶悪事件やシリアルキラーについて衝撃度順にTOP38としてご紹介します。

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 10位 ロドニー・ジェームス・アルカラ

ロドニー・ジェームス・アルカラの殺人詳細

 

ロドニー・ジェームス・アルカラ

別名: デートゲーム・キラー(The Dating Game Killer)
生誕: 1943年8月23日
出身地: アメリカ合衆国 テキサス州サンアントニオ
有罪判決: 暴行, 誘拐, 殺人, 保釈条件違反, 強姦
判決: 死刑

 

殺人詳細
犠牲者数: 8人–130人
犯行期間: 1971年6月12日–1979年
国: アメリカ合衆国
州: カリフォルニア州、ニューヨーク州、ワイオミング州
逮捕日: 1979年7月24日
引用:Wikipedia – ロドニー・アルカラ

 

ロドニー・ジェームス・アルカラはアメリカ合衆国出身のシリアルキラーで、カリフォルニア州にて1977年から1979年の間に5人を殺害し、2010年に死刑判決を受けました。

 

また、2013年の服役中にニューヨーク州での1971年・1977年に起こした2人の殺人事件により25年の懲役が追加されましたが、他にも犠牲者がはるかにいると見られており現在までに全体像が掴めていません。

 

ロドニー・ジェームス・アルカラの犯行手口

 

アルカラは常軌を逸した残虐さを持っていた

 

アルカラは被害者をゆっくりと殺害できる場所に監禁し、首を絞めて意識を失わせ、意識が回復するのを待ってから複数回死に至るまで繰り返していました。

 

被害者にとってみれば何度も殺されるようなもので、その残虐性からアルカラは捜査官から「殺害マシーン」と呼ばれていました。

 

その被害者は女性や10代の少年だったことからアルカラはバイセクシャルだったとみられ、1000枚以上の性的な写真を撮っていました。

 

これらの写真の中には犠牲者以外の女性も多く含まれていることから、アルカラに殺害された犠牲者は数十人はいると見られています。

 

また、アルカラはこうした殺人を繰り返していた1978年に、テレビのバラエティー番組『デートゲーム』に出演して優勝していたことから、「デート・ゲーム・キラー」と呼ばれています。

 

ロドニー・ジェームス・アルカラの人格

 

現在もまだ生きているアルカラ

 

アルカラが幼い頃に家族はメキシコに移住し、その3年後に父親は家族を捨てて蒸発しました。

 

17歳になったアルカラは1960年に米軍に入り店員として働いていましたが、1964年に基地を飛び出して母親のいる家までヒッチハイクをして逃亡しました。

 

そのことから軍精神病院で診察を受けたアルカラは、反社会的人格障害と診断されたことで軍を除隊されました。

 

事件により逮捕されたアルカラは精神鑑定により、自己愛性人格障害 、境界性人格障害、サイコパシーおよび性的サディズムなどあらゆる人格障害を抱えていることが分かっています。

 

アルカラは現在までに3度の死刑宣告をされ収監中となっています。

 

 

 

 

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 9位 セオドア・ロバート・バンディ

セオドア・ロバート・バンディの殺人詳細

 

 

セオドア・ロバート・バンディ

生誕: 1946年11月24日
出身地: アメリカ合衆国・バーモント州バーリントン
死没: 1989年1月24日(42歳没)
死没地: アメリカ合衆国・フロリダ
死因: 電気椅子による処刑での電気ショック
有罪判決: 強盗殺人罪・殺人罪・強盗強姦罪・強姦罪・強盗致傷罪・強盗罪・死体遺棄罪・死体損壊罪・誘拐罪
判決: 死刑

 

 

殺人詳細
犠牲者数: 30人以上
犯行期間: 1974年–1978年
国: アメリカ合衆国
州: ワシントン州、オレゴン州、ユタ州、アイダホ州、コロラド州、フロリダ州
逮捕日: 1975年8月16日逮捕、1977年12月30日脱走、1978年2月15日再逮捕
引用:Wikipedia – テッド・バンディ

 

セオドア・ロバート・バンディはアメリカ合衆国出身のシリアルキラーで、誘拐、強盗、強姦殺人などの犯行を重ねました。

 

とくに若い女性をターゲットに強姦殺人を繰り返しており、殺害後にも遺体を陵辱するなど異常性を持っていましたが、バンディは逮捕後に一貫して無罪を主張してきました。

 

しかし、死刑執行の直前にバンディは10年以上否定してきた殺人を認めて全てを自白し、1974年から1978年の間までに、7つの州で30人を殺害したことが明らかにされました。

 

しかし、これ以外にもバンディの手にかかった被害者は大勢いると見られています。

 

セオドア・ロバート・バンディの犯行手口

 

バンディは自身のルックスの良さを利用していた

 

バンディは俳優のような端正な顔立ちをしていたことから自身の容姿を利用して女性に近づいており、犠牲者となった女性らはバンディにカリスマ性すら感じていたと言われています。

 

バンディは人目の多い場所でけが人や障害者のフリをして弱者を装ったり、逆に堂々とした様子で特殊機関の人間として振る舞い女性を安心させ、人気のない場所まで連れて行って強姦に及んでいました。

 

また、バンディは女性を殺害後に遺体を遺棄しましたが、その後現場に戻って遺体を死姦することもあり、遺体が腐敗仕切ったり、獣に食われて人の原型を保てなくなるまで繰り返し陵辱していました。

 

バンディはとくに気に入った12人の女性の首を切断して自身のアパートに持ち帰っており、記念品としていました。

 

バンディは上記のような小細工をすることなく、強引に女性の部屋に押し入って強姦することもありました。

 

セオドア・ロバート・バンディの人格

 

父性の不在がバンディの心の成長を歪ませた

 

バンディはフィラデルフィア出身の母親・エレノア・カウエルの婚外子として生まれ、実家の祖父・サミュエル・カウエルの家で育ちました。

 

当時は婚外子は社会的に差別の対象となっていたため、バンディは祖父母の子供として育てられ、母親は姉として教えていました。

 

バンディは大人になるにつれ父親の存在を知りたがりましたが、母親は教えることを拒絶したためバンディは死ぬまで母親を恨んでいました。

 

こうした生い立ちから不良となっていたバンディは、高校在学中に住居不法侵入や自動車の窃盗により少なくとも2度逮捕されていました。

 

しかし、成人してからのバンディは共和党ワシントン州支部長のロス・デイビスに助手として雇われたことをきっかけにして、シアトル犯罪対策諮問委員会の副委員長にまで登り詰めました。

 

こうした肩書きと生来の犯罪気質から犯行を繰り返したバンディですが、1989年1月24日にフロリダ州刑務所で電気椅子による死刑が執行されました。

 

 

 

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 8位 ロバート・ハンセン

ロバート・ハンセンの殺人詳細

 

ロバート・ハンセン

本名: ロバート・クリスチャン・ハンセン
生誕: 1939年2月15日
出身地: アメリカ合衆国 アイオワ州エスタービル
死没: 2014年8月21日(75歳)
死没地: アメリカ合衆国 アラスカ州アンカレッジ
別名: The Butcher Baker(屠殺パン屋)
罪名: 殺人罪・強姦罪・放火罪・暴行罪・誘拐罪・窃盗罪・武器使用罪・保険詐欺罪
刑罰: 終身刑461年
配偶者: (1960–62, 離婚)(1963–2014死亡時)
子供: 2人

 

 

殺人詳細
被害者数: 17人から21以上
殺害期間: 1971年–1983年
国: アメリカ合衆国
州: アラスカ州
逮捕日: 1983年10月
引用:Wikipedia – ロバート・ハンセン

 

ロバート・ハンセンはアメリカ合衆国出身のシリアルキラーで、1971年から1983年の間にアラスカ州アンカレッジ周辺でわかっているだけで17人の女性を強姦し殺害しました

 

ハンセンは1983年に逮捕されて有罪判決を受け、仮釈放なしの461年の終身刑を宣告されていましたが、2014年8月21日にアンカレッジのアラスカ地域病院にて75歳で死去しました。

 

ロバート・ハンセンの犯行手口

 

狩りを楽しむように女性の殺害を楽しんだハンセン

 

ハンセンはアラスカという広大な土地を利用した殺人を楽しんでおり、拉致してきた女性を荒野に解き放ち、自動小銃とナイフを使って追い詰めて強姦・殺人をするという狩りを楽しんでいました。

 

1983年6月13日に17歳の売春婦だったシンディ・ポールソンがハンセンに監禁された先から命からがら逃げ延びて警察に駆け込み、事件が発覚しました。

 

ロバート・ハンセンの人格

 

学校で女子に気持ち悪がられて復讐心が芽生えた

 

ハンセンは1939年にアイオワ州エスタービルにて、デンマーク移民の子として生まれ、父親はパン屋を経営していました。

 

ハンセンは幼少期から痩せていてニキビ跡が多くて風貌が悪く、そのせいで人前で自分を出せないシャイな少年として育ちましたが、学校では女子から気持ち悪がられていたため、これが後に復讐心として犯行におよぶきっかけとなりました。

 

大人しくて他社との交わりが苦手なハンセンは父親とも関係がよく無かったものの、後を継いでパン屋を経営していました。

 

 

 

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 7位 ジェニーン・ジョーンズ

ジェニーン・ジョーンズの殺人詳細

 

ジェニーン・ジョーンズ

生誕: 1950年7月13日
出身地: アメリカ合衆国・テキサス州
有罪判決: 殺人罪
判決: 3件の罪に対し99年の禁錮刑

 

殺人詳細
犠牲者数: 立証されたのは2人、60人以上の可能性
犯行期間: 1977年–1982年
国: アメリカ合衆国
州: テキサス州
逮捕日: 1983年
引用:Wikipedia – ジェニーン・ジョーンズ

 

ジェニーン・ジョーンズは1970年代から1980年代にかけて、自身が担当していた乳幼児60人あまりを殺害したアメリカ合衆国出身のシリアルキラーです。

 

ジョーンズはジゴキシン(強心薬)やヘパリン(抗凝固薬)、サクシニルコリン(筋弛緩薬)などの薬品を使って乳幼児を殺害しており、その理由は死にかけている乳幼児をあたかも救ったように見せかけることで周囲から称賛されることに味をしめていたからでした。

 

ジェニーン・ジョーンズの犯行手口

 

「死の看護師」と呼ばれたジョーンズ

 

ジョーンズは看護学校を卒業した後、サンアントニオのメソジスト病院やその他市立病院に勤務していましたが、看護師の立場を超えた出しゃばった勤務態度が問題視されて院内で疎外され、いずれも長続きしませんでした。

 

その後、ジョーンズはベア郡立病院(現・ユニバーシティ・ヘルス・システム)の小児集中治療室にて准看護師として勤務していますが、ジョーンズが担当した子供だけが大勢亡くなりました。

 

病院は訴訟を起こされることを恐れて、当時の准看護師全員を解雇して、代わりに小児集中治療室のスタッフを正看護師として採用。ジョーンズが担当していた勤務時間帯「死のシフト」と呼ばれており、彼女自身も「死の看護師」と呼ばれるほど子供の死亡は相次いでいました。

 

ジョーンズはテキサス州カーヴィルにある小児科の開業病院で働き始めましたが、6人の子供に劇薬を使い死亡させたとして逮捕されました。

 

1984年にジョーンズは有罪判決を受けて99年の禁固刑が言い渡されましたが、ベア郡立病院の記録は破棄されているため実際にジョーンズが殺害した子供の人数は分かっていません。

 

ジェニーン・ジョーンズの人格

 

劣悪な環境で育ち、2度の離婚を経験していた

 

ジョーンズはナイトクラブを経営していた夫婦に養子として弟とともに引き取られましたが、16歳の時に弟がパイプ爆弾で自殺し、その翌年には養父も末期癌で他界しました。

 

ジョーンズは1968年に高校時代の恋人と結婚し、ひとりの子供に恵まれましたが幸せは長くは続かず1974年に離婚しました。

 

しかし、1977年に復縁してさらにもうひとり子供が生まれたものの再び破局、その後事件で逮捕されて起訴される直前に19歳の看護助手と再婚しましたが、起訴後の1983年12月に離婚を突きつけられました。

 

ジョーンズは人生で満たされない承認欲求を瀕死の子供を作って自ら救う自作自演をすることで満たしていましたが、精神鑑定では「ヒーロー症候群」だと言われています。

 

 

 

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 6位 ジェフリー・ダーマー

ジェフリー・ダーマーの殺人詳細

 

ジェフリー・ダーマー

別名: ミルウォーキーの食人鬼
生誕: 1960年5月21日
出身地: アメリカ合衆国・ウィスコンシン州ミルウォーキー
死没: 1994年11月28日(34歳没)
死没地: アメリカ合衆国・ウィスコンシン州ポーテージ
死因: 刑務所内での囚人による撲殺
有罪判決: 殺人罪・死体遺棄罪・死体損壊罪など
判決: 終身刑

 

 

 

殺人詳細

犠牲者数: 17人
犯行期間: 1978年6月18日–1991年7月22日
国: アメリカ合衆国
州: オハイオ州、ウィスコンシン州
逮捕日: 1991年7月22日

引用:Wikipedia – ジェフリー・ダーマー

 

ジェフリー・ダーマーはアメリカ合衆国出身のシリアルキラーで、殺害した被害者の肉を食べていたことから「ミルウォーキーの食人鬼」と呼ばれています。

 

ダーマーは1978年から1991年にかけて、オハイオ州やウィスコンシン州などで17人の青少年を殺害し、中々犯人逮捕に結びつかなかったミルウォーキー警察の無能さや、性的マイノリティを糾弾する社会が生んだ悪だとして社会問題になりました。

 

ダーマーは収監されていたコロンビア連邦刑務所にて1994年11月28日に同じ囚人に撲殺されて34歳で死亡しました。

 

ジェフリー・ダーマーの犯行手口

 

衝動的にやってしまった初犯が運命を決定づけた

 

高校時代に両親が離婚して父親が出ていき、母親は弟を連れて出ていき一人ぼっちになったダーマーは孤独の中で生きていました。

 

高校を卒業してから数日後に、ダーマーが車を運転していると地元で行われたロックコンサートの帰りだった19歳のスティーブン・ヒックスというヒッチハイカーを拾い、酒とマリファナで誘って自宅に連れていきました。

 

音楽の趣味が合ったことからダーマーとヒックスは意気投合して語り合いましたが、ヒックスが父親の誕生日のために帰らなければならなかったため、初めて他人と通じ合えたと思っていたダーマーは帰さないために衝動的に殺害してしまいました。

 

彼を帰したくないジェフリーは、手近にあったダンベルでヒックスを背後から殴って、気を失ったところを絞殺。死体の衣服をはぎ取って肛門を犯し、ナイフで腹部を切り裂くと、鮮血をすくって体に浴びた。その内臓を床に広げて血だらけにし、その上を転がって射精した。その後死体を床下へ運び込み、バラバラに解体した。しばらくは手元においていたが、腐敗しだしたため、首以外の部分はゴミ袋に詰めて近くの森に埋めた。これが、ジェフリーの初めての殺人である。

 

引用:Wikipedia – ジェフリー・ダーマー

 

ダーマーはヒックスの殺害は生涯に渡って思い出したくない一番のトラウマになりましたが、その後の孤独を埋めるために青少年を強姦殺人するようになりました。

 

ジェフリー・ダーマーの人格

 

家族を失った頃に同性愛者だと気づいた

 

ダーマーは前述のように両親の離婚により一人だけ取り残されましたが、この頃に自分が同性愛者だと気づき苦悩するようになりました。

 

ダーマーはその苦悩と孤独を紛らわせるためアルコールやマリファナに頼るようになっており、偶然通じ会えたヒックスとの出会いが運命を決めてしまいました。

 

 

 

 

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 5位 ロバート・ピックトン

ロバート・ピックトンの殺人詳細

 

ロバート・ピックトン

本名 ロバート・ウィリアム・ピックトン(Robert William Pickton)
生年月日 1949年10月24日
出身地 カナダ ブリティッシュコロンビア州 ニューウェストミンスター ポートコクイトラム

判決:終身刑

 

殺人詳細
犠牲者数:60人以上
犯行期間: 1990年代~
国: カナダ
逮捕日: 2002年

 

ロバート・ピックトンはカナダの犯罪史上最悪のシリアルキラーで、カナダ西部にあるバンクーバーでは1990年代から60人以上の売春婦や麻薬常習者の女性が行方不明になる事件が起きており、2002年に初めて養豚業のピックトンが逮捕され事件が発覚しました。

 

ロバート・ピックトンの犯行手口

 

殺害した女性の遺体を豚に食べさせていた

 

ピックトンは主に売春婦を狙って犯行に及んでおり、女性を部屋に呼んでベッドに連れて行くと、手を後ろに組ませて手錠をかけ、首を絞めて絞殺しました。

 

殺害後は遺体をバラバラに解体して飼育していた豚に食べさせていました

 

ピックトン逮捕後に検察が養豚場を捜索した時、冷蔵庫からは被害者の2人の頭部とその他体の一部が発見されており、頭部は縦方向に切断され、銃弾を打ち込まれた痕がありました。

 

また、発見されたピックトンの拳銃には性的玩具が取り付けられており、被害者のDNAが検出されました。

 

ロバート・ピックトンの人格

 

ピックトンは女性を完全に性の玩具と見ていた

 

ピックトンを知る周辺者の証言では、女性のことを「汚い腐った豚」だと思っており、性的な消耗品でしかないと思っていたことが分かっています。

 

ピックトンはベッドに残された夥しい血の跡を証拠として指摘されてもなお無罪を主張し続けており、その人格は逸脱し完全に崩壊していることが分かっています。

 

 

 

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 4位 ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ

ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロの殺人詳細

 

ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロ

別名
イースト・エリアの強姦魔(East Area Rapist)
オリジナル・ナイト・ストーカー(Original Night Stalker)
バイセイリアの荒らし屋(Visalia Ransacker)
イースト・ベイの強姦魔(East Bay Rapist)
ダイヤモンド結び殺人鬼(Diamond Knot Killer)

 

 

殺人詳細
被害者数: 13人以上殺害 50人以上 強姦120件以上窃盗
殺害期間: 1974–1986 (現時点で判明している限り)
国: アメリカ合衆国
州: カリフォルニア州
逮捕日: 2018年4月24日

引用:Wikipedia – 黄金州の殺人鬼

 

現在も裁判中であるジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロは、1974年から1986年までの間にカリフォルニア州において少なくとも13人を殺害、50人を強姦、100件以上の強盗をしたと言われています。

 

「イースト・エリアの強姦魔」「オリジナル・ナイト・ストーカー」と呼ばれていましたが、これだけの凶悪犯が長年野放しになってきたことを啓発する意味を込めて、「ゴールデン・ステイト・キラー」と新たに名付けられました。

 

そして、ついに2018年4月24日にサクラメント郡保安官が72歳のディアンジェロを逮捕し、強姦や強盗の罪は時効が成立しているため起訴できませんが、13人の殺害容疑で起訴されています。

 

ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロの犯行手口

 

現在も裁判中

 

ディアンジェロは一軒家で一人暮らしの女性を探して長期にわたるストーカー行為をしており、入念に行動を把握した上で強姦・殺害の犯行計画を練る用意周到さがありました。

 

その慎重さの反面大胆な行動を取ることもあり、犯行前に被害者に電話をかけて「お前を殺す」と犯行予告をすることもありました。

 

このディアンジェロの用意周到さから足がつかず、警察は1980年以降その足取りを現在まで見失ってしまいました。

 

ここまで紹介したシリアルキラーは現場検証や供述などにより犯人の犯行手口が分かっていますが、ディアンジェロの裁判は進行中のため、証言などにより今後より詳細な犯行手口が明かされるかもしれません。

 

ジョセフ・ジェームズ・ディアンジェロの人格

 

警察官という真逆の立場にあったディアンジェロ

 

ディアンジェロは10歳前後の頃、姉妹のひとりがドイツの空軍倉庫内で強姦されている現場を目撃するなど、早くからトラウマとなるような出来事を体験していました。

 

ディアンジェロはフォルサム高校を卒業後に米海軍に入隊し22ヶ月間従軍、その後警察学校に入り警察科学の準学士号を取得して卒業しました。

 

警察官として1976年までに順調に出世を続けたディアンジェロは、「強盗に対する共同対処プログラム」の主任を務めるようになるも、この間にも強姦殺人や窃盗を繰り返しており、窃盗罪で逮捕されて警察を解雇されました。

 

2度の結婚と離婚を繰り返したディアンジェロですが、1980年に購入したシトラスハイツの自宅に逮捕される2018年まで娘と孫娘と一緒に住んでいたようです。

 

近隣住民とのトラブルも耐えなかったようで、度々冒涜的な恫喝を繰り返していたことが証言されています。

 

 

 

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 3位 エドワード・ゲイン

エドワード・ゲインの殺人詳細

 

エドワード・ゲイン

本名: エドワード・セオドア・ゲイン
生誕: 1906年8月27日
出身地: アメリカ合衆国・ウィスコンシン州バーノン郡
死没: 1984年7月26日(77歳)
死没地: アメリカ合衆国
死因: 呼吸器官の心不全による病死
有罪判決: 無罪(ただし、精神病院に入院)

 

 

 

殺人詳細
犠牲者数: 2人
国: アメリカ合衆国
州: ウィスコンシン州
逮捕日: 1957年11月16日

引用:Wikipedia – エド・ゲイン

 

エド・ゲインはアメリカ合衆国出身のシリアルキラーですが、生涯で殺害した人数は2人と、これまで紹介してきた殺人者に比べると少ないように感じますが、墓から掘り起こした女性の遺体を含めて述べ15人を陵辱しました。

 

その犯行手口があまりにも常軌を逸した残忍なものだったことから、全世界を震撼させその後映画などの題材としてエド・ゲインは語り継がれることとなりました。

 

エドワード・ゲインの犯行手口

 

最も猟奇的な殺人者と言われるエド・ゲイン

 

エド・ゲインの犯行手口としては、地元の墓地から土葬されて間もない女性の遺体を掘り返し、自宅に”戦利品”として持ち帰って記念品を作り出すというものでした。

 

遺体を解体して皮や骨などを使ってベストやブレスレット、家具など身の回りのものを作っており、殺害した2人の女性を含めてエド・ゲインの自宅には15人分の女性の変わり果てた遺体がありました。

 

また、遺体の一部は食用として冷蔵庫にも保管されていましたが、エド・ゲインが行った主な猟奇的な行為は以下のとおりです。

 

ゲインの寝台の角の柱に乗っていた頭蓋骨
人間の皮で作ったランプシェードと汚れた椅子の上の詰め物
一見スープボウルらしき人間の脳天
人間の心臓(心臓が発見された場所は、犯行現場にいたカメラマンは紙袋の中にあったと主張しているが、州の副保安官はストーブの上のソースパンの中にあったと報告している)
紙袋の中から発見された、地元のバーの主人マリー・ホーガンの顔の皮膚
人間の唇を引きちぎって作った窓の日よけ
女性の胴体の皮膚で作った胴着
複数の乳首から作ったベルト
人間の肉で作った靴下
人間の皮膚で作った入れ物
ゲインが身に付けたことを認めた、保存された陰門
萎びた人間の頭部の配列

 

引用:Wikipedia – エド・ゲイン

 

エドワード・ゲインの人格

 

父はアルコール依存症、母は倒錯的な教育者だった

 

他に類を見ない精神異常者だったエド・ゲインの生い立ちは、父親は何度も失業を繰り返していた重度のアルコール依存症であり、母は狂信的なルター派信者として神と自分自身以外を完全否定する異常者でした。

 

エド・ゲインは死ぬまで母親を崇拝しており、どんなに虐待を受けても母親を幸せにしたいと行動を繰り返しましたが、それが受け入れられることはなく絶対的案主従関係しかありませんでした。

 

こうした常軌を逸した家庭環境が、精神鑑定により精神的不能者と診断され、刑務所ではなく精神病院で一生を過ごすことになったエド・ゲインの精神を作り上げていました。

 

 

 

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 2位 ジョン・ウェイン・ゲーシー

ジョン・ウェイン・ゲーシーの殺人詳細

 

ジョン・ウェイン・ゲーシー

別名: ポゴ、キラー・クラウン
生誕: 1942年3月17日
出身地: アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ
死没: 1994年5月10日(52歳没)
死没地: アメリカ合衆国・イリノイ州クレストヒル、ジョリエット刑務所
死因: 薬殺刑による刑死
有罪判決: 殺人罪による死刑宣告

 

殺人詳細

犠牲者数: 33人
犯行期間: 1972年1月–1978年12月
国: アメリカ合衆国
州: イリノイ州
逮捕日: 1978年12月

引用:Wikipedia – ジョン・ゲイシー

 

ジョン・ウェイン・ゲーシーはアメリカ合衆国出身のシリアルキラーですが、1972年から1978年までの間に、10代の少年を中心とした33人を強姦し殺害しました。

 

ゲーシーはビジネスで財を成した資産家で、普段はピエロの格好をして子供達を楽しませる道化師をボランティアで行っていた周囲に尊敬される”善人”でしたが、そうして出会った少年らを言葉巧みに自宅に呼び寄せては強姦し、殺害するという残虐な手口から「キラー・クラウン(殺人道化、殺人ピエロ)」と呼ばれていました。

 

ジョン・ウェイン・ゲーシーの犯行手口

 

殺人ピエロと呼ばれたゲーシー

 

ゲーシーは元々正常でしたが幼少期から父親・スタンリーに「オカマ」と罵られ続けたことから無意識下に刷り込まれていき、ある時知り合った男と飲みに行った時、無意識に初めてオーラルセックスをしたことでタガが外れました。

 

ゲーシーは少年との援助交際をしていましたが、ある時パーティーで知り合った少年と自宅で行為に及んだ後、早朝に目を覚ますとその少年がナイフを持って立っていました。

 

少年は朝食の準備をしていただけでしたが、パニックに陥ったゲーシーは少年に飛び掛かり、ナイフを奪って殺害してしまいました。

 

勘違いから初めての殺人を犯してしまったゲーシーは、少年の遺体を床下に遺棄し、殺しの味を覚えたことでその後習慣化していきました。

 

ゲイシーは少年たちを家に誘い、首にかけてあるロザリオにペンを差し込んでねじり、絞殺した後で死姦して楽しみ、遺体を床下に捨てて石灰や塩酸を撒いていました。

 

ジョン・ウェイン・ゲーシーの人格

 

父親の異常な虐待がゲーシーという怪物を生んだ

 

ゲーシーの父親であるスタンリーは、脳内に手術不可能な腫瘍があり、発作的な癇癪を起こすなど非常に情緒不安定な性格でした。

 

スタンリーのゲーシーに対する礼儀作法などのしつけはスパルタであり、ちょっとした失敗でも革砥で殴られるという虐待を受けていました。

 

特にことあるごとに「オカマ」「お前はホモになる」などの言葉での精神的な虐待の結果、ゲーシーは正常だったにも関わらず後天的にゲイに目覚めてしまい殺人者となりました。

 

 

 

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 1位 ヘンリー・リー・ルーカス

ヘンリー・リー・ルーカスの殺人詳細

ヘンリー・リー・ルーカス

別名: The Confession Killer
生誕: 1936年8月23日
出身地: アメリカ合衆国 バージニア州
死没: 2001年3月13日
死没地: アメリカ合衆国 テキサス州 ウィリアムソン郡 ジョージタウン刑務所
死因: 心臓発作
有罪判決: 殺人罪

 

殺人詳細
犠牲者数: 確定:11人 自供:3000人
犯行期間: 1960年1月11日–1983年 (?)
国: アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
州: ミシガン州、テキサス州、フロリダ州
逮捕日: 1983年6月11日

引用:Wikipedia – ヘンリー・リー・ルーカス

 

ヘンリー・リー・ルーカスはアメリカ合衆国出身のシリアルキラーですが、全米17州において300人以上を殺害したと言われており、映画『ハンニバル』のレクター博士のモデルとなった人物といわれています。

 

 

ヘンリー・リー・ルーカスの犯行手口

 

ルーカスの最初の殺人は悪魔のような母親だった

 

ヘンリーは、詳しくは後述する悪魔のような虐待をした母親・ヴィオラに耐えかねて、喉をナイフで切り裂いて最初の殺人を犯しました。

 

逮捕されたヘンリーは懲役40年を言い渡されましたが、当時のアメリカはベトナム戦争で疲弊しきっており、収監し続けるのにお金がかかる犯罪者は更生したと見なした者だけ釈放されていました。

 

10年服役していたヘンリーは「釈放されれば必ず人を殺す」と出所を拒否していたにも関わらず、仮釈放委員会はジョークだと受け取って釈放しました。

 

ヘンリーは言葉通りに出所直後に、刑務所から数ブロック離れたところで女性を絞殺し、金品を強奪しました。

 

その後もヘンリーは度々女性を襲っては強姦して殺害するようになり、1983年の逮捕後の供述では3000人あまりを殺したと供述しましたが、証拠などから実際に殺害した人数は360人程だとみられています。

 

ヘンリー・リー・ルーカスの人格

 

悪魔のような母親に悪魔のように育てられたルーカス

 

ヘンリーの母親・ヴィオラは以下のような言葉の暴力で精神的虐待を続けていました。

 

ヴィオラはしばしば「お前は死ぬまで私の奴隷」「あんたは悪魔から生まれた生き物なのだから、当然あんたは悪魔なのだ。腐ったろくでなしとして生きてもらう」「あんたはこの世に地獄をもたらすために生まれてきた」と、ヘンリーを罵倒した。ヴィオラ以外の人物にヘンリーが優しく接せられると、ヴィオラは激しく怒り、ヘンリーに優しくした本人を口汚く罵った。
(中略)
「ママは、俺が何かを愛するという感情を抱くことに我慢ならなかった」「ママは完全な狂人だった」と告白しており、ヴィオラが人格的に異常であったことは明らかであった。

 

引用:Wikipedia – ヘンリー・リー・ルーカス

 

こうした虐待を生まれた頃から受け続けたヘンリーは、完全なヴィオラの支配下に置かれており、刑務所の中でも自殺を命令するヴィオラの声が聞こえ、発狂した結果精神分裂病になりました。

 

 

 

海外の凶悪事件の衝撃度ランキング 11位~38位

 

11位:サミュエル・リトル(米国史上最悪の連続殺人事件)

12位:マーク・チャップマン(ジョン・レノン殺害事件)

13位:ヴェスター・リー・フラナガン(バージニア・テレビクルー射殺事件)

14位:アルバート・フィッシュ(食人・大量殺人)

15位:マルセル・プショー(ユダヤ人富裕層殺害)

16位:ジェームズ・イーガン・ホームズ(オーロラ銃乱射事件)

17位:マーク・オーリン・バートン(アトランタ銃乱射事件)

18位:スティーブン・パドック(2017年ラスベガス銃乱射事件)

19位:ジョン・リスト(ジョン・リスト事件)

20位:デレク・ショーヴィン(ジョージ・フロイド事件)

 

21位:リチャード・ハウプトマン(リンドバーグ愛児誘拐事件)

22位:ヘルズ・エンジェルス(オルタモント・フリーコンサートの悲劇)

23位:デュアン・ロジャー・モリソン(プラットキャニオン高校人質事件)

24位:リチャード・クラフツ(ヘラ・クラフツ殺害事件)

25位:チャールズ・ホイットマン(テキサスタワー乱射事件)

26位:ゴードン・ノースコット(ワインヴィル養鶏場連続殺人事件)

27位:ジバリー・ウォン(ビンガムトン銃乱射事件)

28位:ジェイムズ・ヒューバティ(サン・イシドロ・マクドナルド銃乱射事件)

29位:エディ・ナッシュ(ワンダーランド殺人事件)

30位:ジョン・ギルバート・グレアム(ユナイテッド航空629便爆破事件)

 

31位:ゲイリー・ハイドニック(ハンバーガー司祭殺人事件)

32位:フリッツ・ハールマン(浮浪者・男娼殺害)

33位:ジョン・ヴェナブレスとロバート・トンプソン(ジェームス・バルガー事件)

34位:ペーター・キュルテン(連続殺人)

35位:ドレイ・チカチーロ(連続殺人)

36位:アレクサンドル・ピチュシキン(連続殺人)

37位:佐川一政(パリ人肉事件)

38位:デイビット・パーカー・レイ(連続殺人)

海外の凶悪事件の衝撃度ランキングについてまとめると…

・シリアルキラーの大半が悲惨な生い立ちで、幼少期に虐待を受けているケースが多い

・常軌を逸したシリアルキラー・大量殺人犯の多くはアメリカ人


海外で起きた凶悪事件について、衝撃度順にランキング化してご紹介してきました。

他にも有名なシリアルキラーとしてはイギリスの「ジャック・ザ・リパー」などがありますが、やはり衝撃度の強い殺人者はアメリカが多いようです。

 

近年のアメリカでは銃乱射によるテロも頻発していますが、やはり猟奇殺人が人の記憶に残り続けるようです。

 

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