反プーチンのシンボルだった政治活動家のアレクセイ・ナワリヌイ氏が刑務所内で死亡し物議を醸しています。
この記事ではナワリヌイ氏のプロフィールや学歴と経歴、嫁との結婚と2人の子供、ロシア当局による自宅差押や毒殺未遂事件、刑務所での拷問の疑いや死因や暗殺疑惑についてまとめました。
この記事の目次
- ナワリヌイのプロフィール
- ナワリヌイの学歴
- ナワリヌイの経歴① ヤブロコに所属し政治活動を開始後反体制ブロガーに
- ナワリヌイの経歴② モスクワ市長選で支持を集めるもロシア当局から弾圧
- ナワリヌイの経歴③ 毒殺未遂事件
- ナワリヌイの経歴④ ロシア帰国後に当局に拘束され刑務所に収監
- ナワリヌイの結婚と嫁のユリア・ナワルナヤ
- ナワリヌイの子供は2人で娘のダーシャ(ダリア)と息子のザハル
- ナワリヌイの自宅はモスクワ南東部の集合住宅で毒殺事件後差し押さえに
- ナワリヌイが収監されていた刑務所は酷い環境で知られる「IK-3」
- ナワリヌイの現在① 2024年2月16日に刑務所で死亡したと発表
- ナワリヌイの現在② 死因は血栓症と見られているが暗殺の可能性が浮上
- まとめ
ナワリヌイのプロフィール
ナワリヌイのプロフィール
生年月日:1976年6月4日
没年月日:2024年2月16日(47歳没)
出身地 :ソ連モスクワ市オディンツォフスキー地区ブトィン
身長 :190cm
ナワリヌイ氏はロシアの民主主義政治活動家で、独裁的政権や汚職、国営大企業の不正に反対する活動を長年展開してきた人物で、反プーチン政権運動のシンボル的存在でした。
なお、ナワリヌイ氏のフルネームは、アレクセイ・アナトリエヴィチ・ナワリヌイ(Алексе́й Анато́льевич Нава́льный)です。
ナワリヌイ氏は2010年頃からオンライン上での反体制や反汚職の主張で注目されるようになり、2013年のモスクワ市長選に出馬しプーチン政権が支持する候補に次ぐ2位に食い込んでいます。
ナワリヌイ氏はプーチン大統領からは目の敵とされ、2020年にはナワリヌイ氏の毒殺未遂事件も起きています。
ナワリヌイ氏はその後、2021年にロシア当局に逮捕され刑務所へと送られていましたが、2024年2月16日に刑務所内で死亡した事が当局によって発表されました。
ナワリヌイ氏の死亡に対してロシア当局による暗殺を疑う声も上がっています。
ナワリヌイの学歴
ナワリヌイ氏の学歴については、1993年にモスクワ近郊にあるカリニネツという街の中等学校(日本の高校に相当)を卒業し、その後、1998年にロシア諸民族友好大学(Российский университет дружбы народов)を卒業しています。
ナワリヌイ氏の最終学歴であるロシア諸民族友好大学は、国際大学としてロシアの大学ランキングでは上位を維持しており、BRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の大学ランキングでは上位100位にランクインし世界大学ランキング500校に入るロシアの大学10校の中の1校でもあります。
ナワリヌイ氏はロシア諸民族友好大学では、法学の学位を取得しています。
ナワリヌイ氏はロシア諸民族友好大学を卒業した翌年の1999年に通信でロシア連邦政府管轄の金融アカデミーの財政・信用学部を受講して証券や為替について学び2001年に卒業しています。
2010年には、アメリカのイェール大学からの奨学金を受け、イェール・ワールド・フェロー・プログラムを受講し6ヶ月間政治学などを学んでいます。
以上がナワリヌイ氏の学歴についてわかっている事の全てです。
ナワリヌイの経歴① ヤブロコに所属し政治活動を開始後反体制ブロガーに
出典:https://cdn2.opendemocracy.net/
ナワリヌイ氏は、2000年にプーチン政権に批判的な立場を取る野党「ヤブロコ」の党員になって政治活動に関わるようになり、2002年にはヤブロコのモスクワ支部の地域評議会議員にも選出され、2004年には同党モスクワ支部の副支部長に就任しています。
しかし2007年12月、ナワリヌイ氏はネオナチ極右活動などナショナリズムに関わった事でヤブロコを除名されています。
ヤブロコを除名された後、ナワリヌイ氏は独自での政治活動を展開し、プーチン政権批判や政権周辺の汚職を批判するブログで反体制派の国民から支持を得ました。2011年から2012年にかけては大規模な反プーチンデモも呼びかけています。
ナワリヌイの経歴② モスクワ市長選で支持を集めるもロシア当局から弾圧
ナワリヌイ氏は、2013年にはモスクワ市長選に出馬し得票率27パーセントで2位になります。ナワリヌイ氏は選挙に不正があったと主張し、現職のモスクワ市長で1位当選したセルゲイ・ソビャーニンの実際の得票数は半数以下だとして決選投票を求めましたが認められませんでした。
反体制派のロシア国民の支持を高めたナワリヌイ氏は2018年のロシア大統領選への出馬を表明しますが、ナワリヌイ氏の支持拡大に危機感を強めた政権は、2014年12月30日にフランスの化粧品会社「イブロシェ」に対する詐欺罪で執行猶予付きの懲役3年6ヶ月の有罪判決を言い渡しました。これはロシア当局によるでっち上げで被害者とされるイブロシェは被害を受けていないと公表しています。
この判決後を受けてモスクワではこの判決に反対する無許可のデモが起こり、ナワリヌイ氏はこのデモに参加するために当局による自宅軟禁命令を無視して自宅を出た事でロシア当局に拘束されています。
一方、2012年にナワリヌイ氏は州予算を横領した罪で起訴され、2013年に禁錮6年と罰金100万ルーブルの有罪判決を受けています。ナワリヌイ氏はこれをでっち上げだと主張し、欧州人権裁判所に提訴し、2016年に欧州人権裁判所は公正な裁判ではなかったとして裁判無効との判決を下しています。
しかし、ロシアの最高裁判所はこの横領罪の裁判の再審を命じ、2017年に前回と全く同じ内容の判決を下しました。
この有罪判決により、ナワリヌイ氏の2018年の大統領選挙への出馬は事実上不可能となりました。ナワリヌイ氏は2017年12月24日に大統領選挙への立候補届を提出するも翌日に選挙管理委員会により立候補無効との判断が下され、これに対してナワリヌイ氏は選挙ボイコットを国民に呼びかけました。
ナワリヌイの経歴③ 毒殺未遂事件
ナワリヌイ氏は2019年のモスクワ市議会議員選挙では、反体制派の無所属候補を支持しましたが、そのほとんどが選挙への出馬を許可されませんでした。
ナワリヌイ氏はこれに対して反政府デモを呼びかけるも、逮捕拘束され30日間モスクワ刑務所に収監されています。ナワリヌイ氏はモスクワ刑務所で目や皮膚の異常を訴えて病院に搬送されています。当局により毒殺されそうになったと疑う声が上がりますが、ナワリヌイ氏は再び刑務所へと戻されています。
この際に抗議したナワリヌイ氏の支持者やジャーナリストらが多数警察に逮捕される事件も起きています。
2020年7月1日、ロシアでは最長で2036年までプーチン大統領が現職にとどまることが可能となる憲法改正案の是非を問う国民投票の開票が行われ70%以上が賛成という結果が発表されました。これに対して、ナワリヌイ氏は反対運動を呼びかけてデモを展開しています。
2020年8月20日、ナワリヌイ氏はシベリアのトムスクから旅客機でモスクワへ移動している最中に体調不良に陥りました。
旅客機はオムスクに緊急着陸してナワリヌイ氏はオムスク市第1臨床救急病院に搬送され、一時は意識不明の重体に陥りました。ナワリヌイ氏の報道官であったキラ・アレクサンドロヴナ・ヤルミシュは、ナワリヌイ氏が何者かに毒殺されかけた疑いがあると主張しています。病院側は一時は何者かが毒殺を狙った可能性を認める発言をしていましたが、その後「(毒殺は)可能性の1つ」と発言を変えています。
2日後の8月22日、ナワリヌイ氏はドイツベルリンのシャリテー・ベルリン医科大学に飛行機で移送されています。8月24日、治療にあたったドイツの医師達は、ナワリヌイ氏がコリンエステラーゼ阻害剤による中毒を起こした証拠を発見したと発表。
9月2日、ドイツ政府は、コリンエステラーゼ阻害剤の一種であるノビチョク(ソ連およびロシア連邦が開発した神経剤)の使用を裏付ける証拠がナワリヌイ氏の血液検査で得られたと発表しました。
9月17日、ナワリヌイ氏の関係者が、ナワリヌイ氏が移動前に滞在していたトムスクのホテルの部屋で見つかった飲料水のペットボトルをドイツの研究所で解析した結果、ノビチョクが検出されたと発表し、改めてナワリヌイ氏がロシア当局に毒殺されかけたと主張しました。
9月22日、ナワリヌイ氏の容態は回復しシャリテー・ベルリン医科大学を退院しています。
2020年12月14日、調査報道機関「ベイリングキャット」、ロシアの独立系ウェブメディア「ザ・インサイダー」、アメリカのテレビ局CNNらが共同調査結果を発表し、ナワリヌイ氏の毒殺未遂事件にロシア連邦保安庁(FSB)が関わっているとして、容疑者8人の名前を公表しました。
12月17日、プーチン大統領は記者会見で、ナワリヌイ氏がアメリカの情報機関から支援を受けているとしてFSBによる(ナワリヌイ氏の)監視と追跡は正当との見解を示した上で、ナワリヌイ氏を毒殺しようとしたとする疑いについては否定し「毒を盛るなら殺害していただろう」と発言しました。
プーチン氏はこれについて、米国の情報機関からの情報で構成されたものとし、「(ロシアの)指導者を攻撃するためのトリックだ」と一蹴。ナワリヌイ氏が米機関から支援を受けていたと示唆し、ロシア当局が同氏を監視していたのは正しいことだったとも述べた。一方で、それは同氏に毒を盛る必要があったという意味にはならないとし、「毒を盛るなら、殺害していただろう」と語った。
ナワリヌイの経歴④ ロシア帰国後に当局に拘束され刑務所に収監
2020年12月28日、ロシア当局はナワリヌイ氏が(でっち上げの横領罪による)執行猶予の条件に違反しているとして、直ちにドイツから帰国し、モスクワの当局事務所へ出頭するように命令しており、帰国しなければ収監すると警告しています。
ナワリヌイ氏はこれを受けてインスタグラムに「帰国の是非を問題にしていない。なぜなら私は出国していない。殺されかけて救急搬送されドイツで意識を取り戻しただけだ」と投稿。その上で、ナワリヌイ氏は2021年1月17日にロシアに帰国する事を発表しました。
その宣言通り、ナワリヌイ氏は17日の夜にモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港に到着。しかし着陸直後に当局に拘束され連行されています。
拘束後の1月19日、ナワリヌイ氏の公式YouTubeチャンネルは「Дворец для Путина. История самой большой взятки(プーチンの宮殿 最大の賄賂の物語)」と題する動画を公開し、国民に抗議デモを行うよう呼びかけました。
これを受け、ロシア全土で抗議運動が起き、1月25日に2500人以上が、1月31日にさらに5000人以上がロシア当局に拘束されています。
そして、ナワリヌイ氏は同年2月にヴラジーミル州のポクロフスカヤ刑務所に収監されました。
ナワリヌイ氏は刑務所収監後も仲間らを通じてSNSを発信し続け、プーチン大統領の汚職を告発する動画の発表や、ロシアのウクライナ侵攻への反対の表明などを行なっています。
ナワリヌイの結婚と嫁のユリア・ナワルナヤ
ナワリヌイの嫁のユリア・ナワルナヤのプロフィール
生年月日:1976年7月24日
出身地 :ソビエト連邦モスクワ
ナワリヌイ氏は結婚しており、嫁(妻)はユリア・ナワルナヤさんという方です。ナワリヌイ氏は嫁のユリア・ナワルナヤさんと1998年5月に、偶然ともに休暇で訪れていたトルコで知り合い2000年8月に結婚しています。
ナワリヌイ氏の嫁のユリア・ナワルナヤさんは、モスクワの名門国立大学「プレハーノフ記念ロシア経済アカデミー(プレハーノフ・ロシア経済大学)」卒業の学歴を持ち、卒業後は海外でのインターンシップと大学院での勉強を経て帰国、モスクワの銀行に勤務した経歴を持ちます。
その後、ナワリヌイ氏と結婚した2000年にナワリヌイ氏と野党「ヤブロコ」の党員になっています。当時は、ナワリヌイ氏の秘書官のような仕事をしていたようです。
ナワリヌイ氏が刑務所で死去したと発表された3日後の2024年2月19日にナワリヌイ氏の嫁のユリア・ナワルナヤさんはナワリヌイ氏の公式YouTubeチャンネルに「Я продолжу дело Алексея Навального(私はアレクセイ・ナワリヌイの仕事を受け継ぐ)」というタイトルの動画を公開しました。
ナワリヌイ氏の嫁のユリア・ナワルナヤさんはこの動画で、ナワリヌイ氏が刑務所で3年間にわたって拷問を受けたがそれに決して屈さず、反体制派のシンボルであるナワリヌイ氏を恐れたプーチン大統領に殺害されたとし、プーチン大統領の卑劣なやり方を強く糾弾しました。
そして、自分達は必ずナワリヌイ氏が誰にどのようにして刑務所で殺害されたのかを突き止めて公表すると宣言し、「アレクセイ(ナワリヌイ氏)と私達自身のために、私達ができる最も重要な事は戦い続ける事」、「皆で一緒に結集してこの狂った体制を叩きのめしましょう」とロシア国民に向けて呼びかけました。
さらに、ナワリヌイ氏の嫁のユリア・ナワルナヤさんは、「アレクセイ(ナワリヌイ氏)を殺す事で、プーチンは私の体の半分と、私の心の半分と、私の魂の半分を殺しました。しかし、私にはまだその半分が残っている、その半分が決して諦めてはならない事を教えてくれている、私はアレクセイ・ナワリヌイの活動を続けます。」と、自分がナワリヌイ氏の活動を引き継いでいく事を宣言しました。
ナワリヌイの子供は2人で娘のダーシャ(ダリア)と息子のザハル
ナワリヌイ氏には、嫁のユリア・ナワルナヤさんとの間に2人の子供が生まれています。
ナワリヌイ氏の子供は2001年9月6日に生まれた娘のダーシャ(Dasha)さんと、2008年3月26日に生まれた息子のザハル(Zakhar)さんの2人です。
ナワリヌイ氏の子供のうち娘のダーシャさんは2019年からアメリカのスタンフォード大学で心理学を学んでいます。
2021年12月15日にEUの欧州議会が、ナワリヌイ氏に人権や民主主義を守る活動の功績を讃える「サハロフ賞」を贈った際には、刑務所に収監されているナワリヌイ氏の代理として娘のダーシャさんが授賞式に出席しています。
ナワリヌイ氏の子供のうち息子のザハルさんは2024年3月現在まだ16歳という事で詳しい情報は公開されていません。
ナワリヌイの自宅はモスクワ南東部の集合住宅で毒殺事件後差し押さえに
ナワリヌイ氏の自宅は、少なくとも毒殺未遂事件のあった2020年まではモスクワの南東部の集合住宅だったようです。
しかし、2020年8月27日にロシア当局によって、この自宅の権利が差し押さえられています。
ロシアの野党勢力指導者アレクセイ・ナワリヌイ(Alexei Navalny)氏の自宅が当局に差し押さえられ、銀行口座も凍結されたことが分かった。同氏の広報担当者キラ・ヤルミシュ(Kira Yarmysh)氏が24日、明らかにした。 ヤルミシュ氏によるとロシア当局は、ナワリヌイ氏が毒殺未遂とみられる被害に遭った数日後の8月27日、モスクワ南東部の集合住宅にある同氏自宅の差し押さえを発表。同時に銀行口座も凍結されたという。
当時の報道では、権利の差し押さえにあったものの、ナワリヌイ氏とその家族はそのまま自宅に居住する事が可能とされたとも報じられていました。
ただその後、ナワリヌイ氏はドイツからロシアに戻ると同時に当局に拘束されて刑務所へと送られ、2024年2月に刑務所内で死亡しています。
この事態の後、ナワリヌイ氏の嫁のユリア・ナワルナヤさんと子供2人はロシア国外に拠点を移しているようなので、このモスクワ南東部の自宅もすでに処分されている可能性の方が高いと思われます。
ナワリヌイが収監されていた刑務所は酷い環境で知られる「IK-3」
出典:https://media.loom-app.com/
ナワリヌイ氏は2020年の毒殺未遂事件でドイツの病院で治療を受けた後、2021年1月にロシアに帰国しましたが、空港に到着した途端に当局に拘束され刑務所へ送られました。
ナワリヌイ氏は当初、モスクワの東方にあるウラジーミル州の刑務所に収容されていましたが、2023年12月6日以降に、北極圏にあるヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所「IK-3」に移送されていました。
この刑務所はモスクワの北東約1900kmの極寒の地に位置していて、ロシア国内の刑務所でも最も過酷な環境だという事です。
47歳だったロシアの野党政治家アレクセイ・ナワリヌイ(Alexey Navalny)氏は、この国で極めて過酷な刑務所で最後の日々を過ごした。2023年12月、ナワリヌイ氏は北緯66度33分の北極線からさらに64km北にある刑務所「IK-3」に移送されたと彼の代理人が述べていた。同月にモスクワ・タイムズに掲載された記事で、人権擁護者のイーゴリ・カルヤピン(Igor Kalyapin)氏は、この施設について「非常にひどい状況で、ここが最も隔離された拘留場所であることは明らかだ」と述べた。
また、この刑務所では、囚人らが非人道的な扱いを受けているとも言われており、粗末な食事にさらに食料を奪われたり、日常的に暴力を受けたり、狭い独房に監禁されたりといった虐待行為が日常的に行われていたとされています。その他、囚人が正体不明の物質を日常的に注射されていた疑いも浮上しています。
ナワリヌイ氏の嫁のユリア・ナワルナヤさんが告発した内容によれば、刑務所(「IK-3」に移送される前の刑務所でも)でナワリヌイ氏は、コンクリート剥き出しの6〜7平方メートルほどの狭い懲罰房に閉じ込められ、所持を許されていたのはマグカップ1個と本1冊、歯ブラシ1本だけだったという事です。
この懲罰房にはトイレは設置されておらず、その代わりの穴が空いているだけで、ベッドは横になれないよう壁に固定されていたという事です。また、刑務所でナワリヌイ氏は十分な食事を与えられず、体重が大幅に減り会話しづらいほどに衰弱していたとの情報も明かされていました。
ナワリヌイの現在① 2024年2月16日に刑務所で死亡したと発表
2024年2月16日、ロシアの刑務所当局がナワリヌイ氏が収容されていた刑務所内で死亡したと発表しました。
刑務所側の発表によれば、ナワリヌイ氏は16日に散歩をした後に「気分が悪い」と訴え、それからすぐに意識を失い、医療チームが蘇生を試みたが回復しなかったという事です。
ヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所当局は、ナワリヌイ氏が16日に散歩した後、「気分が悪く」なったのだと説明した。刑務所当局は、ナワリヌイ氏はそれから「ほぼすぐさま意識を失った」とコメント。救急医療チームがすぐに呼ばれ、蘇生しようとしたものの、ナワリヌイ氏は回復しなかったという。「救急チームの医師が、受刑者の死亡を宣告した。死因は現在、確認中」だと、刑務所は発表した。
しかし、ナワリヌイ氏は死去の前日の15日には動画で裁判の審問を受けており、その際には元気な様子で笑顔も見せていました。
ナワリヌイの現在② 死因は血栓症と見られているが暗殺の可能性が浮上
ナワリヌイ氏の死因については、ロシア国営放送は「血栓によるもの」と報じました。また、ロシア当局がナワリヌイ氏の母親に見せた死亡診断書には死因は「自然死」と記載されていた事などもわかっています。
この死因については、ロシア側の虚偽の可能性が指摘され暗殺の可能性があるとの見方も出ていました。
しかし、2024年2月25日、現在ロシアと敵対するウクライナ国防省の情報部門のトップであるキリロ・ブダノフ情報総局長が、ナワリヌイ氏の死因について「がっかりさせるかもしれないが、我々が知っているのは彼が血栓で亡くなったという事だ。自然死だ」と発言し、ロシア側の発表が虚偽ではないとしています。
ただ、それでもナワリヌイ氏が暗殺された事を疑う声も強く、旧ソ連時代の情報機関「KGB」が用いたとされる「ワンパンチ」と呼ばれる暗殺法が使われた可能性が一部から指摘されています。
「ワンパンチ」とは、寒さで血栓ができたところに打撃を加え、自然死に見せかけて殺害する方法だという事です。
ウクライナ国防省の情報部門トップは、刑務所で死亡したロシアの反体制指導者、ナワリヌイ氏の死因が血栓症との見方を示した。ナワリヌイ氏が極寒の屋外独房で毎日2時間半過ごさねばならなかったとの情報から、寒さで血栓ができたところに打撃を加えて殺す「ワンパンチ」と呼ばれる暗殺術が死因だったのではという見方もある。
引用:KGBの暗殺術「ワンパンチ」が使われた?ナワリヌイ氏の死因めぐりロシア人権活動家が指摘 ロシア・ウクライナは「血栓症」と発表
ナワリヌイ氏が暗殺されたのかどうかは現在の時点では不明ですが、これまでの経緯や背景から暗殺を疑う声は根強いようです。
まとめ
今回は、ロシアの反体制派(反プーチン政権派)の政治運動家で、2024年2月に収容されていた刑務所内で死亡した事が発表され物議を醸しているナワリヌイ氏(アレクセイ・アナトリエヴィチ・ナワリヌイ)についてまとめてみました。
ナワリヌイ氏のプロフィールは、1976年6月4日生まれの、ソ連時代のモスクワ出身で、ロシア諸民族友好大学で法学の学位を取得し1998年に卒業した学歴を持ちます。
ナワリヌイ氏の経歴は大学卒業後の2000年にロシアの野党「ヤブロコ」の党員になって政治活動を始め、2010年頃から反体制派のブロガーとして注目を集めました。
ナワリヌイ氏は次第に、反プーチンのシンボルのような存在となり、2013年のモスクワ市長選で2位に食い込むなど指示を高めますが、プーチン政権に警戒される事になってロシアの情報機関にマークされ、2020年には毒殺未遂事件の被害者となりました。
ナワリヌイ氏はドイツの病院で治療を受けた後、ロシアに戻ったところを当局に拘束され刑務所に送られました。
ナワリヌイ氏には2000年に結婚した嫁のユリア・ナワルナヤさんと2人の子供がいましたが、毒殺未遂事件の後に自宅の権利を差し押さえられるなど、ナワリヌイ氏とその家族への弾圧が強まりました。
そして、ナワリヌイ氏は2024年2月に収容されていた刑務所内で死亡しています。ロシア側は血栓による自然死が死因としていますが、暗殺を疑う声も上がっています。