天然キャラで知られるタレントの浅田美代子さんは、がんで闘病しているという噂がありますが、本当なのでしょうか?
浅田美代子さんのプロフィールや実家が金持ちの噂、経歴や若い頃のかわいい画像、吉田卓論さんとの結婚や子供の有無、離婚原因、歴代の恋人や自宅、がんの噂と現在をまとめました。
この記事の目次
浅田美代子は元アイドル&タレント
浅田美代子
生年月日:1956年2月15日
出身:東京都港区
身長:157cm
血液型:B型
所属:テアトル・ド・ポッシュ
活動:女優・タレント
浅田美代子さんは女優やタレントとして活動している女性です。
愛らしいルックスでアイドル歌手としてデビューして人気になります。結婚後に一度芸能界を引退しましたが、後に芸能界に復帰し、女優として活動しているほか、バラエティ番組でも人気となりました。
特に親交が深い明石家さんまさんの『さんまのSUPERからくりTV』では、強烈な天然キャラが話題になり、長年レギュラー出演をしています。
浅田美代子の実家は金持ち
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浅田美代子さんは東京都港区出身です。そして、実家がお金持ちという噂があります。
浅田美代子さんの実家は自動車修理工場を営んでいました。「自動車修理工場」と聞くと、それほどお金持ちではないのかな?と思うかもしれませんが、工場の場所は港区麻布です。
祖父の代から「浅田モータース」という工場を経営していて、実家の近くには「有栖川宮記念公園」や東京女学館があったというのですから、庶民には住めないような一等地に実家があったというのは間違いありません。
中学からはお嬢様学校に進学していることからも、浅田美代子さんの実家はお金持ちだったことは間違いないでしょう。
ちなみに、浅田美代子さんは自動車のメカニズムに精通していますが、それは実家が自動車修理工場だったからなんですね。
浅田美代子の生い立ち
浅田美代子さんは1956年に港区麻布で生まれました。子供の頃は、有栖川宮記念公園でカブトムシやザリガニを取ったり、木登りをしたりするおてんばな女の子でした。
両親の勧めで自宅から徒歩圏内にある東京女学館を小学校受験しますが、この時は不合格になり、公立の南山小学校に入学しました。
そして、東京女学館には中学受験で再チャレンジし、この時は見事に合格します。東京女学館は都内でも屈指のお嬢様学校で、男女交際は絶対禁止で、下校途中にお店による場合には、親があらかじめ学校に許可を得ないといけないような学校です。
中学校の時は学校で問題になるほどのイジメを受けていたそうですが、浅田さん自身は「イジメ」とは思っていなかったそうです。
そして、そのままエスカレーターで東京女学館の高校に進学しました。高校も男女交際禁止で校則は厳しかったそうですが、高校に入ると、浅田美代子さんはこっそり付き合っていた彼氏がいたそうです。アイドルになれるほどかわいかったのですから、そりゃ校則が厳しい女子高に通っていてもモテたはずです。
また、実家は麻布でしたから、実家のご両親が寝た後はこっそり家を抜け出して、六本木で夜遊びをしたこともありました。「麻布の実家を抜け出して六本木で夜遊びをする」なんて、地方の高校生では考えられないようなおしゃれ感がありますね。
浅田美代子の経歴
アイドルとしてデビュー
浅田美代子さんは高校2年生の時に明治神宮外苑でスカウトされました。高校が芸能活動禁止だったこともあり、浅田美代子さんは最初は芸能界入りするつもりはありませんでした。ご両親も芸能界に入ることを反対していました。
しかし、事務所の人に何度もしつこく口説かれて、ドラマ「時間ですよ」のオーディションを受けることになります。「時間ですよ」のオーディションには約25,000人が参加しましたが、浅田美代子さんは見事に合格します。このオーディション合格を機に、浅田美代子さんは芸能界入りすることになり、高校は中退することになりました。
そして、1973年2月14日、「時間ですよ」の第3シリーズでお手伝い役でデビューしました。また、この「時間ですよ」の挿入歌となる「赤い風船」がデビュー曲になり、86万枚のセールスを記録し、年間チャート10位になる大ヒットになりました。ただ、浅田美代子さんは現在でもネタになるほど、歌が上手ではありませんでした。
当時、NHKに歌手として出演するためには、NHKのオーディションに合格する必要がありますが、浅田さんは5回目でようやく合格したそうです。ちなみに、通常なら1~2回で合格するということですから、やはり歌唱はあまり得意な方ではないようです。
歌は得意ではないにしても、浅田美代子さんはその愛らしいルックスで人気アイドルとなり、デビュー年の1983年の第15回日本レコード大賞では新人賞を受賞し、その後も「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ・昭和元年」などの人気ドラマに出演し、人気アイドルの地位を確固たるものにしました。
芸能界の親友である樹木希林さんとは、「時間ですよ」で共演して以降の付き合いになりますから、デビュー当時からの付き合いということですね。
人気アイドル・女優だった浅田美代子さんは1977年に吉田拓郎さんとの結婚を機に、21歳で芸能界を引退することになりました。
芸能界復帰後
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21歳で結婚して芸能界を引退し、専業主婦になった浅田美代子さんでしたが、引退から6年3ヶ月後の1983年10月に芸能活動を再開させました。芸能活動再開後は主に女優としてドラマや映画に出演していましたが、1992年に大きな転機が訪れます。
その転機とは、「さんまのからくりTV」です。この『さんまのからくりTV』に回答者としてレギュラー出演するようになると、天然ボケ・天然キャラをいかんなく発揮して、大人気となります。それ以降、明石家さんまさんや中村珠緒さんとの共演・バラエティ番組への出演が増えていきました。
浅田美代子さんの天然ボケエピソードはたくさんありますが、有名なものとしてはさんまさんと会話していた時に浅田さんが「金曜日って何曜日だったっけ?」と質問したそうです。さんまさんはその質問に驚いたものの、冗談で「火曜日ちゃいまっか?」と答えたら、浅田さんは「そうだった、そうだった」と納得してしまったとのこと。
ここまでの天然ボケは、計算ではなかなかできません。下手な芸人さんよりも面白いですよね。
1990年代はバラエティ番組への出演が増え、女優としての活動は少なめになっていましたが、2000年代に入ると、バラエティ番組に出演しつつも、女優としての活動が増えていきます。
映画の「釣りバカ日誌」には1994年~2009年までレギュラー出演していますし、「佐賀のがばいばあちゃん」などの話題作にも出演しました。
バラエティ番組では底抜けに明るいキャラクターですが、女優としては明るい役からシリアスな役まで幅広い役を演じています。
浅田美代子の若い頃がかわいい
浅田美代子さんは1973年に「時間ですよ」で女優デビューし、そのドラマの中の挿入歌の「赤い風船」でアイドル歌手としてデビューすると、一気に人気になりました。
デビュー当時のキャッチフレーズは「隣のミヨちゃん」「ソニーエンジェル」で、あまりの人気に分刻みのスケジュールとなり、パトカーで先導してもらって移動するほどの人気ぶりでした。
確かに、若い頃の浅田美代子さんは本当に愛らしくてかわいかったんです。
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確かにちょっと音程が不安定ですが、それがまた初々しくて可愛らしさが倍増していますよね。
これだけかわいいなら、神宮外苑でスカウトされるのも納得ですし、オーディションで25,000人から選ばれるのも納得ですよね。あまりのかわいらしさに「元祖ブリッ子タレント」と呼ばれたこともありました。
ただ、アイドルをしていた時から、やっぱり天然ボケのおバカキャラだったようで、マネージャーやスタッフからは、作ったイメージを守る為に「喋るな」と言われていたそうです。今だったら、天然ボケのアイドルは人気が出そうですが、当時のアイドルのイメージは「清楚一択」だったはずですので、天然ボケのキャラは不必要だったのでしょう。
浅田美代子は吉田拓郎と結婚
1977年7月に吉田拓郎さんと結婚しました。吉田拓郎さんはカリスマ的な人気を誇ったフォークソングのシンガーソングライターです。
吉田拓郎さんが31歳、浅田美代子さんは21歳での結婚でした。
ちなみに、吉田拓郎さんは2度目の結婚で、1度目は1972年に歌手の四角佳子さんと結婚し、1975年9月に離婚を発表しています。そして、離婚から約2年後に浅田美代子さんと再婚したんです。
浅田美代子さんと吉田拓郎さんの出会いは、ラジオ番組での共演でした。その後、TBSのドラマ「なつかしき海の歌」で共演して親しくなったようです。このドラマは単発ドラマで、1975年9月に放送されています。
この共演で2人は交際の噂が出るようになりました。吉田拓郎さんが離婚したのも1975年9月ですから、おそらくギリギリ不倫ではなかったと思われます。
ただ、当時から浅田美代子・吉田拓郎・四角佳子の三角関係はささやかれていました。
ただの共演者だった2人が交際するようになったきっかけは、吉田拓郎さんからの誘いでした。吉田拓郎さんから「みんなで飲んでいるから来ない?」と呼び出され、浅田美代子さんがそこに行ってみると、そこには吉田拓郎さんしかいなかったそうです。
当時、すでにトップスターで高額納税者だった吉田拓郎さんにとっては、19歳の初々しいアイドルだった浅田美代子さんにアプローチするのはたやすいことだったでしょうし、浅田美代子さんにとっては「才能あふれる大人」に見えて、惹かれていったのでしょう。
そして、約2年の交際を経て、1977年7月に21歳で結婚して芸能界を引退します。吉田拓郎さんとの結婚をご両親は反対しますが、樹木希林さんと内田裕也さんが説得してくれたとのことです。
付き合っている頃から心配してくれていて、ご夫婦で吉田さんがよく飲んでいた原宿のお店まで行って、裕也さんが「どういうつもりで付き合っているんだ?」と問い詰めたそうです。
すると「本気です」ということで、「あとは任せておけ」と、お二人で家にいらっしゃって、希林さんが大反対の母親を説得してくれました。
引用:「何でも楽しんでやってごらん」希林さんの声、今も::Back Number::Ms Wendy::分譲マンションと生活に関する情報 Wendy-Net
浅田美代子さん自身は芸能界を引退するかどうか迷っていましたが、樹木希林さんのアドバイスで芸能界を引退して、専業主婦になることを決めたそうです。
浅田美代子に子供はいない
浅田美代子さんは1977年に21歳で結婚して、1984年に離婚していますが、子供はいません。なぜ子供がいないのかは不明です。浅田美代子さんが子供を望まなかったのかもしれませんが、吉田拓郎さんが望まなかった可能性もあります。
なぜなら、吉田拓郎さんは最初に結婚した四角佳子さんの間に娘が1人いますが、その後は浅田さんとの間にも子どもを作りませんでしたし、森下愛子さんとの間にも子供はいないからです。
浅田美代子さんは子供がいないからこそ、動物愛護活動に力を入れて、ペットと一緒に住んでいるのかもしれませんね。
浅田美代子の離婚原因は吉田拓郎の不倫?
浅田美代子さんは吉田拓郎さんは、1984年8月に離婚が成立しました。
浅田美代子さんは結婚して以降、芸能界を引退して専業主婦をしていたのですが、1983年10月(離婚の約1年前)に芸能活動を再開させ、女優として映画やドラマに出演するようになりましたので、浅田美代子さんと吉田拓郎さんは離婚間近ではないかと噂されてはいたんです。
浅田美代子さんは離婚の噂を否定していましたが、結局は復帰から10か月後に離婚することになりました。
浅田美代子さんの離婚の原因は、吉田拓郎さんの不倫と言われています。1983年6月に吉田拓郎さんは森下愛子さんとのデートを報じられたのです。
浅田と婚姻中の1983年6月、吉田は女優・森下愛子との深夜デートを一部週刊誌にスッパ抜かれた。報道を受けた吉田は、「愛子ちゃんは好きだよ。でも、スキがないんだよな。先のことは分からないねぇ」と、否定どころか“交際”をほのめかしたのだ。
引用:浅田美代子、吉田拓郎と森下愛子の不倫騒動に余裕の発言? 離婚原因ではないと主張 【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】 (2022年7月2日) – エキサイトニュース(2/3)
吉田拓郎さんの不倫が報じられたのは1983年6月。そして、浅田美代子さんが芸能活動を再開させたのは、1983年10月。2人の協議離婚が成立したのは1984年8月。
このタイミングを見ると、吉田拓郎さんの不倫が報じられたことで、離婚準備のために浅田美代子さんは仕事を再開し、協議離婚に至ったと見て間違いないでしょう。吉田拓郎さんは離婚発表の時に、自分の非を認めています(ただし、森下愛子さんは関係ないとしている)。
ちなみに、吉田拓郎さんは浅田美代子さんと離婚した2年後の1986年12月に森下愛子さんと再々婚をしています。
離婚した後も、浅田美代子さんと吉田拓郎さんは友人関係を保っているという情報もありますが、「ダウンタウンなう」に出演した時は離婚して以降、吉田拓郎さんに会うことはないし、電話番号も知らないと話していました。
浅田美代子の歴代恋人
浅田美代子さんは、1984年に吉田拓郎さんと離婚して以降は結婚していません。しかし、噂になった男性はいました。
■沢田研二
沢田研二さんとは、浅田美代子さんが新人の頃に樹木希林さんに紹介されてデートしたことがあるそうです。浅田さんは映画と食事に連れて行ってもらったと話していました。
■菅野秀二
浅田美代子さんが離婚して3年後の1987年に、カメラマンの菅野秀二との交際が噂されました。
■松本隆
浅田美代子さんの9枚目のシングル「少女恋唄」の作詞をした松本隆さんとも交際が噂されたことがあります。
しかし、浅田美代子さんの歴代彼氏を語る上で、絶対に欠かせない人物は明石家さんまさんではないでしょうか。浅田美代子さんがバラエティ番組で活躍するきっかけを作り、天然ボケのキャラを引き出した明石家さんまさん。明石家さんまさんと浅田美代子さんのやり取りが大好きという視聴者も多かったと思います。
浅田美代子さんと明石家さんまさんは「からくりTV」などのテレビ番組内だけでなく、プライベートでも仲が良かったので、いつも交際が噂されていました。ただ、あくまで噂であり、実際は恋人関係にはならなかったそうです。
バラエティー番組で22年共演したさんまとは何度も熱愛を報じられたが、「仕事が多く、同志とか同級生みたいで、そういう感じ(恋愛)にはならなかった」という。
さんまさんと噂になっていたからモテなかったと嘆いていました。確かに、明石家さんまさんと付き合っているなら、なかなか浅田美代子さんにはアプローチできませんよね。
ただ、離婚後は3人の男性にプロポーズされたそうです。しかし、再婚には至りませんでした。
「結婚というのが無理だったかな」と語っていますので、離婚後は結婚願望はほとんどなかったようです。ただ、孤独死するのは嫌だから、仕事を辞めないと話していました。
浅田美代子の自宅は都内豪華マンション
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浅田美代子さんは都心の超高級のビンテージマンションに住んでいます。
この自宅マンションは親友だった樹木希林さんに勧められて購入しました。樹木希林さんは「今はいいかもしれないけど、60歳過ぎてからは、容易に家も借りられないよ」と浅田さんにアドバイスをして、浅田さんは購入を決めたそうです。
TBSのぴったんこカンカンで自宅マンションを公開していました。
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自宅マンションを特定されないのかと不安になるほど、窓からの風景もはっきりとテレビに映っていました。
樹木希林さんの後押しもあって、浅田美代子さんは超高級マンションのローンを10年以内に完済します。
さらに、このマンションの駐車場には、生前の樹木希林さんからもらい受けたクラシックカー「バンデン・プラ・プリンセス」を停めています。ただ、この駐車場の利用を巡って、隣人の中国出身の男性とトラブルになり、裁判沙汰になっていると週刊新潮が報じています。
浅田美代子さんは都内の高級マンションだけでなく、千葉に別荘を所有しています。千葉県の太平洋沿いにある白亜の豪邸で、浅田さんはその別荘を2億円で購入したとのこと。
購入した理由は、愛犬のためだそうです。愛犬のために2億円・・・。やっぱり芸能人は、スケールが違いますね。
浅田美代子が「がん」というのはデマ
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浅田美代子さんの名前をインターネットで検索すると、関連ワードに「がん」という言葉が出てきます。浅田美代子さんは「がん」になってしまったのでしょうか?
どうやらこれはデマのようです。浅田美代子さんはがんを発症していません。
では、なぜ浅田美代子さんががんではないか?という噂が出たのでしょうか?これは、親友の樹木希林さんの影響があると思われます。
親友の樹木希林さんは2013年に全身がんを公表し、闘病生活を送っていましたが、2018年ごろから体調を崩すようになりました。浅田美代子さんは毎日のようにお見舞いに行っていました。
2018年の春から樹木さんの体調は一気に崩れていった。長年一緒にいたからこそ、彼女の異変を感じ取った浅田は、樹木さんの入院生活が始まると、極力一緒にいられるように病室に日参した。
樹木希林さんが亡くなった後も、樹木さんの闘病生活について語ることがありました。
当時について「(病室を)出ようとしたら、その時はもう筆談だったんですけど『いいのいいの、美代ちゃんにはいさせるの』みたいなことを書いて、『この子も役者の端くれなんだから全部見せるの』と書いたんですね」と回想。
引用:浅田美代子 闘病中の希林さんが筆談で伝えた思い「生き様を全部見せたいって思ってくれた」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
だから、樹木希林さんのがんを浅田美代子さんのがんと勘違いする人がいて、浅田美代子さんはがんという噂が出るようになったのだと思います。
浅田美代子の現在
浅田美代子さんは現在も、女優活動を続けています。2019年公開の映画『エリカ38』では45年ぶりに主演を務めていて、ロンドン・イーストアジア映画祭では審査員特別賞を受賞しました。
2022年にはドラマ「ザ・トラベルナース」や「赤いナースコール」に出演し、2023年には映画2本に出演し、精力的に女優活動を続けています。
プライベートでは動物愛護活動に力を入れていて、保護犬たちと一緒に暮らしています。仕事をしながら、大好きな動物と悠々自適な生活をしているなんて、とてもうらやましい生活ですね。
浅田美代子のまとめ
浅田美代子さんのプロフィールや実家が金持ちの噂、生い立ちや経歴、若い頃のかわいい画像、吉田拓郎さんとの結婚や子供の有無、離婚原因、歴代の恋人情報と自宅、がんの噂と現在をまとめました。
浅田美代子さんは60代になってもかわいらしい雰囲気が残っていますよね。好きな仕事をしながら、好きな動物たちと暮らしていて、女性としてとても素敵だなと思います。