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宮本信子の若い頃と現在!旦那/伊丹十三との結婚や自殺騒動・子供(息子2人)・孫の有無・自宅や遺品整理も総まとめ

「マルサの女」「タンポポ」などで知られる女優の宮本信子さんですが、映画監督の伊丹十三さんとの結婚が転機になりました。

 

今回は宮本信子さんの若い頃の経歴、子供(息子)・孫など家族、自宅の場所、母の遺品整理や現在を紹介します。

宮本信子のプロフィール

 

宮本信子(みやもと のぶこ)
生年月日:1945年3月27日
出生地:北海道小樽市
出身地:愛知県名古屋市

 

宮本信子さんは、映画「ミンボーの女」や「スーパーの女」などの人気作品で主演を務め、高い演技力でトップ女優の地位を確立した演技派の女優です。

 

 

夫は名映画監督・ 伊丹十三さんであり、夫婦二人三脚で映画制作に挑んでいた時期もありました。

 

伊丹十三さんの死後はドラマを中心に活躍しており、近年はNHKの朝ドラ「あまちゃん」や「ひよっこ」シリーズなどに出演し、名バイプレイヤーぶりを発揮しています。

 

この記事では、そんな宮本信子さんのこれまでの経歴や家族情報の他、現在の様子について紹介します。

 

 

 

 

宮本信子の若い頃の経歴① 親戚が経営する映画館に毎日通う

少女時代の宮本信子さんは、他人と同じ行動を強要されることが嫌いな子供で、「お昼寝の時間」がどうしても我慢できずに、せっかく入った幼稚園を中退してしまったほどだったそう。

 

そんな宮本信子さんが熱中したものが映画で、父親の兄が経営する映画館に通うのが日課でした。

 

ちなみに、伯父さんにとってはかわいい姪だった手前、映写室から映画を眺める分には無料という特別待遇だったとか。

 

「父の兄が映画館をふたつ持っていまして、小さい頃からそこに通っていました。フリーパスなんです。『こんにちは』って、さーっと入り口を抜けて、『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいに2階に駆け上がると映写室があって、映写機の横から映画を観ていました。『シェーン』とかジョン・フォードの映画とか、ドキドキしながら観ましたね。東映の時代劇も好きでした」

引用:こ若い頃からいぶし銀のような女優だねって/宮本信子さんインタビュー①

 

 

美空ひばりの大ファンだった

 

宮本信子さんは、幼少期から日本舞踊を習っており、5歳の頃には発表会の舞台に立つほどの腕前でした。

 

また、ラジオから流れる浪曲や流行歌が好きだったことから、将来は歌手か芸者になることを夢見ていたそうです。

 

 

 

そんな宮本信子さんの憧れの歌手が、当時天才少女歌手として話題を集めていた美空ひばりさんでした。

 

日本舞踊を習っていたので、子供の頃は舞台に出ることに憧れていました。歌うことは小さい頃から好きでしたし、美空ひばりさんの歌で育った世代です。なのでマイク代わりにホウキを持ったり、ハタキをステッキ代わりにしたりしてよく遊んでいました。

 

引用:宮本信子インタビュー~こんなにも歌うのが楽しいなんて思わなかった

 

 

 

宮本信子の若い頃の経歴② お嬢様高校出身だった

 

父親の職業は不明ですが、伯父が実業家で、1945年生まれなのにも関わらず幼少期から日本舞踊を習っていたとの情報を踏まえると、宮本信子さんの実家が裕福だったことがうかがえます。

 

 

 

中学を卒業後の宮本信子さんは、愛知県名古屋市内にある私立・愛知淑徳高校に進学します。

 

 

愛知淑徳高校は、東海地方を代表するお嬢様校として有名であり、「パープルタウン」や「みずいろの雨」といったヒット曲でお馴染みな歌手の八神純子さんもOGの1人となります。

 

高校時代の宮本信子さんは、当時の花形の職業だったCAを目指していたこともあったそうです。

 

 

宮本信子の若い頃の経歴③ 高校を卒業後は東京へ上京・女優を目指す

 

高校を卒業後の宮本信子さんは、大学には進学せずに、女優を目指して上京しています。

 

ちなみに、宮本信子さんの父親のいとこが、映画「七人の侍」や「隠し砦の三悪人」などに出演していた俳優の千秋実さんだったため、親戚を頼っての上京となりました。

 

上京後の宮本信子さんは、文学座附属の演劇研究所に入所したそうです。

 

 

 

文学座は日本を代表する名門劇団であり、角野卓造さんや江守徹さんといった名優を輩出し、さらに宮本信子さんの同期には黒柳徹子さんもいたとのこと。

 

とはいえ、宮本信子さんが文学座附属演劇研究所に在籍していたのは1年足らずだったらしく、女優デビューを果たした時は、劇団青俳に所属していました。

 

 

 

宮本信子の若い頃の経歴④ 美人だったが主役女優にはなれなかった

 

若い頃の宮本信子さんは、女優を目指すだけあり、かなりの美形でした。

 

ただし、当時は「万人が振り返るほどの美貌を持った女優」がヒロイン役なのが当たり前で、宮本信子さんクラスの美女だと周囲からちやほやされることは全くなかったそう。

 

そのため、主演女優になることはできず、若手女優時代の宮本信子さんはドラマを中心に活動しており、「われら弁護士」や「あしたの家族」といった作品に出演していました。

 

 

宮本信子の若い頃の経歴⑤ 子育てのために湯河原町に引っ越す

 

結婚後の宮本信子さんは、自然の中で子供を育てたいとの意向から、家族そろって神奈川県足柄下郡湯河原町に引っ越しています。

 

ただし、女優を引退したわけではなく、ドラマや映画にはちょくちょく出演していました。

 

また、小唄を習い始めて師範の免状を取得するなど、子育て期間も芸を磨いていたようです。

 

 

宮本信子の若い頃の経歴⑥ 夫婦二人三脚で名女優に上り詰める

宮本信子さんに転機が訪れたのは、39歳の時でした。映画監督に転身した夫・伊丹十三さんの監督デビュー作「お葬式」の主演に抜擢されたのです。

 

 

 

伊丹十三さんが宮本信子さんを主演に抜擢したのは、「妻は良い女優なのに、なかなか主役の話が来ない。ならば彼女を主役にした映画を自分で撮ってしまえば良い」との考えがあったとか。

 

ちなみに、「お葬式」の資金調達は難航し、自宅を抵当に入れて製作費の1億円を捻出したそうです。

 

そんな苦労も実り、「お葬式」は配給収入12億円(興行収入24~30億円相当)のヒット作となりました。

 

その後も宮本信子さんを主演に映画を撮り続けた伊丹十三さんは、1980~1990年代を代表する邦画監督に、宮本信子さんも名女優の地位を確立しています。

 

 

伊丹映画の中でも、特に国内外の評価の高い作品の1つに、1985年に公開された「タンポポ」が挙げられます。

 

 

 

 

宮本信子の家族:結婚した旦那・映画監督の伊丹十三とは不倫愛だった

 

 

宮本信子さんは1969年、11歳年上の伊丹十三さんと結婚しています。

 

後に数々の代表作を世に送り出す大物映画監督となる伊丹十三さんですが、結婚当時はマルチタレントでした。

 

宮本信子さんと伊丹十三さんの馴れ初めは、1965年放送のドラマ「あしたの家族」での共演で、意気投合して交際に発展したようです。

 

 

ただ、伊丹十三さんは、実業家の川喜多和子さんとすでに結婚していたため、宮本信子さんとは不倫愛でした。

 

ただし、元嫁の川喜多和子さんにも不倫相手がおり、夫婦関係は破綻していたため、宮本信子さんのせいで家庭が壊れたわけではないようです。

 

 

伊丹十三は疑惑の自殺をしている

夫婦二人三脚で邦画界の顔的存在に成り上がって行った宮本信子さん・伊丹十三さん夫妻でしたが、1997年、伊丹十三さんがマンション屋上から投身自殺して亡くなっています。

 

 

遺書の内容から、直前に暴露されていた不倫騒動などを苦にしての自殺とされました。

 

ただ、事務所にワープロ印字の遺書らしきものが残されていて、そこに「身をもって潔白を証明します。なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです。」との文言があったことから、写真週刊誌『フラッシュ』によりSMクラブ通いや不倫疑惑が取り沙汰されたことに対する抗議の投身自殺か、とも推測されるようになった。

 

引用伊丹十三

 

ただ、死の直前の突撃取材では、伊丹十三さんは「妻に聞いてみればいいよ」「(不倫疑惑は)いつものことだから」と軽口を叩いていたそうで、特に報道で悩んでいた様子はなかったそう。

 

 

また死体検案書によると、伊丹十三さんは自殺直前にウイスキーを1瓶飲み干していたことも発覚しています。

 

短時間に多量のアルコールを摂取すれば、酩酊状態で足元がふらつき、屋上のフェンスを自力で乗り越えて投身自殺することは困難だとも言われています。

 

 

その他、伊丹十三さんは1992年に公開された映画「ミンボーの女」が原因となり、ヤクザに襲撃された過去などもあったため、ヤクザによる殺害説も浮上しています。

 

特に1992年の『ミンボーの女』では、ゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描き、観客は大喜びした。これまで日本では、映画でヤクザ(暴力団員)をヒーローとして扱い礼賛していた(「ヤクザ映画」という一ジャンルが存在する)。公開1週間後の5月22日夜に、自宅の近くで刃物を持った5人組に襲撃され、顔や両腕などに全治3ヶ月の重傷を負うが、伊丹は「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した。

 

引用:伊丹十三

 

 

 

さらに、伊丹十三さんは医療廃棄物問題をテーマにした映画の制作を計画していたことがわかっており、圧力で消されたのでは?との説も存在しています。

 

また死の5日前まで医療廃棄物問題の取材も続けていた。「飛び降り自殺」はまさにその直後のことであり(インタビュー、『FLASH』発売直後)、自殺直前の様子との不自然さから、その「自殺」には強い疑惑が持たれ続けている。

 

引用:伊丹十三

 

このように、自殺説では説明できない事実がいろいろあるため、現在では自殺説を否定する世論が多数を占めているようです。

 

 

宮本信子の家族:子供(息子)が2人誕生

長男は池内万作

池内万作(いけうち まんさく)
生年月日:1972年3月27日

 

宮本信子さん・伊丹十三さん夫妻には、1972年に長男・池内万作さんが生まれています。

 

ちなみに、長男が池内姓なのは伊丹十三さんの本名が「池内義弘」だからです。

 

池内万作さんは、高校時代にアメリカ留学を経験、卒業後は英国に渡り、リー・ストラスバーグ演劇学校ロンドン校で演劇と脚本を学んでいます。

 

帰国後、日本で俳優デビューした池内万作さんは、バイプレイヤーとして多数のドラマや映画に出演中です。

 

代表作には、ドラマ「こちら本池上署」シリーズの相馬俊彦役などが挙げられます。

 

 

池内万作は2016年に結婚

 

宮本信子さんの長男・池内万作さんは、2016年にミュージシャン兼プロデューサーの本田みちよさんと結婚しています。

 

本田みちよさんは、元々はミュージシャンだったものの、2012年にWEB音楽番組「ミュージックシェア」を立ち上げ、制作会社「MUSIC SHARE実行委員会」の代表に就任。

 

そんな本田みちよさんと池内万作さんの馴れ初めは、20代の頃に仕事仲間が集まるお花見の席で知り合い、以降は友人として交流が続いていたとか。

 

その後、長い年月をかけて恋愛関係に発展した2人は、池内万作さんが44歳、本田さんが43歳の頃に結婚しています。

 

次男は池内万平

 

宮本信子さん・伊丹十三さん夫妻には、次男・池内万平さんも誕生しています。

 

池内万平さんは、少年時代は子役として活動していた時期もあったそうですが、芸能界の水が合わなかったらしく、成人後はコンピューター関連の仕事をしていました。

 

その後は、家業である伊丹プロダクションの社長に就任し、愛媛県松山市内にある伊丹十三記念館の運営などを手伝っているといいます。

 

 

 

宮本信子の家族:孫はいる?

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2人の子宝に恵まれた宮本信子さんですが、長男・池内万作さん夫妻には子供はいません。

 

次男の池内万平さんも結婚していて子供がいてもおかしくはない年齢だと思われますが、宮本信子さん本人が孫の話題を語ることは今までなく、孫がいるかは不明です。

 

 

宮本信子の自宅情報

 

宮本信子さん・伊丹十三さん夫妻は、長男の池内万作さんの高校進学を機に、前述した湯河原町から東京へ再度引っ越しています。

 

 

 

 

 

そんな宮本信子さんの自宅は世田谷区にあり、豪邸すぎるというわけではないものの、かなりモダンな造りの戸建てになっています。

 

ただ、場所が場所だけに、土地代だけでも1億円は超えているものと思われます。

 

 

宮本信子は大のジャズ好きで、ジャズ歌手としてもデビューしている

 

宮本信子さんは、ジャズ好きという意外な一面もあります。

 

宮本信子さんがジャズに目覚めたのは女優デビューして以降で、仕事仲間と一緒にジャズバーに遊びに行っているうちにジャズ好きになったとか。

 

ちなみに、宮本信子さんが愛聴していたジャズ・ミュージシャンは、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、エラ・フィッツジェラルドなどでした。

 

ディナーショーを開催したこともあった

 

伊丹十三さんの死後、宮本信子さんは映画館に行くことすら辛い状況に陥りました。

 

そのため、気分転換に映画以外の仕事を積極的にチャレンジしたそうで、その仕事の1つが歌手業でした。

 

1999年には「歌壇の部屋」という歌番組で、生歌を披露したこともあります。

 

 

 

ちなみに、この時の歌唱が業界関係者に好評で、2001年に「パレスホテル東京」でディナーショーを開催しています。

 

宮本:周りの皆さんからは「宮本さん、ほとんどがトークですよね?」って言われて、「まあ、そうかもしれませんね(笑)」なんて言いながら何をするか考えました。ひばりさんのジャズのCDが好きで前から聴いていたので、その中から耳に残っている曲を集めてレッスンを受けて。間が持たないので、小唄も入れて。まるで、“ごった煮”のようなディナーショーになりました(笑)。そうしたら、それもまたすっごく楽しくって。周りの皆さんは「宮本さん、大丈夫かしら」って脇から汗を出していたそうですけど(笑)、当の本人はお客様の前で歌うことが、ひたすら楽しくて。

 

引用:宮本信子インタビュー~こんなにも歌うのが楽しいなんて思わなかった

 

宮本信子の現在① 2021年に亡くなった母親の遺品整理

 

宮本信子さんの現在について見ていきましょう。

 

2021年、自宅で長年同居していた母親が亡くなったそうです。

 

母親は、宮本信子さんの子育てや仕事に全面的に協力してくれた存在だったため、亡くなった時の喪失感も人一倍でした。

 

その後、母親の遺品整理を行っていたところ、自分が小学生の時に使っていたパッチワークの布袋が見つかり、胸が熱くなったといいます。

 

ちなみに、2022年現在77歳になる宮本信子さんは、自身の終活にも乗り出しているとのことで、暇をみつけては断捨離しているんだとか。

 

 

宮本信子の現在② 2022年も元気に女優として活躍中

 

宮本信子さんは70代後半になった現在も、現役女優として多くの作品に出演し続けています。

 

2022年は、映画「ハウ」や「メタモルフォーゼの縁側」、「春の翼」といった作品に出演。

 

 

また、2024年に公開予定のネットフリックスシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」への出演も決定しています。

 

 

宮本信子のまとめ

 

宮本信子さんは女優であり、歌手としても活動しています。

 

私生活では、夫である映画監督・伊丹十三さんの自殺騒動も経験するなど、必ずしも順風満帆ではありませんでしたが、現在も多くの映画やドラマで存在感を放っています。

 

宮本信子さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させていただきます。

 

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