常軌を逸した政見放送で伝説を残した政治活動家・後藤輝樹氏が亡くなりました。
この記事では後藤輝樹氏の大学などの経歴やジョーカー議員との関係、伝説的な政見放送の内容とその動画、結婚や嫁や子供などのプライベートや意味深な遺言書など死因の真相についてまとめました。
この記事の目次
後藤輝樹が死去…東京都知事選の「政見放送」で話題になった政治活動家
後藤輝樹のプロフィール
生年月日:1982年12月8日
没年月日:2026年6月28日(43歳没)
出生地 :東京都国立市
出身地 :神奈川県横浜市
独自のスタイルで日本のインターネット選挙・インディーズ候補の最前線を駆け抜け、数々の伝説を残した政治活動家・後藤輝樹(ごとう・てるき)氏。
東京都知事選挙などで見せた常軌を逸した「政見放送」で全国的な知名度を誇った彼ですが、2026年6月28日、43歳という若さで突然この世を去りました。
訃報は妻(嫁)によってSNSで報告されましたが、具体的な死因が公表されなかったこと、そして生前の不穏な投稿や「遺言」の存在により、ネット上では様々な憶測が飛び交い、「真相」を求める声が後を絶ちません。
この記事では、後藤輝樹氏の謎に包まれた大学などの学歴や経歴、一度でも議員になれたのかという疑問、よく検索される「ジョーカー議員」との関係、日本中を震撼させた政見放送の全貌から、結婚・嫁・子供に関する私生活、そして彼の死因と遺言に隠された悲しき真相までを詳しくまとめていきます。
後藤輝樹の大学などの学歴
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後藤輝樹氏は1982年(昭和57年)12月8日、東京都国立市で生まれ、神奈川県横浜市で育ちました。
ネット上で後藤輝樹氏について検索すると、頻繁に「大学」というサジェストキーワードが出現します。
これは、彼の破天荒なパフォーマンスの裏にある「選挙公報に書かれた政策が非常に理路整然としており、経済や法律の専門用語を多用している」というギャップから、「実は高学歴で、東大や京大などの有名大学を出ている天才なのではないか?」と推測する人が多かったためです。
しかし、結論から言うと後藤輝樹氏は大学には進学していません。彼の最終学歴は神奈川県立清水ヶ丘高等学校卒業(現在は統合により神奈川県立横浜清陵総合高等学校)です。大学には通わず、独自に政治や経済、歴史を独学で猛勉強し、あの緻密な政策体系を作り上げました。
後藤輝樹の経歴…お笑い芸人を目指した過去や陸上自衛隊への入隊
後藤輝樹氏は神奈川県立清水ヶ丘高等学校を卒業しています。
高校卒業後はよしもとNSC東京校に入学するなど、本格的にお笑い芸人を目指していましたが相方や芸人社会の気風に馴染めずに挫折。その後、「愛国心」や「日本を良くしたい」という思いから21歳で陸上自衛隊に入隊しました。しかし約1年で除隊しています。
自衛隊を退官した後は、政治家(最終的には総理大臣や大統領)になるという目標を掲げながら、引越し、測量、警備員、清掃、便利屋など、数多くのアルバイトや非正規雇用を経験して選挙資金を貯める生活を送りました。
後藤輝樹はなぜ政治家を目指したのか
後藤輝樹氏が政治を志した根本には、純粋で強烈な「愛国心」と「日本社会への危機感」があったようです。
少子高齢化、経済の停滞、若者の政治無関心、旧態依然とした既得権益。これらを打破するためには「自分が総理大臣になって日本を変えるしかない」と本気で信じ、供託金没収を恐れずに何度でも立ち上がる「不屈の活動家」となったのです。
後藤輝樹の政治活動家としての軌跡…彼は1度でも「議員」になれたのか

19回に及ぶ選挙戦の歴史と結果
「後藤輝樹は結局、議員になれたのか?」という疑問を持つ人も多いようですが、後藤輝樹氏は生涯を通じて一度も選挙に当選したことはなく、議員にはなれませんでした。
彼の初陣は2011年の神奈川県議会議員選挙(横浜市南区選挙区)でした。当時は奇抜な衣装ではなく、普段着で自転車に乗って選挙活動を行っていました。
その後、千代田区長選挙、東京都議会議員選挙、区議会議員選挙、そして全国の注目を集める東京都知事選挙(2016年、2020年、2024年)や、2021年の千葉県知事選挙など、国政・地方選挙を問わず合計19回もの選挙に立候補しました。
独自の政党名と変遷
出馬のたびにユニークな政治団体(政党)を立ち上げるのも後藤輝樹氏の特徴でした。「国民ファーストの会」から始まり、「トランスヒューマニスト党」、「ベーシックインカム党」、「SDGs党」、「後藤輝樹と世界を変える党」、「メタバース党」、「ラブ&ピース党」など、その時々の最先端の時事キーワードを党名に冠し、有権者の興味を惹きつけました。
当選確率がほぼゼロの「泡沫候補(インディーズ候補)」として扱われながらも、後藤輝樹氏は「自分が立候補することで、一人でも多くの若者が政治に興味を持ってくれればそれでいい」と語り、常に身銭を切って日本の選挙制度に風穴を開けようとし続けました。
後藤輝樹と「ジョーカー議員」との関係

出典:https://layover-shinjyuku.com/
ネット検索される「ジョーカー」の正体は河合悠祐
後藤輝樹氏を検索すると「ジョーカー」という単語が関連ワードとして浮上しますが、後藤輝樹氏自身がジョーカーのコスプレをしたわけではありません。
「ジョーカー議員」として有名なのは、後藤輝樹氏と共に数々の選挙を戦った盟友でありライバルでもある河合悠祐(かわい・ゆうすけ)氏のことです。
河合悠祐氏は京都大学出身の起業家であり、映画『バットマン』の悪役・ジョーカーを彷彿とさせる白塗りピエロのメイクで選挙活動を行ったことで「ジョーカー候補」と呼ばれました。
2021年千葉県知事選でのジョーカーとの邂逅と共闘

二人の名が並んで語られる最大の理由は、2021年の千葉県知事選挙と2024年の東京都知事選挙に揃って出馬し、インターネット上で一大旋風を巻き起こしたからです。
特に千葉県知事選では、後藤氏、河合悠祐氏のほか、「コロナはただの風邪」と主張した平塚正幸氏など、強烈な個性を持つインディーズ候補が乱立し、「カオスすぎる選挙」として伝説化しました。
後藤輝樹氏と河合悠祐氏(ジョーカー)は、互いに「政治をエンターテインメント化して若者の関心を引く」という共通の目的を持っていたため、時には都庁で合同記者会見を開くなど、一種の戦友のような関係を築いていたのです。
議員になれたジョーカーとなれなかった後藤輝樹
しかし、二人の明暗は後に分かれます。ジョーカーこと河合悠祐氏は、その知名度を活かして2022年に埼玉県草加市議会議員選挙で初当選を果たし、2025年の戸田市議会議員選挙では歴代最多得票でトップ当選するなど、実際に「ジョーカー議員」として政界入りを果たしました。
一方の後藤輝樹氏は、最後まで当選の壁を越えることができず、在野の活動家としての生を全うすることになりました。
後藤輝樹の日本中を震撼させた伝説の「政見放送」
後藤輝樹氏の代名詞といえば、NHKなどの地上波で全国放送された「放送事故級の政見放送」です。
公職選挙法により「政見放送は録音・録画したものをそのまま放送しなければならない」というルールを逆手にとり、後藤輝樹氏はテレビの限界に挑み続けました。
後藤輝樹の政見放送① 2016年東京都知事選挙…「伝説の無音放送」

後藤輝樹氏は2016年の東京都知事選に出馬し、選挙ポスターには名前すら書かれていない「旧日本陸軍の軍服姿」で登場して有権者の度肝を抜きました。
しかし、政見放送にはきちんとしたスーツ姿で登場します。ところが、まともな身なりとは裏腹に、カメラの前で奇妙な動きをしながら、男性器や女性器などを意味する放送禁止用語(下ネタ)をひたすら連呼し続けました。
公職選挙法には「そのまま放送する」という規定があるものの、NHKや民放は品位保持の観点から「音声を一部削除しています」というテロップを出し、連呼された単語をすべて無音化(ミュート)しました。スーツ姿の真面目そうな青年が口をパクパクさせるというシュール極まりない映像となり、ネット上で爆笑を呼び起こすと共に「表現の自由とは何か」という議論も巻き起こしました。
後藤輝樹の政見放送② 2020年の東京都知事選挙…途中で「オムツ姿」に

後藤輝樹氏は2020年の都知事選では選挙ポスターにアニメ『コードギアス』のルルーシュ風コスプレで「後藤輝樹が命じる!」と書いて話題をさらいましたが、政見放送には一般的なビジネススーツ姿で登場しました。
政見放送前半はスーツ姿で椅子にきちんと座り、語りかけるような素振りを見せました。しかし途中から突然立ち上がり、着ていたスーツを脱ぎ捨てて「大人用オムツ(あるいは白いブリーフ)」一丁の姿に変貌。そのまま机の上に寝転がったり、椅子の上に立ち上がって絶叫したりする奇行を見せました。
2016年の反省からか、直接的な放送禁止用語の連呼は避けたため、この時はNHKでもノーカット・無音箇所なしで放送され、再びSNSを席巻しました。
後藤輝樹の政見放送③ 2021年の千葉県知事選挙…「公開プロポーズ」
2021年の千葉県知事選の政見放送では、後藤輝樹氏は政治や政策の話を完全に放棄するという前代未聞のパフォーマンスを見せます。
放送時間を丸ごと使い、自身の交際相手である「ちなつ」さんへの感謝や愛を延々と語り続け、公開プロポーズを行いました。奇行や下ネタを期待していた視聴者の斜め上を行く展開となり、「ついに方向性が変わった」と話題になりました。
後藤輝樹の政見放送④ 2024年の都知事選…「魂のポエトリーリーディング」
2024年の都知事選では、過去のようなウケ狙いの奇行や途中で服を脱ぐようなパフォーマンスは一切封印しました。
不可思議/wonderboyの楽曲『Pellicule』をオマージュしたようなリズムに乗せたポエトリーリーディング(朗読・ラップ)のスタイルで、いじめ、不登校、若者の自殺、オーバードーズなどの深刻な社会問題に真っ向から言及しました。
「自分だけのストーリー、1人1人が主人公」、「ありのままの自分を愛して」、「生きててくれてありがとう」と、画面の向こうで苦しんでいる若者に向けて、命の尊さを本気で訴えかけました。
終始真剣に語りかけるその姿に、「ふざけた人だと思っていたのに泣かされた」「今までで一番まともで心に響いた」などと、ある種の感動を呼びました。
政見放送の狂気の裏に隠された「驚くほどまともな」政策公約
しかし、後藤輝樹氏の本当の魅力は、こうした狂気的な政見放送でのパフォーマンスと、選挙公報にびっしりと書き込まれた真面目で具体的な政策の「ギャップ」にありました。
彼が掲げていた公約の一部を紹介します。
外交と国益:「台湾の日本復帰(あるいは独立支援)」など、独自の視点からの強い外交政策。
ベーシックインカムの導入:年金や生活保護を廃止し、地域電子通貨「Tokyoペイ」を通じて都民に月額7〜20万円を無条件支給する。
行政の完全オンライン化:ハンコレス・ペーパーレスを推進し、スマホ一つで出生届から選挙の投票、確定申告まで24時間可能にする。
AIによる信用スコア導入:SNS上の誹謗中傷をAIで監視し、木村花さんのような悲劇を二度と繰り返さない優しい世界を創る。
マイノリティ支援と多様性:LGBTQのパートナーシップ制度の実施、一夫多妻・多夫多妻などの家族形態の自由化、動物の殺処分ゼロ。
これらの政策を読んだ有権者からは、「パフォーマンスはふざけているが、言っていることは誰よりも未来を見据えていてまともだ」、「理系技術者の優遇やデジタル化など、時代を先取りしている」といった高評価の声が多数挙がっており、一部に熱狂的な支持層を生み出しました。
後藤輝樹の結婚や嫁と子供など私生活

破天荒な活動家の顔を持つ後藤輝樹氏ですが、そのプライベート(結婚・嫁・子供)についてはどのような人生を歩んだのでしょうか。
後藤輝樹氏のプライベートは、彼自身のSNSやブログでの赤裸々な発信もあり、まさにジェットコースターのような波乱万丈な軌跡を辿りました。彼の「嫁」と呼ばれる女性は、大きく分けて2つの時期に分かれます。
後藤輝樹の最初の結婚と波乱の顛末(2021年〜2022年)
すでに触れたように、日本中を驚かせたのが、2021年3月の千葉県知事選挙の政見放送です。後藤輝樹氏は持ち時間をすべて使い、当時交際していた女性(ちなつさん)に向けて「愛してる。結婚しよう」と公開プロポーズを敢行しました。
このプロポーズは見事に実を結び、2021年7月25日、二人は正式に結婚します。
しかし、この結婚生活は長くは続きませんでした。二人の関係は非常に不安定で、SNS上でも度々衝突や苦悩が吐露されるようになり、わずか8ヶ月後の2022年3月に離婚という結末を迎えます。
ところが事態はここで終わりません。離婚の翌月である2022年4月には、早くも再婚に向けて復縁し、再び「婚約」状態となります。そのまま関係が修復されるかと思われましたが、最終的には半年後の2022年10月に婚約を解消し、完全に別離することとなりました。
ネット上で後藤輝樹氏の「妻(嫁)との激しいトラブル」や「浮気疑惑に対する絶望」といった噂が語られるのは、主にこの時期の壮絶な破局劇や、それに伴う彼の悲痛なSNS投稿が発端となっています。
新たなパートナーとの出会いと子供妊娠(2025年〜)
泥沼の別離を経て心身ともに疲弊していた後藤輝樹氏ですが、その後、前妻とは全く別の女性と運命的な出会いを果たします。
法的な婚姻関係(入籍)にはこだわらず、2人は「内縁の妻」として生活を共にし始めました。
そして2025年、この内縁の妻が後藤輝樹氏との子供を妊娠。これを契機として、後藤輝樹氏のブログやSNSの発信内容は、以前の殺伐としたものから一変します。自身のブログに「愛妻の手料理」と題した記事を多数投稿し、内縁の妻(嫁)が作ってくれた手料理の写真をアップしては彼女への感謝と愛情を綴っていました。
そこには、エキセントリックな政治活動家の顔ではなく、新しい命の誕生を待ちわびながら、穏やかな家庭生活を慈しむ一人の男性の姿がありました。
子供の誕生と後藤輝樹の父親としての姿
内縁の妻の子供出産を経て、後藤輝樹氏は父親としての自覚を強く持つようになったようです。彼らはオーガニックや自然派の生活思想を大切にしており、夫婦で協力して独自の育児観に基づく子育てに奮闘し始めました。
2026年6月、後藤輝樹氏の突然の訃報を世間に伝えたのは、まさにこの晩年を共に過ごした内縁の妻が運用管理していたされる「後藤輝樹の子育て」というXアカウントでした。
後藤輝樹の突然の訃報…死因の真相と遺言について
2026年6月29日の朝、前述の後藤輝樹さんの嫁(内縁の妻)が運営するXアカウント「後藤輝樹の子育て」にて、以下のメッセージが投稿されたのです。
【ご報告】
— 後藤輝樹の子育て🌏💖 (@gototeruki_369) June 28, 2026
後藤輝樹の妻です。
昨日、2026年6月28日、
後藤輝樹が永眠いたしました。
生前は選挙への立候補をはじめ、自身の信念のもと、さまざまな活動を続けてまいりました。
これまで応援し、支えてくださった皆様、関わってくださったすべての皆様に、心より感謝申し上げます。…
43歳という若さでのあまりにも突然の別れでした。ネット上では「信じられない」、「都知事選の風物詩がもう見られないなんて」と、悲しみと追悼の声が爆発的に広がりました。
公表されない後藤輝樹の死因と自殺説
この訃報において、後藤輝樹氏の死因は一切公表されませんでした。病死なのか、事故死なのか、それとも他の理由なのか。公式な発表がない中、ネット上では急速に「死因は自殺ではないか」という説が広まりました。その根拠の1つとなったのが、亡くなる直前に彼が遺したXへの投稿でした。
ツイッターはこれで最期にします。今まで有り難う御座いました。感謝です。本当に申し訳御座いません。そういう事です。お前ら愛してるぜ。
— 後藤輝樹 (@gototeruki) June 21, 2026
また、晩年は親の介護問題や、複雑な夫婦関係のストレスを抱えていたとされ、YouTubeでタロット占いや守護神について語るなど、精神的にかなり追い詰められていた様子が彼をよく知る人々から指摘されていました。
遺言書の公開と意味深な内容

亡くなる数日前(2026年6月下旬)、後藤輝樹氏は自身の公式ブログ(ホームページ)上に、手書きの「遺言書」の画像を実際に公開していました。この投稿には「(この遺言書は)別れた妻が作ってくれたものです。」とも書かれていました。
ネット上で最も波紋を呼んだのが遺言書の内容です。後藤輝樹氏には現在の嫁(内縁の妻とされる)との間に、まだ1歳にも満たない幼い子供がいました。それにもかかわらず、遺言書には「自身の財産は(妻や子ではなく)すべて自身の母親に相続させる」という旨が記されていました。
後藤輝樹の死因(自殺説)と遺言書の真相を探るような動きも
この遺言書の内容から、ネット上では「現在の妻との間に深刻なトラブルがあったのではないか」、「浮気や不和が原因で絶望したのでは」という憶測が飛び交いました。
しかし、これらはあくまで推測の域を出ません。ただ、後藤輝樹氏自身が亡くなる直前の投稿で「離婚した場合、残された道は修羅の道しかありません」、「俺の場合は自殺するつもりで離婚しましたが…(前妻との離婚時の回顧)」と結婚生活の苦悩について触れており、何か思うところがあったのは確かなようです。
これは以前にも言ってますが、離婚した場合、残された道は修羅の道しかありません。楽になるとか解放されるなんてものは一時的にすぎません。例外として、余程のDVを受けていて死の危険があったとかなら別ですが、通常、離婚したら、余計、過酷な人生になります。なぜ過酷かと言えば、離婚は、問題の本…
— 後藤輝樹 (@gototeruki) June 21, 2026
まとめ
19回の落選。供託金の没収。テレビ局からの音声削除。そして数百万回のYouTube再生。
後藤輝樹という男は、日本の政治史において、紛れもなく異端中の異端でした。彼のやり方は決して万人に褒められるものではなかったかもしれません。
しかし、「若者に政治に興味を持ってもらいたい」、「日本を本気で良くしたい」という彼の情熱は、嘘偽りのない本物でした。
その突然の死に対しては、死因が公開されなかった事や、意味深なSNS投稿や遺言書の公開などによりその死の真相は何かと様々な憶測が飛び交っている状況です。
いずれにしても、後藤輝樹氏の数々の伝説的政見放送は、これからもネットの海で生き続け、日本の選挙のあり方、そして表現の自由とは何かを私たちに問い続けることでしょう。


















