俳優の山城新伍さんとの2度の結婚と離婚をした女優の花園ひろみさんが話題です。
この記事では花園ひろみさんの若い頃や山城新伍さんとの結婚と離婚と子供、娘の南夕花さんの友達と山城新伍さんの関係と「チョメチョメ」、悲惨だった晩年や最後、死因や遺産、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 花園ひろみのプロフィール
- 花園ひろみの若い頃
- 花園ひろみの結婚相手は俳優の山城新伍
- 花園ひろみが結婚した山城新伍の若い頃
- 花園ひろみと山城新伍の子供は娘の南夕花
- 花園ひろみと山城新伍は山城の浮気で離婚
- 花園ひろみと山城新伍は離婚後も元夫婦共演を繰り返す謎の関係に
- 花園ひろみと山城新伍は再結婚するもまたしても山城の浮気で離婚へ
- 花園ひろみの元旦那・山城新伍には多数の有名人と愛人関係の噂があった
- 花園ひろみの元旦那・山城新伍は娘の南夕花の友達に手を出しチョメチョメと答えたとの噂も
- 花園ひろみの元旦那・山城新伍の晩年や最後は悲惨だった
- 花園ひろみの元旦那・山城新伍の死因は誤嚥性肺炎
- 花園ひろみの元旦那・山城新伍の最後の葬式には花園も娘も参列せず
- 花園ひろみの元旦那・山城新伍の遺産
- 花園ひろみの現在
- まとめ
花園ひろみのプロフィール
花園ひろみのプロフィール
本名 :花沢浩美
生年月日:1940年9月1日
出身地 :東京府東京市(現在の東京都)
花園ひろみさんは、1950年代終わりから1990年代にかけて時代劇を中心としたドラマや映画、バラエティ番組などで活躍した女優です。
花園ひろみさんは、1950年代終わりから2000年代にかけて活躍された人気俳優の山城新伍さん(故人)との2度の結婚と2度の離婚でも話題になりました。
花園ひろみさんと山城新伍さんは、若い頃から晩年まで、夫婦あるいは元夫婦としてバラエティ番組に多く出演し、お茶の間の人気を集めていましたが、最後は娘の南夕花さんも含めて関係が破綻し絶縁状態になってしまった事も知られています。
今回はそんな花園ひろみさんの若い頃や、元旦那である山城新伍さんとの関係などを中心に紹介していきます。
花園ひろみの若い頃
花園ひろみさんは1957年、17歳になる年に第4期東映ニューフェイスに合格し、東映株式会社に女優として入社しました。
同期には佐久間涼子さん、水木襄さん、曽根晴美さん、室田日出男さん、山口洋子さんの他、後に結婚する事になる山城新伍さんもいました。
若い頃の花園ひろみさんは、1958年の「花笠道中」(大川橋蔵主演版)で女優デビューし、「大江戸七人衆」、「酒と女と槍」、「壮烈新選組 幕末の動乱」、「赤穂浪士」など、1961年までに約60本の東映映画に出演しています。
1962年、映画「右門捕物帖」を最後に女優業引退を発表。その後の1966年に同期の山城新伍さんと結婚したのをきっかけに女優に復帰。テレビドラマの時代劇へと活躍の中心に移し、「江戸忍法帖」や、「船場」、「銭形平次」、「大奥」、「緋剣流れ星お蘭」などに出演しています。
また、山城新伍さんとの結婚後はバラエティタレントとしても人気を上げ、多数の番組で夫婦共演しました。
花園ひろみの結婚相手は俳優の山城新伍
花園ひろみが結婚した山城新伍のプロフィール
本名 :渡辺安治
生年月日:1938年11月10日
没年月日:2009年8月12日(没年70歳)
出身地 :京都府京都市上京区
身長 :174cm
血液型 :O型
花園ひろみさんは1966年に東映ニューフェイスの同期だった俳優の山城新伍さんと結婚されています。
山城新伍さんは若い頃から時代劇を中心にスター俳優として活躍し、任侠映画「不良番長」シリーズ、「仁義なき戦い」シリーズなどでも活躍。
その他、NHKの連続テレビ小説「おはようさん」や高橋英樹さん主演版の「桃太郎侍」など多くのテレビドラマに出演。一方で、テレビ司会者やタレントとしても活躍の場を広げ、バラエティー番組「独占!男の時間」、「新伍のお待ちどおさま」、クイズ番組「アイ・アイゲーム」などに出演し、お茶の間の人気者になりました。
山城新伍が命懸けで花園ひろみに結婚を申し込んだエピソードも話題に
結婚前に強くアプローチをかけたのは山城新伍さんの方からで、山城新伍さんは車に花園ひろみさんを同乗させ、そのまま湖に突っ込ませるようにして、「結婚してくれなかったら、突っ込んで死ぬ」と大芝居を打ち結婚を迫ったエピソードが話題になりました。
半ば脅迫ですが、花園ひろみさんは山城新伍さんがそれだけ真剣なのだと受け取り結婚を決心されたようです。
花園ひろみと山城新伍の結婚式
花園ひろみさんと山城新伍さんの結婚式は、1967年2月23日に京都国際ホテルで挙げられています。
多くの著名人が参列し、結婚後の新居は大先輩俳優である片岡千恵蔵さんの経営するマンションに決めた事も発表されました。
花園ひろみと山城新伍の結婚生活はメディアでよく紹介されていた
花園ひろみさんと山城新伍さんは結婚当初の若い頃は、芸能界のおしどり夫婦として雑誌やテレビ番組などで盛んに仲睦まじい結婚生活が紹介されました。
花園ひろみが結婚した山城新伍の若い頃
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花園ひろみさんとの結婚でも話題になった山城新伍さんの若い頃についても紹介していきます。
山城新伍さんは、1957年に第4期東映ニューフェイスに合格し俳優として東映に入社しました。すでに触れていますが、花園ひろみさんとは同期でした。
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山城新伍さんは1958年に東映初のテレビシリーズの時代劇「風小僧」の疾風之介役でデビューし、第2部では主演の風小僧役を演じて人気が爆発。
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1960年のテレビ時代劇「白馬童子」では、主役の葵太郎、白馬童子役に抜擢され、当時の子供達のヒーローのような存在となって絶大な人気を獲得しました。
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当時は、テレビドラマに出演するのは2流俳優で、1流は映画に出演するという風潮があったため、若い頃の山城新伍さんは不当な扱いを受けた事もあったそうです。
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しかし若い頃の山城新伍さんは地道に活動を続け、1969年から1971年にかけての映画「不良番長」シリーズや、1970年代に爆発的人気を集めた「仁義なき戦い」シリーズへのレギュラー出演で脚光を浴び、アクの強い個性派俳優としての地位を不動のものとしました。
花園ひろみと山城新伍の子供は娘の南夕花
花園ひろみと山城新伍の子供(娘)・南夕花のプロフィール
旧芸名 :渡辺夕子、南夕子
生年月日:1967年3月2日
花園ひろみさんと山城新伍さんの間には子供が1人生まれています。
花園ひろみさんと山城新伍さんの子供は娘さんで、若い頃は渡辺夕子、南夕子、南夕花といった芸名で女優として活動されていました。
花園ひろみさんと山城新伍さんの娘の南夕花さんは東京女子大学文理学部の2年生の時、1986年3月から6月にかけて放送されたTBS系列の昼ドラマ「夢恋し」に主演し女優デビューしています。(南夕子名義)
父親の山城新伍さんとも何度か共演しており、1992年から1993年にかけてTBS系列で放送された雑学クイズ番組「新伍のワガママ大百科」では、山城新伍さんと親子で司会を務めました。(渡辺夕子名義)
さらに1998年のTBS系の2時間サスペンス「月曜ドラマスペシャル 監察医薮野善次郎6 死体は知っている」でも、父親の山城新伍さんと共演しています。(南夕花名義)
他にも、山城新伍さんと娘の南夕花さんは舞台などで共演されています。
花園ひろみと山城新伍は山城の浮気で離婚
1966年に結婚した花園ひろみさんと山城新伍さんは、週刊誌やテレビで結婚生活が取り上げられたり、夫婦で共演したり、山城新伍さんが事あるごとに花園ひろみさんへの愛を口にしたりするなど、芸能界きってのおしどり夫婦だと見られていました。
ところが、結婚20年目の1985年、花園ひろみさんと山城新伍さんは離婚しています。離婚のきっかけは、1985年発売の写真週刊誌が、山城新伍さんが当時22歳の広告代理店勤務のOLと愛人関係にある事をスクープした事でした。
以前から、花園ひろみさんは山城新伍さんの浮気癖を知りながら目を瞑っていましたが、この写真週刊誌報道で堪忍袋の緒が切れる形で別居となり、そのまま関係が修復される事なく1985年8月に離婚が成立しました。
山城新伍さんは離婚したくはなかったようで、離婚会見で「今でも愛している。復縁を迫ります」などと宣言して話題を呼びました。
花園ひろみと山城新伍は離婚後も元夫婦共演を繰り返す謎の関係に
離婚会見での「復縁を迫る」の宣言通り、山城新伍さんは離婚後も花園ひろみさんと離れようとせずに、なぜか渋谷区内のマンションで隣同士の部屋に住み、元夫婦による奇妙な共同生活を続けていました。
メディア側も山城新伍さんと花園ひろみさんの関係を面白がり「離婚しても仲良し」などと紹介されて元夫婦でバラエティ番組で共演したりもし、1987年には俳優の南条弘二さんの結婚式で、離婚しているはずなのに山城新伍さんと花園ひろみさんが2人で仲人を務めました。
さらに1988年には元夫婦でのデュエット曲「喧嘩のあとは“フ・フ・フ”」を発表するなど、もはやお互いにまだ愛し合っているのかビジネスパートナーなのか関係性がよくわからない関係で芸能活動を続けられていました。
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花園ひろみと山城新伍は再結婚するもまたしても山城の浮気で離婚へ
離婚後も謎の元夫婦共演を続けていた花園ひろみさんと山城新伍さんでしたが、1991年3月31日に電撃的に再結婚をされています。
俳優山城新伍(52)が6年前に別れた元夫人の女優花園ひろみ(50)と3月31日に“電撃復縁”していたことが明らかになった。7日、山城が司会を務めるTBS系の新番組「新伍Niタッチ」(日曜午後1時)の生放送中に、ゲスト出演した俳優梅宮辰夫(53)が暴露したもの。「半年間は隠し通そうと思っていた」とテレる山城も、ハッピーな笑顔だった。
花園ひろみさんは復縁するにあたり、山城新伍さんに「入籍のことを言ったら籍を抜くわよ」と口止めしていたそうなのですが、山城新伍さんと仲の良い友人である俳優の梅宮辰夫さんが、山城新伍さんが司会を務める「新伍Niタッチ」で電撃的に発表してしまい、世間の知るところになりました。
この時、山城新伍さんは焦りつつもとても嬉しそうな様子で、「最近まじめにしているご褒美で籍を入れてくれたみたい」と喜び、「(離婚後も)会っていない日は1日もなかった」と明かすなど、ずっと花園ひろみさんとの復縁を望んでアプローチされていたようです。
番組では、山城新伍さんの中の良い友達である俳優の渡瀬恒彦さんや上岡龍太郎さんからの祝福のメッセージが紹介され、視聴者やファンから多くの祝福のメッセージが寄せられました。
ところが、2度目の結婚もうまくいかず、山城新伍さんと花園ひろみさんは2度目の結婚から9年後の1999年8月に再び離婚してしまいました。当時の事務所の発表では、離婚の原因は「お互いのライフスタイルを尊重し、円満に離婚が成立した」とのみ明かされました。
所属事務所などによると昨年8月、山城と花園が話し合いを持ち、円満に離婚が成立した。「離婚後も復縁後も生活は何も変わっていないんです。お互いのライフスタイルを尊重する上で、紙切れ1枚に縛られるのはどうかということで、離婚したようです」と説明した。
ただ、一部の週刊誌やワイドショーなどの報道によると、2度目の離婚の原因も山城新伍さんの度重なる浮気(不倫)だったようです。
1度離婚をして、温情で再結婚をしたにも関わらず、信頼を裏切った山城新伍さんに愛想を尽かし、花園ひろみさんが三行半を突きつけたというのが事の真相だったと言われています。
花園ひろみの元旦那・山城新伍には多数の有名人と愛人関係の噂があった
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花園ひろみさんと山城新伍さんの2度の離婚の原因はいずれも山城新伍さんの度重なる浮気(不倫)だったと言われています。
この事から、山城新伍さんには多くの有名女性との愛人関係の噂が立ちました。
有名どころでは、山城新伍さんが司会を務めていたクイズ番組「アイ・アイゲーム」でアシスタントを務めていた女優の川島なお美さんや、1983年に公開された山城新伍監督映画「女猫」に主演した女優の早乙女愛さんが愛人ではとの噂が立ちました。
他にも、女優の川上麻衣子さんや濱田のり子さんも山城新伍さんとの関係が噂されました。
川上麻衣子さんは、山城新伍さんが晩年に老人ホームに入所していた頃になぜか川上麻衣子さんだけがお見舞いに行く事を許されていたとの情報が出たため愛人だったのではと噂されたようです。
また、濱田のり子さんは山城新伍さんの「最後の恋人」とも噂され、山城新伍さんが死去した後に出演したワイドショーでは涙ながらに「山城さん、大好きでした」と語っています。
ただし、濱田のり子さんが噂されたのは、山城新伍さんと花園ひろみさんの2度目の離婚の後なので、不倫の関係ではありませんでした。
元夫人や娘とは絶縁状態だったけど、山城新伍の最後の恋人と噂された濱田のり子がワイドショーで「山城さん、大好きでした」と涙ながらに語っていたのを見て、正直グッときた。 そして、亡くなる直前に、なぜか川上麻衣子だけはお見舞いを許されたと聞いて、そこは幻想を守りながら死んでいったような気がして、なんだかちょっとだけ気が楽になったのであった。
花園ひろみの元旦那・山城新伍は娘の南夕花の友達に手を出しチョメチョメと答えたとの噂も
多くの愛人がいたと噂された山城新伍さんですが、娘の南夕花さんの友達まで愛人にしていたという衝撃的な噂も囁かれています。
ほとんど都市伝説のような噂ですが、山城新伍さんはあまりの女好きさに、娘の南夕花さんの友達にまで手を出し、それが本当の2度目の離婚の原因で、娘の南夕花さんからもそれで縁を切られたのだと言われています。
離婚後に山城新伍さんが、「娘の友達にも手を出したのか?」と聞かれ「チョメチョメ」と言葉を濁して誤魔化したという噂にも発展しています。
「チョメチョメ」は山城新伍が司会のクイズ番組が生んだ流行語
「娘の南夕花さんの友達に手を出したのか」と聞かれ、「チョメチョメ」と答えたという山城新伍さんですが、そもそもこの「チョメチョメ」とは、山城新伍さんが司会を務めたクイズ番組「アイ・アイゲーム」で生まれた言葉でした。
「アイ・アイゲーム」では、伏せ字にされた部分を回答者が穴埋めするという問題が出題されたのですが、この伏せ字の部分を山城新伍さんは「チョメチョメ」と表現しました。
これが話題になり「チョメチョメ」は、1981年に流行語に選ばれています。
南夕花が父親の山城新伍を強く拒絶した事から娘の友達に手を出したと噂になった
2000年5月22日発売の「婦人公論」に、娘の南夕花さんの「父・山城新伍への訣別」と題された手記が掲載されました。
その内容は、娘である南夕花さんが、花園ひろみさんと山城新伍さんの離婚の原因について、山城新伍さんの「無神経な性格」や「非常識な価値観」に花園ひろみさんが疲れ果てたためと明かす内容でした。
南夕花さんはこの手記で、自身も山城新伍さんの事を父親と思っていない事や、結婚する事になってもバージンロードを一緒に歩くつもりはないなどとかなりきつい言葉で拒絶し、戸籍から自分の名前を抜いた事も明かして決別を宣言しています。
〈急に山城さんと呼ぶのも変ですし、ほかに言いようがないので『父』と言っていますが、ほんとうは父と呼びたくない〉
〈いつか結婚することになっても、あの人とはバージンロードを歩くつもりはありません。今、父にはっきり伝えたいのは『さよなら』という言葉です〉
娘の南夕花さんが、なぜここまで父親の山城新伍さんを拒絶するのかの具体的な理由は語られていないのですが、「父親と呼びたくない」、「結婚してもバージンロードを歩きたくない」とまで痛烈に批判をして小関まで抜いているというのは、余程のことがあったのではないかとの憶測を呼びました。
これが、山城新伍さんが若い頃から浮気を繰り返して大勢の愛人を作っていたというエピソードと関連づけられる形で、山城新伍は娘の南夕花さんの友達にまで手を出し、花園ひろみさんとの2度目の離婚をする事になり、娘の南夕花さんにも絶縁されたという噂にまで発展したのでした。
さらに、その発展系として、「娘の友達に手を出したのか?」と聞かれた山城新伍さんが、自身の代名詞的なワードである「チョメチョメ」を使って誤魔化して答えたという噂も誕生し、それが真実かのように広まったというのが事の真相でした。
花園ひろみの元旦那・山城新伍の晩年や最後は悲惨だった
花園ひろみさんの元旦那である山城新伍さんですが、その最後や晩年は悲惨なものだったと言われています。
1999年8月に花園ひろみさんと2度目の離婚をした後、しばらくは同居をしていた山城新伍さんでしたが、2001年にようやく離れて都内のホテルで一人暮らしを始めています。
しかし、この頃から山城新伍さんは身体を悪くするようになり、晩年は糖尿病や認知症、高血圧症などを患っていたそうです。
そして、2007年7月からは老人性鬱病と認知症の進行で都内を1人徘徊する姿が見られるようになり、2008年6月頃(3月31日という情報も)に東京都町田市の老人ホームに入所されています。
当時、週刊文春の取材を受けた山城新伍さんは「芸能界に戻る気はない」、「引退した者やから何もしなくていい。このままひっそりとしたい」、「みんな自分の事を忘れている」、「娘には会いたい」と寂しそうに語られていました。
この記事が掲載された後も、花園ひろみさんや娘の南夕花さんがお見舞いに訪れる事はなく、山城新伍さんはそれを恨みに思っていたとの報道もされています。
関係者によれば、山城新伍さんは自分がこのまま死んだとしても、訃報を花園ひろみさんや娘の南夕花さんには伝えるなと遺言をしていたのだそうです。
ただ、それでもよく山城新伍さんは「娘には会いたいなぁ」と周りにこぼしていたのだとか。
しかし、最後まで花園ひろみさんも娘の南夕花さんも山城新伍さんをお見舞いに訪れる事はありませんでした。
花園ひろみの元旦那・山城新伍の死因は誤嚥性肺炎
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花園ひろみさんの元旦那の山城新伍さんは、2009年8月12日に70歳で亡くなりました。
山城新伍さんの死因は「誤嚥性肺炎」と発表されています。
山城 新伍氏(やましろ・しんご=俳優、本名渡辺安治=わたなべ・やすじ)12日午後3時16分、誤えん性肺炎のため、東京都町田市の特別養護老人ホームで死去、70歳。京都市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は弟鎮雄(しずお)氏。
山城新伍さんの最後を看取ったのは、1歳年下の弟の渡辺鎮雄さんだったそうです。
花園ひろみの元旦那・山城新伍の最後の葬式には花園も娘も参列せず
山城新伍さんの葬儀は2009年8月19日に京都市左京区の妙満寺で営まれました。
喪主は弟の渡辺鎮雄さんでしたが、渡辺鎮雄さんがメディア取材に応じたところによると、葬儀にも花園ひろみさんと娘の南夕花さんは姿を見せなかったそうです。
元々、山城新伍さんは関係者に自分が死んでも花園ひろみさんや娘の南夕花さんには伝えるなと遺言していましたが、関係者は最後に山城新伍さんがよく「娘には会いたい」と口にしていた事から、訃報を花園ひろみさんと娘の南夕花さんに連絡しようとしたそうです。
しかし、花園ひろみさんにも娘の南夕花さんにも連絡がつく事はなく葬儀にも姿を見せる事はなかったそうです。
山城新伍さんの弟の渡辺鎮雄さんは、山城新伍さんが2008年に老人ホームに入所した際にも、花園ひろみさんに連絡を入れたそうなのですが、この時にも「死のうがどうしようが金輪際、連絡しないでほしい」と完全に拒絶された事を明かしています。
鎮雄さんによれば、昨年6月頃、山城さんを老人ホームに入所させる際に花園にも報告したが、「死のうがどうしようが金輪際、連絡しないでほしい」と言われたという。それでも、ホームでの山城さんが「娘に会いたい」と繰り返し口にしていたこともあり、死後、連絡を取ろうとしたが、音信不通が続いた。
その後、2009年10月9日には、山城新伍さんと中の良い友達であった梅宮辰夫さんや松方弘樹さんが発起人となってお別れ会が催されました。
こちらには、菅原文太さん、中村珠緒さん、地井武雄さん、長門裕之さん、渡瀬恒彦さん、小林稔侍さん、ガッツ石松さん、和田アキ子さん、赤木春恵さん、五月みどりさん、山本陽子さんら錚々たる関係者ら136名が出席されました。
しかし、花園ひろみさんも娘の南夕花さんも、このお別れ会や、四十九日の納骨式にも姿を見せる事はありませんでした。
ここまで徹底して関係を拒絶するというのは、花園ひろみさんも娘の南夕花さんも、本人の死後も整理をつけ難いほどの憎悪を抱いていたという事なのかも知れません。
花園ひろみの元旦那・山城新伍の遺産
花園ひろみさんの元旦那さんの山城新伍さんは、戦後の成長期からバブル景気にかけて活躍した昭和の時代のスター俳優であり、生涯かけても使いきれないほどの莫大な金額を稼いでいたと言われています。
そのため、山城新伍さんの死去が報じられると、その遺産の行方も話題になりました。
上でも紹介したように、山城新伍さんは花園ひろみさんと2度結婚して2度離婚をして絶縁状態になっていました。娘の南夕花さんも山城新伍さんとは縁を切り戸籍まで抜いていますが、ただ1人の子供という事で、法律上は100パーセントの遺産の相続権があります。
南夕花さんが山城新伍さんの遺産を相続したのかどうかはわかりませんが、もし仮に相続していたとすれば、最後に見舞いにもいかずに葬儀にも出席しなかった娘が遺産だけ相続したとして、週刊誌やワイドショーなどが非難するようなニュアンスの報道をしていた可能性が高いように思えます。
そうした報道は1つも確認できなかったため、おそらく南夕花さんは遺産の相続を放棄した可能性が高いのではないかと考えられます。
花園ひろみの現在
花園ひろみさんは、1999年に山城新伍さんと2度目の離婚をして以降は、1度もメディアには登場していません。
事実上、現在は女優業は引退しており、どこかで静かに暮らされていると思われます。
また、娘の南夕花さんも同様に事実上芸能界を引退しており、1999年以降は表には姿を見せていません。
まとめ
今回は、1950年代終わりから1990年代にかけて活躍した女優で、俳優の山城新伍さんとの2度の結婚と2度の離婚で話題になった花園ひろみさんについてまとめてみました。
花園ひろみさんは若い頃は、東映ニューフェイスに合格して女優としてデビューし、時代劇を中心に活躍しました。
1966年に山城新伍さんと1度目の結婚をされた後は、夫婦で共演し芸能界きってのおしどり夫婦としてお茶の間の人気を集め、1967年には子供も誕生しています。
花園ひろみさんと山城新伍さんの子供は娘の南夕花さんで、一時期は女優として活動されていました。
しかし、花園ひろみさんと山城新伍さんは1985年に山城新伍さんの浮気が原因で1度目の離婚をします。しかしその後も、山城新伍さんは復縁を迫り、なぜか離婚後もテレビで共演したり、デュエット曲を発表したりと仲の良い様子を見せて世間を驚かせました。
そして、1991年に花園ひろみさんと山城新伍さんは再び結婚し、これも大きな話題になりました。ところが、1999年にまたしても山城新伍さんの浮気が原因で離婚となり、ついに愛想を尽かした花園ひろみさんは山城新伍さんと完全に絶縁しています。また娘の南夕花さんも山城新伍さんと絶縁しています。
娘の南夕花さんが辛辣な言葉で父親の山城新伍さんを拒絶している事から、山城新伍さんが娘の友達にまで手を出したため信頼を完全に失ったのではないかとも噂され、それについて質問された山城新伍さんが自身の代名詞でもある「チョメチョメ」という言葉で誤魔化したという都市伝説まで生まれました。
こうした経緯で花園ひろみさんと娘の南夕花さんに絶縁された山城新伍さんの晩年や最後は悲惨だったようで、糖尿病や認知症、高血圧症、老人性鬱などを患い、老人ホームに入所し、2009年に70歳で亡くなっています。死因は「誤嚥性肺炎」でした。
その後の、山城新伍さんの葬儀や四十九日の納骨式にも、花園ひろみさんや娘の南夕花さんは参列せず、山城新伍さんと花園ひろみさん、娘の南夕花さんの間の亀裂が深い事を印象づけました。
山城新伍さんの遺産は莫大だったとも見られていますが、娘の南夕花さんは相続はせずに放棄した可能性が高いと見られています。
花園ひろみさんも娘の南夕花さんも、1999年以降は表に姿を見せておらず、事実上芸能界を引退されており、現在どこで何をしているのかはわかっていません。