麻原彰晃

オウム真理教の死刑囚一覧と現在!13人の学歴や家族&死刑執行の状況まとめ

1995年3月20日に都内の地下鉄・東京メトロで「地下鉄サリン事件」を起こした新興宗教団体・オウム真理教。

 

2018年7月6日に教祖・麻原彰晃を含む7人の死刑囚の死刑執行がされ話題になりました。そして、7月26日には残りの6人の死刑も執行されました。

 

オウム真理教の死刑囚が現在までに起こしたそれぞれの行動について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。

オウム真理教の死刑囚13人の家族、学歴、現在を総まとめ

 

日本初となる大都市での同時多発テロ事件

オウム真理教は「地下鉄サリン事件」後は首謀者・麻原彰晃や実行犯らが逮捕されたことで解体され存在しませんが、その後「Aleph(アレフ)」を始めいくつかの分派宗教を生み出しました。

13人の死刑囚は全員死刑執行されていますが、全員の現在までの経歴・行動について総まとめしましたのでご紹介しましょう。

 

「地下鉄サリン事件」に関与したとされるオウム真理教信者の逮捕された容疑者は、1996年1月18日時点で403名であり、そのうち起訴されたのが183名、有罪判決を受けたのが18名、死刑判決を受けたのが13名でした。

 

 

 

そしてこの内、オウム真理教の教祖・麻原彰晃を含む7人が2018年7月6日に一斉に死刑執行されたことが世間に衝撃を与え、その賛否について論議されています。

 

 

 

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】麻原彰晃(松本智津夫)【死刑執行済】

オウム真理教教祖・麻原彰晃の学歴と家族

 

 

「オウム真理教」を立ち上げた教祖・麻原彰晃

オウム真理教が行ってきた数々の事件のすべての元凶であり、最終的に17の事件で起訴され、26人の殺人と1人の逮捕監禁致死の罪により死刑が確定し、2018年7月6日に死刑が執行されました。

現在は麻原彰晃の遺骨をめぐって国が遺族側とどのように処理するか協議中となっています。

 

本名: 松本 智津夫(まつもと ちづお)
生年月日: 1955年3月2日
出身地: 熊本県八代市
死没: 2018年7月6日(63歳没)
死没地: 東京都葛飾区小菅(東京拘置所)
ホーリーネーム: マハー・グル・アサハラ
ステージ: 尊師、神聖法皇
教団での役職: 代表(設立者)

関係した事件
男性信者殺害事件
坂本堤弁護士一家殺害事件
薬剤師リンチ殺人事件
松本サリン事件
男性信者リンチ殺人事件
会社員VX殺害事件
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
地下鉄サリン事件
ほか多数

判決: 死刑(執行済み)

 

引用:Wikipedia – 麻原彰晃

 

麻原彰晃は先天性緑内障のため生まれつき左目がほとんど見えず、一度八代市立金剛小学校に入学するも全盲だった兄らとともに熊本県立盲学校に転校しました。

 

口減らしのため両親に捨てられた形となった麻原彰晃は性格が歪み、盲学校では目の見えない生徒に恐喝や暴力を振るい、子分として侍らせていました。

 

高等部では医師を目指し始めたことから一転して明るい性格で優しさを見せるようになり、将来は同じ眼病に苦しむ人を救いたいという想いから熊本大学医学部や東大を目指し始めました。

 

しかし、麻原彰晃の学歴はここまでとなり、以降は実家で兄の漢方薬店を手伝ったり、自身で薬局を開業するなどする中で予備校時代に知り合った松本知子と結婚しました。

 

子供は息子2人、娘4人の6人おり、三女のアーチャリーこと松本麗華さんはメディアにも露出も多いため、ご存知の方もい多いかと思います。

 

 

 

その後麻原彰晃は鍼灸師としても従事していましたが、病気を治すことができないことに虚しさを感じ次第に宗教の世界に傾倒していきました。

 

麻原彰晃は新宗教団体の阿含宗を経て自身で学習塾「鳳凰慶林館」を開き、ヨーガや仙道、東洋医学などを基礎にした超能力開発を教えるようになりました。

 

この学習塾はヨガ道場「オウムの会」へと改名し、その後税制上の優遇があることから宗教団体として「オウム神仙の会」に改名し、最終的に「オウム真理教」と改名しました。

 

この頃から麻原彰晃はすでに反社会性の強い考え方をしており、1988年に起きた在家信者死亡事件を皮切りに数々の凶悪殺人事件を起こし、1995年についに地下鉄サリン事件を引き起こしました。

 

麻原彰晃は17の事件で立件されて死刑判決を受け、2018年7月6日に死刑執行されています。

 

死刑当日も麻原彰晃は相変わらずほとんど言葉を発しなかったようですが、遺骨の引き取り手を四女と指名し、目隠しと手枷、足枷をされた時は死刑されることを意識したのか顔が紅潮していたようです。

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】新実智光【死刑執行済】

新実智光の学歴と家族

 

地下鉄サリン事件の運転手役・新実智光

新実智光はオウム真理教において省庁制を敷いていた中での自治省大臣を務めており、信者の中でも最古参メンバーのひとりとなります。

2010年2月に死刑が確定し、2018年7月6日に大阪拘置所で死刑執行されています。

 

本名: 新実 智光(にいみ ともみつ)
生年月日: 1964年3月9日
出身地: 愛知県岡崎市
死没: 2018年7月6日(54歳没)
死没地: 大阪府大阪市都島区(大阪拘置所)
ホーリーネーム: ミラレパ
ステージ: 正大師
教団での役職: 自治省大臣
入信: 1986年

 

関係した事件
坂本堤弁護士一家殺害事件
松本サリン事件
地下鉄サリン事件

 

判決: 死刑(執行済み)

引用:Wikipedia – 新実智光

 

新実智光は獄中結婚していた

2012年に結婚した新実ゆきさん。

 

新実智光は愛知県岡崎市に生まれ、両親は資源回収業者を営んでいました。

 

新実智光は同市内の小学校、中学校を卒業し、愛知県立の高校に通っていた時代からオカルトに傾倒するようになりました。

 

友達も多く学校生活は概ね良好ではあったものの、新実智光は生まれつき口唇口蓋裂だったことからそれが原因でいじめられることもありコンプレックスを抱えていました。

 

高校時代に偶然地元の駅で2度の自殺の瞬間に遭遇したことから、新実智光は「命とは何か」ということについて深く考えるようになり、いくつかの新興宗教に入信するようになっていきました。

 

新実智光は、新興宗教で学ぶうちに”神”という存在がただのエゴイズムだと感じるようになって宗教に否定的になり、すべて脱会して空手を通じて体を鍛えるようになりました。

 

その後、地元の愛知学院大学に進学。大学時代の友人の勧めで再び宗教に入信するも、新実智光は「信じない者は魂を滅ぼされる」という教えに疑問を抱き、神と同等の存在になりたいと願うようになっていきました。

 

そして、オカルト雑誌『ムー』『トワイライトゾーン』などで麻原彰晃の空中浮揚の写真が目に留ったことがきっかけで「オウム神仙の会」のセミナーに参加し、これがきっかけで入信しました。

 

修行の中で新実智光は麻原彰晃への絶対的な盲信をするようになり、「男性信者殺害事件」や「坂本堤弁護士一家殺害事件」の実行犯として指示を受け殺人を繰り返しました。

 

その他にも新実智光は「松本サリン事件」などオウム真理教の重大犯罪に多く関わり、「地下鉄サリン事件」後に逮捕されて死刑判決が降り、2018年7月6日に死刑執行されています。

 

新実智光は東京拘置所から大阪拘置所に移されて死刑執行されましたが、それまでは常にソワソワした様子で死刑を恐れている様子で、唯一獄中結婚した妻の面会だけを楽しみにしていたようです。

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】土谷正実【死刑執行済】

土谷正実の学歴と家族

 

オウム真理教の化学班キャップ・土谷正実

土谷正実は筑波大学大学院化学研究科修士課程修了、博士課程中退という高い学歴を持ち、化学を学んでいたことからオウム真理教の化学兵器や薬物の製造を指揮し、「科学班キャップ」とマスコミに呼ばれていました。

2010年2月に死刑が確定し、2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行がされています。

 

 

本名: 土谷 正実(つちや まさみ)
生年月日: 1965年1月6日
出身地: 東京都町田市
死没: 2018年7月6日(53歳没)
死没地: 東京都葛飾区小菅(東京拘置所)
ホーリーネーム: クシティガルバ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 厚生省次官 → 第二厚生省大臣
入信: 1989年4月22日

 

関係した事件
松本サリン事件
会社員VX殺害事件
地下鉄サリン事件

 

判決: 死刑(執行済み)

引用:Wikipedia – 土谷正実

 

土谷正実は東京都町田市にある裕福な家庭に生まれ、母親に溺愛されて育ち幼少期は非常に内向的だったようです。

 

しかし、土谷正実は中学校に上がると一転して活発な明るい性格になり人気者となり、東京都立狛江高等学校に進学するとラグビー部に所属して主力選手として活躍し、「ツッチー」の愛称で同級生はもちろん先輩後輩からも厚い信頼を得ていました。

 

土谷正実は高校2年生の時にイオン化傾向に興味を抱いたことがきっかけで化学を猛勉強するようになって化学では学年1位を取りましたが、嫌いな先生が化学の授業を担当すると0点近い点数を取るなど感情により大きく左右される極端な性格をしていたようです。

 

高校時代に”人間の脳が数%しか使われていない”ことを知った土谷正実は、その非効率さを嘆いて100%使う方法を探し始め、ヨーガに興味を持つようになっていきました。

 

土谷正実は筑波大学第二学群農林学類に進学するとラクビー部に入部しますが、5ヶ月目で重傷を負って退部せざるを得なくなり、酒浸りになって自暴自棄な生活を送っていました。

 

さらに父親から高校時代からの彼女との交際を認められず、喧嘩の末に仕送りを断たれ新聞配達のアルバイトをするようになりましたが、同時期に彼女から振られてしまい土谷正実は悶絶する苦しみを味わいました。

 

精神的苦痛を肉体的苦痛で紛らわせようとナイフで自分の胸を40センチ切りつけ、痛みにより精神的苦痛が和らいだことから、土谷正実は精神的苦痛を逃れるために最も理想的なのは宗教だと考えて、いずれ入信した時のことを考えて化学を極めようと同大学院化学研究科に進学しました。

 

教授にも将来有望な化学者になると認められた高い学歴を有していた土谷正実は、在学中に「オウム真理教」と出会い、本格的なヨーガが学べるということで迷わず入信したことから大学に興味を無くし退学しています。

 

出家を巡って土谷正実の家族とオウム真理教の間で度々紛争があったものの、完全に洗脳された土谷正実は第二厚生省大臣として事件で使用されたサリンなどの化学兵器や薬物の製造に尽力しました。

 

土谷正実は実行犯として直接殺害に加わっていないものの、「地下鉄サリン事件」で13人を殺害、6,000人あまりに重軽傷を負わせた罪は深刻だとして死刑判決が降り、2018年7月6日に麻原彰晃と同じ東京拘置所で死刑執行されました。

 

土谷正実は東京拘置所内で落ち着かない様子だったようで、死刑当日に死刑執行が告げられると驚いた様子だったということです。

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】中川智正【死刑執行済】

中川知正の学歴と家族

 

麻原彰晃の主治医・中川智正

中川智正は京都府立医科大学医学部医学科を卒業して医師国家試験に合格した高学歴の持ち主で、手塚治虫の漫画『ブッダ』の影響で医者を目指していましたが、実際に医者になる前に「オウム真理教」に入信し出家しています。

2003年10月に死刑が確定し、2018年7月6日に広島拘置所で死刑執行されています。

 

 

本名: 中川 智正(なかがわ ともまさ)
生年月日: 1962年10月25日
出身地: 岡山県岡山市
死没: 2018年7月6日(55歳没)
死没地: 広島県広島市中区(広島拘置所)
ホーリーネーム: ヴァジラティッサ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 法皇内庁長官
入信: 1988年2月

 

関係した事件
坂本堤弁護士一家殺害事件
松本サリン事件
地下鉄サリン事件

 

判決: 死刑(執行済み)

 

引用:Wikipedia – 中川智正

 

中川智正は岡山市内で洋服店を経営する両親の下に生まれ、岡山大学教育学部附属中学校、岡山県立岡山朝日高等学校に通っていました。

 

一浪して京都府立医科大学医学部医学科に進学し、当時中川智正は「嫌いな人間はいない」と語っているように人当たりの良い性格で温厚だったことから人望も厚かったようで、大学では学園祭の実行委員長を務めていました。

 

障害者ボランティアもしており、中川智正は人の役に立ちたいと願う優しい青年だったそうです。

 

しかし、中川智正はちょっとした興味から麻原彰晃の著書『超能力秘密の開発法』を読み、医師国家試験合格後の空白期間に麻原彰晃のヨーガ道場を覗いたことがきっかけで「オウム真理教」に傾倒していきました。

 

中川智正は麻原彰晃の音楽コンサート「龍宮の宴」に参加した頃から知らず知らずに洗脳を受けて神秘体験をしたと錯覚するようになり、その後研修医となって仕事に従事していたものの、手術中に意識を失ったことを神秘体験と捉えて、当時交際していた看護師の彼女と一緒に「オウム真理教」に出家しました。

 

中川智正は出家2ヶ月目に「坂本堤弁護士一家殺害事件」に関わることとなり、麻原彰晃から殺害を命じられて新実智光らとともに坂本弁護士宅に侵入し、坂本堤さんに薬物を注射し、1歳の赤子を殺害しました。

 

この事件で中川智正は麻原彰晃から認められて側近に昇格され、その後の凶悪事件に多く関わっていくことになりました。

 

「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」で使用されたサリンの製造に土谷正実の指示の下で彼女と一緒に携わり、「地下鉄サリン事件」後に逮捕され、11件の事件と25人の殺害に関与したとして死刑判決が下りました。

 

2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行されましたが、中川智正は死刑当日に抵抗する様子もなく「誰も恨まず自分のした結果」だと罪の重さを認識しているようで、被害者への謝罪の言葉を最期に残しました。

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】遠藤誠一【死刑執行済】

遠藤誠一の学歴と家族

 

麻薬・生物兵器製造の中心人物・遠藤誠一

遠藤誠一はオウム真理教で第一厚生省大臣として生物兵器の開発や麻薬製造を行った中心人物であり、麻原彰晃とも近しい存在で四女の松本聡香とは許嫁の関係でした。

2007年5月に死刑が確定し、2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行が完了しています。

 

本名: 遠藤 誠一(えんどう せいいち)
生年月日: 1960年6月5日
出身地: 北海道札幌市
死没: 2018年7月6日(58歳没)
死没地: 東京都葛飾区小菅(東京拘置所)
ホーリーネーム: ジーヴァカ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 第一厚生省大臣
入信: 1987年3月


関係した事件

松本サリン事件
地下鉄サリン事件


判決: 死刑(執行済み)

 

引用:Wikipedia – 遠藤誠一

 

遠藤誠一の母親は世界救世教の信者で、父親は内装会社の社員、キリスト教系の幼稚園から小学校、中学校を経て北海道札幌北高等学校に通っていました。

 

高校時代に愛犬の病気を獣医に治してもらったことに感動して遠藤誠一は帯広畜産大学畜産学部獣医学科に進学しました。

 

在学中に獣医師の資格を取得し、京都大学大学院医学研究科博士課程に進学してウイルス学、遺伝子工学などを学んだ高学歴の遠藤誠一ですが、次第に「生命の本質は遺伝子なのか」という疑問にたどり着き精神世界に興味を持ち始めました。

 

遠藤誠一はこの頃に麻原彰晃の著書『超能力秘密の開発法』を読んだことがきっかけで神秘体験をしたことから確信を得て、大学院を休学してオウム真理教に出家しました。

 

オウム真理教入信後は麻原彰晃の主治医の一人として活動し、遠藤誠一は麻原彰晃の四女・松本聡香の出産に立ち会ったことから恋心を抱き許嫁となったようです。

 

このことからも遠藤誠一は麻原彰晃から絶対的な信頼を得ていたことが分かります。

 

「松本サリン事件」をはじめとした数々のサリンを用いた事件の実行犯を務め、「地下鉄サリン事件」ではサリン製造を務めたことから逮捕後、2007年5月に死刑が確定し、2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行されました。

 

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】井上嘉浩【死刑執行済】

井上嘉浩の学歴と家族

 

オウム真理教の諜報部長官の井上嘉浩

井上嘉浩は「新宿駅青酸ガス事件」や「東京都庁小包爆弾事件」に主犯格として関わり、他に「地下鉄サリン事件」を含む多くの事件に関与したことから逮捕されましたが、その後麻原彰晃を始めオウム真理教は無意味だったことを証言して教団を裏切りました。

2004年5月に死刑が確定し、2018年7月6日に大阪拘置所で死刑執行が完了しています。

 

本名: 井上 嘉浩(いのうえ よしひろ)
生年月日: 1969年12月28日
出身地: 京都府京都市右京区
死没: 2018年7月6日(48歳没)
死没地: 大阪府大阪市都島区(大阪拘置所)
ホーリーネーム: アーナンダ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 諜報省長官
入信: 1986年


関係した事件
VX事件
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
地下鉄サリン事件

 

判決: 無期懲役 → 死刑(執行済み)

 

引用:Wikipedia – 井上嘉浩

 

井上嘉浩は子供の頃から社会問題をテーマにしたドキュメンタリー番組が好きで、NHKのそうした番組に若者の枠で出演したこともありました。

 

父親が非常に生真面目で家でもリラックスできない難しい性格をしていたことや、母親が自殺未遂をしたことなどから井上嘉浩は武道、ヨーガ、阿含宗に傾倒するようになり、その時期に「オウム神仙の会」のセミナーに参加したところ麻原彰晃を理想の親のように感じて出家しました。

 

私立洛南高等学校を経て日本文化大学法学部に進学した井上嘉浩ですが、麻原彰晃の指示で中退し母親もオウム真理教に入信しました。

 

井上嘉浩は私立探偵から盗聴技術を学んだ経験があることからオウム真理教内で諜報省(CHS)長官として活動しており、数々の事件に関与しながら「地下鉄サリン事件」では総合調整役を担当して大勢の被害者を出すことに重大な関与をしていたことから死刑判決が下りました。

 

井上嘉浩は2018年7月6日に大阪拘置所で死刑執行されています。

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】早川紀代秀【死刑執行済】

早川紀代秀の学歴と家族

 

オウム真理教の”裏のトップ”と言われた早川紀代秀

早川紀代秀は麻原彰晃よりも若い青年が多いオウム真理教の中で数少ない中年信者であり、建設省大臣を務め麻原彰晃の絶大の信頼を得ていた”裏のトップ”と言われる存在でした。

2009年7月に死刑が確定し、2018年7月6日に福岡拘置所で死刑執行が完了しています。

 

 

本名: 早川 紀代秀(はやかわ きよひで)
生年月日: 1949年7月14日
出身地: 兵庫県川西市
死没: 2018年7月6日(68歳没)
死没地: 福岡県福岡市早良区百道(福岡拘置所)
ホーリーネーム: ティローパ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 建設省大臣
入信: 1986年4月

 

関係した事件

男性信者殺害事件
坂本堤弁護士一家殺害事件

 

判決: 死刑(執行済み)

 

引用:Wikipedia – 早川紀代秀

 

早川紀代秀は兵庫県川辺郡東谷村(現・川西市)で生まれ、大阪府堺市に引っ越してからは大阪府立三国丘高等学校を経て神戸大学農学部に進学するなど比較的高学歴の出身です。

 

在学中は学生運動にも参加していたため公安当局から目をつけられていましたが、卒業後に建設会社の鴻池組に就職し、その後結婚と退職をしています。

 

早川紀代秀はこの頃からSFや超常現象などオカルト関係に傾倒しており、阿含宗に入信した時に麻原彰晃の著作と出会って感銘を受け、その後麻原彰晃が立ち上げた「オウム神仙の会」に入信しました。

 

早川紀代秀はオウム真理教内では麻原彰晃を含めて自分よりも格の高い信者に対してもはっきりと意見を言い時には叱ることから信頼が厚く、「裏のナンバー2」「裏のトップ」と呼ばれるほどオウム真理教内で影響力を持っていました。

 

早川紀代秀は「坂本堤弁護士一家殺害事件」に関与したほか、建設省大臣だったことから土地の買収とオウム真理教関連施設の建設に関わり、ロシアの政府高官とパイプを築いてAK-74自動小銃や大型ヘリコプター「ミル17」、LSDの原料などを調達を担当しています。

 

早川紀代秀は「地下鉄サリン事件」について「ハルマゲドンを縮小して救済しようと思った」と意味不明なことを語っており、2009年7月に死刑が確定、2018年7月6日に福岡拘置所で死刑執行されました。

 

早川紀代秀は拘置所に収監中も家族との面会や映画作品を鑑賞したり、瞑想するなど取り乱した様子は無かったようですが、麻原彰晃が拘置所で出されたカレーライスを食べたくて「自己ポア(自殺)」を思いとどまったという話を聞いて洗脳が解けましたが時はすでに遅かったようです。

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】豊田亨 【死刑執行済】

豊田亨の学歴と家族

 

オウム真理教で核開発を担当していた豊田亨

豊田亨は東京大学理学部物理学科を卒業したオウム真理教内でもトップクラスに優秀な頭脳の持ち主で、科学技術省次官を務め核開発を担当していました。

豊田亨は「地下鉄サリン事件」にサリン散布の実行犯として関わったことから2000年7月に死刑判決が降りていますがまだ死刑執行はされていません。

現在は東京拘置所に収監されています。※ 2018年7月26日に死刑が執行されました。

 

 

本名: 豊田 亨(とよだ とおる)
生年月日: 1968年1月23日
出身地: 兵庫県加古川市
ホーリーネーム: ヴァジラパーニ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 科学技術省次官
入信: 1986年9月
関係した事件: 地下鉄サリン事件
判決: 死刑(上告棄却)

引用:Wikipedia – 豊田亨

 

豊田亨の実家は祖父の代から教職員の家系で、自宅前に禅宗の寺があったことから子供時代から死に対して強い畏怖感を持っていました。

 

そのため豊田亨は非常に生真面目な性格をしており、白陵高等学校を経て東京大学理学部物理学科へ入学し素粒子理論を専攻していました。

 

豊田亨は同大学院の理学研究科物理学専攻修士課程を修了し、在学中はノーベル賞を取るために猛勉強していましたが、大学入学時に麻原彰晃の著書『超能力秘密の開発法』をきっかけにして「オウム神仙の会」に入信していました。

 

豊田亨はオウム真理教の核開発を任されてオーストラリアに「豊田研究所」を立ち上げており、「地下鉄サリン事件」では実行犯に指名されて東京の地下鉄日比谷線でサリンを散布し1人を死亡させて358人に重軽傷を負わせました。

 

豊田亨の死刑執行はいつになるか不明ですが、平成の時代が終わる天皇退位の4月30日より以前には実行されるでしょう。

 

【オウム真理教死刑囚一覧】宮前(岡崎)一明【死刑執行済】

宮前一明(旧姓:岡崎)の学歴と家族

 

オウム真理教で「ヤクザよりあこぎ」と呼ばれた岡崎一明

岡崎一明はオウム真理教でも最古参のメンバーのひとりであり、石井久子に続いて2番目の大師の昇格を麻原彰晃に認められた人物であり、「男性信者殺害事件」以降数々の事件に関わりました。

2005年4月に死刑が確定し、現在は名古屋拘置所に収監されています。※ 2018年7月26日に死刑が執行されました。

また、上告中に養子縁組し、宮前一明に名前が変わっています。

 

 

本名: 宮前一明(旧姓:岡崎)
生年月日: 1960年10月8日(57歳)
出身地: 山口県美祢市
ホーリーネーム: マハー・アングリマーラ
ステージ: 大師
入信: 1985年


関係した事件
男性信者殺害事件
坂本堤弁護士一家殺害事件


判決: 死刑(上告棄却)

 

引用:Wikipedia – 岡崎一明

 

岡崎一明は未熟児で生まれたため母親が10ヶ月の時に育児放棄をして失踪、父親もひとりで育て切れずに佐伯家へ養子に出し、2歳の頃に再婚しています。

 

岡崎一明は母親不在のため発語が遅れ、養父母とともに水道も通っていない田舎で貧しい暮らしをしていました。

 

養母は津和野稲荷など宗教に馴染みがあり、岡崎一明が幼少期から人のオーラが見えることについて「人に言わないほうがいい」と言っていたそうです。

 

養父が創価学会に入信したことで岡崎一明も毎日拝むようになり、富士宮市の総本山大石寺にも連れて行かれたことがありました。

 

岡崎一明は小学校時代から死について過大な畏怖の念を覚えるようになり、その畏れを振り払うために養父母に連れられて丹沢麓にある口寄せの寺を訪れて地蔵菩薩を信仰するようになりました。

 

岡崎一明は山口県立小野田工業高等学校工業計測科に奨学金で通い、アルバイトをしながら養父母に支援しながら大学を目指すも、卒業すると土木会社を経て製造業社に就職しました。

 

その後養母がアルツハイマー認知症になったことがきっかけで、岡崎一明は岡崎家の業の深さを断ち切るために精神世界に傾倒していき、オカルト雑誌『ムー』で麻原彰晃が座禅で空中浮揚をする姿を見て麻原彰晃の連載記事に興味を持ち、次第に虜になっていきました。

 

そして直接麻原彰晃に解脱が出来るかどうかを訪ね、納得の行く回答を得られたことからオウム真理教に入信し、敏腕セールスマンとしての経験を活かして麻原彰晃の出版する著書を売りさばきヒットさせました。

 

オウム真理教内では岡崎一明の商売方法について「やくざよりあこぎ」だと言われていたようです。

 

岡崎一明は「男性信者殺害事件」や「坂本弁護士一家殺害事件」で実行役を担うもその後3億円のお金を横領してオウム真理教を脱走しましたが、3億円は郵送手配のミスでオウム真理教に取り返されました。

 

脱走後、岡崎一明は殺害されて山に遺棄された坂本弁護士の長男の遺体遺棄現場をバラすとして麻原彰晃に口止め料1,000万円を請求しました。

 

岡崎一明は故郷の山口県で学習塾を開いていましたが、「地下鉄サリン事件」が発生したことでオウム真理教信者は警察の捜査対象となり、岡崎一明は訪ねてきた警察に「在家信者死亡事件」など自身が関わった殺人事件について自供しました。

 

オウム真理教を裏切った岡崎一明ですが2005年4月7日に死刑判決が降り、名古屋拘置所に収監されていました。

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】小池(林)泰男【死刑執行済】

小池泰男(旧姓:林)の学歴と家族

 

「地下鉄サリン事件」で「殺人マシーン」と呼ばれた林泰男

林泰男はオウム真理教内では科学技術省次官の一人であり、「地下鉄サリン事件」において最も多い3つのサリンが入ったパックを使用して8人を殺害したことからマスコミに「殺人マシーン」と呼ばれました。

2008年2月に死刑が確定し、現在は仙台拘置支所に収監。逮捕後に養子縁組し、苗字が小池に変わっています。

 

本名: 小池 泰男 (旧姓:林)
生年月日 : 1957年12月15日(60歳)
出身地: 東京都小平市
ホーリーネーム: ヴァジラチッタ・イシディンナ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 科学技術省次官
入信: 1987年


関係した事件
松本サリン事件
地下鉄サリン事件


判決: 死刑(上告棄却)

 

引用:Wikipedia – 林泰男

 

林泰男の父親は国鉄職員で朝鮮籍で帰化した身でしたが、高校3年生の頃に受験のため戸籍謄本を取り寄せた際にそのことに気づいた林泰男は自身も日本籍を取得しました。

 

このことから林泰男は自身のルーツである朝鮮人への日本での差別問題に苦しむようになりました。

 

林泰男は國學院大學久我山高等学校から東京都立立川高等学校定時制に編入し、工学院大学二部電気工学科に進学すると人工知能を研究していました。

 

中々の学歴を持っていた林泰男ですが卒業後は普通の人生を歩みたくないと感じたことから4年間世界を放浪するようになりました。

 

林泰男は南北アメリカで格差社会の貧困問題を目の当たりにし、アメリカでの人種差別に失望しましたが、インドなどを放浪する内にヨーガやチベット仏教に強い興味を抱きました。

 

林泰男は帰国後に麻原彰晃の著書『生死を超える』を読んだことで「オウム神仙の会」に入信し出家しました。

 

オウム真理教では科学部門に所属するほか麻原彰晃の運転手を務め、教団内の電気工事や創価学会やロシア政治家への盗聴などを行い、脱走した信者の連れ戻し役も担っていました。

 

「坂本堤弁護士一家殺害事件」では犯行用の車に交信用の無線機を取り付ける以外に直接的に関与しませんでしたが「地下鉄サリン事件」では3つのサリンパックを使用して8人を殺害するなどして、マスコミから「殺人マシーン」と呼ばれました。

 

元々麻原彰晃に対して強い不信感を持っていた林泰男は「地下鉄サリン事件」後に1995年5月で逮捕されるまで逃走しており、2008年2月に死刑判決が降り、仙台拘置支所に収監されていました。※ 2018年7月26日に死刑が執行されました。

 

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】横山真人【死刑執行済】

横山真人の学歴と家族

 

オウム真理教の武器製造を担った横山真人

横山真人はオウム真理教内で科学技術省次官のひとりであり、「地下鉄サリン事件」ではサリンを撒く実行犯のひとりでしたが直接的に死者は出しませんでした。

共同正犯として2007年7月に死刑が確定し、現在は名古屋拘置所に収監されています。※ 2018年7月26日に死刑が執行されました。

 

 

本名: 横山 真人(よこやま まさと)
生年月日: 1963年5月16日
出身地: 神奈川県伊勢原市
ホーリーネーム: ヴァジラ・ヴァッリィヤ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 科学技術省次官
入信: 1988年2月
関係した事件: 地下鉄サリン事件
判決: 死刑(上告棄却)

 

引用:Wikipedia – 横山真人

 

横山真人の父親は神奈川県伊勢原市の市役所職員であり、幼少期からとてもおとなしく無口な子供だったそうです。

 

横山真人は東海大学工学部応用物理学科でクリーンエネルギー開発を学び、後にオウム真理教で武器製造を担当する技術の基礎を身に付けましたが、卒業して自らが開発した機械により人手が不要となりリストラが増えたら嫌だと考えて、生きることに虚しさを感じていたところに麻原彰晃の著書『マハーヤーナ・スートラ』を読んで感銘を受け、麻原彰晃の著書を読みあさりました。

 

そして相容れないと悟った家族と縁を切ってオウム真理教に入信した横山真人は、麻原彰晃に次ぐ教団内のナンバー2と言われる村井秀夫の運転手を務め、機械の修理などを担当していましたが、いよいよオウム真理教が武装化を始めたことでロシアから手に入れたAK-74自動小銃の量産を任されることになりました。

 

横山真人は「地下鉄サリン事件」で東京の地下鉄丸ノ内線の池袋行き列車内でサリンを撒く実行犯を務めましたが、麻原彰晃からは警察官を狙うように言われていたものの乗車した車内には一般人しかおらず、横山真人は一般人を殺すことに躊躇したため1個のサリンパックにしか穴を開けませんでした。

 

そのため約200人の重軽傷者を出したものの、横山真人が担当した車両では死者を出しませんでした。

 

横山真人は「自動小銃密造事件」と「地下鉄サリン事件」の容疑者として逮捕されましたが、取調官に暴行を受けて自供を迫られたため頑として口を閉ざして事件について語ることはありませんでした。

 

横山真人は「地下鉄サリン事件」では直接的に死者を出さなかったものの、事件後もオウム真理教の信仰を失わなかったことを考慮されて共同正犯として2007年7月20日に死刑判決が下りました。

 

 

【オウム真理教死刑囚一覧】広瀬健一【死刑執行済】

広瀬健一の学歴と家族

 

「世界のトップサイエンス」と呼ばれた広瀬健一

広瀬健一はオウム真理教内では科学技術省次官の一人でしたが、早稲田大学出身の高学歴者で大学時代に国際学会に提出した論文『高温超伝導の二次元』は「世界のトップサイエンス」と高い評価を受けた頭脳の持ち主でした。

2009年11月に死刑が確定し、現在は東京拘置所に収監されています。※ 2018年7月26日に死刑が執行されました。

 

本名: 広瀬 健一(ひろせ けんいち)
生年月日: 1964年6月12日
出身地: 東京都
ホーリーネーム: サンジャヤ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 科学技術省次官
入信: 1988年3月
関係した事件: 地下鉄サリン事件
判決: 死刑(上告棄却)

 

引用:Wikipedia – 広瀬健一

 

東京都23区内で生まれた広瀬健一は、温かい家族に恵まれて明るく穏やかな性格に育ち、幼少期からエンジニアを目指すような知能の高さをすでに見せ始めていました。

 

多摩市内の小学校、中学校に通っていましたが、広瀬健一はトップクラスの成績であり、父に習って剣道もしていたことから中学1年生の頃には初段となるなど文武両道の少年でした。

 

早稲田大学高等学院に進学した広瀬健一は、決して裕福ではない両親に迷惑をかけないために奨学金で通っており、家計を助けるために母親とメッキ工場でアルバイトをするなど心優しい性格をしていました。

 

しかし、高校3年生の頃に広瀬健一は家電店で値引された商品を観たときに、繰り返される製品開発競争でどれだけ技術を開発してもすぐに取って変わられ、価格の暴落や軍事転用されることに無常感を抱き、社会を見る価値観が変わっていきました。

 

広瀬健一は早稲田大学理工学部応用物理学科で応用物理を学び、半導体素子について研究を始めましたが、これは半導体のような技術であれば頻繁に価値が塗り替えられることはないだろうと思っての選択でした。

 

首席で大学を卒業した後、早稲田大学大学院理工学研究科物理と並び応用物理学専攻修士課程に進学した広瀬健一は、指導した教授とともに『高温超伝導の二次元』の論文を共同執筆し、これがスイス会議の場で「世界のトップサイエンス」と高評価を得ました。

 

「ノーベル賞級の学者」になるとも評された広瀬健一でしたが、内定を得ていたNECの中央研究所を辞退してオウム真理教に入信し出家しました。

 

広瀬健一は高校時代から生きることの無常観を払拭するために”解脱”することを目標にしていましたが、この境地に達するにはヨーガが必要だと感じたことから麻原彰晃の著書を読みあさり、神秘体験をしたことから確信を得てオウム真理教に入りました。

 

元々広瀬健一は家族との縁を切ることは毛頭無かったことから出家は考えていませんでしたが、兵器開発要員として広瀬健一の頭脳が欲しかった麻原彰晃が「アルマゲドンが近づいている」という洗脳を続けたことで入信したようです。

 

「地下鉄サリン事件」では広瀬健一は実行犯として東京の地下鉄丸の内線で一度は躊躇って下車したものの、意を決して御茶ノ水駅で再び乗車しサリンパックに穴を開けて1人を殺害しました。

 

広瀬健一は完全に洗脳されている状態でしたが、一人を殺害したことや被害者の心情を考慮して2009年11月6日に死刑判決が下りました。広瀬健一は東京拘置所に収監されていました。

 

 

オウム真理教死刑囚一覧】端本悟【死刑執行済】

端本悟の学歴と家族

 

オウム真理教内随一の武闘派・端本悟

端本悟はオウム真理教内で自治省のメンバーであり、早稲田大学時代に空手部首相を務めていた経験から教団内でも一番の武闘派で、「坂本弁護士一家殺害事件」、「松本サリン事件」の実行犯として殺害に及びました。

1996年2月に死刑が確定し、現在は東京拘置所に収監されています。※ 2018年7月26日に死刑が執行されました。

 

 

本名: 端本 悟(はしもと さとる)
生年月日: 1967年3月23日
出身地: 東京都調布市
ホーリーネーム: ガフヴァ・ラティーリヤ
ステージ: 師長
教団での役職: 自治省
入信: 1988年7月


関係した事件
坂本堤弁護士一家殺害事件
松本サリン事件


判決: 死刑(上告棄却)

 

引用:Wikipedia – 端本悟

 

端本悟は新聞配達店を経営する両親の元に生まれ、東京都立狛江高等学校を卒業して一浪の後に早稲田大学法学部に進学しましたが反抗期は一度もありませんでした。

 

空手サークルに入っていた端本悟は3年時には主将を務めるまでになり、後にオウム真理教の武道大会でも優勝しています。

 

端本悟は友人がオウム真理教に入信したことで脱会するように説得を繰り返していましたが、友人の様子を見るためにオウム真理教のセミナーに参加したところ麻原彰晃の考えに感化してオウム真理教に入信してしまいました。

 

端本悟は出家する際に両親に育ててもらった礼をして「戦争をとめなきゃ」と縁を切る理由を語ったことから母親が半狂乱で大学に相談に行きましたが止めることはできませんでした。

 

端本悟はオウム真理教の選挙活動の際に「ふくろう部隊」などをしていましたが、空手の腕前を買われて「坂本堤弁護士一家殺害事件」に実行犯として加わり坂本一家を殺害しました。

 

そして端本悟は「松本サリン事件」にも参加しましたが、鼻水が出る程度の被害だと考えていたところ死者を出してしまったため愕然としたようです。

 

結局端本悟は言われるままに殺人に加担してしまい、1996年2月に死刑が確定、東京拘置所に収監されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

オウム真理教の死刑囚について総まとめすると…

・2018年7月6日、オウム真理教の死刑囚13人のうち、教祖・麻原彰晃を含む7人の死刑囚の死刑が同日に執行された。

・2018年7月26日、 小池泰男(旧姓:林)、宮前一明(旧姓:岡崎)、豊田亨、広瀬健一、横山真人、端本悟の6人の死刑も執行された。

・オウム真理教死刑囚は高学歴のものが多く、豊田亨は東京大学出身者初の死刑囚である。

 

オウム真理教の教祖・麻原彰晃をはじめとする死刑が執行された、確定している信者について総まとめしてきました。

 

1995年3月20日にオウム真理教により「地下鉄サリン事件」が起き、13人が死亡し6,000人あまりが重軽傷を負うなど未曾有のテロ事件となりましたが、現在も家族親類が殺害されて精神的に苦しんでいる遺族、後遺症に苦しんでいる被害者が多数います。

 

オウム真理教の凶悪事件に絡んだ犯人らはほとんど高学歴の類まれな知識を持った人物が多いようですが、教団全体でみれば社会で生きていけなくなった落ちこぼれが非常に多くいるようです。

 

オウム真理教は名前を「Aleph(アレフ)」と変えて中心メンバーの一人だった上祐史浩により運営されており、他にも「ひかりの輪」「山田らの集団」「ケロヨンクラブ」など分派が生まれるなど「第二のオウム」候補としてその動向が注目されています。

 

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