「男はつらいよ」シリーズなどで知られる名女優・倍賞千恵子さんが話題です。
この記事では倍賞千恵子さんの若い頃の経歴や画像、妹の倍賞美津子さんや弟、両親など家族、2度の結婚と旦那さん、子供、自宅や現在のブルーリボン賞受賞などの活躍などについてまとめました。
この記事の目次
- 倍賞千恵子のプロフィール
- 倍賞千恵子の若い頃① みすず児童合唱団、松竹歌劇団を経て松竹へ
- 倍賞千恵子の若い頃② 歌手と映画女優の双方で絶大な人気を獲得
- 倍賞千恵子の若い頃③ 男はつらいよシリーズのさくら役で国民的女優に
- 倍賞千恵子の家族① 妹は女優の倍賞美津子
- 倍賞千恵子の家族② 弟(長男)は倍賞明さん
- 倍賞千恵子の家族③ 弟(次男)は倍賞鉄夫さん
- 倍賞千恵子の家族④ 父親は都電運転士で母親は車掌
- 倍賞千恵子の家族⑤ 姉もいる
- 倍賞千恵子の結婚① 最初の旦那は俳優の小宮健五(小宮守)
- 倍賞千恵子の結婚② 再婚した旦那は作曲家の小六禮次郎
- 倍賞千恵子と旦那・小六禮次郎の子供
- 倍賞千恵子の自宅
- 倍賞千恵子の現在① 女優として第一線で活躍しブルーリボン賞も獲得
- 倍賞千恵子の現在② 歌手としても精力的に活動
- まとめ
倍賞千恵子のプロフィール
倍賞千恵子のプロフィール
生年月日:1941年6月29日
出生地 :東京市豊島区西巣鴨(現・東京都豊島区西巣鴨)
出身地 :東京都北区滝野川
身長 :159cm
血液型 :B型
倍賞千恵子(ばいしょう・ちえこ)さんは、1960年代から現在まで活躍を続けている女優、歌手です。
女優としては、若い頃から庶民派女優として人気を博し、「男はつらいよ」シリーズの主人公・車寅次郎(渥美清さん)の妹・さくら役をはじめ、「運が良けりゃ」、「なつかしい風来坊」、「下町の太陽」、「霧の旗」、「家族」、「故郷」、「同胞」、「幸福の黄色いハンカチ」、「遙かなる山の呼び声」、「キネマの天地」など、山田洋次監督作品にヒロイン役として多数出演している事でも知られています。
山田洋次監督作品以外にも多数出演しており、代表作としては、ドラマでは「太陽ともぐら」(原作は山田洋次)、「お姉ちゃん」、「ぼくの姉さん」、1999年のNHK朝ドラ「すずらん」、映画では、「女嫌い」、「純情二重奏」(1967年版)、「あにき」、「駅 STATION」、「植村直己物語」、「旅路・村でいちばんの首吊りの木」などがあります。
また、2004年のスタジオジブリのアニメーション映画「ハウルの動く城」では、ヒロインのソフィーの18歳から90歳までの声を見事に演じ大きな話題を呼びました。
ベテラン女優となってからは演技の幅をさらに広げ、2009年映画「ホノカアボーイ」、2010年「座頭市 THE LAST」、2012年「東京に来たばかり」、2013年「すべては君に逢えたから」、「ハーメルン」、2014年「小さいおうち」、2019年「初恋〜お父さん、チビがいなくなりました」、2020年「461個のおべんとう」、2021年「Arc アーク」、2022年「PLAN75」など、様々なジャンルの作品に出演されています。
女優賞の受賞歴も輝かしく、1970年に毎日映画コンクールの女優主演賞(家族、男はつらいよ 望郷篇)、1975年にブルーリボン賞の助演女優賞(男はつらいよ 寅次郎相合い傘)、1980年に日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞(遙かなる山の呼び声、男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花)と毎日映画コンクールの女優演技賞(遙かなる山の呼び声)、1981年に毎日映画コンクールの女優演技賞(駅 STATION)、2023年にブルーリボン賞の主演女優賞(PLAN75)を受賞されています。
倍賞千恵子の若い頃① みすず児童合唱団、松竹歌劇団を経て松竹へ
倍賞千恵子さんの若い頃の経歴や画像を紹介していきます。
倍賞千恵子さんは、太平洋戦争勃発直前の1941年6月29日に、東京市豊島区西巣鴨(現在の東京都豊島区西巣鴨)で生まれました。
戦争中に茨城県に疎開した後、終戦後からは東京都北区滝野川で育っています。
幼少の頃から歌がとても上手く、北区立滝野川第六小学校5年生の時にNHK「のど自慢」に出演したのをきっかけにみすず児童合唱団にスカウトされて入団し、童謡のレコーディングにも参加しています。また13歳の時には「ひばりの赤ちゃん」という曲で歌手デビューしています。
北区立紅葉中学校在学中は、将来は体育の先生か音楽の先生になりたいと考えていましたが、高校受験の肩慣らしのつもりで松竹音楽舞踊学校を受験したところ、高い競争率を突破して合格し、そのまま本格的に芸能の道へと進まれています。
倍賞千恵子さんは、1960年に松竹音楽舞踊学校を主席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)に13期生として入団。逸材として話題を集め、その年の初舞台「東京踊り」で、初代バトンガールに抜擢されています。
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1961年、中村登監督にスカウトされて松竹と専属契約し、映画「斑女」にて映画初出演を果たしました。その後も井上和男監督の「水溜り」や、五所平之助監督の「雲がちぎれる時」などに出演して人気を上げ、松竹大船の正統人情ものとして人気を博していた番匠義彰監督の「花嫁シリーズ」の主演に抜擢されました。
倍賞千恵子の若い頃② 歌手と映画女優の双方で絶大な人気を獲得
倍賞千恵子さんは、1962年には松竹の新スターとして映画13本に出演する一方で、キングレコードから歌手としても本格デビューしています。
デビューシングルとなった「下町の太陽」は大ヒットを記録し、1963年の第4回日本レコード大賞新人賞に輝きました。倍賞千恵子さんの他のヒット曲としては、「さよならはダンスの後に」、「おはなはん」、「忘れな草をあなたに」などが知られています。
1963年には「下町の太陽」を原案とする山田洋次監督の映画「下町の太陽」に主演して化粧品工場で働く爽やかな娘・町子の役を好演し、これをきっかけに倍賞千恵子さんは山田洋次監督の作品に欠かせない女優となりました。
1964年には、勝呂誉さんと共演した「女嫌い」をはじめとする青春映画で正統派ヒロインを演じる一方、中村登監督の「二十一歳の父」での盲目のマッサージ師の難しい役どころを演じ女優としての幅を着実に広げています。
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また、1965年の山田洋次監督作品「霧の旗」では、兄の復讐を誓う妹の、これまでとは色合いの違う役柄を見事に演じ、女優としての類まれな才能を示しました。
1967年には、5歳下の妹の倍賞美津子さんの女優デビュー作である映画「純情二重奏」で姉妹共演を果たして話題になりました。
倍賞千恵子の若い頃③ 男はつらいよシリーズのさくら役で国民的女優に
さりげなく生活感を表現できる倍賞千恵子さんの演技の才能に特に信頼を寄せていたのが山田洋次監督でした。
山田洋次監督は、1967年から1969年にかけてのハナ肇さん主演の喜劇シリーズのヒロイン役として立て続けに倍賞千恵子さんを起用。
そして、1969年に、後に倍賞千恵子さんの代名詞的作品となる山田洋次監督作品「男はつらいよ」に主人公の寅次郎の妹・さくら役として出演。
「男はつらいよ」シリーズはその後、1995年まで48作品(特別編のぞく)が上映され、倍賞千恵子さんはその全てにさくら役で出演されています。
倍賞千恵子さんはこの「男はつらいよ」シリーズを通じて、国民的女優と呼ばれるようになりました。
倍賞千恵子の家族① 妹は女優の倍賞美津子
倍賞千恵子の妹・倍賞美津子のプロフィール
生年月日:1946年11月22日
出生地 :茨城県
出身地 :東京都北区滝野川
身長 :163cm
血液型 :B型
倍賞千恵子さんの5歳年下の妹は、現在も女優として活躍されている倍賞美津子(ばいしょう・みつこ)さんです。
倍賞千恵子の妹・倍賞美津子の経歴
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倍賞千恵子さんの妹の倍賞美津子さんも中学卒業後に松竹音楽舞踊学校に入学し、1965年に松竹歌劇団(第18期生)に入団と同じ道を歩んでいます。
同年の舞台「秋の踊り」で新人賞に輝いて頭角を表し、1967年に映画「純情二重奏」にて、倍賞千恵子さんと異母姉妹役を演じて共演し映画女優としてデビューしました。
1969年には、五社英雄監督映画「人斬り」で京都市民映画祭新人賞を受賞し、その後は、ザ・ドリフターズやコント55号の主演映画のヒロイン役として度々出演するなど、若い頃はコメディエンヌとして人気を博しました。
1979年に映画「復讐するは我にあり」では、緒形拳さん演じる殺人犯の妻役を演じ、ブルーリボン賞助演女優賞と日本アカデミー賞優秀助演女優賞に輝いて演技派女優としての高い評価を得ます。
以降、黒澤明監督の映画「影武者」や、今村昌平監督の「ええじゃないか」、加藤泰監督の「炎のごとく」、相米慎二監督の「ションベンライダー」など、数々の大作に出演。
1983年には、今村昌平監督のカンヌ国際映画祭グランプリ受賞作「楢山節考」や、五社英雄監督の「陽暉楼」などで、報知映画賞助演女優賞と日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞しています。
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1986年には、神代辰巳監督「離婚しない女」にて、姉の倍賞千恵子さんと2度目の姉妹共演を果たしています。
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1997年、今村昌平監督と再びタッグを組んで2度目のカンヌ国際映画祭グランプリ「うなぎ」や、市川準監督の「東京夜曲」で、毎日映画コンクール、キネマ旬報賞、報知映画賞、日本アカデミー賞の助演女優賞など、その年の映画賞を総なめ。
1998年には「秘祭」、「ラブ・レター」で、日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を獲得。2000年には、平山秀幸監督の「OUT」にて、日本アカデミー賞優秀助演女優賞に輝き、日本映画界を代表する演技派女優としての地位を確かなものとしています。
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2002年には、映画界への長年の貢献が讃えられて、毎日映画コンクール田中絹代賞が贈られています。
近年では、今村昌平監督の息子である天願大介監督がメガホンを取った2011年の映画「デンデラ」では89歳の老女役を演じて大きな話題を呼ぶなど、長年にわたって日本映画界を代表する女優の1人として活躍を続けられています。
倍賞千恵子の妹・倍賞美津子はアントニオ猪木と結婚していた
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倍賞千恵子さんの妹・倍賞美津子さんはプライベートでは、1971年にプロレスラーのアントニオ猪木さんと結婚しています。国民的プロレスラーと超人気女優の結婚という事で注目され、1億円規模の豪奢な結婚式も催されました。
その後のアントニオ猪木さんの活躍には倍賞美津子さんの支えも大きかったと言われるなど、理想的な夫婦として人気を集めましたが、1987年に離婚しています。
1985年から1986年にかけて、倍賞美津子さんとアントニオ猪木さん双方が別の人物と2人でいるところを週刊誌にスクープされており、この頃には既に夫婦仲が破綻していたようです。
倍賞千恵子と妹・倍賞美津子は六本木で居酒屋を経営していた
倍賞千恵子さんと妹の倍賞美津子さんのエピソードとしては、2000年頃に東京都六本木3丁目( 六本木ロアビル近く)で「ばいしょう」という居酒屋を姉妹で経営していた事が知られています。
倍賞千恵子の家族② 弟(長男)は倍賞明さん
倍賞千恵子の弟・倍賞明さんのプロフィール
生年月日:1944年5月11日
没年月日:2019年1月22日
出身地 :東京都
倍賞千恵子さんの3歳下の弟は、倍賞明さんという方で、アマチュア野球選手として活躍された方でした。
倍賞千恵子さんの弟の倍賞明さんは、日本大学第三高校3年生の時に春夏の甲子園に連続出場し、3番ファーストの主軸として活躍。春の選抜では準優勝、夏の甲子園では準々決勝進出を果たしています。
高校卒業後は日本大学へと進み、東都大学野球リーグで活躍。大学卒業後は社会人野球へと進み、全鐘紡、日産自動車で強打の内野手として活躍されました。
現役引退後は、1975年より日産自動車硬式野球部の監督に就任されています。
そんな倍賞千恵子さんの弟・倍賞明さんは、2019年1月22日に前立腺癌転移による多臓器不全で74歳で亡くなられています。
倍賞千恵子の弟・倍賞明氏(ばいしょう・あきら=元日産自動車硬式野球部監督)が22日、前立腺がん多臓器転移のため死去、74歳。
倍賞千恵子の家族③ 弟(次男)は倍賞鉄夫さん
倍賞千恵子の弟・倍賞鉄夫さんのプロフィール
生年 :1949年
没年月日:2017年8月8日
出身地 :茨城県
倍賞千恵子さんのもう1人の弟は倍賞鉄夫さんという方で、新日本プロレスの名物リングアナウンサーとして活躍された方でした。
倍賞千恵子さんの弟の倍賞鉄夫さんは、新日本プロレスに営業として入社し、リングアナウンサーを務めていた先輩の大塚直樹さんが営業を回った際に、その代役としてリングアナウンサーを務めるようになりました。
大きな蝶ネクタイをトレードマークとし、コール時に手をかざす特徴的なアクションでファンからの人気を集めた存在で、タイガー・ジェット・シンなどよく外国人レスラーに襲われ、危険を回避しながらアナウンスを行う姿で度々観客を盛り上げました。
新日本プロレスが発行していたパンフレット「ザ・レスラー」の編集長も務め、その後は新日本プロレスの専務に就任し、裏方として長年興行を支えられています。
そんな倍賞千恵子さんの弟の倍賞鉄夫さんでしたが、晩年は脳梗塞を患い、2017年8月8日に68歳という若さで亡くなられています。プロレス界や往年のファンからもその死を悼む声が多く上がっていました。
新日本プロレスでリングアナウンサーとして活躍した倍賞鉄夫さんが8日に亡くなっていたことが10日、分かった。68歳だった。倍賞さんは女優の倍賞千恵子、美津子姉妹の実弟で、新日プロ旗揚げ時に入社。営業部員やリングアナとして活躍した後、専務の要職に就いた。関係者によると数年前に脳梗塞を患い、闘病生活を続けていたという。
倍賞千恵子の家族④ 父親は都電運転士で母親は車掌
倍賞千恵子さんの父親は倍賞美悦さんという方で、先祖は佐竹藩に伝えた守衛だったそうです。
出身地は秋田県鹿角郡(現在の鹿角市)の出身でしたが、中学生の時に東京へと出て、数え年で15歳の時に都電の車掌の試験を受けて合格し、その後は運転士になっています。
倍賞千恵子さんも運転士だったお父さんとの若い頃のエピソードを何度か語られています。
倍賞 はい、父は運転手をしておりました。早番と遅番があって、早番で帰ってくると、当時の家は六畳と四畳半だけでしたので寝るところがなくてね。父は押し入れで昼寝をしてまた出掛けていました。
倍賞 私は、十二、三歳のころ、童謡を歌っていまして、青山にあるレコード会社にお稽古に通っていたんです。滝野川から都電に乗って神保町で乗り換えて、青山通りから表参道を通って。父の運転する電車に乗り合わせたことも何回かありました。父が運転する横に立って「ねえ、窓開けて」って頼んで、気持ちよく風を受けながらお稽古に行ったことを覚えています。
倍賞千恵子さんは、姉や弟、妹(倍賞美津子さん)達と早稲田にあった車庫にお父さんを迎えに行った事や、兄弟で一緒に都電に乗った事もあったそうです。
倍賞 早稲田の車庫には、兄弟でよく父を迎えに行きましたね。父が車庫の前のお店で小倉アイスを買ってくれた思い出があります。いつだったか兄弟で巣鴨から早稲田まで乗ったこともありました。
倍賞千恵子さんのお母さんは「はな」さんという方で、茨城県真壁郡大和村(現在の桜川市)の出身でした。小学校卒業後に東京へ出て女子車掌になり、倍賞千恵子さんのお父さんの美悦さんさんとは職場で知り合い結婚されています。
倍賞千恵子の家族⑤ 姉もいる
倍賞千恵子さんは、妹の倍賞美津子さんや弟2人の他にも姉が1人いる事を明かされています。
ただ、倍賞千恵子さんの姉は一般の方のため情報は公開されておらず、詳しいことは不明です。
倍賞千恵子の結婚① 最初の旦那は俳優の小宮健五(小宮守)
倍賞千恵子の最初の旦那・小宮健五のプロフィール
生年月日:1949年2月26日
出身地 :東京都
身長 :177cm
血液型 :A型
倍賞千恵子さんは2度結婚をされています。
倍賞千恵子さんの1度目の結婚は1976年で、旦那さんは7学年年下の俳優の小宮健五さん(結婚当時は小宮守名義で活躍)でした。
倍賞千恵子さんは、1975年に舞台「屋根の上のバイオリン弾き」での共演をきっかけに当時若手俳優だった小宮健五さんと交際を始め、1976年1月に単独記者会見で婚約を発表されています。
1976年3月8日、軽井沢の聖パウロ教会で超極秘の結婚式を挙げて結婚されています。この時の結婚式に集まったのは、倍賞千恵子さんと旦那さんの小宮健五さんの他には、それぞれの両親と倍賞千恵子さんの付き人とマネージャーだけだったそうです。(合計わずか8人)
当初は結婚生活はうまく行っていましたが、結婚4年目の1980年1月20日にスポーツ紙が、旦那さんの小宮健五さんが荷物をまとめて家を出て行ったと報じました。
倍賞千恵子さんは翌日の映画記者会見の場で「記事の内容は誤報」と別居を否定されましたが、1980年10月末に離婚が発表されました。
離婚理由は明らかにされていませんが、当時の倍賞千恵子さんは国民的女優として絶大な人気があり年収は数千万円あるのに対し、旦那さんの小宮健五さんは当時はまだ若手の俳優で年収は80万円ほどだったため、こうしたあまりに大きな経済格差が原因になったのではと言われています。
倍賞千恵子さんは、最初の旦那さんの小宮健五さんとの離婚後は、当時から超人気俳優だった俳優の高倉健さんと交際されていたようですが、周囲に騒がれすぎたため3年ほどで破局し結婚には至りませんでした。
「35歳で結婚した8歳下の俳優とは4年で離婚。81年には『幸福の黄色いハンカチ』など3本の映画で共演した高倉健との熱愛が報じられたが、報道の過熱もあり3年ほどで破局したようです」(芸能デスク)
倍賞千恵子の結婚② 再婚した旦那は作曲家の小六禮次郎
倍賞千恵子の現在の旦那・小六禮次郎のプロフィール
生年月日:1949年12月13日
出身地 :岡山県岡山市中区
1度目の結婚相手である小宮健五さんとの離婚から13年後の1993年に、倍賞千恵子さんは作曲家の小六禮次郎(ころく・れいじろう)さんと2度目の結婚をされています。
倍賞千恵子さんの現在の旦那さんである小六禮次郎さんは、あのドラゴンクエストなどのゲーム音楽作曲などで知られるすぎやまこういちさんの弟子にあたる人物で、ドラマや映画の作中音楽、ミュージカルやオペラ、交響詩、テレビCMなど、幅広いジャンルで活躍されている大物作曲家です。
倍賞千恵子さんは歌手活動での楽曲の編曲を通じて、小六禮次郎さんと知り合い、1986年頃に交際をスタートされています。しかし、当時は小六禮次郎さんは別の女性と結婚していて家族がありその後、小六禮次郎さんの離婚が成立した事を受けて1993年に結婚されています。
不倫関係だったため、当時の報道では略奪婚とも報じられました。
現在も倍賞千恵子さんと旦那さんの小六禮次郎さんの夫婦仲はとても良いようで、1年の半分以上を北海道別海町の別荘で2人で過ごされているそうです。
倍賞の曲の編曲を手掛けた作曲家・小六禮次郎(ころくれいじろう)氏と51歳で再婚。 「交際当初は小六氏に妻子がいたため“略奪婚”とも報じられた。現在は1年の半分近くを北海道別海町の別荘で過ごしながら、仲睦まじく暮らしている」
倍賞千恵子と旦那・小六禮次郎の子供
倍賞千恵子さんと旦那さんの小六禮次郎さんとの間には子供はいません。
前の旦那さんの小宮健五さんとの間にも子供はなく、倍賞千恵子さんには子供はいません。
倍賞千恵子の自宅
倍賞千恵子さんの自宅は公開されていませんが、ファンからの情報によると1999年頃までは神奈川県横浜市内にある分譲マンションに住まわれていたようです。
現在の自宅も明らかにされていませんが、東京都港区西麻布3丁目にあるマンション「チュリス西麻布」の最上階に住んでいるとの噂があるようです。こちらについては真偽不明の情報です。
ちなみに、倍賞千恵子さんは北海道の野付郡別海町に別荘を持っており、1年の半分以上は東京の自宅ではなく、こちらで過ごされているそうです。その縁から、倍賞千恵子さんと旦那さんの小六禮次郎さんは2013年1月15日から「別海町観光大使」に就任されています。
また、同地にある「野付半島ネイチャーセンター」の名誉センター長にも就任されています。
倍賞千恵子の現在① 女優として第一線で活躍しブルーリボン賞も獲得
倍賞千恵子さんは2023年3月の現在は81歳を迎えられていますが、今も女優として第一線で活躍されています。
2022年公開の映画「PLAN75」には主演しており、同作は2022年5月のカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門にノミネートされ、倍賞千恵子さんは80歳にしてカンヌ映画祭に初出席して話題を呼びました。
フランスで5月に開催される第75回カンヌ国際映画祭で、日本からは女優、倍賞千恵子(80)の主演映画「PLAN 75」(6月17日公開)が「ある視点」部門に出品されることになった。倍賞は80歳にしてカンヌ初参加となる。
引用:80歳・倍賞千恵子、カンヌ初参加 主演映画「PLAN 75」 最高賞パルムドール受賞の是枝監督が総合監修のオムニバス映画
さらに、同作「PLAN75」での倍賞千恵子さんの演技は高く評価され、ブルーリボン賞の主演女優賞に輝いています。これは歴代最高齢(受賞時81歳)の受賞として大きな話題になりました。
東京映画記者会(日刊スポーツなど在京スポーツ紙7紙の映画担当記者で構成)主催の第65回(22年度)ブルーリボン賞が23日までに決定し、倍賞千恵子(81)が主演女優賞を俳優部門歴代最高齢で受賞した。
倍賞は受賞に「(20歳の)デビュー時とあんまり変わらない気持ちでここまで来ちゃった感じがします。『最高齢』って言われるのが不思議です」と笑った。
倍賞千恵子の現在② 歌手としても精力的に活動
倍賞千恵子さんは歌手としても現在も精力的に活動を続けられています。
毎年、旦那さんの作曲家・小六禮次郎さんのプロデュースによるコンサートを複数回開催しており、多くのファンが訪れています。
まとめ
今回は、1960年代から活躍されている女優で歌手の倍賞千恵子さんについてまとめてみました。
倍賞千恵子さんは若い頃は、松竹音楽舞踊学校を経て松竹歌劇団に所属。その後、松竹の専属女優となり、庶民派の女優として国民的人気を博しました。特に山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズの寅さんの妹のさくら役はよく知られています。
倍賞千恵子さんの家族も話題で、妹は国内を代表する女優の1人である倍賞美津子さん、弟は長弟が甲子園や社会人野球で活躍し日産自動車硬式野球部の監督も務められ倍賞明さん、次弟は、新日本プロレスの名物リングアナウンサーだった倍賞鉄夫さんです。
倍賞千恵子さんは2度結婚されていて、1人目の旦那さんは7歳下の俳優の小宮健五さん、2度目の結婚相手で現在の旦那さんが作曲家の小六禮次郎さんです。
倍賞千恵子さんには、小宮健五さんとも小六禮次郎さんとの間にも子供はいません。
倍賞千恵子さんの自宅は東京都内のマンションだと言われていますが、あくまで噂です。北海道別海町に別荘があり、1年のうちの半分以上を東京自宅ではなくこちらの別荘で旦那さんの小六禮次郎さんと2人で過ごされているようです。
現在も倍賞千恵子さんは女優や歌手として第一線で活躍されており、2022年に主演した映画「PLAN75」では、カンヌ国際映画祭への参加や、ブルーリボン賞の主演女優賞の史上最高齢受賞などで話題になりました。