偏差値30以下のギャルが1年で慶應義塾大学に合格したノンフィクション作品『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』。
そのモデルとなったビリギャル・小林さやかさんのその後に注目が集まっています。
小林さやかさんの高校や大学時代、結婚した旦那と子供のことなど現在までの活躍について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
小林さやか(ビリギャル本人)のプロフィール
小林さやかさんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 小林 さやか(こばやし さやか)
出身地: 愛知県名古屋市
生年月日: 1988年3月15日
公式サイト: 小林さやか | 公式ウェブサイト – ビリギャルだったわたしが 今、伝えたいこと。 (birigal.biz)
小林さやかは本当にビリギャル?出身中学・高校は愛知のお嬢様学校
小林さやかさんの父親は起業したことで忙しく、弟を野球選手にするために溺愛していたため小林さやかさんと妹は構ってもらえませんでした。
そうした身勝手な父親に対してまともな父性を感じられなかった小林さやかさんは非常に内気な性格に育ってしまい、小学校時代には友達とうまく付き合えなかったそうです。
そのため小学校時代は寂しい思いをしており、小林さやかさんは友達付き合いができない自分に非常に強いコンプレックスを抱えていたことから、「誰も自分を知らないところに行きたい」と思い中高大が一貫校となっている私立中学校を受験し進学しました。
この愛知淑徳学園は名古屋の女子中学受験の「御三家」「SSK」と呼ばれる学校の1つで、偏差値は69もあるそうです。
ネットではどこがビリギャルなの?との声も上がっています。
たくさん払ってお嬢様学校や塾に行ったおかげで慶応に受かったビリギャルよりも、家が貧乏で博士課程3年間の授業料を全額免除してもらいながら博士号を取った僕の方が凄いと思う。
— Yu20 M0r1sh1ta (@pathos95606) May 4, 2015
https://twitter.com/moja99758134/status/1500387397137465345
小林さやかの落ちこぼれギャル時代・両親など家族・慶應大学受験まで
小林さやか、友達の影響で金髪ギャルに
中学校に上がってからは友達ができた小林さやかさんは、部活と友達づきあいに集中しすぎるあまり勉強をまったくしなくなったそうです。
そして、仲良くなった友達がギャルだったことから自分も仲間はずれにならないようにと髪を金髪に染めて日焼けし、ギャルメイクをするようになりました。
金髪にした髪を巻いておよそ学生らしくない髪型になり、スカートを巻き上げてミニスカートにし、たむろしてはタバコをふかすなど小林さやかさんは友達の影響でバリバリのギャルとなりました。
名古屋では知られたお嬢様学校だったにも関わらず、小林さやかさんは他校の学生とも男女問わず交友関係を広げ、不純異性交遊に励むなど学生として真面目とは程遠い素行の悪さに無期停学を言い渡されたこともありました。
学校でも1、2を争う問題児扱いを受けていた小林さやかさんは、無期停学を言い渡された際に校長先生から「君は人間のクズだよ」と辛辣な言葉を投げかけられたそうです。
中学校2年生までは地味だった小林さやか
小林さやかさんは中学校2年生の頃までは赤ぶちメガネの目立たない生徒だったそうで、ソフトテニス部に打ち込む普通の学生生活を送っていました。
しかし、中学校3年生の頃にギャルと同じクラスになったことで仲良くなってしまったため、小林さやかさんは”ビリギャルデビュー”を果たしてしまったようです。
先述したように小林さやかさんがグレてしまった背景にはあまりに身勝手過ぎる父親への反発心もあったようです。
小林さやか、両親は離婚寸前の崩壊した家族関係
小林さやかがグレた理由は両親不和
小林さやかさんが”ビリギャル”になるまで落ちぶれてしまった最大の原因はまともに親としての役割を果たさなかった父親にあるようです。
小林さやかさんの父親は高校時代まで野球に打ち込んでいたようでプロ野球選手を目指していたようです。
その夢を果たせなかったからか小林さやかさんの弟を野球選手にさせようと情熱を注いでおり、少年野球チームのコーチをしながら熱心に指導していたそうです。
そのため父親は弟を溺愛して小林さやかさんと妹には関心を示さなかったようで、母親もそうした父親の姿に反発をしていたため両親の仲は悪かったようです。
しかし、父親は人の言うことを聞かない頑固な性格だったため「お前は黙っていろ」の一点張りでしたが、ついには弟がプロ野球選手になることはなく、小林さやかさんに言わせれば「弟の人生を潰した」ということです。
こうした酷い父親の存在から小林さやかさんは家に帰りたくなかったそうで、父親と顔を合わせれば喧嘩ばかりしており、グレて友達と深夜にたむろしていた時に父親が迎えに来た時には「くそじじい!」と罵倒したそうです。
しかし、小林さやかさんは高校時代に初めて信頼でき尊敬できる男性、坪田信貴さんと出会い汚名返上の時代を迎えます。
小林さやか、塾講師・坪田信貴と出会い猛勉強開始
坪田信貴と出会い変わった小林さやか
小林さやかさんは高校2年生の夏に学習塾を経営する坪田信貴さんと出会い、慶応義塾大学を目指し猛勉強を始めることになります。
小林さやかさんはエスカレーター式に大学まで進学できる一貫校だったにも関わらず、それが不可能になるくらい逼迫した低学力に陥っていました。
高校2年生時の小林さやかさんの成績は、10段階評価で低評価の部類に入る数字の下に赤線が入れられる3以下がほとんどで、体育だけは8とスポーツ神経は良かったようですが、坪田信貴さんの塾に入った時に受けたテストで出た偏差値は30以下でした。
そのため小林さやかさんの母親が塾に通うことを進めたようですが、ほとんどの大人がギャルの外見と軽いノリを見て「ダメ人間」のレッテルを貼って相手にしないのに対して、坪田信貴さんだけは「君は面白いね」と認めてくれ、信頼できる大人だと感じ入塾したそうです。
当時の小林さやかさんの学力は「聖徳太子」を「せいとくたこ」と読んでしまうような小学生レベルかそれ以下の学力しか無かったそうですが、坪田信貴さんは「面白い」と腹を抱えて笑ったため小林さやかさんは次第に心を開いていき勉強に励むようになりました。
しかし、小林さやかさんは中学受験をしているため、完全な落ちこぼれとだったといえるかどうかは疑問符がつきます。
ビリギャルは、タイトル+装丁+映画化でマーケティング的には素晴らしい。しかし、一般の高校生には悪影響の方が大きい。テレビや映画だけを見たら、彼女が偏差値40をあげた経緯(中学入試でお嬢様学校に進学していて、百数十万の塾代を払っていた)が端折られる。結果、サボってもいいだろ、となる
— ヤマタツ (@yamatatsu0429) May 4, 2015
小林さやかが慶應義塾大学を目指した理由とは?
イケメンとの出会い目的で慶応義塾大学を目指した小林さやか
小林さやかさんが慶応義塾大学を目指した理由は「知的なイケメンがごろごろいそう」というもので、ギャルらしいミーハーな発想からのスタートでした。
小林さやかさんはエスカレーター式に大学に上がって無難に生きるよりは、狭い世界を抜け出して新しい世界を見てみたいという気持ちも強かったようです。
とはいえ、慶応義塾大学を目指すと目標を立てたものの、小林さやかさんは当時本気で慶応義塾大学に合格できるとは考えていなかったそうです。
その後、「当時の受験生で一番勉強した自信がある」というほど小林さやかさんは毎日朝から晩まで勉強付の日々を送ったそうです。
結果、第一志望の慶応義塾大学文学部には落ちたものの、慶應大学SFCの総合政策学部に合格しました。
小林さやかさんの合格した総合政策学部の受験科目は英語(あるいは数学)と小論文の2科目。
もともと、小論文が得意だったという小林さやかさんは英語のみを徹底的に勉強したのでしょう。
しかし、予備校講師でタレントの林修氏はこのビリギャル合格秘話には「全く感動しない」とバッサリと切り捨てています。
林氏の話では、自身の受け持つ生徒でも「ビリギャル」に近い例はあったという。慶応SFCの受験科目は英語と小論文だけで、徹底的に訓練を施すことで、生徒数人のうちひとりは合格可能だというのだ。
さらに林氏は、小学校高学年で勉強をしっかり学び、中学受験を経験してきた生徒の場合、中学高校と遊んでしまったとしても、1年で挽回するのはそう難しくないとも指摘する。
金持ちや芸能人の息子のための救済処置のAO入試受けたビリギャルなんかより、そこいらの受験生の方がよっぽど良いエピソード持ってると思うわ。
— ミーケ (@soramiko) June 10, 2016
林修先生がビリギャル慶応SFCについて「まったく感動しない」と切り捨て – 暇つぶしニュース https://t.co/SnLhuoodfN
小林さやか、慶應義塾大学ではゼミも参加せず卒論も書かずに卒業
大学合格まではギャルメイクを封印した小林さやか
小林さやかさんは慶応義塾大学に合格するまではギャル友達との遊びも封印し、ギャルメイクもやめて地味な姿になっていたようです。
しかし、慶応義塾大学に合格してからは小林さやかさんはギャルとして再デビューをするために美容院で6万円をかけてエクステンションをしてメッシュも入れ、おしゃれなインテリイケメンの多い同大学で引け目を感じないような完璧な武装をしてキャンパスを踏みました。
大学生活が始まった小林さやかさんは、自身の学部のあるSFCにあまり関わろうとせず日吉・三田キャンパスに拠点を置く慶応義塾大学のサークルの中でも伝統の深い広告学研究会に所属し、サークル活動に精を出していました。
この広告学研究会はサークルとは名ばかりの性欲に飢えたリア充たちの巣窟であり、2017年には同サークルのメンバー6人により「スピリタス」という高アルコールのカプセルを混入させたお酒を飲ませて泥酔させ、強姦するという事件を起こしています。
小林さやかさんが同サークルでフリーペーパーを発行したり、湘南葉山で海の家を運営したり、ミスコンの裏方をしたりとサークル活動に熱中し、要領よく単位を取り卒業ギリギリの単位でゼミも参加せず卒論も提出しないという選択をしました。
また、彼女の通った学部はSFC(湘南藤沢キャンパス)ですが、田舎過ぎて気に入らなかったのか、アパートはキャンパスから1時間以上もかかる世田谷区の下北沢で東京生活にこだわったそうです。
恩師と呼べる先生との出会いもなく、SFCから距離を置いたまま卒業しています。
「SFCの同級生で変わった人はいたか」と具体的に質問してもすぐに答えは返ってこなかった。
当時の小林さんはSFCとほとんど関わりを持っていなかったからである。小林さんは「SFC生」というよりも、大学入学前に思い描いていたいわゆる「慶應生」らしい大学生活を送ろうとしていた。
小林さやかのギャル友達はほとんどがキャバ嬢になる
小林さやかさんが名古屋の学校に通っていた頃に仲良かった友人の多くはキャバクラ嬢になっているそうです。
キャバ嬢になった小林さやかさんの友人の中にはお店のナンバーワンにまで上り詰めた人もいるようですが、一方で大学時代の友人には起業して億単位の年商を上げる会社を立ち上げた友達もいたそうです。
小林さやかさんはこうした裏の世界と表の世界で成功した友人を見てきたことが人生経験に生きる強みだと感じていると語っています。
小林さやか、「ビリギャル」ブーム後の父親との関係
映画『ビリギャル』公開後のその後
2013年12月27日に書籍版が、2015年5月に映画『映画 ビリギャル』が公開され、その反響について小林さやかさんはコメントを出しています。
小林さやかさんは自身がモデルとなり恩師・坪田信貴さんが執筆した書籍『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』が出版され、大きな反響が出ていることに「親子関係がうまくいくきっかけになればと思う」と、1年半で慶応義塾大学に合格したということよりも、あくまで父親との関係不和が招いた”ギャル化・問題児化”の方に重きを置いたコメントをしているようです。
同作品の反響があったことで小林さやかさんの父親もようやく認めてくれるようになったようですが、仲良くなったわけではないようです。
小林さやかさんに子供が生まれれば父親にとって孫になるため、溺愛した弟では果たせなかった「プロ野球選手の夢を今度こそ叶える自信がある」と懲りてない様子で小林さやかさんも呆れていたようです。
小林さやかのその後現在① 大学卒業後はウエディングプランナーに
小林さやか、大学卒業後に大手のブライダル会社に就職
サービス業に就職した小林さやか
小林さやかさんは慶応義塾大学時代に東京・下北沢にある人気居酒屋でアルバイトをした経験があり、行列のできる人気店だったことからサービス業に目覚めました。
同居酒屋は2時間待ちができるほどの人気店で、料理はもとよりスタッフの接客もとても評判が良いお店だったため、小林さやかさんは”人を喜ばせる”ことにやりがいを見出してサービス業に就職したいと考えるようになったそうです。
小林さやかさんは東京リッツ・カールトンが紹介されている本に感銘を受けて同ホテルに飛び込みで入社したい旨を伝えましたが、超高級ホテルである同ホテルは他ホテルで実績のある中途採用しかしていないため門前払いをされてしまいました。
そのため小林さやかさんは慶応義塾大学卒業後は大手のブライダル会社に就職をしました。
小林さやかさんが期待していたのは人生一番の晴れ舞台である結婚式で、新郎新婦を始め参加者に心から喜んでもらえるようなサービスを提供することでしたが、目の前にあった現実は「マイクにリボンをつけさせれば1000円」「赤いバージンロードを歩かせれば5万円」など大手らしい利益優先の営業でした。
ぼったくりとも言えるサービスの提供で大きくなった同社は社員総会などでは派手に花火を上げるなど「お客様第一」とは程遠い経営理念のあり方に違和感を感じた小林さやかさんは2年半で退職してしまいました。
一度名古屋に戻り再び上京した小林さやか
小林さやかさんは退職後に一度名古屋に戻りましたが、再就職するために再上京しました。
再び上京した小林さやかさんはブライダルプロデュース会社に転職。
前職の大手ブライダル会社とは違い従業員10人ほどしかいない小さな会社でしたが、この会社は大学時代にインターンで入ったことがあったため誘われたようです。
小林さやかさんは小さい会社だからこそサービスへの誤魔化しがきかず、お客様からもよく見て貰えダイレクトに感謝されることにやりがいを見出したようです。
小林さやかのその後現在② 一人目の旦那との結婚・離婚や子供について
小林さやか、2014年に8歳年上の居酒屋店長と結婚
小林さやかは2014年7月27日に結婚した
小林さやかさんが結婚した一人目の旦那は、8歳年上で坊主頭の強面の男性だったということです。両親の入籍日と同じ2014年7月27日に結婚しました。
小林さやかさんの結婚相手は、バイト先の居酒屋で店長として勤めていた男性であるようです。
また、小林さやかさんのブログに子供に関する記述があるという情報がありますがこれは誤った情報で、2017年5月15日の時点で「子供がいない」と明言しています。
結局、結婚生活の中で、小林さやかさんは子供は授からなかったようですね。
小林さやか、2018年3月に円満離婚
2019年2月、小林さやかさんが2018年3月に離婚していたことを報告しました。
「彼のことは今も大好き」で「桜満開のなか、手を繋いで、離婚届を出しました」とブログに綴っており円満離婚であったようです。
離婚は決してネガティブなものではないと思っています。お互いの未来のためにとる選択肢の一つにすぎないと。
結果だけ見たら「円満離婚」という形になったけど、もちろん私たちだってケンカして傷つけあった時間はたくさんありました。でも、幕のおろし方ってとても大事だと思うんです。私はただ、あんなに尊敬できて大切だった人と一生会わないなんて嫌だし、一度家族になった人を嫌いになることはできなかった。その想いは、彼も一緒でいてくれました。だから、いまも良好な関係でいられています。
小林さやかのその後現在③ 高校のインターンや講演活動を行う
小林さやか、高校のインターンとして勤務・講演会に出演
小林さやかさんは教師ではなく「校長の右目」という肩書で2018年4月~7月末までインターンという立場で教育現場に関わっていました。
日本各地で講演会をしていく中で「何年も前の受験の話をして偉そうだなって」とずっと思っていたといいます。
そんな中で出会ったのが北海道にある私立札幌新陽高校だったそうです。
教育方針や考え方に感銘を受けていた荒井優校長に悩みを打ち明けると「現場で学ぶのが一番だよ。うちで良ければ」と歓迎してくれた。
先生でも生徒でもない立場でインターンは4月2日から本格的に始まり、7月末までの予定。
教壇には立たず、教師でも生徒でもない立場で学校と関わる。肩書きは「校長の右目」だという。
出典:https://jp.mercari.com/
『キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語』を出版
2019年には初の著書『キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語』を出版。大学受験や就職、恋愛、結婚、離婚など自身のことについて綴っています。
また、小林さやかさんは全国で学生や保護者を対象に講演も行っています。ビリギャルとして認知されるようになってからコロナ禍前までは、年に80~100回ほどの講演を行っていたとのことです。
現在の小林さんは、ビリギャルの経験を講演などを通じて伝える活動をしていて、3月28日には自身初となる著書『キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語』(マガジンハウス)を出版する。本では、高校時代の1日15時間の猛勉強や、結婚や離婚についても語られている。
小林さやかのその後現在④ コロンビア大教育大学院に進学
小林さやか、聖心女子大学大学院を修了
出典:http://birigal.biz/
まだまだ学ぶことに対し貪欲な小林さやかさんは、教育理論もしっかり勉強して講演でロジカルに説明できるようになりたいという思いから、大学院に進学することを決意したといいます。
そして、2019年4月に聖心女子大学大学院に進学し、2021年3月に修士課程を修了しています。
小林さやか、コロンビア大学大学院に留学
さらに小林さやかさんは2020年3月に、海外の大学院を目指すことを発表しました。
講演だけでは、子どもたちからのSOSに全部、答えてあげることができないなって。私には、自分を信じてくれた(塾講師の)坪田(信貴)先生や母の存在が大きかった。でも、そういう存在がいない、と訴える子どもたちに多く出会ってきました。私自身がもっと学んで子どもたちの周りの大人を変えられるだけの力が欲しいと思い始めました。そのためには、日本から出て、無意識に持ってしまっているだろうバイアスをぶちこわす、という経験をしないとダメだなと、留学を決意しました
その後、2022年3月にコロンビア大学の大学院とカルフォルニア大学ロサンゼルス校の大学院に合格したことを明らかにした小林さやかさん。同年9月からコロンビア大の教育大学院に留学し認知科学について学び始めました。
海外の大学院を目指すことにした当初は英語力に不安があったという小林さやかさんですが、
努力の結果、英語のテストTOEFLのスコアが120満点中、62点から104点まで上がったそうです。
大学院合格当時34歳の小林さやかさんですが、いつまでも上を目指し学び続ける姿勢は素晴らしいですね。
出典:https://gendai.media/
大学院を卒業
小林さやかさんは、2年間慣れない土地で勉学に励み2024年5月にコロンビア教育大学院を卒業しています。
必死に食らいつきながら授業に臨んでいたという小林さやかさんは、オールAという素晴らしい成績での卒業となりました。
卒業式には、両親や妹夫婦、そして恩師の坪田信貴さんも招待したようです。
小林さやかのその後現在⑤ 二人目の旦那との再婚・離婚や子供について
小林さやか、再婚を発表
出典:https://next.saract.com/
2018年に一人目の旦那と離婚した小林さやかさんですが、2020年9月に再婚したことを発表しています。
「2020実はわたし本厄なんですが、そう悪いことばかりでもなさそうです。このたび、わたくし結婚いたしましたああああ!!」と報告。
2018年に前の夫と離婚しており、「結婚ってなんのためにするんだろうか?なぜ多くの人は結婚という選択肢を結構当たり前のように選ぶんだろうか?とネガティブな意味でなく、純粋に問い直していた時期がありました。(暗い話では全然ありません)」と回想。そんな時期に今の夫に出会ったといい、「どうやら、わたしにとって最高のパートナーに出会えたようです!神さま、みなさまありがとう!!」と感謝を伝えた。
小林さやかさんの再婚相手は、3歳年上のエンジニアで「りょうちゃん」という男性であるようです。
出典:https://news.livedoor.com/
旦那とのツーショットも
小林さやかさんは、2023年1月には再婚相手の「りょうちゃん」と旅行でメキシコを訪れたことを報告し、ツーショット写真も公開しています。
小林さやかさん曰く再婚相手は「突然破天荒なことを言い出す私に何にも驚かずににこにこと無理せずに一緒に楽しみながら付き合ってくれる」優しい男性であったようで、小林さやかさんがコロンビア教育大学院に留学にした時も「俺もいっしょに行くよ」と会社を辞めて一緒にアメリカについてきてくれたといいます。
小林さやか、二人目の旦那とも離婚
出典:https://woman.nikkei.com/
優しい再婚相手と幸せな結婚生活を送っていると思われていた小林さやかさんですが、コロンビア教育大学院の卒業式の数日前に、離婚を公表しています。結婚生活は3年ほどで、再婚相手との間にも子供は授からなかったようです。
小林さやかさんと再婚相手は2023年夏に夫婦喧嘩をしたことをきっかけに将来のことを話し合ったといいますが、結婚当時に比べお互いに価値観や人生観が変わってしまっていたことが分かったようです。
ニューヨークでは1年半、一緒に生活をした」と振り返った小林さんは、昨年夏に初めて喧嘩をしたと告白。それを機に将来について夫婦で話し合う機会が増えたといい「子どものこと、仕事のこと、今後どんなふうに生きたいか、いろんなことを話し合った。どうやら、もともと一緒のビジョンを描いていたはずだったのが、住み慣れた環境やコミュニティを離れて異国の地に住むというユニークな状況にしばらくいたことによって、お互いに価値観や人生観が少しずつ変わったようだった」とした。
しかし、変わらず仲は良かったので、すぐには離婚という結論には至らず「カップルセラピー」を受け、2023年11月からはニューヨークと日本で別居生活を送っていたそうです。
結局、「将来描いているビジョンが違う」ため、小林さやかさんは「チームを解消して別々に生きていったらいいじゃないか」と思うようになったとのことで、2024年1月に離婚届を提出したといいます。
二人目の旦那とも離婚となってしまった小林さやかさんですが、離婚当時は留学先のニューヨークにいる友人たちにも支えられ、“呆れられるくらい元気に”過ごすことができていたようです。
普通に考えたら1年くらい寝込んでも良いような出来事が起きたのに、なんか年々強くなっていってる自分がいてちょっとひいている。起きてしまったことは仕方ない。目の前に続いている道で、出来ることを精一杯頑張って最大限楽しむだけだ、と思ってまた意気揚々歩き出したら、面白い出会いや出来事が続々起こる。
引用:離婚のご報告|小林さやか
小林さやかについて総まとめすると・・・
・ビリギャル本人の小林さやかは、慶應義塾大学SFC・総合政策学部に合格した。
・ビリギャル本人の小林さやかは、2014年に8歳年上の居酒屋店長と結婚したが2018年に離婚している。
・ビリギャル本人の小林さやかは、2020年にエンジニアの男性と再婚したが2024年に離婚している。
・ビリギャル本人の小林さやかは多くの講演を行ってきたが、ロジカルに説明できるようになりたいという思いから、2021年には聖心女子大学大学院を修了し、2022年9月からはコロンビア教育大学院に留学、2024年5月に卒業している。
2013年に話題を読んだ坪田信貴さんの著書『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』のモデルである小林さやかさんについて総まとめしてきました。
林修先生をはじめ、一部では疑問の声もあがっている『ビリギャル』の感動話ですが、このストーリー感銘を受けて勉学に励んでいる学生もいるのも事実です。
以前はブライダル関係の仕事をされていましたが、ビリギャルとして認知されてからは自身の経験を生かして教育業に携わり、多くの講演を行ってきました。海外留学も経験した小林さやかさんの更なる活躍に期待が寄せられています。