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奥西勝の現在!娘と息子や家族・名張毒ぶどう酒事件の冤罪説と真犯人も総まとめ

冤罪が疑われる「名張毒ぶどう酒事件」の犯人として逮捕され死刑判決を受けた奥西勝さんが話題です。

 

今回はイケメンと言われた奥村勝さんの嫁や息子、娘などの家族、事件現場や夜這いの風習との関係、冤罪の根拠、真相や真犯人、家族がその後村八分にされた事や現在についてまとめました。

奥西勝は「名張毒ぶどう酒事件」で犯人とされた人物

 

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出典:https://stat.ameba.jp/

 

奥西勝は、1961年3月28日に発生した毒物を利用した大量殺人事件「名張毒ぶどう酒事件」の犯人として逮捕され、その後の裁判で死刑判決を受けた人物です。

 

奥西勝は冤罪を訴え続けており、事実、「名張ぶどう酒事件」の内容にも冤罪が疑われる要素が見られるため、事件から60年以上が経過した現在も注目され続けています。

 

今回はこの奥西勝と「名張毒ぶどう酒事件」についてまとめていきます。

 

 

 

奥西勝が犯人とされた「名張毒ぶどう酒事件」の概要

 

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出典:https://blogimg.goo.ne.jp/

 

まず最初に、奥西勝が犯人とされた「名張毒ぶどう酒事件」の概要を見ていきます。

 

 

地域懇親会でワインを飲んだ17人の女性が中毒症状を起こしそのうちの5人が死亡

 

1961年3月28日の夜、三重県名張市の奈良県との県境に位置する郊外の葛尾(くずお)という小さな集落の公民館で、農村生活改善クラブ(現在の「生活研究グループ」)・「三奈の会(三重と奈良の頭文字)」の、地域の生活改善と向上を目的とした総会が催されました。

 

午後8時頃、「三奈の会」は予定通り酒席懇親会へと移り、出席者の前に料理の折詰が並べられ、女性(20人)には白ワインが、男性(12人)には清酒が振る舞われました。

 

前会長の音頭で乾杯が交わされて宴会が始まりますが、それから約10分後に、ワインを飲んだ女性らが突然もがき苦しみ出して嘔吐し、腹痛を訴えました。

 

驚いた男性らが医師を呼びに走りましたが、医師が到着した時にはワインを飲んだ17人の女性のうち5人が死亡し12人が重体に陥っていました。

 

この医師は、かつて同様の中毒患者を診察した経験があったため、すぐに有機リン系の中毒との診断を下し、アトロピンとパムによる治療を行い重体に陥っていた12人が入院。

 

 

ワインに毒性の強い農薬が混入されていた事が判明

 

その後、通報を受けた警察が現場検証を行い、女性のみに中毒症状が出た事と女性の中でワインを飲まなかった3人には全く異常がなかったことから、ワインに毒物が混入されたと見て捜査が進められました。

 

そして、飲み残しのワインと被害者の嘔吐物から有機リン製剤が検出され、これが日本化学工業株式会社製の農薬「ニッカリン・T」であると発表されました。

 

 

 

当初は被害者の奥西千恵子(奥西勝の妻)による無理心中と見られていた

 

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出典:https://amd-pctr.c.yimg.jp/

 

警察は何者かがワインにこの毒物「ニッカリン・T」を混入したと見て捜査を開始しました。

 

死亡した被害者の1人奥西千恵子(当時34歳)のエプロンのポケットの中からこの農薬を入れていたと見られる小瓶が見つかり、その夫の奥西勝(当時35歳)が、警察に「自分の愛人の北浦ヤス子(当時36歳でこの事件で死亡)に、嫁の千恵子が嫉妬をして無理心中を図ったと思う」と説明したため、犯人はこの奥西千恵子の可能性が高いとして捜査が進められ、当初はそのように報道されていました。

 

ところが、その後、生前の奥西千恵子が「今夜はあまり酒を飲んだらあかんと父ちゃん(奥西勝)が言っていた」と話していたとの証言が出て、無理心中を図ったとする説明に矛盾が生じました。

 

 

3人の重要参考人が浮上

 

警察は集落の中に犯人がいると断定して捜査を続行し、最初にワインの購入を決めて手配した「三奈の会」会長の奥西楢雄、酒店から奥西楢雄宅へとワインを運搬した農協職員の石原利一、そして、奥西楢雄宅から事件現場となった公民館までワインを運搬した奥西勝の3人が重要参考人として浮上しました。

 

この3人の重要参考人の中でも特に、死亡した被害者の中に妻と愛人がいた奥西勝は警察に疑われ、連日警察署に連行されて長時間の取り調べを受け、自宅にも警察官が同行して泊まり込んでトイレまで監視されるなど厳しくマークされました。

 

 

奥西勝が犯行を自白し逮捕される

 

厳しい取り調べを連日受けた奥西勝は、「名張毒ぶどう酒事件」発生から6日後の4月3日の深夜午前3時40分(警察は深夜までぶっ通しで奥西勝を取り調べていた)に、「自分が嫁と愛人との三角関係を一気に精算するためにワインに毒を入れた」と自白。公民館で誰もいない隙にワインの蓋を口で開けて毒物を混入したと犯行内容を説明しました。

 

これにより、奥西勝は殺人および殺人未遂容疑で逮捕されます。

 

この自白の直後に警察は奥西勝に記者会見させ、自分の口から犯人であることを説明させるなどもしています。

 

 

奥西勝は供述を変え無実を訴えるも裁判で死刑判決が確定

 

その後の警察の取り調べの中で、奥西勝は一転して犯行を否認し無実を訴えますが、ワインに混入された毒性の強い農薬「ニッカリン・T」を、当時栽培をしていたお茶の消毒のために購入していて、それをワインに混入させたと自供していた事や、口でワインの蓋(王冠)を開けたとの自白内容の通り、ワインの蓋についていた歯形と奥西勝の歯形が一致した事、また、奥西勝の犯行が可能である事を示す集落住人の証言などを証拠として起訴され裁判を受ける事になりました。

 

1964年12月23日、津地方裁判所で開かれた一審判決では、ワインの蓋に残されていた歯形と、奥西勝の歯形が一致するとは断定できない事、証拠とされる集落の住人の証言が、奥西勝の自供前と自供後で大きく変化している事などを理由に証拠不十分で「無罪」の判決を下しています。

 

しかし、1969年9月10日に名古屋高裁で開かれた控訴審では、一審の無罪判決が破棄され、ワインの蓋に残された蓋の歯形は奥西勝の歯形と一致すると認め、状況的にも毒物を混入できたのは奥西勝だけで、動機も納得できるなどとして「死刑」の判決を下しました。

 

そして、1972年6月15日、最高裁判所は奥西勝側の上告を棄却し、死刑判決が確定する事になりました。

 

 

 

奥西勝が犯人とされた「名張毒ぶどう酒事件」の現場は三重県名張市葛尾

 

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出典:https://newsbyl-pctr.c.yimg.jp/

 

奥西勝が犯人とされた「名張毒ぶどう酒事件」の現場となったのは、三重県名張市の奈良県との県境にある葛尾という集落でした。

 

この現場となった葛尾は当時、25戸の農家が一本道に沿って点在しているだけで、人口はわずか101人の小さな集落でした。

 

この葛尾にある小高い丘の上に無住の寺が建っていて、集落ではこの寺を公民館として利用していました。つまり、「名張毒ぶどう酒事件」が発生した現場はこの小高い丘の上に立つ寺でした。

 

なお、事件現場となったこの寺は事件後に取り壊されており現存していません。

 

 

 

奥西勝は事件当時村一のイケメンとして有名で複数の愛人がいた

 

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出典:https://www.sankei.com/

 

奥西勝は、事件当時の一部メディアの報道によれば「長身の美男子と評判だった」と書かれるなどイケメンとして知られていたようです。

 

奥西勝の犯行動機が、嫁と愛人との三角関係を一気に解消する事だったと報じられていたこともこの奥西勝がイケメンだとする報道につながったと見られます。

 

 

当時の葛尾地区には夜這いの風習があり愛人がいる事は珍しくなかった

 

当時、奥西勝がイケメンで愛人がいた事がこの「名張毒ぶどう酒事件」を引き起こしたいう方向の報道がなされましたが、一方で、元々事件のあった葛尾地区では当時「夜這い」の風習があり、愛人がいる事は珍しくなかったとの報道も出ていました。

 

当時の一部報道によれば、葛尾地区では夜這いが明確なルールとして存在しており、集落にあった25戸の農家のうちなんと7組までが何らかの三角関係にあったとも言われています。

 

また、奥西勝には「名張毒ぶどう酒事件」で死亡した愛人の北浦ヤス子の他にも、別に夜這いをする関係の愛人が複数人おり、「三奈の会」会長の奥西楢雄とも愛人を共有していた事。さらには、死亡した嫁の奥西千恵子にも、愛人の北浦ヤス子にも、奥西勝とは別に夜這いをしてくる男性がいたとの報道も出ていました。

 

当時、こうした村落では夜這いの風習は一般常識的にあったと言われていますが、都市部ではあまり知られておらず、この「名張毒ぶどう酒事件」によってこうした村落の夜這いの風習が知られる事になって衝撃的に受け取られた部分もあったようです。

 

 

 

奥西勝の家族① 母の奥西タツノさん

 

続けて、奥西勝の家族について見ていきます。

 

「名張毒ぶどう酒事件」当時、奥西勝には母親がいました。奥西勝の母親の奥西タツノさんは、息子の奥西勝さんの冤罪を信じ続け、獄中に励ましの手紙を送り続けました。手紙の総数は969通にも及んだそうです。

 

奥西勝もこの母親の奥西タツノさんに必ず冤罪を晴らすと約束していたそうですが、結局この約束は果たされる事なく、奥西タツノさんは1988年に88歳で亡くなっています。

 

 

奥西勝の家族② 嫁は「名張毒ぶどう酒事件」の被害者の1人・奥西千恵子

 

奥西勝の嫁の奥西千恵子さんは、「名張毒ぶどう酒事件」で死亡した被害者の1人です。

 

嫁の奥西千恵子さんは若い頃は、近鉄名張駅で働いていおり、高校卒業後に近鉄の前身にあたる参宮急行電鉄で働いていた奥西勝と知り合い、1947年1月に家族の反対を押し切って結婚しています。

 

家族の反対を押し切って結婚するなど、当初は夫婦仲は良かったようですが、夜這いの風習などが原因となって奥西勝に愛人ができ、嫁の千恵子さんにも愛人となる男性ができた事で、次第に夫婦仲はギクシャクしたものになっていったと言われています。

 

 

奥西勝の家族③ 子供は当時中学1年だった息子と当時5歳だった娘の2人

 

事件当時、奥西勝には嫁の千恵子さんとの間に2人の子供がいました。

 

奥西勝の子供2人は当時中学1年生だった息子と、当時5歳だった娘でした。

 

奥西勝の息子は、父の冤罪を信じ「父親が無実を勝ち取ったら一緒に暮らしたい」と語っていましたが、その希望は叶う事なく、癌を患って2010年に62歳で亡くなられています。

 

この息子さんは、死の直前に「自分が死んだ事は父には知らせないでほしい、無罪が確定して釈放されてから知らせてほしい」と遺言されたそうです。

 

奥西勝の娘さんは2021年の現在は45歳前後と見られ、年齢的に見て現在も存命されている可能性が高いと思われますが、どのように過ごされているかなどは不明です。

 

 

奥西勝の家族④ 妹の岡美代子さん

 

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出典:https://www.asahicom.jp/

 

奥西勝の妹の岡美代子さんという方がいます。この岡美代子さんは、奥西勝さんの再審請求を引き継がれる形で、現在も活動を続けられているようです。2021年5月の現在は92歳前後になられていると思われます。

 

三重県名張市で1961年に起きた名張毒ぶどう酒事件の奥西勝・元死刑囚(2015年病死)の再審請求を引き継ぐ妹の岡美代子さん(90)が16日、名古屋市内で開かれた支援集会に参加し、「どうか助けてください。兄は絶対にやっていません」と訴えた。約270人が参加した。

 

引用:「兄は絶対にやってません」名張ぶどう酒事件 元死刑囚妹が無罪訴える

 

 

 

奥西勝の冤罪説の根拠① 集落住人の証言が大幅に変化している

 

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出典:https://mini-theater.com/

 

事件後、奥西勝は「名張毒ぶどう酒事件」の犯人ではなく冤罪で、真相は別にあるとの説が支持されるようになりました。

 

奥西勝が冤罪であるとする根拠について見ていきます。

 

奥西勝が犯人とする証拠として、ワインに毒物を入れるチャンスがあったのは、当日公民館で10分間1人になった奥西勝以外にいないという事が裁判で示されました。これは集落の住人達の証言が根拠となっています。

 

しかし、当初の集落の住人の証言では、会長宅にぶどう酒が運び込まれたのはその日の14時15分頃で、奥西勝がそのワインを公民会へと運搬したのは同日17時20分頃でした。

 

つまり、ワインは会長宅に約3時間もの間置かれていた事になり、この間に何者かが毒物を入れたという可能性も浮上します。

 

ところが、奥西勝が自分が犯人だと自白した途端に、集落住人は一斉に、ワインが会長宅に届いたのは奥西勝が取りに来る直前だったと証言を変え、毒物を入れる事が可能だったのは奥西勝だけだったという事にされているのです。

 

無罪判決が下された1審では、これは検察によって作られた証言だったと断じられています。

 

 

奥西勝の冤罪説の根拠② ワインの蓋の歯形が一致しないとの検証結果

 

奥西勝が犯人だとする証拠としては、毒物を入れるときにワインの蓋(王冠)を歯で開けた時についた歯形と、奥西勝の歯形が一致した事が挙げられました。

 

しかし、奥西勝の弁護団が日大歯学部助教授にこの歯形の鑑定を依頼したところ、10カ所のうち9ヶ所で一致せず、最大で2.6mmものズレがあるとの検証結果が出ました。

 

また、学生10人に同様の王冠10個ずつを歯で開けさせる検証を行ったところ、同一人物が同じ歯で噛んだとしても、歯形の間隔が常に一致するとは限らないことも判明し、そもそもこの王冠について歯形自体に物証能力が低いとの見解が示されました。

 

これによって、重要な証拠の一つとされていたワインの蓋(王冠)の歯形の一致は証拠能力が低い事が明らかになり、奥西勝の冤罪とする説が有力になりました。

 

 

奥西勝の冤罪説の根拠③ 混入された毒物が「ニッカリン・T」でない可能性が高まる

 

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出典:https://poor-money.com/

 

奥西勝は当初の自白でお茶の栽培のために購入していた毒性の強い農薬「ニッカリン・T」をワインに混入したとは言っており、これも奥西勝が犯人である事を示す確定的な証拠だとされました。

 

ところが、その後、飲み残しのワインからは「ニッカリン・T」が混入された事を示す成分は検出されなかった事が判明します。また、「ニッカリン・T」は赤い色で染められているため、当日振舞われた白ワインにこれが混入された場合、色が変化するはずですが、そうした証言をした人物は誰もいませんでした。

 

その後、この時にワインに混入された農薬は「三共テップ」である可能性なども浮上しています。

 

また、自白では奥西勝は事件の前日に竹筒を作ってその中に「ニッカリン・T」を入れ、空き瓶は近くの川に捨てたと供述しましたが、その空き瓶は大々的な捜索にも関わらず発見されませんでした。

 

また、奥西勝は犯行後にこの竹筒を公民館のいろりで焼いたと供述していますが、もし本当に竹筒をいろりで焼いたとするなら、必ず有機リンが検出されるはずにも関わらず、見つからず、竹筒の燃えかすも農薬の残留物なども発見されていません。

 

つまり、「ニッカリン・T」を混入したとする物的な証拠は何一つないのです。

 

このように、当初、奥西勝が犯人である証拠とされたものの多くは、その後の調査で大幅に覆され証拠能力自体が疑われ、社会的にも奥西勝は冤罪で真犯人は別にいるのでは?との声が大きくなっているのです。

 

 

奥西勝の「名張毒ぶどう酒事件」の真相や真犯人は?

 

奥西勝が仮に冤罪だとするならば、「名張毒ぶどう酒事件」の真相は何で真犯人は誰なのかという点にも注目が集まっています。

 

インターネット上では「名張毒ぶどう酒事件」の真相や真犯人について様々な説や噂が浮上しています。

 

あくまでもネット上の噂レベルなので真偽については怪しいところですが、真相としてよく言われているのが、「三奈の会」会長だった奥西楢雄とその母の奥西コヒデが真犯人とする説です。

 

「名張毒ぶどう酒事件」後、奥西楢雄は警察に、嫁の奥西フミ子(事件で死亡した5人のうちの1人)と、その姑にあたる奥西コヒデは以前から「殺すか殺されるか」というほど仲が悪かったと証言していました。

 

そしてこの奥西楢雄が、母の肩を持って嫁のフミ子に暴力を振るうこともあったとの情報もあるようです。

 

この事から、奥西コヒデと奥西楢雄が共謀して、嫁の奥西フミ子を殺害しようとしてワインに毒物を混入させたとするのが真相ではないかと噂されています。

 

集落住人らの最初の証言では、毒物を混入されたワインは奥西楢雄の自宅に約3時間ほど置かれていた事が明らかになっています。農協の職員だった奥西楢雄はこの時間帯仕事に出ていますが、母の奥西コヒデであれば毒物の混入が可能です。

 

また、毒物を混入されたワインは「三奈の会」の前日に突然購入が決められており、それを手配したのは「三奈の会」会長だった奥西楢雄でした。この事から、女性だけをターゲットにするために急遽ワインの購入を決めたのが真相だとする説が浮上しています。

 

奥西楢雄は「名張毒ぶどう酒事件」で嫁の奥西フミ子を亡くしていますが、その後すぐに再婚しているとの事で、この事も奥西楢雄とその母のコヒデが真犯人ではないかとする説に繋がっています。

 

これはあくまでもインターネット上で囁かれている噂です。

 

仮に「名張毒ぶどう酒事件」が言われているように冤罪であったとしても、事件から既に60年が経過した現在、当事者のほとんどはすでに死亡するか高齢化しており、今後、その真相や真犯人が明らかになる事は極めて難しいと思われます。

 

 

 

奥西勝の「名張毒ぶどう酒事件」のその後① 家族は村八分に

 

奥西勝が「名張毒ぶどう酒事件」で逮捕されたその後、当初、集落では奥西家の家族に同情し、擁護する声が強かったそうです。

 

しかし、奥西勝が供述を変えて無実を訴え始めると、集落の住人らは掌を返すように奥西勝の家族に対して厳しい態度を取り、「村八分」のようにして集落から追い出しています。

 

奥西勝の母と残された子供2人は村八分となった事で集落を離れ、名張市内のアパートを転々としながら暮らすことを余儀なくされたそうです。

 

 

奥西勝の「名張毒ぶどう酒事件」のその後② 9度の再審請求は認められず

 

奥西勝は死刑判決が確定したその後も、無実を訴え続けて合計で9度もの再審請求をしていますが再審請求は1度も認められませんでした。

 

2005年4月には、名古屋高裁が初めて再審開始を決定しますが、2006年12月にその決定が取り消されています。

 

 

奥西勝の現在…すでに死去している

 

奥西勝は現在既にこの世を去っています。

 

奥西勝は、2011年に肺炎や発熱症状によって外部の病院に移され、その後、八王子医療刑務所に収監されました。2012年には血圧や血中の酸素濃度が下がって一時危篤状態に陥り、それからは人工呼吸器をつけながら再審開始を訴え続けてきました。

 

そして、奥西勝は2015年5月に9度目の再審請求を申し立てましたが、その年の10月4日午後0時19分に、肺炎によって89歳の生涯を閉じています。

 

2015年11月には、奥西勝の妹の岡美代子さんが、兄の意志を引き継ぐ形で10度目の再審請求を申し立てましたが、2017年に棄却されています。

 

この妹の岡美代子さんら家族は、現在も奥西勝は冤罪であると訴え続けています。

 

 

まとめ

 

今回は、1961年に発生し現在も冤罪が疑われ続けている「名張毒ぶどう酒事件」の犯人として死刑判決を受けた奥西勝についてまとめてみました。

 

奥西勝は「名張毒ぶどう酒事件」で、嫁と愛人を一気に毒殺して三角関係を精算しようとして、地域の酒席で振る舞われたワインに毒物を混入させて5人を殺害したとされて逮捕され死刑判決を受けました。

 

奥西勝は死刑判決確定後も冤罪を訴え続けましたが、9度の再審請求は1度も認められる事なく、2015年に89歳でこの世を去っています。

 

現在も、奥西勝の家族はこの事件の冤罪を訴え続けており、妹の岡美代子さんが引き継ぐ形で再審請求が行われています。

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