洞口依子

洞口依子の現在!夫や子供~子宮頸がんやリンパ浮腫の闘病まとめ

映画『ドレミファ娘の血は騒ぐ』やドラマ『愛という名のもとに』などで知られるベテラン女優の洞口依子さん。

 

洞口依子さんが結婚した旦那や子供、そして2004年に罹患した子宮頸がんの闘病記やその約10年後に発病したリンパ浮腫の症状など現在までの様子について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。

洞口依子のプロフィール

洞口依子、1985年に黒沢清監督作品で女優デビュー

 

名脇役女優として活躍してきた洞口依子

洞口依子さんは高校時代に『週刊朝日』の1980年11月7日号で表紙モデルを務め、1983年に雑誌「GORO」の「激写」で本格モデルデビュー。

 

1985年に映画『ドレミファ娘の血は騒ぐ』では、デビュー作にして主演を務めヌードも披露しています。2016年にはマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』でハリウッドデビューもしています。

 

本名: 葛西 依子(かさい よりこ)
生年月日: 1965年3月18日
出生地: 東京都武蔵野市
身長: 164 cm
血液型: A型
職業: 女優、タレント、ミュージシャン
ジャンル: 映画、テレビドラマ
活動期間: 1985年 –
配偶者: 有(1997年 – )
事務所: テアトル・ド・ポッシュ

 

引用:Wikipedia – 洞口依子

 

 

 

洞口依子の家族情報…結婚した旦那はNHK最大級の奇人と呼ばれてた

洞口依子、1997年にNHKディレクター・葛西弘道さんと結婚

 

洞口依子の夫はNHKディレクターの葛西弘道

洞口依子さんは1997年に当時NHKのディレクターを務めていた葛西弘道さんと結婚しました。

 

葛西弘道さんは1987年にNHK熊本局で放送された番組『ヤングスペシャルIKINARI-DAGO』などのディレクターを務めていたと紹介されています。

 

1987年暮れにNHK熊本局で放送された「ヤングスペシャルIKINARI-DAGO」の担当ディレクター。NHK最大級の奇人として有名。FMCでも不気味系トーク番組「ライブインDAGO」のMCを担当。他にも様々な逸話を残している。

 

引用:葛西弘道 [かさいひろみち]

 

2010年にはNHKのラジオセンターに異動になったことを掲示板で報告していました。

 

種ちゃんお久しぶりです。不肖、葛西は先月からラジオセンターに異動になりました。本日7月9日16:00~ NHKラジオ第1の「つながるラジオ・金曜旅倶楽部」が初登板です。ゲストは大好きなみうらじゅんさん。マイブームの旅について抱腹Zなトーク満載なので是非、聞いてちょんまげ。よろしければ、faxなどばんばんお寄せいただきたいです。ラジオの大先輩、種ちゃんと仲間たちへのお願いでござる。よろしくね!

 

引用:“FM-MONDAY_CLUB/notice!”

 

 

 

洞口依子に子宮頸がんが発覚…子宮全摘出で子供を諦めていた

洞口依子、病状に気付くも数ヶ月間放置していた

洞口依子の壮絶な子宮頸がん闘病記

女優業に結婚と順風満帆だった洞口依子さんを突然襲ったのは子宮頸がんという女性にとって最も辛い病気のひとつでした。

 

洞口依子さんは38歳の時に子宮頸がんに罹患しましたが、生理不順や痛みなど症状が出ていたものの疲れから来るものだと思い込んで、病院に行くのを先延ばしにしていたと語っています。

 

「その前の年の夏ごろから生理不順が続いていたんですが、夏の疲れやストレスのせいだろうと思い込んでいたんです。そのうちに生理以外のときに出血があり、痛みも出始めました。それでも病院に行くのが嫌で、ネットなどでいい病院を探したりはしていたものの、ずるずると先延ばしにしてしまって。やっと病院に行ったのは年が明けてからでした」(洞口さん)

 

引用:NEWSポストセブン – 洞口依子 子宮筋腫だと思って検査したら子宮頚がんだった

 

洞口依子さんは子宮筋腫だと思い込んでいたため、手術を受けるために女医のいる大きな病院を探していたことが通院を先延ばしにしてしまう結果となっていました。

 

しかし、洞口依子さんは相談していた友人が女医のいる山王病院の婦人科を予約し「明日に予約を入れたから絶対に行きなさい」とすぐに病院に行くように強く言われてようやく病院に行きましたが、それは症状に気づき始めて数ヶ月後の年をまたいだ2004年1月でした。

 

 

洞口依子、子宮頸がんを宣告される

洞口依子のがんは5センチになっていた

洞口依子さんが数ヶ月通院しなかったためにがんの大きさは見つかった時には5センチにまで達していました。

 

洞口依子さんは細胞採取の検査を終えた後医師から状態を伝えられましたが、パソコンの画面には「子宮頸がんの疑い」と書かれてありとても動揺していました。

 

その後、検査結果が確定するまで不安と期待の入り混じった複雑な気持ちで1週間待っていたようですが、旦那の葛西弘道さんと義母、そして叔母と一緒に検査結果を聞きに行きました。

 

3、4人の医師らが「大きいね」と深刻な面持ちで話していたため洞口依子さんは大きめの子宮筋腫であることを祈っていたようですが、その希望は裏切られて子宮頸がんの1B2期であることを告げられました。

 

洞口依子さんの受けた衝撃はもちろん、旦那の葛西弘道さんも目が点になって口をポカンと開けて人形のような顔をして固まっていたことをブログで綴っています。

 

 

洞口依子、広汎子宮全摘術の選択は苦渋の決断だった

洞口依子は広汎子宮全摘術を選択せざるを得なかった

放射線治療に気持ちが傾いていた洞口依子さんでしたが、放射線治療で失敗した場合は根治が可能な手術をできなくなるため30代と若かったこともあり選択の余地はありませんでした。

 

さらにMRIの画像でがんが直腸に浸潤しているように見えたことも洞口依子さんを広汎子宮全摘術の決意をさせる大きな要因となったようです。

 

洞口依子さんが手術に踏み切った理由として、放射線治療の大きな後遺症と副作用、そして根治ができない可能性が高いことが医師から説明されたためでした。

 

しかし、それで大きく放射線に傾いたわけではなかった。放射線でも直腸炎、膀胱炎による排便障害や排尿障害、卵巣の機能障害、ひどい倦怠感、皮膚の灼熱感や黒ずみ、吐き気、食欲不振などのほかに、内照射(放射性物質を密封したアプリケーターを腟に挿入して、内側から照射する治療法)による腟の萎縮、乾燥など多くの副作用や後遺症が出るからだ。
(中略)
それでも同医師に説得されて最終的に翻意し手術を受けることにしたのは、子宮頸がんの1期というスパンで見れば5年生存率に大きな違いがなくても、がんの大きさが数ミリ程度の場合と5センチの場合では、照射量は同じ50グレイなので、数ミリの場合は消失するが、5センチの場合は完全に消失したように見えても残っていて再発するケースが少なくないからだ。

引用:がんサポート – 書くことで病気との距離感がつかめるようになった気がします 女優・洞口依子さんが語る、子宮頸がんと共存するまでの長い長い道のり

 

 

 

洞口依子、子宮全摘出により子供を諦める

 

 

医師から勧められた手術は広汎子宮全摘術という子宮とその周りを大きく切除する手術で、子供を産みたいと考えていた洞口依子さんの気持ちを無残に打ち砕きました。

 

がんの大きさは5センチと聞いていたので、なぜ、そこまでするのか理解できなかったですね。とくに子供を産めない体になることには抵抗感がありました。38歳になっていたけど子供を諦めていたわけじゃなくて、最近は40歳を超えて出産する方がたくさんいますから私もという気持ちは多少ありましたから。


しかも手術で卵巣を取れば、女性ホルモンが出なくなってさまざまな後遺症が出るし、リンパを取ればリンパ浮腫のリスクもある。手術の際に膀胱のまわりの神経にダメージを与えるのは避けられないから排尿障害も覚悟しなくてはいけないという話でした。


子供を産めなくなっても、それで楽になれるのなら話はわかるけど、手術後も後遺症に苦しむんじゃあ、受ける意味がないと思いました。ですから山下先生には、少し考える時間を下さいといって、ほかの方法も検討することにしたんです。そしたら山下先生が放射線科の萬先生を紹介してくださったので、行ってみたんです」

 

引用:がんサポート – 書くことで病気との距離感がつかめるようになった気がします 女優・洞口依子さんが語る、子宮頸がんと共存するまでの長い長い道のり

 

洞口依子さんは目に見えて苦しみが大きい広汎子宮全摘術よりもお腹を切らなくてもいい放射線治療に気持ちが動いていましたが、この時に葛西弘道さんが「すべて立ち向かおう」とどんな困難も二人で乗り越えて行こうと勇気づけてくれたことが大きな支えになったようです。

 

洞口依子さんは子供が産めない体になってしまったことで葛西弘道さんと離婚する道を考えたそうですが、葛西弘道さんは離婚の提案を拒否して支え続けていくことを伝え、ふたりは病気を通してさらに夫婦愛を深めることになりました。

 

 

洞口依子、手術後の後遺症とリンパ節への転移

「5回連続50cc以下」という残尿検査のノルマに苦しめられた洞口依子

洞口依子さんは手術後の後遺症で排尿障害を抱えたため、4時間ごとに残尿検査をする必要があり、排尿後の膀胱内の残尿をカテーテルで吸い出して「5回連続50cc以下」であれば退院ができるというノルマに苦しめられました。

 

睡眠中も起こされて残尿検査をする必要があり、洞口依子さんは中々このノルマをクリアすることができずにいましたが、さらに追い打ちをかけるようにがんがリンパ節に転移していることが分かりました。

 

それからは抗癌剤治療と放射線治療を併用しての入院生活が続き、洞口依子さんは精神的に極限の状態に追い詰められていきましたが、幸いにもこれらの治療での吐き気や倦怠感、脱毛などは酷くなく、さらに意識が分散されたことで残尿検査への負担も軽く感じるようになりました。

 

そのためか併用治療を開始した1週間後には「5回連続50cc以下」をクリアすることができ、洞口依子さんは2ヶ月におよぶ入院生活に終止符を打つことができました。

 

 

洞口依子、手術の9か月後にパニック障害を発症

過酷な治療と後遺症で精神が限界に達した洞口依子

洞口依子さんは退院後も激痛に耐えなければならない通院生活が続き、さらに毎日のように排尿・排便障害に苦しめられ続けました。

 

女性ホルモンの低下による後遺症による手のしびれが酷くなり、手を使った仕事すら出来なくなった洞口依子さんは引きこもる生活が続きました。

 

元来じっとしていることができない洞口依子さんは主治医に相談し、「生きがいを感じること」をするようにアドバイスされたため女優に復帰することを決意しました。

 

しかし、日常生活も困難を抱えていた洞口依子さんが女優業に復帰することは容易ではなく、その結果手術から9ヶ月後にパニック障害を発症してしまうことになります。

 

手術から9カ月が経過した晩秋のある日、彼女は何の前触れもなく呼吸が苦しくなり、何度も吐いた。慌ててタクシーを拾って病院に向かったが、発作はさらにひどくなり、心臓が締め付けられるように苦しくなって体が硬直し、このまま死ぬのではないかと思ったとき意識を失った。

この発作は1度きりではなく、繰り返し時と場所を選ばず頻繁に起きた。こうなると仕事だけではなく、日常生活にも大きな支障をきたすようになる。発作を抑えるには薬に頼るしかないので、抗うつ剤、精神安定剤、導眠剤を山のように飲むようになった。

 

引用:がんサポート – 書くことで病気との距離感がつかめるようになった気がします 女優・洞口依子さんが語る、子宮頸がんと共存するまでの長い長い道のり

 

こうしたどん底の中で光明となったのが、相談した友人のつてで朝日新聞のコラムを3回書く事になり、それがきっかけで自身初の著書となる『子宮会議』を出版したことでした。

 

「書くこと」で洞口依子さんは自分の内面をつぶさに見つめ直すきっかけとなり、書けば書くほど病気との付き合い方が分かるようなり共存できるようになっていったそうです。

 

この「子宮会議」では過酷な子宮頸がんを乗り越えた洞口依子さんが世の女性に対するメッセージが綴られています。

 

38歳。
 私が子宮頸癌と告知されたとき、一番最初に脳裏をよぎったのが
 『死』でした。
 はじめて、『死』を意識した瞬間から
 闘病を経て、『生きる』ということの素晴らしさを実感しています。
 それと共に『死』と『生』は表裏一体なんだということも。

 自著の『子宮会議』から引用すれば
 「みんな子宮から生まれてきたんだ」ということです。
 だから、自分の心とカラダのこと、そして、女性の存在証明であるところの「子宮」  を大事にしてほしいと思います。
 子宮頸癌は低年齢化している と最近伺います。
 予防出来る癌。ならば、予防が一番です。
 その上、病気に対する正しい理解も大事です。

 そして、ひとりでも多くの女性が健康に生きられること。
 笑顔でいられること。私は自分の体験を経て、今はそう願うばかりです。

 

引用:シャインキャンペーン – 女優 洞口依子さんからのメッセージ

 

 

洞口依子の現在…リンパ浮腫の症状に悩まされていた

 

洞口依子は2016年頃にリンパ浮腫を発症した

がんを経験するとすぐにリンパ浮腫を発症する人もいれば3年後くらいに発症する人もいるようですが、洞口依子さんは10年以上経ってから左足に発症しました。

 

私はずっと大丈夫だったのですが、そのまさかの10年後に発症。医師とも「とうとう来たのか」と、なんだか笑っちゃいました。

 私の場合は左脚。水風船がたまるみたいにむくみ、リンパ液が上に上がらず、どんどん下にたまってしまうんです。一度発症すると完治は困難だと聞いたので、これ以上悪化させないために、私はリンパ浮腫専門のリハビリに通っています。

 

引用:日刊ゲンダイ – 洞口依子さん がん手術から10年後に発症したリンパ浮腫を語る

 

洞口依子さんは2019年3月1日に放送されたバラエティ番組『爆報!THE フライデー ~【女優の闘病記&あの人は転身SP】~(TBS系)』にも出演し、子宮頸がんやリンパ浮腫の闘病について明かしていました。

 

洞口依子さんはリンパ浮腫によりお気に入りのサブリナシューズが履けなくなって処分したことで気持ちを一新させ、髪を短くしてリンパ浮腫に効果のある黒い医療用ストッキングを真夏でも履くなどイメチェンを楽しんでいると明かしています。

 

病気に負けない洞口依子さんのこうした姿は同じ病に苦しむ女性を大きく勇気づけていることでしょう。

 

 

 

 

 

洞口依子について総まとめすると…

・洞口依子は1997年、NHKディレクター・葛西弘道さんと結婚した

・洞口依子は2004年に子宮頸がんが発覚、子宮全摘出により子供を諦めていた

・洞口依子は現在、子宮頸がんの手術の影響からリンパ浮腫となっていた

 

演技派の名女優として活躍してきた洞口依子さんの子宮頸がんやリンパ浮腫など闘病について総まとめしてきました。

 

洞口依子さんが子宮頸がんの闘病を乗り越えられたのは旦那である葛西弘道さんが支え続けてくれたことや、病院の手配や執筆活動の場を与えてくれた友人など周囲の人の支えが大きかったようです。

 

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