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小山内美江子の若い頃と現在!夫と息子・金八先生の降板理由・死因まとめ

「3年B組金八先生」の生みの親として知られる脚本家の小山内美江子さんの死去が発表されました。

 

この記事では小山内美江子さんの若い頃の経歴、金八先生を降板した理由、結婚と旦那、子供で息子である俳優の利重剛さんとその娘であるただ1人の孫、現在や死因についてまとめました。

小山内美江子のプロフィール

 

小山内美江子のプロフィール

 

本名  :笹平美江子

生年月日:1930年1月8日

没年月日:2024年5月2日(没年94歳)

出身地 :神奈川県横浜市鶴見区

 

小山内美江子(おさない・みえこ)さんは、NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」、「本日も晴天なり」、NHK大河ドラマ「徳川家康」、「翔ぶが如く」やTBS系ドラマ「3年B組金八先生」シリーズ、家族をテーマにしたTBSドラマ「父母の誤算」、「親と子の誤算」などの代表作で知られる脚本家です。

 

特に「3年B組金八先生」では、1979年スタートの第1シリーズから2004年の第7シリーズの半ばまでメインの脚本家として執筆し、現在まで語り継がれる名エピソードを数々生み出しました。

 

脚本家としての活動の一方で、湾岸戦争時に中東ヨルダンでの難民救援活動に関わったのをきっかけに国際ボランティア活動に力を注ぐようになり、1993年にはNPO法人「JHP(JAPAN TEAM OF YOUNG HUMAN POWER)・学校をつくる会」を設立して代表に就任。カンボジアをはじめ、政治の混乱などにより教育が困難な国々に学校施設を整備する活動を展開されていました。

 

2004年の金八先生降板以降は脚本家としては一線を退き、国際協力活動に注力し、88歳だった2018年にはエッセー集「人生は還暦から! 終活なんてまだまだ早い!」を発表するなど精力的に活動されていた小山内美江子さんでしたが、2024年5月2日に94歳で死去した事が息子で俳優の利重剛さんのオフィシャルサイトなどで発表されています。

 

ここでは、そんな小山内美江子さんの若い頃や結婚や旦那、子供などを中心に紹介していきます。

 

 

小山内美江子の若い頃① 映画監督を志しスクリプターに

 

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出典:https://www.asahicom.jp/

 

小山内美江子さんは戦前の1930年に神奈川県横浜市鶴見区でかまぼこやさつま揚げなど練りもの食品の製造問屋を営む家に生まれました。戦争中に生家の問屋が焼け落ちるなどの苦難を乗り越えた15歳の時に終戦を迎え、鶴見高等女学校(現在の鶴見大学附属高等学校)を卒業。

 

小山内美江子さんは、芝居好きだった祖母や両親に連れられて映画や演劇を見る機会が多くあり、自然と映画制作の世界に興味を抱くようになったそうです。

 

女学校卒業後は、映画監督を志し映画学校に通うも、当時の映画現場は男性社会で、女性では助監督になる事すら難しく、せめて映画監督の隣で仕事をしようと、21歳になった1951年からスクリプター(記録係)として映画撮影現場で働くようになります。(東京スクリプター協会会員として映画制作に参加していた)

 

若い頃の小山内美江子さんはスクリプターとして10年間映画制作現場に関わり、この頃に後に大物映画監督となる深作欣二さんや佐藤純彌さん、敏腕テレビプロデューサーとして知られるようになる近藤照男さんと知り合い、「四人組」を名乗って交流を続け、TBSドラマ「キイハンター」などのヒット作を生み出しました。

 

 

小山内美江子の若い頃② 脚本家に転向しアクションや特撮ものを手がける

 

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出典:https://hochi.news/

 

小山内美江子さんは映画学校時代に知り合った映画監督志望の男性と結婚しすれ違いの生活で約10年が過ぎるも子供を妊娠。子供妊娠中だった1962年にNHKドラマ「残りの幸福」で脚本家としてデビューしています。

 

子供(息子)の出産後、小山内美江子さんは旦那さんとの離婚を決め、シングルマザーとして子供を育てるため脚本家に専念されています。

 

当時はテレビ時代が到来しており、小山内美江子さんは当時多く作られたアクションものや特撮ものドラマの脚本を多数手がけられています。

 

当時、小山内美江子さんが手がけた主なドラマ作品は以下です。

 

1962年 NHK「残りの幸福」(脚本家デビュー作)

 

1964年 NETテレビ(現在のテレビ朝日)「特別機動捜査隊」(第126話のみ)

 

1967年〜68年 NETテレビ「青空に叫ぼう」(メインライター)

 

1967年 TBS「ウルトラQ」第28話「あけてくれ!」

 

1968年~1973年 TBS「キイハンター」

 

1969年 TBS「炎の青春」(メインライター)

 

1970年 日本テレビ「蘭の殺人」

 

1972年 TBS「帰ってきたウルトラマン」第48話「地球頂きます!」

 

1972年 日本テレビ「姫君捕物控」

 

1972年〜73年 TBS「燃える兄弟」

 

1973年〜74年 TBS「アイフル大作戦」

 

1973年 フジテレビ系列「恐怖劇場アンバランス」(第2話、第6話)

 

1973年 フジテレビ「無宿侍」第9話「恋慕娘無残」

 

1974年 TBS「白い滑走路」(第1話、第3話)

 

1974年〜75年 フジテレビ「妻の過去」(ライオン奥様劇場)

 

1974年〜75年 TBS「バーディ大作戦」(メインライター)

 

1975年 TBS「Gメン’75」第2話「散歩する囚人護送車」

 

1975年 TBS「加奈子」

 

1976年 TBS「いごこち満点」

 

1977年 TBS「おゆき」(メインライター)

 

1978年 TBS「愛がわたしを」(メインライター)

 

1978年 NHK「早筆右三郎」

 

当時、シングルマザーとして子供を育てるため、小山内美江子さんはがむしゃらに働かれたそうです。離婚したばかりの頃は、木造のアパートで子供と2人きり生活しながら脚本の執筆をされていたそうなのですが、やはりそれは相当厳しく、程なくして実家へと戻って家族のサポートを受けながら仕事を続けられたそうです。

 

 

小山内美江子の若い頃③ 「3年B組金八先生」で脚本家として脚光をあびる

 

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出典:https://www.tbs.co.jp/

 

小山内美江子さんの脚本家としての転機となったのは1979年でした。

 

小山内美江子さんは1979年のNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「マー姉ちゃん」のメインの脚本家に抜擢され、同時期にTBSから「中学生を題材にした金曜8時の連続ドラマを作れないか」と脚本執筆の依頼を受けたそうです。

 

NHK朝ドラは毎朝放送されるため、多忙を極めており小山内美江子さんは「それどころではない」と1度はこの依頼を断られたそうです。

 

しかしTBSは、「マー姉ちゃん」の仕事が一段落するまでドラマ放送をずらしてでも待つと言ってくれたため、それを意気に感じた小山内美江子さんはこの依頼を受けます。

 

当時、ちょうど高校に進学したばかりだった息子とその友人らを呼び集めて生の声を聞き、脚本を執筆。そうして完成したのが後に大ヒットを記録し学園ドラマの金字塔となる「3年B組金八先生」でした。

 

実際の子供らの生の声を取材して脚本が執筆された当時の中学校のリアルな描写はすぐに話題を呼び、「金八先生」は大ヒット作品となりました。

 

名作「金八先生」を生んだ小山内美江子さんは脚本家として脚光を浴び、以降、家族や子供の教育をテーマにした作品を数多く手がけました。

 

この頃の小山内美江子さんの代表作品としては、TBS「父母の誤算」(1981年)、「親と子の誤算」(1982年)、TBS「離婚・ぼくんちの場合」(1983年)、TBS「無邪気な関係」(1984年)、TBS「風にむかってマイウェイ」(1984年)、TBS「華やかな誤算」(1985年)、日本テレビ「みんなマドンナ」(1987年)、NHK「十九歳」(1989年)などがあります。

 

また、1983年の「徳川家康」、1990年の「翔ぶが如く」と大ヒットしたNHK大河2作品のメインの脚本家も務めています。

 

 

小山内美江子の金八先生降板理由はテレビ局との意見の対立

 

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出典:https://m.media-amazon.com/

 

小山内美江子さんは伝説的学園ドラマ「3年B組金八先生」に1979年の第1シリーズから原作・脚本として関わり、2004年の第7シリーズの半ばまでメインの脚本家を務めました。

 

小山内美江子さんはまさに「3年B組金八先生」の生みの親でしたが、第7シリーズが後半に差し掛かった2005年1月に突如として小山内美江子さんの降板がTBSから発表されました。

 

TBS側は小山内美江子さんの金八先生降板の理由を「病気のため」としていました。これについては実際に小山内美江子さんが病気で入院して降板になった事を明かしているため事実ではあるようですが、あまりに突然の降板の裏には小山内美江子さんとテレビ局側との対立も関係していたようです。

 

代表作の「金八先生」の脚本を第7シリーズ半ばで降板したとき、テレビ局側は体調不良と発表したが、後に本人は作品内容に意見の食い違いがあったことを明かしている。教育現場の「現実」を映すことにこだわった小山内さんは、企画書にあった中学生の薬物使用の描写などを「非現実的」と受け入れられなかったのだ。

 

引用:【こんな人】小山内美江子さん「金八先生」降板はテレビ局との意見相違 教育への思い本物だった

 

 

週刊文春が小山内美江子の金八先生降板理由の真相はスタッフとの対立だと暴露

 

小山内美江子さんの「3年B組金八先生」からの降板が発表された後、金八先生第7シリーズの最終回の直前に発売された、「週刊文春」(2007年3月1日号)に『原作者・脚本家が怒りの訣別宣言 「金八先生」をTBSが殺した!』と題する記事が掲載されました。

 

この記事では、かなり以前から小山内美江子さんが、綿密な取材をもとにリアルに描こうとした教育の現場が、TBS側の意向によって全く違うものに仕上がっている事に不快感を示し、金八先生の制作スタッフとの間に演出面などを巡って対立が生じている事などが暴露されました。

 

また、降板後の金八先生第7シーズン後半についての「これ以上過剰な脚本や演出をするのなら金八はもうやめたほうがいい」との小山内美江子さんの発言も掲載されました。

 

小山内美江子さんはその後、2005年に「さようなら私の金八先生 25年目の卒業」という著作を発表しており、その中でこの時の降板についても触れられています。

 

 

金八先生を演じた武田鉄矢も小山内美江子の降板について発言

 

さらに、長年にわたって金八先生を演じた武田鉄矢さんが、「女性自身」(2007年3月13日号)にて、「『週刊文春』の記事に書いてあることは、すべて真実です」と語り、10年以上前(金八先生第3シーズン頃より)から、小山内美江子さんと制作スタッフとの間に対立が続いている事を明かしました。

 

武田鉄矢さんは「小山内さんのお気持ちもよーくわかります」と話し、「僕も、(金八先生はもう)やめてもいいと思います。マスコミ的には『第8シリーズも頑張ります』というような言葉が欲しいのでしょうが、そんな気分ではありません」との発言をされていました。

 

 

小山内美江子の結婚…旦那は助監督だったが子供出産後に離婚

 

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出典:https://lh3.googleusercontent.com/

 

小山内美江子さんの結婚や旦那さんについても見ていきます。

 

小山内美江子さんが結婚した正確な時期は明かされていませんが、旦那さんとは映画学校時代に知り合ったそうで、女優を夢見る女性と後に旦那さんとなる監督志望の男、そして映画監督を目指していた小山内美江子さんの3人で共同生活を始められたそうです。

 

ところがその後、女優志望の女性は実家から迎えが来て去っていってしまい、小山内美江子さんと後に旦那さんとなる男性との同棲生活へと変化しそのまま自然な流れで結婚に至ったのだそうです。

 

その後、旦那さんはフリーランスの助監督として、小山内美江子さんは映画のスクリプターとしてそれぞれ映画制作現場に関わるようになり、すれ違いのような生活だったもののそのまま約10年が過ぎたそうです。

 

しかしそんな頃に小山内美江子さんは子供を妊娠。小山内美江子さんは収入が安定しない事に不安を抱くようになったそうです。

 

助監督の夫とはすれ違いの生活だったが、「それなりの十年」が過ぎた。やがて脚本の仕事も入り始め、三十七年二月、NHKのドラマ「残りの幸福」で脚本家デビューを果たす。その時、小山内は妊娠していた。

先行きの不安は夫への不安に変わりつつあった。だが、独立プロ系フリーである夫が仕事につけないことを責めるわけにはいかない。

 

引用夫まで子供に見え…子供が生まれた直後に離婚 脚本家・小山内美江子さん(1)

 

その後、小山内美江子さんは子供を無事に出産しますが、子供が生まれても収入を安定させようとしない旦那さんに違和感を抱くようになり、離婚を決意されたそうです。

 

「この人と別れよう」そう考えたのは子供が生まれてまもなくだった。夫は映画監督を目指していたが、収入は安定せず、結婚当初から共働き。乳飲み子を抱えては状況も変わってくる。「子供が生まれたらもっと働くはずなのに…。ちょっと違うなぁ」夫は肉親の縁が薄い人だったこともあったのだろうか、赤ちゃんにべったり。この先の生活費を考えるうち、夫まで子供に見えてきた。

 

引用夫まで子供に見え…子供が生まれた直後に離婚 脚本家・小山内美江子さん(1)

 

旦那さんとの離婚後、小山内美江子さんはがむしゃらに脚本家として仕事をし、シングルマザーとして子供を育て上げています。

 

 

小山内美江子の子供は娘でなく息子で俳優や映画監督として活躍する利重剛

 

小山内美江子の子供(息子)・利重剛のプロフィール

 

本名  :笹平剛

生年月日:1962年7月31日

出身地 :神奈川県横浜市鶴見区

身長  :178cm

血液型 :B型

 

小山内美江子さんと元旦那さんとの子供は息子さんで、俳優、映画監督として活躍されている利重剛(りじゅう・ごう)さんです。ちなみに「利重剛」は芸名で、本名は笹平剛さんです。

 

小山内美江子さんの子供は息子さんの利重剛さん1人だけで娘はいません。

 

小山内美江子さんの息子さんの利重剛さんは、自身が生まれてすぐに小山内美江子さんが離婚して実家に戻ったため、その実家のある神奈川県横浜市鶴見区で生まれ育ちました。

 

利重剛さんは小学生の頃から映画が大好きで、友人と映画館に入り浸るような日々を送り、高校は映画研究部のある東京吉祥寺の成蹊高校へ進学しています。そして、高校3年生の時に自主制作した映画「教訓Ⅰ」がぴあフィルムフェスティバルで入選。

 

この上映会を見に来てくれた巨匠、岡本喜八監督がこの作品を気に入ってくれ、「1度遊びにおいで」と誘ってくれたそうです。岡本喜八監督のはからいにより、「近頃なぜかチャールストン」のプロットを任される事になり、この映画で主演、共同脚本、助監督を務めた事で映画制作の世界に入り、俳優としても活動するようになりました。

 

利重剛さんはすぐに俳優、映画監督として才能を表し、1995年公開の「BeRLiN」で1996年の日本映画監督協会新人賞に輝き、2001年の映画「クロエ」はベルリン映画祭に出品されています。

 

母親の小山内美江子さんが脚本を手がけた作品にも出演しており、「マー姉ちゃん」、「徳川家康」、「父母の誤算」、「親と子の誤算」、「3年B組金八先生」などに出演されています。

 

 

小山内美江子の孫

 

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出典:https://www.nikkansports.com/

 

小山内美江子さんの息子の利重剛さんは、1990年に作家の鷺沢萠さんと1度目の結婚をしていますが1年で離婚されています。

 

その後、2002年に元「プリンセスプリンセス」の今野登茂子さんと再婚して2004年に娘が1人生まれています。

 

この娘さんはのどかさんといい、小山内美江子さんのにとってはただ1人の孫にあたります。小山内美江子さんの孫ののどかさんは現在は大学1年生になっているようです。

 

 

小山内美江子の現在…94歳で死去で死因は老衰

 

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出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/

 

小山内美江子さんは現在は既に亡くなっており、2024年5月2日に94歳で死去した事が、同年5月10日に自身が代表を務めていたNPO「JHP・学校をつくる会」と息子さんの利重剛さんのオフィシャルサイトで発表されました。

 

死因は「老衰」とのみ発表されています。

 

5月2日、母、小山内美江子が天命を全う致しました。
老衰による穏やかな逝去でした。94歳でした。
やりたいことをやり、言いたいことを言い、多くの人々に愛された、幸せな人生だったと思います。
生前のご厚情を深く感謝いたします。
本当にありがとうございました。

 

引用:利重剛オフィシャルサイト 利重人格 ご報告 母の逝去について

 

小山内美江子さんは、死去の4年前の2020年には、2018年から2019年にかけて6度入院し5度手術を受けていた事をスポーツ報知が報じていました。

 

この時には、小山内美江子さんは慢性硬膜下血腫や骨折などで何度も手術を受けながら、驚異的な回復を見せ、週に1度は外食でステーキを食べるほどの元気な姿を見せて周りを驚かせている事などが紹介されていました。

 

その後、2023年7月には、俳優の直江喜一さんがXで小山内美江子さんの近影の画像を投稿し、この時も元気そうな様子がネットで話題にされていました。

 

 

 

 

まとめ

 

今回は、「3年B組金八先生」などで知られる脚本家の小山内美江子さんについてまとめてみました。

 

小山内美江子さんは若い頃は映画監督を夢見ていましたが、時代もあって映画監督は諦めてスクリプターとして映画制作の現場に関わり、子供の出産と離婚をきっかけに脚本家に転向されました。

 

小山内美江子さんは原作と脚本を手がけた「3年B組金八先生」の大ヒットで脚光を浴びましたが、2004年の第7シーズンの半ばで突然降板しています。降板の理由は病気のためと発表されましたが、実際の降板の理由は小山内美江子さんと金八先生の制作スタッフの確執にあったとの報道も出ていました。

 

小山内美江子さんは20代の頃に映画学校で知り合ったという男性と結婚し、10年ほどの結婚生活を送るも、子供を出産した事で考え方が変わりこの旦那さんとは離婚されています。

 

小山内美江子さんの子供は元旦那さんとの間に生まれた息子の利重剛さんで、映画監督や俳優として活躍されています。

 

息子の利重剛さんは元プリンセスプリンセスの今野登茂子さんと結婚し娘が1人生まれており、小山内美江子さんにとってはただ1人の孫にあたります。

 

現在、小山内美江子さんはすでに亡くなられています。小山内美江子さんは2024年5月2日に94歳で亡くなった事が発表されており、死因は「老衰」とのみ発表されています。

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