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藤村新一の現在や指切断とは?旧石器捏造事件の原因や影響・教科書・韓国の話題まとめ

2000年に発覚した「旧石器捏造事件」を引き起こした元考古学者の藤村新一が話題です。

 

この記事では藤村新一の経歴や旧石器捏造事件の概要やなぜ起こしたのかの原因、教科書内容の削除、韓国の反日に利用されるなどの影響や、現在の指切断や家族との関係などついてまとめました。

 

藤村新一は「旧石器捏造事件」を引き起こした元考古学研究者

 

藤村新一のプロフィール

 

生年月日:1950年5月4日

出身地 :宮城県加美郡中新田町(現在の加美町)

 

 

 

藤村新一は、2000年11月に発覚した「旧石器捏造事件」を引き起こした宮城県出身の元考古学者です。

 

今回はこの藤村新一の引き起こした「旧石器捏造事件」と、藤村新一の現在を中心にまとめていきます。

 

 

 

藤村新一の旧石器捏造事件を起こすまでの経歴

 

まず最初に藤村新一が考古学の世界に入り「旧石器捏造事件」を引き起こすまでの経歴について見てきます。

 

藤村新一は小学生だか中学生だかの子供時代に偶然縄文土器を拾い、それをきっかけに考古学の世界に興味を持ったようです。

 

仙台育英高校卒業後に地元の電気機器メーカー「東北計器工業」(東北電力子会社)に就職した後、22歳だった1972年頃から休日を利用して自転車を使って古川市や岩出山町(共に現在の大崎市)の江合川周辺の岸壁などを発掘して石器収集を始め、1年間で数百点もの縄文土器を採集しています。

 

1974年、藤村新一は、岩出山町座散乱木の農道の近くで縄文時代の遺物を発見し、それを地元の研究者の所に持ち込みんだところ、調査の結果その発見場所が旧石器時代の重要な遺跡だと判断されました。

 

これを受けて、当時の東北大学の考古学研究の第一人者であった芹沢長介教授は、当時27歳だった門下生の考古学研究者・岡村道雄さんをこの遺跡発掘の責任者として派遣し、1975年に「石器文化談話会」が結成され、これに藤村新一とその地元の考古学仲間らも加わりました。これをきっかけに、藤村新一は宮城県内の旧石器時代の遺跡の発掘に中心人物の1人として本格的に関わるようになります。

 

翌1976年には、藤村新一らのグループによる座散乱木遺跡の発掘が本格的に開始され、1980年4月には3万年以上前の古い地層から10点の石器が発見され、これまでの定説を覆す大発見だとして大きな話題となります。

 

1984年には、宮城県古川市の馬場壇A遺跡の約12万年前の地層のさらに下層から、20数点の石器が新たに発見され、その後の調査により、この場所で約15万年から20万年前に原人達が獲物を調理するなどの生活を行なっていたとの推測がなされました。

 

こうした一連の新発見は全て藤村新一が発掘するか関わるかしていました。その後も藤村新一の関わる発掘チームは1990年代にかけて、宮城県栗原市の高森遺跡で約50万年前の地層から石器を、新たに見つけた新高森遺跡から約60万年前〜70万年前の石器を発見するなど、それまでの日本の旧石器時代の始まりの時期の定説を大幅に覆す新発見を次々に繰り返しました。

 

その神がかり的な発見効率から、いつしか藤村新一は「神の手(ゴッドハンド)」などと呼ばれて賞賛を集めるようになり、国内の旧石器時代研究のトップグループの1人と目されるまでになります。

 

この頃に藤村新一らのグループは「東北旧石器文化研究所」を設立して、独自に発掘調査を行うようになっていますが、藤村新一の抜けた発掘現場からは途端に石器が発見されなくなり、新たに関わった現場からは途端に大発見がなされるなどしています。

 

そして、1997年には、約30キロ離れた山形県の袖原3遺跡と宮城県の中島山遺跡で発見された石器片の断面が一致するという天文学的確率の奇跡的な出来事が起こり、これは当時の原人達が30キロの距離を行き来していた証拠だとされました。

 

こうした世紀の大発見が繰り返された事で、1980年代から2000年にかけて日本の考古学界は沸き、民間にも原人ブームが起きるなど大きな盛り上がりを見せていました。

 

藤村新一はこうしたブームの立役者として注目を浴び、1999年にはそれまで勤めていた東北計器工業を退職し、2000年8月には「東北旧石器文化研究所」の副理事に就任しています。

 

そして、2000年11月5日、毎日新聞朝刊1面に、「旧石器発掘ねつ造」の見出しの記事が掲載されました。記事には、藤村新一が上高森遺跡の発掘現場でポケットから石器を取り出し、地面に埋める様子を撮影した写真が大きく掲載され、藤村新一が石器発見を捏造した事を認めたとする内容が書かれていました。

 

その後の調査により、藤村新一の発掘グループによる新発見のほぼ全てが、藤村新一が事前にこっそりと石器を仕込んで、新たに発掘したように見せかけるという自作自演により捏造されたものだった事が判明しました。

 

この藤村新一が引き起こした「旧石器捏造事件」については次の見出しから見ていきます。

 

 

 

藤村新一の引き起こした旧石器捏造事件の概要

 

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出典:https://pbs.twimg.com/

 

続けて、藤村新一の引き起こした「旧石器捏造事件」についてを見ていきます。

 

藤村新一は石器などの遺物の驚異的な発見効率の高さから「神の手」などと呼ばれて周囲からまるで神様のように讃えられていましたが、発見の確度があまりにも高すぎる事や、発見の容態に不自然な点が見られる事などから、一部の関係者からは不正を疑う声が出ていました。

 

しかし、当時の考古学界は藤村新一の大発見の数々によって沸き、一般大衆からの支持も集まり、業界全体や関係する自治体などもその恩恵を受けていたため、そうした疑問を口に出す事自体がタブー視され、疑義を訴えた学者が現場や研究の第一線から締め出されるような状態でした。

 

そんな雰囲気が絶頂を迎えていた2000年、当時、毎日新聞北海道支社の報道部長だった真田和義さんの元へ、ある知人から藤村新一が捏造行為をしているのではないかと疑うタレコミが入りました。

 

これを受けた毎日新聞は、真偽を確かめるべく取材班を編成し、上高森遺跡の発掘現場に張り込んで藤村新一が石器を埋める決定的瞬間を撮影する事に成功。

 

この決定的な証拠を藤村新一に突きつけて、直接取材で捏造疑惑の真偽を確認したところ、目を瞑り「皆々ではないです(捏造はしたが発見の全てがそうではないの意味か)」と声を絞り出すようにし、捏造行為をしていた事を認めました。

 

藤村新一の自白を受けて2000年11月5日の毎日新聞朝刊1面には、デカデカと藤村新一が石器を遺跡に埋めて捏造する姿を捉えた証拠写真が掲載され、社会を震撼させる大事件に発展。

 

この時、毎日新聞が捏造を指摘したのは宮城県の上高森遺跡と、藤村新一が調査指導として呼ばれた北海道の総進不動坂遺跡のみでしたが、その後、藤村新一がこれまでに関わった全ての遺跡を調査した結果、彼の発見した石器のうち3000点以上に不自然な点が見つかり、これらが事前に藤村が別の場所で発掘していた縄文時代の石器であると断定されました。

 

結果、これまでに藤村新一の関わった大発見のほぼ全てが捏造であった事が判明し、それらの学術的価値の全てが完全に失われる事になりました。

 

藤村新一は、こうした捏造行為を、「石器文化談話会」に加わった、1970年代の半ばから発覚までずっと継続して行なっていた事も発覚しています。

 

 

 

藤村新一がなぜ旧石器捏造事件を起こしたのかの原因

 

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出典:https://den-deca.net/

 

「旧石器捏造事件」が明るみに出た事で、藤村新一がなぜあまりにも愚かなこのような捏造行為を繰り返したのかにも注目が集まりました。

 

藤村新一はなぜこのような捏造を行なったのかの理由について、調査員の聴取やメディア取材に対してわずかながら話しており、「最初は功名心のためにやったが、『神の手』などと讃えられてプレッシャーを感じ、捏造を続けてしまった」、「みんなで楽しくやれると思った(大発見をする事で認められ、仲間が増えるのが嬉しかったの意味と思われる)」などと話しています。

 

ただ、その後、藤村新一は一貫して「当時の記憶がない」と主張していて、なぜこのような捏造行為を行ったのかの真相は現在もよくわかっていません。

 

 

 

藤村新一の旧石器捏造事件が長期間発覚しなかった原因

 

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出典:https://s2.dmcdn.net/

 

藤村新一はこうした捏造行為を1970年代半ばから2000年まで20数年間にわたって繰り返していましたが、一緒に活動を続けていた考古学や遺跡発掘の専門家達が、これほどの長期間捏造に気がつかなったのは一体なぜなのかという点も追及される事になりました。

 

専門家達がなぜ捏造に気がつかなったのかの原因については、これほど古い時代の出土品が作られた時期を判断する事自体がそもそも難しく、科学的には出土した地層の年代測定に頼るしかないため、その時代の地層からの出土品は例え少しおかしな点が見られたとしても、その地層の時代のものであるとみなす事が、当時の研究者の間で常識化していたためだと説明されています。

 

加えて、当時の新発見ラッシュに盛り上がっていた当時、そのブームに水を差すような発言をする事自体がタブーのような雰囲気が学会全体に醸成されていて、そうした疑問を口にした一部の若手研究者が出世コースから外されたり、考古学研究の現場から外されたりという出来事も実際に起きています。

 

こうした事から、捏造や不正を疑っていてもそれを指摘する者がほとんど現れなかった事も長年にわたって捏造が繰り返された原因になったと見られています。

 

 

 

藤村新一の旧石器捏造事件の影響① 前・中期旧石器研究の根本が瓦解

 

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出典:https://livedoor.sp.blogimg.jp/

 

藤村新一の旧石器捏造事件は大きな影響を及ぼしました。

 

藤村新一らのグループの発見によって、日本の旧石器時代の始まりの定説は70万年前にまで達していましたが、その根拠となっていた石器が全て藤村新一による捏造だった事が判明し、またそれ以前に発見された石器もほとんど全て捏造と判明したため、日本の旧石器時代の始まりは一気に約3万年前まで後退しました。

 

また、藤村新一が縄文時代の石器を埋めている場面が撮影された上高森遺跡をはじめ、馬場壇A遺跡、高森遺跡など、藤村新一の関わった多くの遺跡が旧石器時代の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)の認定・登録を取り消され、国の史跡に指定されていた座散乱木遺跡も、この捏造発覚を受けて史跡指定を解除されています。

 

さらに、藤村新一が捏造のために使った縄文時代の石器が、本当はどこの遺跡で発掘されたものかの追跡も難しく、同時にそれらの歴史研究においての価値も失われてしまいました。

 

 

 

藤村新一の旧石器捏造事件の影響② 日本史教科書からの石器の記述全削除

 

藤村新一らのグループの新発見は、当時の日本史の認定済教科書にも反映され、日本の旧石器時代の始まりは約70万年前と記載されていましたが、それらが全て捏造だった事が判明した影響で、教科書の石器に関わる記述は全て削除せざるを得なくなりました。

 

同時に、大学や高校入試の問題からもこれらは全て削除される事になり、当時の受験生にも多大な影響を及ぼしました。

 

 

 

藤村新一の旧石器捏造事件の影響③ 中国や韓国はここぞとばかりに批判

 

藤村新一の「旧石器捏造事件」は世界でも大々的に報じられましたが、これに日本と歴史認識で対立していた中国や韓国、北朝鮮などのアジアの特定の国々がここぞとばかりに食いつき、「日本人は歴史を捏造している」、「日本人が歴史を歪曲している事が証明された」などとメディアを上げて大々的な批判報道を行いました。

 

冷静に考えれば、これは藤村新一個人の虚栄心のために引き起こされた身勝手な事件であって、日本人の歴史認識とは何の関係もない事件である事は明白で、さらにこれは有史以前の旧石器時代に関わる事件であり、対立が起こっている歴史問題とは根本的にズレた事柄なのですが、中国や韓国はこれを政治的に利用して、日本人は嘘つきだと宣伝するような報道を国内外に向けて一方的に行う事態となりました。

 

特に韓国の一部の反日思想を持つ人々は、現在もこの「旧石器捏造事件」を掘り起こし、日本人の歴史認識に対するネガティブキャンペーンをネット上で定期的に繰り返しています。

 

 

 

藤村新一の旧石器捏造事件の影響④ 別の考古学者が捏造を疑われ抗議自殺

 

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出典:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/

 

藤村新一が旧石器捏造事件の後には、別の考古学研究者の発見まで捏造ではと疑われるなどの影響が出ています。

 

2001年には、週刊文春が、大分県の聖嶽洞穴で発見され、旧石器時代のものではないかと言われていた人骨が実は約550年前のものだったと判明した事を取り上げ、これは発掘の中心人物だった考古学者・賀川光夫さんの捏造ではないかと疑うような記事を3週にわたって掲載しました。

 

これによって、賀川光夫さんは世間からの猛烈なバッシングを受ける事になりますが、この賀川光夫さんは、1962年の発掘当時から聖嶽洞穴での石器の出土状況に疑義があると見ており、鑑定を第三者に依頼するなど学者として慎重な行動を取っている事などから捏造はあり得ませんでした。

 

この週刊文春報道後、賀川光夫さんは、「死を持って抗議する」とする遺書を残して、首吊り自殺。遺族は文藝春秋に対して損害賠償と謝罪広告掲載を求める訴訟を起こし、2004年に最高裁で名誉毀損を認める判決が下されています。

 

 

 

藤村新一の現在① 精神病を患い自分の指を鉈で切断

 

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出典:https://stat.ameba.jp/

 

藤村新一の事件後から現在までについても見ていきます。

 

藤村新一は「旧石器捏造事件」の発覚後、記者会見の場で1度謝罪をしたものの、その後は精神のバランスを崩したとして精神病院に入院してしまい、それ以来公の場に1度も姿を見せていません。しかし、関係者や一部のメディアによって現在までの様子がある程度判明しています。

 

藤村新一のいた発掘グループの中心人物の1人で、旧石器捏造事件での責任も追及された考古学者の岡村道雄さんは、2009年に藤村新一と会っています。その際に、岡村道雄さんは藤村新一の右手の指2本(人差し指と中指)が欠損している事に気がつき、「どうしたのか」と尋ねたところ、藤村新地は、入院していた病院の裏山で、自ら鉈を30数回振り下ろして右手の指を切断してしまったと話したそうです。

 

この時、藤村新一は岡村道雄さんに、自分の病名を「解離性同一性障害(多重人格)」だと説明したのだそうです。

 

また、2003年頃に毎日新聞の取材を受けた藤村新一は、「人格が入れ替わる」、「20数人の人格が(自分の中に)いた」などと話し、指2本を自ら切断した理由については、「“指を切れ”との幻聴が聞こえた」と説明していたという事です。

 

推測ですが、藤村新一は自分の犯した罪の大きさに耐えかね、違う人格が行った事だと自らに思い込ませ、周囲にそれが事実であると信じさせるために自分の指を切断する事までやったのかも知れません。

 

 

 

藤村新一の現在② 事件後に家族とは別離したがその後別の女性と再婚

 

藤村新一には妻と2人の娘の家族がいましたが、「旧石器捏造事件」の後に離婚し、妻とも子供とも現在まで1度も会っていないようです。

 

旧石器捏造事件が明るみになった後、藤村新一の家族に対しても嫌がらせが起こり、それが原因となって離婚となったようです。

 

藤村新一の当時の家族達の現在については不明ですが、旧石器捏造事件を取り上げたノンフィクション作家の上原善広さんの2014年の著作「石の虚塔」によると、藤村新一は元嫁に「もう2度と連絡をしないでくれ」と言われているそうですが、次女とはたまにメールで連絡を取っている事が明かされていました。

 

藤村新一はこの離婚後、2003年5月に入院していた精神病院で知り合った16歳年下の女性と再婚しています。

 

この女性は現在も藤村新一と一緒に暮らしています。これも「石の虚塔」によると、藤村新一はこの現在の奥さんについて「(自分と同じ)解離性人格障害なので気が合った」と話していたという事です。

 

 

 

藤村新一の現在③ 障害者支援施設で働いていたが現在は引きこもり状態

 

藤村新一は現在は、福間件南相馬市の古びた一軒家に家族(再婚した嫁)と2人で暮らしているようです。

 

一時期は障害者就労支援のNPOを通じて作業所で資材収集の仕事をしていたそうですが、東日本大震災で一時作業所が閉鎖になったのを機に、その仕事をやめ、現在は引きこもりのような生活を送っているという事です。

 

これも、「石の虚塔」によれば、藤村新一は坐骨神経痛があって散歩にも行けないため、毎日家でDVDたり雑誌を見て過ごしているのそうです。DVDでオペラの映像を観たり、好きだという船の専門雑誌で戦艦やフェリーの写真を眺めたりして穏やかに過ごしているという事でした。

 

また、現在の藤村新一は180cmの身長に体重は100kgを超えている巨漢だという事です。また頭は丸坊主にしていてぱっと見怖いという印象を受けるかも知れないとも書かれていました。

 

 

 

まとめ

 

今回は、2000年に発覚して世間を揺るがした「旧石器捏造事件」を引き起こした元考古学研究者の藤村新一についてまとめてみました。

 

藤村新一は高校卒業後に民間の考古学研究者として活動し、1970年代半ばから2000年にかけてこれまでの定説を覆すような新発見を次々としたため、「神の手」などと呼ばれて称賛を集目ました。

 

しかし、2000年に毎日新聞が、藤村新一が事前に縄文時代の石器を埋めて自ら掘り出すという自作自演によって捏造をしていた事をスクープした事から大きな騒動となり、猛烈な批判を浴びてそのまま公の舞台から姿を消しました。

 

藤村新一がなぜ捏造行為を繰り返したのかについては、本人が「仲間と楽しくやりたかった」、「期待されるプレッシャーから繰り返してしまった」などの説明をしていますが、藤村新一は捏造を行っていた時の記憶がないなどと主張しており、詳しい動機は判明していません。

 

また、周囲の関係者や専門家がなぜ捏造に気がつかなかったのかも問題にされましたが、これは出土品の年代測定は地層の年代に依存せざるを得ない点や、当時は、そうした大発見に異論を挟む事自体がタブー視され、下手に疑問を口にすれば学会から追い出されるなどリスクが高かったため、誰も疑問を呈する人が現れなかった事が影響したと言われています。

 

藤村新一が引き越した旧石器捏造事件による影響は、一連の大発見を根拠にした旧石器時代に関する定説が全て否定され抹消されただけなく、当時の検定済教科書から石器に関する記述が全て削除され、高校・大学受験の問題からも抹消されるなど教育現場にも多大な影響をもたらしました。

 

その後、藤村新一は精神のバランスを崩したとして精神病院に入院していますが、その入院中に自ら鉈を使って右手の指2本を切断するなどの騒動も起こしています。また、嫁と2人の娘の家族がいましたが、事件後に家族にまで批判や嫌がらせが及んだ事から離婚し、それ以来家族とは1度も会っていないそうです。

 

現在は、福島県南相馬市の古びた一軒家再婚した嫁と2人で暮らしているという事です。

 

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