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雪印集団食中毒事件の原因!製造課長の死・社長会見と寝てないんだよ発言・ 被害者の後遺症や死者の有無・その後現在も総まとめ

2000年に発生し社会を震撼させた「雪印集団食中毒事件」が話題です。

 

この記事では雪印集団食中毒事件の概要、戦後史上最悪の大規模食中毒の大元の原因となった製造課長、会見での石川哲郎社長の「寝てないんだよ」発言、その後の被害者の後遺症や補償、死者の有無、現在についてまとめました。

雪印集団食中毒事件の概要

 

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出典:https://pbs.twimg.com/

 

「雪印集団食中毒事件」は、2000年6月から7月にかけて関西地方を中心に発生した、旧雪印乳業製の乳製品による集団食中毒事件です。

 

この事件での被害者は最初に健康被害の届け出がなされて以降、報告があった被害者数(有症者数)は約1万4780人にも上り、国内では戦後最大規模の集団食中毒事件となりました。

 

 

 

雪印集団食中毒事件の経緯

 

2000年6月25日、雪印乳業の製品「雪印低脂肪乳1リットル」を飲んだ和歌山県那珂町の子供3人(9歳、6歳、4歳)が、嘔吐の症状で病院を受診しその日のうちに和歌山保健所に食中毒の疑いの通報がありましたが同保健所はこの通報を無視。

 

同6月27日に上記とは別の雪印製低脂肪乳による食中毒被害者が大阪市内の病院へと来院。この病院から大阪市保健所への通報が最初の行政への報告となりました。この初期対応の遅れがこの事件の被害が拡大した原因の一つとの指摘もあります。

 

同6月28日にかけて中毒症状発症者の届出が急増した事を受けて、大阪市保健所は有症者の調査及び、雪印乳業大阪工場への立ち入り検査を実施しました。

 

大阪市保健所は雪印大阪工場に対して、同工場製造の集団食中毒の原因になった疑いのある商品の自主回収と新規製造自粛、社告の新聞掲載による事実の公表などを指導しています。

 

ところが、大阪工場は、本社重役が株主総会出席中である事などを理由に判断を先送りにしました。大阪工場は翌29日になってようやく出荷済みの約30万個の当該製品の自主回収をはじめていますが、この段になってもまだ事実の公表は行われませんでした。

 

同日、大阪工場の杜撰な対応に危機感を抱いた大阪市保健所は、独自に記者会見を開いて事実の公表を行い、これによってようやく「雪印集団食中毒事件」は社会の明るみに出ました。これを受けて、その日の深夜になってようやく大阪工場は記者発表を行い「雪印低脂肪乳」の製造を当面の間休止する事を発表しました。

 

しかし、大阪工場が対応を見合わせていた6月28日、29日に製造された同製品は既に、スーパーマーケットを中心とする関西一帯の小売店に出荷されており、致命的な被害拡大へとつながりました。

 

事実が公表された直後から、雪印乳業の乳製品を飲んでの食中毒被害の報告が殺到し、大阪府、兵庫県、和歌山県、滋賀県など関西地方の広範囲にわたって多数の被害が報告され、認定された被害者の数は同年12月までに約1万4780人まで拡大しました。

 

同年6月30日、和歌山市衛生研究所に持ち込まれた検体の「雪印低脂肪乳」から黄色ブドウ球菌の毒素産出遺伝子が検出され、これを受けて大阪市保健所が正式に該当商品の回収を雪印大阪公表に命じています。

 

雪印集団食中毒事件が発生した原因については次の見出しから見ていきます。

 

 

 

雪印集団食中毒事件の原因① 直接の要因は原料を製造した工場の停電

 

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出典:https://i0.wp.com/

 

続けて、その後の調査によって明らかになった「雪印集団食中毒事件」の発生と被害拡大の原因を時系列順に見ていきます。

 

事件発覚後、当局による聞き取り調査などにより、大元の原因は当該商品に使用された脱脂粉乳を製造した北海道の雪印乳業大樹工場である事が判明しています。

 

雪印集団食中毒事件の発覚から約3ヶ月前の2000年3月31日、北海道の雪印乳業大樹工場で午前11時から約3時間の停電が発生し、通常数分で終わるクリームの分離工程がストップし、脱脂乳が20〜30度に加熱された状態のままタンク内に約4時間滞留しました。

 

さらに、余った脱脂乳をためておく濃縮工程の回収乳タンクの中身も、この停電によって9時間以上にわたって冷却されない状態で放置され、この間に各タンク内で黄色ブドウ球菌が増殖し、毒素であるエンテロトキシンAが発生しました。

 

この毒素が雪印集団食中毒事件の直接原因でした。

 

 

 

雪印集団食中毒事件の原因② 大樹工場の杜撰な管理体制と知識の不足

 

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出典:https://image.aflo.com/

 

本来であれば、高温で放置されたタンク内の原料は全て廃棄されるべきでしたが、殺菌装置で黄色ブドウ球菌を死滅させれば安全だと判断され、処置後にそのまま脱脂粉乳の生産に使用されました。

 

同工場では、4月3日にこうして製造された脱脂粉乳に細菌が異常繁殖している事を把握しましたが、製造課長の桜田宏介は叱責を恐れてこれを隠蔽しそのまま出荷し、一部は4月10日製造分の脱脂粉乳の原料として使用されました。

 

こうして毒性を持ったまま出荷された脱脂粉乳が大阪工場に持ち込まれ、それを材料に製造された乳製品によって集団食中毒が引き起こされたのでした。

 

事件の原因を作った雪印乳業大樹工場では、現場の危機管理意識が欠如しており、停電などで製造工程がストップした時の対応策のマニュアルも作成されていませんでした。

 

さらに、製造された脱脂粉乳内の細菌数が安全基準を上回っていたにも関わらず、製造課長は「加熱殺菌すれば安全」との判断を下してそのまま利用しました。同工場では、工場長から従業員まで「細菌から発生する毒素は加熱しても毒性を失わない」という基礎知識が不足していました。

 

こうした基本的な知識と安全意識の欠如が、雪印集団食中毒事件の主原因となりました。

 

 

 

雪印集団食中毒事件の原因③ 責任の所在が曖昧な組織による対応の遅れ

 

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出典:https://www9.nhk.or.jp/

 

雪印大阪工場は、最初の食中毒被害者の訴えを「通常の苦情、問い合わせ」として処理し、大規模集団食中毒事件に発展する可能性があるという意識を全く持っていませんでした。

 

これによって商品の自主回収や事実公表が遅れることになり、被害が拡大する原因となりました。

 

また、事実が社会に公表された後も、当時の石川哲郎社長をはじめとする経営陣は、雪印のブランドが傷付くことを恐れて、その後の調査で新たに判明した事実を公表しようとしませんでした。

 

そればかりか、経営陣への情報伝達自体が疎かにされており、事件後に開かれた会見の場で大阪工場長が新たに判明した事実を記者に説明したところ、同席していた石川哲郎社長が顔を紅潮させて「君、それは本当か!」と口を挟む場面があり、これも大きな問題とされました。

 

こうした社長のリーダーシップの欠如をはじめ、経営陣の責任体制が曖昧なことによって、部署ごとの責任逃れのための事実隠蔽が横行し、結果として情報伝達の不手際が起こったと指摘されました。こうした組織体制の問題が、雪印集団食中毒事件の被害がここまで拡大した原因でした。

 

 

 

雪印集団食中毒事件で罪を問われた製造課長は公判中に交通事故死

 

「雪印集団食中毒事件」の根本的な原因となったのは、北海道の雪印乳業大樹工場で、毒性を持った脱脂粉乳がそのまま出荷された事でした。

 

事件後、同工場の製造課長だった桜田宏介は、業務上過失致死傷と食品衛生法違反の罪に問われましたが、その初公判があった直後の2002年1月9日に、自動車の運転中に反対車線に飛び出してトラックと正面衝突する事故を起こし頭を強く打って死亡しています。

 

この当時の雪印大樹工場の製造課長の桜田宏介という人物は、北海道大学ではチーズを専門に酪農を学びながらラグビー部で活躍、卒業後に雪印乳業に入社し、40代で製造課長になるなど順調に出世をしていましたが、雪印集団食中毒事件を引き起こす原因を作ったことで責任を問われ、事件後に雪印乳業を退職していました。

 

この元製造課長・桜田宏介氏は、雪印乳業退職後は、千歳市の清掃会社で働きながら、江別市の酪農学園大学でチーズの研究を続けられていたそうで、交通事故を起こした日も自宅から大学へ向かう途中だったという事です。

 

自身が罪に問われた雪印集団食中毒事件の初公判直後の交通事故ということで、元製造課長・桜田宏介氏は自殺を図ったのではないかとも言われていますが、その日は気温が氷点下3度で路面はアイスバーン状態だったという事で、運転操作を誤ったのが原因の不慮の交通事故だと結論づけられています。

 

なお、元製造課長・桜田宏介氏は亡くなった当時、妻と育ち盛りの3人の子供がいたそうです。

 

当時の雪印乳業全体の管理体制の杜撰さに加えて、当時の経営陣が安全と安心に重きを置かずに利益最重視の経営方針だった事などから、この製造課長も上司からの叱責を恐れて致し方なく事実の隠蔽に走ったとの見方もあり、この方個人に対しては同情する声も少なからずあるようです。

 

 

 

雪印集団食中毒事件後の会見後に当時の石川哲郎社長が「寝てないんだよ!」と逆ギレ

 

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出典:https://cdn-business.nikkei.com/

 

「雪印集団食中毒事件」の発覚後、当時の石川哲郎社長は連日記者会見に出席していましたが、2020年7月4日の会見では、「黄色人種には牛乳を飲んで具合が悪くなる人間が一定数いる」などと責任逃れのような発言を繰り返した挙句、開始から1時間後に一方的に会見を打ち切り退席しました。

 

石川哲郎社長は、記者らにもみくちゃにされながらエレベーターへと向かいましたが、その際に会見の延長を求めた記者に対し「そんな事言ったってねぇ、私は寝てないんだよ!」と逆ギレし、これが大きな批判を呼びました。

 

 

石川哲郎社長が会見後に「寝てないんだよ!」と逆ギレした際の動画

 

下は、石川哲郎社長の会見後に「寝てないんだよ!」と逆ギレした時の動画です。

 

 

現在もこの、石川哲郎社長の「寝てないんだよ!」はインターネット上でたびたびネタにされています。

 

 

雪印集団食中毒事件で死者は出ていないが80代の女性が入院先の病院での医療ミスで死亡

 

「雪印集団食中毒事件」では、大半の被害者の症状は比較的に軽いものでしたが、一部は重症化しており、7月1日の集計時点で84名が入院しています。

 

そのうち、奈良県の80代の女性が入院先で死亡し、これが雪印集団食中毒事件の被害者の中で唯一の死者となりました。ただし、これはその後の裁判で、入院後の医療ミスが直接的な死亡原因との判断が下されており、法的な意味では雪印集団食中毒事件で死者は出ていません。

 

 

 

雪印集団食中毒事件のその後① 社長と専務は不起訴、工場長と製造課主任は有罪判決

 

続けて、「雪印集団食中毒事件」のその後の展開も見ていきます。

 

事件後、石川哲郎社長、雪印乳業専務、雪印大樹工場長、同製造課長、同製造課主任の5人が大阪地検に書類送検されました。

 

その後、石川哲郎社長と専務は、事件を予見することは不可能だったとして不起訴処分とされています。

 

残る3人は業務上過失傷害罪と食品衛生法違反で起訴されましたが、前述の通り製造課長は初公判後に交通事故死しています。

 

2003年5月27日、大阪地裁は工場長に禁固2年執行猶予3年と罰金12万円、製造課主任には禁固1年6ヶ月執行猶予2年の有罪判決がそれぞれ下されています。

 

 

 

雪印集団食中毒事件のその後② 被害者や取引先への補償

 

「雪印集団食中毒事件」のその後、雪印乳業は、大阪工場による食中毒事故による被害者向けには、「お客様ケアセンター」を設置して対応していますが、具体的にどのような補償を行なっていたのかは不明です。ただその後の雪印の発表などから、少なくとも入院した被害者への金銭的な補償は行われたようです。

 

また、雪印乳業の2000年9月の中間期の経常損益は、取引先などへの補償金や商品の廃棄損などによって約100億円の赤字となっているので、販売店向けには数百億円規模での補償が行われたようです。

 

 

 

雪印集団食中毒事件のその後③ PTSDなどの後遺症を訴えた被害者も

 

「雪印集団食中毒事件」では、健康面での深刻な後遺症は報告されていませんが、PTSDなどの精神的な後遺症を訴えた被害者がいました。

 

事件当時70代だった被害者の1人は食中毒被害に遭った後、PTSDを発症し211日間の入院後も症状が長期化し通院治療が続いたため、慰謝料も含めて6442万円の損害賠償を雪印乳業に求めて提訴しています。

 

裁判では、被告側はPTSDを雪印集団食中毒事件と因果関係のある後遺症だと主張し、雪印側は因果関係はないと主張しました。この訴訟は5年以上争われましたが、最終的に雪印側が650万円の和解金を支払うことで最終解決しています。

 

 

雪印集団食中毒事件のその後④ 雪印食品による「雪印牛肉偽装事件」発生

 

「雪印集団食中毒事件」からわずか2年後の2002年、雪印乳業の子会社の雪印食品が、当時社会問題化していたBSE問題対策として実施されていた農林水産省による補助金制度を悪用し、2億円の補助金を騙し取る事件が発覚しました。

 

雪印食品は、全頭検査の導入前に解体された国産牛肉を事実上国が買い取る制度を利用し、安価な外国産牛肉を国産牛肉と偽装し、農林水産省に買い取り費用を不正請求し2億円を騙しとりました。

 

この詐欺事件によって、雪印グループの信用の失墜は決定的となりました。

 

なお、この事件の影響を受けて、雪印グループがスポンサーで、長年テレビ朝日系で放送されていた人気料理番組「料理バンザイ!」が放送打ち切りに追い込まれています。

 

 

 

雪印集団食中毒事件のその後⑤ 雪印はグループ解体・再編へ

 

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出典:https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/

 

「雪印集団食中毒事件」に続き、「雪印牛肉偽装事件」を起こした雪印グループへの消費者からの信頼は地に落ち、雪印グループは解体を余儀なくされました。

 

雪印牛肉偽装事件を起こした雪印食品は2002年4月30日に廃業。一連の事件によって壊滅的な打撃を受けた雪印乳業の債務超過は198億円にまで達し、上場廃止の危機に追い込まれました。

 

その救済のため、2003年1月1日に雪印乳業本体から市乳部門が分割され、全国農協直販(全農の市乳部門)、ジャパンミルクネット(全国酪農業協同組合連合会の市乳部門)の2社と経営統合する形で「日本ミルクコミュニティ株式会社」が新たに設立されました。

 

しかしその後、乳価高騰などの影響を受けて同社が経営不振に陥ったの理由に雪印乳業本体と、日本ミルクコミュニティ株式会社が経営統合する流れとなり、2009年10月1日に共同持ち株移転によって、両社の持株会社「雪印メグミルク株式会社」が創設されました。

 

さらに、2011年4月1日に雪印メグミルク株式会社が、雪印乳業と日本ミルクコミュニティを吸収合併し、現在の事業会社としての雪印メグミルク株式会社が設立されました。

 

ざっくりまとめると、雪印集団食中毒事件や雪印牛肉偽装事件のその後の雪印乳業は、一時は消滅の危機に陥ったものの、救済策がとられて雪印メグミルクとして事実上存続しているという事です。

 

 

 

雪印集団食中毒事件は現在もネットで度々話題になっている

 

現在も「雪印集団食中毒事件」はネット上で度々話題になっています。

 

雪印乳業は現在も「雪印メグミルク株式会社」として実質的に存続していますが、雪印メグミルクが食品に関する何らかのアクションを起こすたびにネット上ではこの件が話題にあがります。

 

 

 

2020年2月のカビピザ生地騒動でも雪印集団食中毒事件が掘り返され批判多数

 

2020年2月5日に雪印メグミルクの製品「ピザクラスト」の一部商品の包装に穴が空いているとして、メグミルクが7万5864袋の自主回収と購入者へのQUOカード送付による補償が行われる事が発表されました。

 

発表によれば、購入者からの「商品にカビが生えている」との指摘から発覚したという事ですが、ネット上では過去の「雪印集団食中毒事件」が再び注目され、「何度同じような事件を起こすか」、「結局体質が変わっていないのでは?」といった批判が起こりました。

 

昨年12月25日に購入客から「商品にカビが生えている」と指摘があり、調査したところ発覚したという。

健康被害は確認されておらず、購入者には商品回収後に商品代金相応のクオカードを送るとしているが、「何度似たような不祥事を起こせばいいのか」「問題を起こす企業は社名を変えても同じことをやるのだな」などとネットからは辛辣な声が上がっている。

 

引用:雪印のピザ生地に「カビ」。思い出される20年前の「私は寝てないんだ」集団食中毒事件

 

 

 

「雪印集団食中毒事件」は、それまで社会的に絶対的感覚として存在していた一流企業やブランドに対する信頼感が一気に崩れ去るほどの衝撃的事件だった事もあり、20年以上が経過した現在もいまだに、雪印は信用できないという人が多くいるようです。

 

 

 

まとめ

 

今回は、2000年6月から7月にかけて発生した、戦後史上最大の規模の集団食中毒事件「雪印集団食中毒事件」についてまとめてみました。

 

雪印集団食中毒事件は、北海道の雪印大樹工場で数時間停電が発生した事で、タンク内に数時間放置された脱脂乳に病原性黄色ブドウ球菌が増殖し、それを原料に製造された脱脂粉乳内に毒素である「エンテロトキシンA」が発生した事が大元の原因でした。

 

同工場製造課長はこの事実に気が付きますが、叱責を恐れて隠蔽し、毒性を持った脱脂粉乳をそのまま出荷してしまいます。

 

結果、この脱脂粉乳を材料に大阪工場で乳製品が製造され、それが関西圏の小売店で流通し、報告されただけで約1万4780人もの食中毒被害者が出ました。

 

その後の会見で社長が「私は寝てないんだよ!」と記者に逆ギレするなど、当時の雪印乳業の酷すぎる対応も話題になって雪印の信用は失墜し、さらに、わずか1年後には子会社の雪印食品が「雪印牛肉偽装事件」を起こしたのが決定打となって、雪印グループは解体・再編を余儀なくされました。

 

被害者からは直接的な死者は出ず、雪印側は入院した被害者などに対しての補償なども行なっています。また、身体的な後遺症などは報告されませんでしたが、一部はPTSDなどの精神的な後遺症が残ったとして雪印乳業側を訴えるなどの集団訴訟も起きました。

 

現在も、ネット上では「雪印集団食中毒事件」はよくネタにされており、雪印メグミルクが何らかの理由で商品の回収などを発表するたびに、この事件が必ず話題に上ります。

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