日本を代表するアニメスタジオ「ジブリ」は、2006年に『ゲド戦記』を公開しましたが、評価は酷評の嵐となりました。
今回はアレンやテルーの正体など『ゲド戦記』のあらすじ・都市伝説と裏話・評価と感想・考察などを徹底解説していきます。
この記事の目次
- 「ゲド戦記」あらすじの解説
- 「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察8選
- 「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察1 – テルーは冒頭で落ちてきた竜?
- 「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察2 – テルーの顔の傷(ケロイド)はいつできた?
- 「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察3 – 「人は昔、龍だった」というキャッチコピーの謎
- 「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察4 – ハイタカの顔の傷はいつできた?
- 「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察5 – クモはハイタカに深い恨みがあった
- 「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察6 – テルーの保護者・テナーとは?
- 「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察7 – 『ゲド戦記』における龍(テルーの正体)の存在の象徴とは?
- 「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察8 – 原作とアニメ作品の違い
- 「ゲド戦記」父・宮﨑駿が宮崎吾朗を痛烈批判した理由とは?
- 「ゲド戦記」一般的な”良い”評価と感想
- 「ゲド戦記」一般的な”普通”評価と感想
- 「ゲド戦記」一般的な”悪い”評価と感想
- 「ゲド戦記」について総まとめすると・・・
「ゲド戦記」あらすじの解説
非常に”重い”テーマを持った『ゲド戦記』
『ゲド戦記』は2006年7月29日に劇場公開されたスタジオジブリのアニメ作品です。一国の王である父親を殺害して逃亡した心に闇を抱える主人公・アレンが、偉大な魔法使いのハイタカや少女・テル―と出会い、永遠の命を得ようと企む邪悪な魔法使い・クモとの闘いによりアレンは心を取り戻していきます。
『ゲド戦記』は2018年1月22日に亡くなったアメリカの女性作家であるアーシュラ・K・ル=グウィンさんの『Tales from Earthsea』が原作です。
1968年から2001年にかけて出版されたファンタジー小説で、『ゲド戦記』とタイトルになっているゲド(ハイタカ)も主人公として登場するのは1巻だけで、”戦記”と言っても主に戦いを描いた作品ではありません。
世界のファンタジー小説として大作と言われる『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)』や『オズの魔法使い』と並んで『ゲド戦記』も数えられています。
また『ゲド戦記』の第1巻「影との戦い」は、『ハリーポッター』や『氷と炎の歌』にも多大な影響を与えたと言われています。
これからスタジオジブリのアニメ映画『ゲド戦記』について解説していきますが、主な作品関係者は以下の通りです。
監督: 宮崎吾朗
脚本: 宮崎吾朗、丹羽圭子
原案: 宮崎駿『シュナの旅』
原作: アーシュラ・K・ル=グウィン
製作: 鈴木敏夫
出演者: 岡田准一(V6)、菅原文太、手嶌葵、田中裕子
音楽: 寺嶋民哉
主題歌: 手嶌葵
引用:Wikipedia – ゲド戦記 (映画)
そして、主な声のキャストは以下の通りとなります。
テルー(テハヌー) … 手嶌葵
ハイタカ(ゲド)… 菅原文太
テナー… 風吹ジュン
クモ… 田中裕子
ウサギ… 香川照之
岡田准一さんがアレンの声だったということに驚いた人も多いようですが、良い悪役っぷりを見せていたウサギ役の香川照之さんもさすがだと言えるでしょう。
「ゲド戦記」でも有名なアーシュラ・K・ル=グクィンさんの訃報。
— 耳子 (@mufftabby) 2018年1月24日
彼女の作品はこれからも愛され続けることでしょう。
どうぞ安らかに。 pic.twitter.com/fwgJW5X61f
「ゲド戦記」あらすじ – アレン、父王を殺して旅に出る
冒頭からショッキングな展開を見せる『ゲド戦記』
『ゲド戦記』はスタジオジブリの数ある作品の中でも最も荒廃した世界を描いているため、冒頭から激しく好き嫌いが分かれるようです。
主人公であるアレンはエンラッド王国の王子で、その繊細で非常に真面目、正義感が強すぎる性格から悪事が横行する荒み切った世の中を憂い、精神を病んでいきます。
そのため、アレンは正体不明の自分の影に追われるようになり、その強迫観念から暴走してしまい、一国の王である父親を殺害してしまいます。
当然国に残ることができなくなったアレンは逃亡し、外の世界に単身旅に出ることになりました。
アレンの父殺しは宮崎吾朗の宮崎駿への思いだった?
冒頭から父親を殺すというショッキングなシーンから始まる『ゲド戦記』ですが、監督を務めた宮崎吾朗さんと父・宮崎駿さんとの関係を表したものだとも言われています。
アレンの”父親殺し”の真相については物語中で明かされていませんが、宮崎吾朗さんによればアレンが王子として生まれた境遇と荒廃した世界との間でどうしようもない閉塞感や正義感などのバランスが取れなくなり、生きる矛盾に耐えられなくなって暴走した結果だったということです。
アレンが常に次期国王として現王の父親と常に比較され、尋常ではないプレッシャーの中に晒されて精神を壊したのであれば、世界の巨匠と呼ばれる宮崎駿さんという偉大すぎる父を持つあまり、苦悩してきた宮崎吾朗さんの心情がそのまま作品に現れたと見るファンもいるようです。
深層心理学では”親殺し”は子供が親から精神的に独立する際に心の中で行う通過儀礼だとされていますが、宮崎吾朗さんは図らずも『ゲド戦記』の中でそれをしてしまったようです。
「親殺し」というのは、深層心理学で使われる言葉のひとつである。
本来、自立を前にした子どもの「心の中」で行われるべき「親殺し」という象徴的なことが、現実の世界で行われてしまうことに、事件の悲劇がある。
近年、精神的に押さえつけられていた子供が暴走して親を殺してしまう事件が増えていますが、『ゲド戦記』が風刺したわけではないとしても時代性を帯びた作品とも言えます。
実際にこの”父親殺し”を提案したのはプロデューサーの鈴木敏夫さんで、以下のように語っています。
当初アレンはおかしくなった父親に殺されそうになり国を飛び出す、というシノプシスがあったが、鈴木が「今の時代を考えると、息子が父を刺すほうがリアルだ」と発案し、吾朗が取り入れたと言う。
『ゲド戦記』の世界には人々の頭をおかしくする”禍の力”が満ちており、その影響は国を荒廃させた父王やアレンにも同様に影響を与えていたようです。
また、アレンは父王からのプレッシャーを悪い方向に受け止めてしまった結果だったのかもしれませんね。
健常な子であれば、心の中で鬼や竜を退治して、象徴的な「母殺し」をして、適度な反抗ていどで
現実の親とは折り合いをつけることができる。
しかし、自我が脆弱であったり過敏・繊細であったり、またストレスにより疲弊した子は、ときおり、親の「自分を飲み込み、殺そうと迫ってくる」態度を、恐ろしい侵襲感として受け取って、「やられる前に殺す」という現実とイメージとの意識が混濁がして、行動化(acting out)することがある。
序盤でのアレンはまったく余裕の無い取り憑かれたような顔をしていますが、影に追われて心身共に疲弊しきったところに賢者ハイタカに救われ、そして共にホート・タウンという街へ目指すことになります。
「ゲド戦記」あらすじ – アレン、テルーと出会う
テルーと運命的な出会いをするアレン
アレンはハイタカと一緒に訪れたホート・タウンで人身売買のために人狩りをしていたウサギに捕まりそうになっていたテルーを助けました。
アレンとハイタカが訪れたホート・タウンは元々美しい街でしたが、人を狂わせる麻薬や人身売買が横行するようになり、非常に治安の悪い街に成り下がっていました。
アレンは街のはずれでウサギら人狩りに追われているテルーを見つけ、助けるために王宮で身につけた卓抜な剣術でウサギらを圧倒します。
しかし、影の存在に気を取られたアレンは隙を作ってしまいウサギらに捕らえられてしまいます。
魂の抜けたような状態になったアレンは奴隷の一人として車に乗せられて売られる時を待つ身となってしまいましたが、そのことに気づいたハイタカがアレンを救出に向かいます。
アレンを救い出したハイタカは街から離れたところで暮らしている旧友のテナーの元を訪れます。
そこでアレンに生活させることになりましたが、テナーの元にはウサギから助けたテルーが暮らしていたことが分かります。
ハイタカはアレンを匿ってもらう代わりに、3人を守るために一緒に生活することを決めました。
ハイタカはテルーを初めて見て何故驚いた?
『ゲド戦記』の中で真相が語られないままで最大の謎だと言われていたのが、初めてテルーを見た時のハイタカの驚いた表情だったようです。
ハイタカはアレンに助けてもらって戻ってきたテルーを初めて見たときに驚いた表情を一瞬見せました。
これは優秀な魔法使いで賢者と呼ばれるハイタカだからこそ、テルーの中に眠っている龍の正体を見抜いたからだと言われているようです。
また、テルーはハイタカとテナーとの子供だという説もあり、ハイタカが大きくなった娘の姿に驚いたからだと解説されることもあるようですが、原作ではテルーの顔の傷は幼少期に両親の虐待に遭ったからだとされていますのでこの説は無いでしょう。
「ゲド戦記」あらすじ – テナーがウサギに誘拐される
ハイタカの留守中に現れたウサギ
ハイタカが家を不在にしている間を見計らってウサギが馬を駆って現れ、テナーを誘拐してしまいます。
テナーを捕獲したウサギは、テルーに向かって「この女を返して欲しければクモ様の城まで来いとハイタカに伝えろ」と言い残し去ってしまいます。
テルーは戻ってきたハイタカに一連の出来事を伝え、ハイタカはクモの城に向けて出立します。
しかし、この頃アレンは影を利用されてクモにさらわれており、ハイタカへの復讐を果たすためのクモの計画によるものでした。
真の名”レバンネン”をクモに知られ操られてしまったアレン
クモに捕らえられたアレンは真の名である”レバンネン”という名前を知られてしまい操られてしまいます。
『ゲド戦記』の世界には魔法が存在し、万物全てのものには「真の名」と呼ばれる名前を持っています。
この名前を知ることで魔法を使ったり、対象を操ることができてしまうため、世界の人々はみだりに自分の「真の名」を他人に明かすことはなく、偽名を使って生活をしています。
しかし、影を利用してアレンを精神的に冷静な判断ができないようにして、クモは真の名を聞き出し操ってしまいました。
「ゲド戦記」あらすじ – ハイタカの捕縛とアレンの復活
ハイタカはテナーを人質にクモに捕らえられてしまう
大切なテナーを人質に捕られてなす術の無いハイタカはクモに魔力を奪われてテナーと共に幽閉されてしまいました。
クモと唯一対等に戦えたハイタカまでもが捕らえられてしまい、事態は最悪な展開となってしまいます。
しかし、テルーはハイタカから預かっていた剣を持ってひとりでクモの城へ忍び込み、敵の目をかいくぐってアレンがいるところまでたどり着きました。
クモの魔法によって正気を失っていたアレンでしたが、テルーの説得により心を取り戻します。
そして剣をテルーから受け取ったアレンは、幽閉されているハイタカとテナーを助け出すためにクモへ戦いを挑みます。
「ゲド戦記」あらすじ – 心の強さを得てアレンはクモを圧倒
心の強さを手にしたアレンはクモをも圧倒する
それまで情けない姿しか見せていなかったアレンでしたが、テルーにより心の強さを得たことで圧倒的な強さをみせました。
それでもクモも一筋縄ではいかない強力な魔法使いなので、魔法を駆使して城を崩壊させてアレンとテルーを殺そうとしてきます。
足場を失ったアレンはなす術なく瓦礫にしがみつきますが、その隙にクモはテルーを捕獲してしまいました。
テルーを救い出すためにアレンはクモを追いますが、テルーはクモに殺されてしまいます。
「ゲド戦記」あらすじ – テルーが龍に戻りクモを倒す
テルーは古の龍の一族の末裔だった
クモの魔力により一度は殺されて息絶えたテルーでしたが、それがきっかけで潜在していた龍の力が目覚めテルーは龍へと変貌しました。
テルーは魔力が弱まり老化が進むクモに捕らえられたまま、ついに殺されてしまいます。
助け出す前に息絶えてしまったテルーを見たアレンは無力感から呆然としてしまいますが、そんなアレンを殺そうとしたクモに「待ちなさい」と制止したのは死んだはずのテルーでした。
テルーは龍の力が解放されて変貌し、灼熱の炎によりクモを焼き尽くしてしまいます。
永遠の命を手に入れられずに死ぬことを悟ったクモは悲鳴をあげながら嘆きますが、炎に巻かれ人間の原型を止めないほど老いた姿のままクモは消え去りました。
「ゲド戦記」あらすじ – クモが死んだことで世界に均衡が戻る
クモの死により世界の均衡が戻る
生と死をつなぐ禁断の扉を開いたことで世界に禍いの力をバラ撒き、世界の均衡を壊していたクモが死んだことで人々を操っていた禍々しい力は消えました。
世界の人々は正気に戻り、徐々に秩序が戻っていきました。
アレンは例え正気を失っていたとは言え父親を殺してしまった罪を償うためにエンラッド王国に戻ることを決意しました。
テルーとテナーに別れを告げると、アレンはハイタカと共に出立したのでした。
「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察8選
「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察1 – テルーは冒頭で落ちてきた竜?
『ゲド戦記』オープニングの竜はテルーだった?
『ゲド戦記』を観終わった人の中で「冒頭に登場した竜がテルーなのでは?」という声が少なからず挙がっていたようです。
クモに一度殺されたことで龍としての力が解放されたテルーですが、『ゲド戦記』の冒頭で龍が落ちてくるシーンがあります。
この龍が実はテルーだったのか、それともクモとの一件で初めて龍の姿に戻ったのかという謎が浮上していたようです。
結論はテルーは終盤で龍に変貌したことが初めてであり、”先祖返り”をしたということです。
冒頭部に登場した龍は、元々龍と人間で世界が住み分けされていたものの、クモにより世界の均衡が崩されたことでふたつの世界が混ざってしまったことを示唆することを説明するシーンでした。
龍と人間が共存する中で合いの子が生まれるようになり、その一人がテルーであり、龍族の最長老であるカレシンの子供だとされていますので、龍族の中でも最も大きな力を持った一族だということでしょう。
「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察2 – テルーの顔の傷(ケロイド)はいつできた?
テルーは両親からの虐待を受けて顔の傷を負った
テルーは幼少期に両親に虐待を受けたため顔にケロイド状の傷ができたと設定されていますが、当然龍族最長老のカレシンでも、ハイタカとテナーでもありません。
設定から推測すると、龍族の最長老のカレシンが人間界で人間として生活する中で、人間の女性との間に恵まれた子供がテルーということになります。
しかし、その後カレシンとパートナーの女性は離別や死亡など何かしらの事情からテルーを第三者に委ねることになってしまい、その新しい親となった夫妻がテルーへ虐待をしたのでしょう。
人身売買が横行する世界の背景から考えると、テルーはウサギから人狩りに遭いそうになったように、過去に人狩りに遭ったことからカレシンと離別したのかもしれません。
そして人買いである夫婦に貰われてしまい、奴隷としてこき使われたテルーは虐待を受ける生活をしていたのかもしれませんね。
カレシンがゲド(ハイタカ)に世界の均衡を取り戻して貰うために援助していたという設定も鑑みると、テルーは人狩りに遭った線が濃厚でしょう。
「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察3 – 「人は昔、龍だった」というキャッチコピーの謎
一見すると謎な「人は昔、龍だった」というコピー
『ゲド戦記』の原作を知らない人からすれば「人は昔、龍だった」というキャッチコピーは意味不明な謎に映った人も少なくないでしょう。
ここまでの解説からもわかるかと思いますが、「人は昔、龍だった」というキャッチコピーは、龍と人間の世界が混ざり合い”一部の龍が人間になることを選んだ”ということを表しています。
『ゲド戦記』の世界では一部の龍は生き延びるために人間との共存の道を選び、人間との子を授かることでテルーのような混血児が生まれました。
しかし、龍族の最長老・カレシンを父に持つテルーなどは龍の血を色濃く受け継いでいるため、クモにより絶体絶命の危機に陥った時にその力が開放され龍に戻ったようです。
「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察4 – ハイタカの顔の傷はいつできた?
ハイタカの顔の傷は原作を踏襲している
スタジオジブリのアニメ映画『ゲド戦記』は基本的にオリジナルストーリーですが、部分的に原作の設定を受け継いでいます。
テルーの顔の傷もそうですが、ハイタカの顔の傷も謎に思った人は少なくないようです。
映画中に傷ができた理由が語られることはありませんでしたが、この傷は原作の第一巻「影との戦い」で描かれています。
ハイタカは若い青年時代にはすでに優秀な魔法使いであり、その能力を過信しすぎて自惚れていたためある時暴走し、禁断の魔法を使用してしまいます。
ハイタカは死者の魂と”影”を呼び出してしまい、アレンがそうだったように己の影との戦いが始まります。
戦いの中でハイタカは”影”により顔を傷つけられてしまったというエピソードがあります。
ハイタカがアレンに親身になっていたのは、自分も”影”との戦いを経験していたことも関係しているのかもしれませんね。
「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察5 – クモはハイタカに深い恨みがあった
若い頃にハイタカに恐怖を与えられたクモ
ハイタカとクモは同じ魔法使いの弟子だったようですが、ある時クモが黄泉の世界の扉を開き師匠の魂を弄んだことからハイタカの逆鱗に触れ、恐怖を与えられました。
スタジオジブリのアニメ映画『ゲド戦記』では触れることはありませんでしたが、ハイタカとクモは同じ師匠に師事しており、昔からクモは魔法を悪事に利用していました。
永遠の命を手にするために黄泉の世界の扉を開いて悪事を働いており、死者の魂を現世に呼び込む商売をしていたようです。
ある時クモは師匠の魂を呼び寄せたことでハイタカを激怒させてしまい、ハイタカに捕まって黄泉の国に落とされそうになる恐怖を味わい、泣き叫びながら許しを請いました。
クモはそれ以来ハイタカには憎悪の念を抱いており、アニメ映画『ゲド戦記』の中でアレンやテナーを人質にハイタカに復讐をしようとしました。
ハイタカがクモが過去に改心したのはウソだったことに憤ったのはそういった理由があったようです。
「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察6 – テルーの保護者・テナーとは?
テルーはテナーの子供ではない
先述の通り、テルーはカレシンと名前は不明な人間女性との間の子供であり、ハイタカとテナーの子供ではありません。
テナーはハイタカが若い頃からの友人であり、一番の理解者です。
そして、ハイタカの真の名を知る唯一の人物でもあります。
アニメ映画『ゲド戦記』の中ではテナーの過去について巫女だったという以外詳細は語られていませんが、原作によればテナーは昔カルガド帝国のアチュアン墓地でアルハという名前で巫女をしていました。
巫女という身分は『ゲド戦記』の世界観では低い身分とされており、アルハという名前も「喰らわれし者」という意味を持っていていわば奴隷のような存在でした。
しかし、ハイタカによってテナーは救われ、アルハという名前を捨てて真の名でもあるテナーとして生きていきました。
テナーは世界の調和を保つための「エレス・アクベの腕環」をカルガド帝国から取り戻した功績から「腕環のテナー」として人々に知られるようになった人物です。
そして、テナーは紆余曲折を経てテヌーを引き取ることになりました。
「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察7 – 『ゲド戦記』における龍(テルーの正体)の存在の象徴とは?
テルーの正体が龍だったことの意味とは?
アニメ映画『ゲド戦記』は原作とは脚本が違うとはいえ、根幹のテーマは同じでしょう。テルーの正体が龍だった意味について解説します。
アニメ映画『ゲド戦記』の終盤でクモに一度殺されたテルーは龍の血が目覚めて龍の姿へと変貌しました。
これはいわゆるファンタジーゲームにありがちなラスボスを爽快に倒すための演出ではなく、テルーが実は龍族の末裔だったことに意味が含まれています。
アニメ映画『ゲド戦記』は宮崎吾朗さんと丹羽圭子さんが脚本を考えたとはいえ、根幹のテーマは原作を踏襲しているはずです。
テルーを始め、多くの人間と共存するために龍の血を封印してきた龍族にとっては、龍の姿が本来あるべき姿であり、クモの邪悪な野望により世界の均衡が歪められた結果として”自然の力”を奪われたことになります。
そして、クモは臨んだ世界を手に入れたつもりでしたが、”影”に怯えて生きてきた人間・アレンと龍の血を隠して生きてきた龍族との混血児・テルーの強力により倒されてしまいます。
最後にテルーが龍に変貌して圧倒的な力である炎でクモを焼き尽くしますが、これはクモにとっての罪深い”業火の炎”に焼かれたという意味も含まれていたのかもしれません。
このテルーの炎は”自然の力”であり、言い換えればクモは魔法の力で自然の摂理を歪めたものの、最後は”自然の力”前に屈したということになります。
もし最後に人間であるアレンがクモに止めを刺していたらまったく意味合いが変わってしまいますし、テルーが人間の姿のままクモを倒しても”自然の力”を象徴的に表現できません。
つまり、テルーが龍に変貌してクモを倒し、世界の均衡を取り戻したということは、現代社会において自然破壊行為を繰り返している人間に対するアンチテーゼであると言えるでしょう。
人間であるアレンと自然の力を取り戻したテルーが協力して”悪しき人間”クモを倒したという構図は、人間も自然と調和することで自然破壊行為に歯止めをかけられるというメッセージなのかもしれません。
「ゲド戦記」都市伝説や裏話の考察8 – 原作とアニメ作品の違い
原作者・ル=グウィンはまったく認めなかった
原作者であるアーシュラ・K・ル=グウィンさんは2018年1月22日に亡くなりましたが、生前宮崎吾朗さんのアニメ映画『ゲド戦記』を鑑賞して批判していました。
スタジオジブリのアニメ映画『ゲド戦記』はル=グウィンさんの原作の世界観や人物、専門用語などを引用しているものの、その脚本は完全にオリジナルとなっています。
アレンが戦っていた自分の”影”も原作ではハイタカが若い頃に慢心が招いたことで生み出したものであり、原作の第3巻に登場するアレンは”影”と戦っていません。
そのため、ハイタカが自分の”影”と命を賭けた戦いの結果として、己に打ち勝って立派な人物へと成長していきましたが、アレンの”影”はクモが世界の秩序を歪めた結果として生まれたものであり、アレンの正気を失わせるためだけに登場しています。
ル=グウィンさんは宮崎吾朗さんが監督を務めたアニメ映画『ゲド戦記』について、「私の本ではない。宮崎吾朗の映画だ」と完全に原作を湾曲させたことに憤慨しており、根底から別の作品だと言っています。
ル=グウィンはこのコメントの中で、「絵は美しいが、急ごしらえで、『となりのトトロ』のような繊細さや『千と千尋の神隠し』のような力強い豊かなディテールがない」「物語のつじつまが合わない」「登場人物の行動が伴わないため、生と死、世界の均衡といった原作のメッセージが説教くさく感じる」などと記した。また、原作にはない、王子が父を殺すエピソードについても、「動機がなく、きまぐれ。人間の影の部分は魔法の剣で振り払えるようなものではない」と強い違和感を表明している。
そして、こうした原作者の批判はもっともなことだったことが、宮崎吾朗さんの父で本来はル=グウィンさんの指名を受けて『ゲド戦記』を制作するはずだった宮崎駿さんも痛烈批判していたことで分かります。
ついゲド戦記(原作)の感想読んでると「へーそんな読み解きがあるのか」とかやっちゃうこの頃ですが、どーしても気になるのが3巻「さいはての島へ」を評 して「少年と少女が見まいとして目を背けていた最大のテーマ『死』」を書いた話と言われやすい事について「本当にそうなの?」#ゲド戦記
— ユーリ (@Yuuri_G) 2018年1月25日
「ゲド戦記」父・宮﨑駿が宮崎吾朗を痛烈批判した理由とは?
宮崎駿は息子・宮崎吾朗を全く認めていなかった
原作者のル=グウィンさんが宮崎吾朗さんの『ゲド戦記』を認めなかったように、宮崎駿さんは制作開始前からすでに絶対に無理だと猛反対していました。
スタジオジブリ作品の多くのファンにとっては、世界の巨匠である宮崎駿さんの息子である宮崎吾朗さんが『ゲド戦記』の監督を務めると発表があった際に少なからず期待したことでしょう。
蛙の子は蛙であることを期待しましたが、宮崎駿さんは息子の宮崎吾朗さんが『ゲド戦記』の監督を務めるとわかると猛烈に批判しました。
「あいつに監督ができるわけがないだろう。絵だって描けるはずがないし、もっと言えば、何も分かっていないやつなんだ」
宮崎吾朗さんを『ゲド戦記』の監督に推薦したのはスタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫さんであり、当初はスタッフ内からも「宮崎駿の息子というだけで何故監督にするのか」と批判が挙がっていたそうです。
当時、宮崎吾朗さんは三鷹の森美術館の館長として企画会議に参加していたため、アニメ制作に関しては経験の無い素人だったことからスタッフのこうした声は妥当だと言えるでしょう。
先述の通り、宮崎駿さんがもっとも痛烈に反対した人でしたが、鈴木敏夫さんは父・宮崎駿さんも知らなかった宮崎吾朗さんの絵の才能を密かに認めており、宮崎駿さんを納得させるためのイメージボードを宮崎吾朗さんに描かせました。
アニメ映画『ゲド戦記』のメインビジュアルに使われた宮崎吾朗のイラスト
宮崎吾朗さんが宮崎駿さんを納得させるために描いたイメージボードは、後にアニメ映画『ゲド戦記』のメインビジュアルとしても使われるほど完成度の高いものでした。
当時プロデューサーを務めた現・Production I.Gの石井朋彦さんも、宮崎吾朗さんの絵を見て「やはり蛙の子は蛙だった」と思ったそうです。
初めて息子・宮崎吾朗さんの渾身の絵を見た宮崎駿さんも言葉を失ってしまったようで、心のどこかで「もしかしたらやり切るかもしれない」と思ったのか、3日間に渡って「お前、本当にやれるのか?」と聞き続けていたそうです。
宮崎吾朗さんは当然「やれる」と答えていたようですが、宮崎吾朗さんが建築美術畑出身ながらまるで宮崎駿さんの生き写しのような絵を描けた理由は、幼少期から父の描く絵を模写し続けていたからでした。
宮崎駿、宮崎吾朗の『ゲド戦記』監督就任を認める
本当は自分が『ゲド戦記』の監督を務めたかった宮崎駿
宮崎駿さんが『ゲド戦記』の監督を受けなかったのは、当時『ハウルの動く城』を製作中だったことに加えて、それまでの作品の中に『ゲド戦記』の要素を持ち込んで制作していたため「今更作れない」というものでした。
宮崎駿さんは昔から『ゲド戦記』の大ファンだったことから、「20年前なら飛びついたのに」と監督ができなかったことを悔やんでいます。
それでも息子の宮崎吾朗さんの絵を見て監督就任を認めた宮崎駿さんは、鈴木敏夫さんの働きかけもあって『ゲド戦記』の原作者であるル=グウィンさんの元へ制作の了承を得るために渡米しました。
宮崎駿さんの『ゲド戦記』への熱意に心を動かされたル=グウィンさんは、宮崎駿さんが脚本を監修するのであれば制作を認めました。
ル=グウィンさんもかねてから「となりのトトロ」など宮崎駿さんの作品のファンであり、「私の作品を任せられるとしたらあの人(宮崎駿)だけ」と過去にインタビューでも話していたことがあったようなので、宮崎駿さんからの申し出は嬉しかったことでしょう。
しかし、先述の通りル=グウィンさんは出来上がったアニメ映画『ゲド戦記』を鑑賞して「自分の本ではなく宮崎吾朗の映画」と批判しているように残念な仕上がりとなってしまいましたが、その理由は宮崎駿さんが結局脚本を監修しなかったからでした。
宮崎吾朗の『ゲド戦記』を痛烈批判した宮崎駿
宮崎吾朗を降板させようとしていた宮崎駿
宮崎駿さんは宮崎吾朗さん監督で『ゲド戦記』の制作がスタートしても再三鈴木敏夫さんに「あいつを辞めさせろ、俺が監督をやる」と言っていたそうです。
アニメ制作現場で世界トップクラスの眼識を持つ宮崎駿さんにとっては、息子・宮崎吾朗さんの眼識はやはり”子供”だったのでしょう。
『ゲド戦記』の制作現場に度々現れては宮崎吾朗さんの後ろから「そうじゃないだろう、こう描け」と指示を飛ばしたり、監督交代を鈴木敏夫さんに申し出て別案のプロットも作っていたそうです。
宮崎駿さんの『ゲド戦記』を見たかった人は世界中にいると思いますが、当然途中交代することはなく、宮崎吾朗さんは初めての映画監督を務め上げました。
初号試写会に現れて驚かせた宮崎駿
宮崎吾朗さんの『ゲド戦記』を「絶対に見ない」と言い切っていた宮崎駿さんでしたが、関係者を招いた初号試写会の場に姿を表して驚かせました。
宮崎駿さんは途中タバコを吸いに席を立ったものの、鈴木敏夫さんの予想に反して最後まで試写室に留まっていました。
感想を求められた宮崎駿さんは「大人になっていない、それだけ」と切って捨て、「映画は世界を変えるつもりで作らなければいけない」という自身の映画製作に対する姿勢を語りました。
その後も宮崎駿さんは宮崎吾朗さんの『ゲド戦記』について、「自分の子供を観ていたような気分にさせられ、大人になりきれていないなぁ、と思った」と作品の稚拙さを指摘し、「1本作れたからいいじゃんね、もう辞めた方がいい」と息子の引退を勧めるかのような発言もしていました。
宮崎駿が宮崎吾朗の映画に対して罵倒してる動画見て、絵描くモチベーション上がる人自分ぐらいしかいないだろうな。
— 未河墨@ホラ (@mikazumi0321) 2018年1月23日
宮崎駿は自分の”劣化版”を見せられた気分だった?
宮崎駿さんは自分の息子である宮崎吾朗さんがトラウマになってしまうレベルで痛烈に批判を繰り返していましたが、その理由についてネットでは様々な憶測が飛び交いました。
”世界の巨匠”と呼ばれ日本のアニメ界の中心を担ってきた宮崎駿さんにとっては、自身と同じ絵のセンスを持つ宮崎吾朗さんによって製作された『ゲド戦記』は、「自分の劣化版を見せられた思い」だったのだろうと推察されています。
しかもよりにもよって、宮崎駿さんが大ファンで多くのスタジオジブリ作品にも取り入れてきたと語る『ゲド戦記』だったことも怒りの大きさに直結したのでしょう。
「まさか実の息子に愛してきた作品を汚されるとは思っても見なかった」という思いが宮崎駿さんの中にあっても不思議ではありません。
ネットで「『ゲド戦記』はそもそも面白い作品ではないので、宮崎駿も擁護のしようが無かった」という意見もあったようですが、宮崎駿さんは原作の大ファンなのでこれは的外れでしょう。
宮崎駿は実は内心、宮崎吾朗を認めていた
宮崎駿さんは表向きには宮崎吾朗さんを痛烈批判していましたが、批判ばかりではなく認めていた部分もありました。
宮崎駿さんは『ゲド戦記』の色彩設計を担当した保田道世さんに密かに「(宮崎吾朗は)素直に描けていてよかった」と語っており、それは保田道世さんが宮崎吾朗さんに伝えていたそうです。
宮崎駿さんは表向きには宮崎吾朗さんの『ゲド戦記』を認めてしまうわけにはいかないため辛口コメントばかりしていましたが、心のどこかで「自分の絵の感性を継いでくれた息子」を嬉しくも思っていたのかもしれません。
そのため、宮崎吾朗さんの映画第2作である『コクリコ坂から』では宮崎駿さんが脚本を務めた共作となっており、父子合作が実現しました。
当然、宮崎駿さんは『ゲド戦記』以降は宮崎吾朗さんが監督をすることに反対をすることは無くなりました。
「ゲド戦記」批判と感想 – 宮崎吾朗が『ゲド戦記』を受けた経緯
世界的大作がデビュー作だったのは宮崎吾朗の不運だった?
宮崎吾朗さんが『ゲド戦記』の監督を務めたのはアニメーターに点心するための試練であり運命だったのかもしれません。
宮崎吾朗さんが監督を務めたアニメ映画『ゲド戦記』に対する批判的な意見が多いのは、もちろん素人上がりで拙い脚本が露呈してしまったこともあります。
しかし、それと同じように原作者であるル=グウィンさんとの”宮崎駿がストーリーを監修する”という約束が果たされなかったことも理由として大きいでしょう。
原作者のル=グウィンさんは明確に「私の本を映像化するなら宮崎駿しか考えられない」という旨を公にしていました。
それにも関わらず、スタジオジブリ内の事情だけで宮崎駿さんは脚本に絡むことはなく、プロデューサーの鈴木敏夫さんも宮崎吾朗さんの監督交代を拒んでいました。
当の宮崎吾朗さんも、自分が素人上がりのアニメ監督であることを重々承知していたため、『ゲド戦記』の評価についてはある程度予測がついていた部分もあるのかもしれません。
宮崎吾朗が『ゲド戦記』で監督になったのは、色々な状況が折り重なっての偶然。
『ゲド戦記』は原作者から宮崎駿指名で制作してほしいと言っていました。ところが宮崎駿はやらないと言い、若手で、ということで鈴木プロデューサーが動きます。
宮崎吾朗は最初、若い監督が出てくるためのお手伝いとして立候補することになります。ところが時間がたっても誰もやる人がいない。周りはもう宮崎吾朗がやるものだ、という空気になって、監督になりました。なっちゃいました。
作品が世界的大作と呼ばれ、原作者のル=グウィンさんも宮崎駿さんを名指ししていたことから過度なプレッシャーがあり、監督に立候補する人はいなかったようですね。
若手監督探しの音頭を取っていた宮崎吾朗さんは、宮崎駿さんの息子ということもあり、スタッフ内では一番適役だと思っていたのかもしれません。
宮崎吾朗さんも言ってしまえばババを引いてしまった形となりましたが、監督就任時からすでに真っ向から世間に問うという姿勢ではなかったようですね。
宮崎「そういうこと言うから嫌われるんだろうけど、しょうがないです。成り行きでなっちゃったから。本当に素人でいきなり監督になったので、「作品に対して熱い思いがあります」とかは言えない。終わったらすぐにジブリ美術館に逃げちゃえと思ってた」
宮崎吾朗さんはそれでも持てる力を以て『ゲド戦記』を最高の作品にするために尽力したのは言うまでもありませんが、宮崎駿さんがいちいち口出ししてくることには辟易としていたようですね。
制作後の反省会でも通常なら宮崎吾朗さんが監督主導で行うはずが、宮崎駿さんからの説教会に変わってしまうため監督としても形無しだったようです。
プロデューサーだった神山健治さんは宮崎吾朗さんに「内緒で反省会をして、後で”もうやりました!”って言えばいいんですよ」とアドバイスしていたようです。
とはいえ、宮崎駿さんの作品への情熱からくるお節介はスタジオジブリの名物であり、その時は辛口な説教にうんざりしたとしても、心の中では”ジブリを支えている大切な意見”として聞いているのかもしれませんね。
それでは、宮崎吾朗さんが父・宮崎駿さんをどう思っているかについてご紹介する前に、『ゲド戦記』を視聴した世間の評価と感想をご紹介していきましょう。
「ゲド戦記」一般的な”良い”評価と感想
『ゲド戦記』を良いと言う人は原作を知らない人が多い
『ゲド戦記』をスタジオジブリのアニメ映画で初めて知った人は、普通にファンタジーものとして楽しめたという人が多いようです。
原作も読んだことないし映画に詳しいわけでもないので、まあツッコミどころちょいちょいあったけど、全体としては別に毛嫌いするほどでもないしむしろ好きだった。音が好きだった。
深い面白さ?というか、文学的な面白さは確かにそこまでなかったかなあと思うけど、雰囲気とかキャラクターとか、久しぶりに映画見たからかな?面白く感じた。
『ゲド戦記』の荒廃した世界観と、もの悲しげな音楽がツボにハマったため良いと評価した人は少なくなかったようですね。
この意見では深い面白さが無かったと言っていますが、宮崎駿さんのスキの無い面白さの作品に比べるとやはり宮崎吾朗さんは未熟だったと言わざるを得ないでしょう。
皆さん酷評されていますが、二世はどうしても親と比べられる運命で大変ですね。
天才はだの駿さんは、奇抜な発想と展開で、誰の心もあっという間に引き込みますが、表情の描き方やセリフに独特の癖も感じられ、私個人としては吾朗さんの地道で職人はだ的な作品のほうが好きだったりします。コクリコ坂も(金太姉さん出てこないけど笑)、原作同様、映画も大好きです。
こちらの意見は深い見識から生まれる宮崎駿さんの作品や、その中で見られる宮崎駿さん独特の表現よりは、宮崎吾朗さんのナチュラルな表現が好きだということでしょう。
宮崎駿さんも宮崎吾朗さんの『ゲド戦記』について酷評する中でも密かに「素直に描けていてよかった」と認めている部分もあったようなので、それが分かる人もいるのでしょう。
素直な心で観たら楽しいですよ。
酷評されているのでそれを踏まえて批評家気分で観たら楽しくないかもしれません。
というか、そんか気持ちで観たらどんな映画も楽しくなくなります。
そんな、斜めから物を見れている自分が有能、っていう感覚を無くして、作品として素直に観たら楽しいですよ。
この「素直な心で観たら」という感想も、宮崎駿さんが感じたことに通じる部分があるのかもしれませんね。
確かに世間で言われている悪評を鵜呑みにして、その先入観で『ゲド戦記』を観たら粗探しばかりになって純粋に楽しめないでしょう。
「ゲド戦記」一般的な”普通”評価と感想
普通の評価をする人は部分的に嫌いな部分がある
宮崎吾朗さんの『ゲド戦記』を観て普通だという感想を述べている人は、作品の部分的なところが気になるものの概ね楽しめたという人が多いようです。
この物語はテーマがはっきりしている。生と死。そういう意味では観やすい作品だと思う。それに加え、「対になるもの」もいくつか用意されている。光と影、クモとハイタカ。名前も普通の名前と真の名。人と竜・・・。
この対比が、物語に奥行きを与えている。
ただし、ストーリー自体は非常にシンプルである。むしろシンプルすぎる位である。
それまでのジブリ作品のような、「子供と楽しむ」物語ではないと思うので、観る場合には頭に入れておきたい。
『ゲド戦記』は龍族と人間の関係や、アレンやハイタカ、テルーなど登場人物の関係性は原作がある手前複雑になっていますが、ストーリー全体で見れば勧善懲悪とも言えるシンプルなものでしょう。
ただ、上述の感想でも言われているように、冒頭からアレンが父親殺しをするようなショッキングな展開で、麻薬や人身売買など荒みきった世界を描いているため子供向けとは言えないでしょう。
みんなが言うほど悪いとは思いません。原作は全く知りませんから、なんだかわからない部分もあるけど、それなりに楽しめました。声もテルーはアレですが、他はよかったですけどね。特にハイタカ&クモの魔法使いコンビは声や話し方が好きです。クモの最後コワイですわ。子供泣くよね。ところでクモって男?オレとか言ってたけど?
ストーリーがわかりやすかった分、原作を知らない視聴者にとってはファンタジー映画としてそれなりに楽しめたようです。
アニメ映画『ゲド戦記』での悪の親玉であるクモは知的さと幼稚さを兼ね備えた面白いキャラクターでしたが、最後の姿は子供にとってはトラウマものかもしれませんね。
「メアリと魔法の花」を観て、あまりにつまらない出来だったので帰宅してから酷評されている本作と比べてみようと思ってDVDで鑑賞し直してみました。
クモがゴニョゴニョ喋って何を言っているのかわからないのはイライラしましたが、概して「メアリと~」よりは面白かった。
原作を知らないので本作がよく言われているようにどの程度原作を踏みにじっているのか分かりませんが、この作品だけで観ていられなくなるほど酷いストーリーでもないと思いました(父親を殺した意味は確かに不明であり不必要なシーンでした)。
この感想で言われている『メアリと魔法の花』は宮崎吾朗さんよりも若い米林宏昌さんが監督を務めた作品ですが、『ゲド戦記』よりも面白くないと感じたようです。
若手の監督と宮崎駿さんの作品を比べるのは酷ですが、誰もが認める名作を作れるようになるにはもう少し時間がかかるのかもしれませんね。
「ゲド戦記」一般的な”悪い”評価と感想
『ゲド戦記』原作ファンは宮崎吾朗を許せなかった
宮崎吾朗さんの『ゲド戦記』を酷評している人の中には原作ファンも多く、まったく違う作品にしてしまったことに憤慨しているようです。
原作者が亡くなった。さぞ心残りだったろう。
正に原作殺し。ジブリの最大の罪がこの駄作である。
宮崎駿がこの仕事を請けなかったのが悔やまれるが、
そうはならなかったこの話はそこで終わ・・・らせなかったのが悲劇のはじまり。
ひどい。ひどすぎる。
こうした感想は宮崎吾朗さんにとって、ひいてはスタジオジブリにとって一番心苦しいものでしょう。
原作者であるル=グウィンさんは2018年1月22日に亡くなってしまったため、こうした感想がツイッターやSNSなどで多く流れているようです。
原作を読んだ者にはこの映画は最低です
大体3部作(主要物語)をたった1本でまとめるには無理がある
3話目を主体にするというなら一作二作を知らないと訳が分らないし
勝手に話を変えるなとも言いたい
今からでも遅くないお墓に謝りに行け!!!!!!!!
やはり原作の『ゲド戦記』の3部作を読んでいる視聴者にとっては、宮崎吾朗さんの脚本はあまりに曲解しすぎていたようです。
原作者のル=グウィンさんも自身の本と比べてアニメ映画『ゲド戦記』はあまりに別物だと酷評していたことからも、最後に映像化された作品が駄作と言われ無念だったかもしれません。
ジブリは『ナウシカ』や『もののけ姫』等のシリアスな作品が好きだったので、思いっきり期待して劇場に行ったのが良くなかった
と思い直し、気持ちをまっさらにして地上波再放映を見たのだが・・・
やはりダメな作品はどう見方を変えてもダメだと思った
物語が、脚本から破綻している
キャラクターが、皆ブレまくっている
作った人がブレてるから、それが作品に投影される訳だが、一番はこれを世に出しても良いと首脳陣が判断したことが問題だと思う
そもそも、どこら辺が『ゲド戦記』なのだろうか・・・
いろんな意味で残念な作品
『ゲド戦記』の原作を知る人にとっては、前評判なしに観ようが観まいがまったく違う別物で面白くないことには変わりなかったようです。
宮崎吾朗さんが監督を務めた『ゲド戦記』への感想は多くがこうしたものですが、『コクリコ坂から』は宮崎駿さんが脚本を務めたこともあり悪い評価の方が少ないようですので、監督としても成長しているのでしょう。
先に小説を読んでいた人にとっては、噴飯ものだったものな、ジブリ版『ゲド戦記』。宮崎吾朗監督ではなく宮崎駿がとっていたらって、けなしにもぼくは同意しないけど。宮崎駿は自分の映画のために原作を素材にとどめることに躊躇しない映画監督だと思うから、どのみち世界が違うものになっていただろう
— けむ (@chilican_tw) 2018年1月24日
アーシュラ・K・ル=グウィンさんは、本当に見る目がなかったね。全盛期の宮崎駿にアニメ化させず、宮崎吾朗にアニメ化させるなんて。
— ほし (@sa4ho) 2018年1月25日
ご冥福をお祈りします
「ゲド戦記」宮崎吾朗は父・宮崎駿をどう思っているのか
”宮崎駿の息子”と呼ばれることが嫌いだった宮崎吾朗
宮崎吾朗さんはここまでご紹介してきた中でも”天才の息子”としてのプレッシャーと戦い続けてきたことがわかると思いますが、そうした父を目の上のたんこぶだと思う一方でやはり心から尊敬していることが話から伝わってきます。
宮崎吾朗さんが監督を務めたアニメ映画『ゲド戦記』は興業的には600万人を動員して大ヒットには間違いないですが、世間からの評価は「やはり父・宮崎駿には遠く及ばない」というものが圧倒的でした。
宮崎吾朗さんは世界の巨匠である宮崎駿さんの息子として幼少期からプレッシャーと戦っていたことを明かしています。
「思春期は父と比較されることを本当に嫌った。何をしても‘宮崎駿の息子’という声を聞いた。大学もわざと地方に行った。そこではみんな知らないと思っていた。ところが合格者発表の日、受付の窓口で『お父さんが宮崎駿さんと聞きましたが』と言われた。今は運命だと思っている」
先述のように宮崎吾朗さんは信州大学農学部森林工学科を卒業して、公園を開発する建築コンサルタントとして働いており、スタジオジブリと関わりを持つまでアニメーターとは無縁でした。
そして、1998年に三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを請け負ったことで初めて宮崎吾朗さんは父・宮崎駿さんのいるスタジオジブリと関わりを持つようになりました。
そして2001年から同美術館の館長を務め始め、スタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫さんの図らいもあって縁から『ゲド戦記』の監督に抜擢されました。
『ゲド戦記』を制作・公開した結果、宮崎吾朗さんは世間から酷評されてしまいましたが、このことはアニメ業界から引退しようと考えるには十分すぎたようです。
「評価が良くなくて、『もう人々の目に触れることはやめよう』と決心した。父から『借りぐらしのアリエッティ』(2010)を一緒にしようと言われたが、実際、意欲がわかなかった」
『借りぐらしのアリエッティ』も賛否が極端に別れた作品でしたが、宮崎駿さんは宮崎吾朗さんをアニメーターとして認めていたことがよくわかるエピソードですね。
『借りぐらしのアリエッティ』は米林宏昌さんが監督を務めることになりましたが、その後再びアニメ制作に携わろうと思うようになった宮崎吾朗さんは『コクリコ坂から』で宮崎駿さんとの制作に至っています。
宮崎吾朗さんは『ゲド戦記』で経験の無いところから何度も脚本に行き詰まり、宮崎駿さんや鈴木敏夫さんを始めとする先輩らの助けもあり、いっぱいいっぱいになりながらも完成させたと語っています。
しかし、『コクリコ坂から』では宮崎駿さんが脚本を務めて宮崎吾朗さんは演出を手がけ、制作のスタート時から前向きな気持ちで臨んだ結果として高評価も得るようになりました。
同作でも宮崎吾朗さんは度々父・宮崎駿さんと衝突していたようですね。
「ないはずはない。私が作業をしていると、父が後ろから『それは違うだろう、こうしなくては』と指摘する。鈴木プロデューサーが後で私に『違うところで仕事をするのがいい』と話した」
『ゲド戦記』のことがある手前、宮崎駿さんも「今度は私がしっかり監修しなくては」という思いが強かったのかもしれませんね。
宮崎吾朗さんは現場での宮崎駿さんの存在についてユーモアを交えながら語っています。
神山「駿監督は自分の作品を作ってないときもスタジオにいらっしゃるんですか?」
宮崎「うろうろしています」
神山「スタジオが大好きなんですね、きっと」
宮崎「現場の古参の指揮官ですね。若い小隊長に「何してんだ」って言う」
宮崎吾朗さんは父親のことを「白いひげの人」と表現しており、世間的な宮崎駿さんの印象を息子が語ることで隠れた愛着が伺えるようです。
宮崎吾朗さんがプレッシャーが大きく掛かる『ゲド戦記』の監督を引き受けたのは、スタジオジブリの後世の監督を育てる目的があったようですが、結局自分がその監督だったことに気づいたようです。
宮崎「僕みたいな者でも監督ができるってことがわかれば、「オレだってできる!」って人がジブリからいっぱい出てくるだろうと思っていたんですけど、でもそう思っていたのは僕一人だった(笑)」
日本を始め世界のスタジオジブリのアニメファンにとっては、宮崎駿さんと肩を並べるような若手アニメーターの台頭は待ち望まれていますが、現状ではそれは難しいようです。
そのことについては宮崎吾朗さん自身がよくわかっているようで、天才と言われる父・宮崎駿さんと比較されることについて以下のように語っています。
「今の子どもの世代があるのも親の世代のおかげということを言いたかった。過去を捨てて生きられないのが人間だから。宮崎駿という父を持った私も同じ」
「父の業績と存在感はあまりにも大きい。だから私にとって‘宮崎駿の後継者’という呼称はとんでもない」
宮崎吾朗さんは長い間「宮崎駿の息子」という肩書きに悩んできたようですが、現在は”運命”だとして受け入れているようです。
宮崎駿さんが世界に与えてきた影響は非常に大きく、その後継者を名乗るというのはおこがましいことだと宮崎吾朗さんは考えているようです。
僕は、そう簡単に死んでくれないんじゃないかなと思います(笑)。良く言えば「それしか生き方がない」ってことですよ。「作っていること」が「生きていること」っていう人だからだと思います。それ以外にやることがないし、たぶん死ぬまで作るんじゃないですかね。
宮崎駿さんは現在までに何度も引退宣言を繰り返してきましたが、その度に不死鳥のように現場に復帰して名作を生み出し続けてきました。
宮崎駿さんは現在80歳を目前に控えて高齢のため、鈴木敏夫さんも「制作中に亡くなってしまうかもしれない」と覚悟をし始めているようです。
宮崎吾朗さんはProductionI.Gの神山健治さんにスカウトもされているようですが、できることなら宮崎駿さんの存命中はできるだけ感性を引き継いで、宮崎吾朗さんだけでも世間を唸らせる名作アニメを作ることができるようになって欲しいですね。
そして企画・脚本 宮崎駿のとなりに監督 宮崎吾朗て書いてあるのにじーんときた ゲド戦記での吾朗自身の葛藤や父との確執、失敗作だのさんざん面白おかしく記事にされていただけに余計に嬉しい
— 葵 (@chrry_blossomy) 2018年1月20日
ゲド戦記宮崎吾朗監督じゃなくて宮崎駿監督に再映画化して欲しい
— 新シンさん100レベ達成したつがい (@tugaiiii) 2018年1月24日
「ゲド戦記」について総まとめすると・・・
宮崎駿さんの息子・宮崎吾朗さんが監督を務めたスタジオジブリのアニメ映画『ゲド戦記』について総まとめしてきました。
宮崎駿さんをはじめ世間から酷評されてしまった『ゲド戦記』ですが、この苦い体験をして宮崎吾朗さんは監督として大きく成長をすることができたようですね。
アニメ映画『ゲド戦記』では語られなかった謎は原作で明らかになりますので、『ゲド戦記』についてもっと深く知りたいのであれば小説を読んでみるのもいいでしょう。
原作の『ゲド戦記』を読むことで宮崎吾朗さんが伝えたかった謎がわかるかもしれませんね。