ビートたけしさん率いる「たけし軍団」のメンバーで、体を張った芸で人気を集めていたグレート義太夫さん。1995年に糖尿病を患い1日5時間の透析治療を週3日行っていましたが、2026年に亡くなっています。
グレート義太夫さんの生前の活躍について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
グレート義太夫のプロフィール&生い立ち
昭和のお笑い界で命を賭けていたグレート義太夫
グレート義太夫さんは1980年代から『オレたちひょうきん族』を始めとしたビートたけしさんのバラエティ番組で活躍し、ミュージシャンとしてもビートたけしさんの影のブレーンだと言われていました。
グレート義太夫さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 鈴木 正之(すずき まさゆき)
ニックネーム: たけし軍団の弁慶
生年月日: 1958年12月26日
出身地: 東京都板橋区
血液型: B型
身長: 168cm
体重: 不明
最終学歴: 亜細亜大学中退
師匠: ビートたけし
グループ名: たけし軍団
芸風: 音楽演奏、ギター漫談
事務所: 株式会社TAP
活動時期: 1982年-2026年
過去の代表番組: オレたちひょうきん族
他の活動: ミュージシャン、作家
配偶者: 独身(離婚歴あり)
引用:Wikipedia – グレート義太夫
グレート義太夫さんは1983年にビートたけしさんに弟子入りしてたけし軍団に加わると、体を張った芸でお茶の間の人気を獲得したお笑い芸人です。
ビートたけしさんの冠番組である『オレたちひょうきん族(フジテレビ系)』『足立区のたけし、世界の北野(フジテレビ系)』『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城(TBS系)』などに出演し活躍していました。
しかし体を張りすぎる芸が災いしてグレート義太夫さんは30代の頃に糖尿病を発症してしまい、芸のための恰幅が良かった120キロの体型は60キロ台まで体重が減少してしまいました。
闘病しながら芸能活動も続けていたグレート義太夫さんですが、2026年に67歳で亡くなっています。
グレート義太夫さんの生前の活躍や闘病生活、死去などについて生い立ちから詳しく総まとめしましたのでご紹介しましょう。
グレート義太夫の生い立ち&経歴
グレート義太夫の家族情報は不明
グレート義太夫さんの家族や生い立ちに関する情報はあまり出回っていないようです。
グレート義太夫さんは亜細亜大学に進学して音楽サークルでドラマーをしていましたが、それがきっかけでプロのミュージシャンを目指すようになったそうです。
そして、バンド「雷神」を結成してグレート義太夫さんはメジャーデビューを目指しました。
当時、ビートたけしさんがパーソナリティーを務めていたラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』のリスナーだったグレート義太夫さんは弟子入りを志願し、ドラムが得意であることを披露したところビートたけしさんのバックバンド「シークレット・ポリス」に加入することができました。
しかし、ドラムはすでに担当者がいたためグレート義太夫さんはパーカッションを務めました。
当時のたけし軍団は8人編成でしたが、10人編成に増やすことになりグレート義太夫さんは井手らっきょさんとともに正式にたけし軍団に加わりました。
とはいえ、グレート義太夫さんはその持ち前のユニークなキャラクターをビートたけしさんに買われており、たけし軍団に加入する以前から『オレたちひょうきん族』などに出演して人気を得ていました。
グレート義太夫さんの芸名の由来は、当時プロレス界に毒霧を吹くヒール役のレスラーだったザ・グレート・カブキという選手がおり、グレート義太夫さんが特徴的に似ていたことから、「歌舞伎」と「義太夫」を掛けてビートたけしさんにより命名されました。
オフィス北野のビルの前は、昔よく通ってた。グレート義太夫が自転車で出社したところに居合わせて、サインもらったことがある。
— 3/12渋谷duoDuffyGunsLoveRoses (@Duffyeah) 2018年4月3日
グレート義太夫、ミュージシャンとしての活躍
ミュージシャンとしても華々しい活躍を見せていたグレート義太夫
体を張った芸人というイメージの強かったグレート義太夫さんですが、ミュージシャンとしても活躍をしていました。
グレート義太夫さんはビートたけしさんのバックバンド「シークレット・ポリス」時代には、楽曲『浅草キッド』の制作時にアドバイザーとして参加したり、1985年発売のアルバム『野戦病院〜ビートたけし&たけし軍団ライブ』の収録曲『バラード』では作詞作曲を手がけました。
また、1992年にはビートたけしさんが宮沢りえさんと共演したエースコック「スーパーカップ」のCMソングをグレート義太夫さんが作詞作曲したり、細川ふみえさんに『ポチにやつあたり』、中條かな子さんに『ことばさがして』、日高のり子さんに『十年後の私』を楽曲提供するなどしています。
グレート義太夫、「フライデー襲撃事件」に参加
グレート義太夫も「フライデー襲撃事件」に参加した
1986年12月9日にビートたけしさんがたけし軍団を率いて週刊誌「FRIDAY(フライデー)」の編集部を襲撃した事件にグレート義太夫さんも同行して暴行を働き逮捕されました。
この事件はフライデーの記者が当時ビートたけしさんと交際していた女性に突撃取材して無理やり聞き出そうと強く手を掴んで全治2週間の怪我を負わせたことが発端となっており、ビートたけしさんはその記者に報復するためにフライデー編集部に乗り込んで暴力を振るいました。
グレート義太夫さんは現場で消化器を持って大暴れしたことから、その後「たけし軍団の弁慶」と呼ばれるようになりました。
フライデーナイトライブ回顧録③
— オカ ノブヒコ (@okanobuchan) 2015年5月10日
グレート義太夫氏のたけし軍団のエピソードを交えた落語も凄かった。ここではあまり言えないようなようなフライデー襲撃事件のエピソードをうまく盛り込んだ内容も見事だった。
グレート義太夫、糖尿病や心筋梗塞で闘病していた
グレート義太夫、糖尿病で週3回の透析治療を受けていた
グレート義太夫は深刻な糖尿病を患っていた
グレート義太夫さんは2014年8月19日に放送された『解決!ナイナイアンサー(日本テレビ系)』に出演し、30代で糖尿病を発症してからの壮絶な闘病生活を明かしました。
グレート義太夫さんは週に3回は人工透析を受け、1日でも透析に行くのを忘れたりすれば死にも直結する深刻な状態になっていました。
糖尿病を発症する前はたけし軍団としてバラエティ番組で体を張った芸で笑いを取っていましたが、30代で糖尿病に罹ってからは120キロあった体重が67キロまで落ちてしまったといいます。
グレート義太夫さんは専門医の元で糖尿病の治療をはじめ、一時は節制した生活により退院することができましたが、すぐに元の自堕落で不健康な生活に戻ってしまい、その結果として腎不全に陥り人工透析をしないと生きられない身体になってしまいました。
グレート義太夫さんは当時の自堕落な生活をとても後悔していたようです。
義太夫は、「何であの時にお医者さんの言うことを聞いていなかったんだろう、何でもうちょっと自分で管理しなかったのかなっていうのは、遅いですけど後悔ですよね」と糖尿病を患ってからの自身の自堕落について後悔を口にした。
さらに、当時の糖尿病の治療法は遅れており、グレート義太夫さんは摂取カロリーの半分は炭水化物で摂るという治療法を実践していましたが、これが後に間違いだったことが分かり憤りを隠せなかったようです。
「僕が糖尿病だっていわれたのは35歳の頃です。今から20年くらい前ですが、その頃にはこんな話聞いたことなかったですからね。とにかくカロリーを抑えなさいって指導でした。学会のガイドライン通り、一日のカロリーの半分くらいは炭水化物で摂って、あとはバランスよく腹八分目ということでした。糖質制限のほうがいい結果になるなんて初めて知りましたよ」
そして、グレート義太夫さんが糖尿病から腎不全まで発症してしまった背景には、体を張りすぎた芸にも一因があったようです。
若い時は中ジョッキ一杯分のガムシロップやハチミツの一気飲み競争で笑いを取っていました。糖尿病にもなりますよ。
グレート義太夫さんが病室にいるとたけし軍団の面々はホールケーキを持ってきて意地悪をしていたようですが、透析を始めてからはさすがに自粛していたようです。
しかし、ビートたけしさんだけはそれすらもネタにして「じゃあ今日からお前の芸名は夏目透析だ」と言っていたようです。グレート義太夫さんは”殿”のブラックジョークで元気づけられたようで、落語をする時は「夏目亭透析」として活動していました。
グレート義太夫、心筋梗塞で手術を受けていた
グレート義太夫さんは、2024年8月には人工透析のためクリニックを訪れていた時に心筋梗塞を起こし緊急搬送され、10時間に及ぶ手術を受けています。
さらにその3日後には、不整脈を起こして意識を失ってしまったそうです。
「CCUから一般病棟に戻った翌日、薬を飲もうとしたときに意識を失ったんですよ。目が覚めると先生に『心臓が7秒ぐらい止まっていた』と言われました。でもこれをネタに、全国を講演でまわれるとも思いましたね」と笑って話してくれた。
糖尿病や心筋梗塞と大病を患い闘病生活が続いていたグレート義太夫さんですが、メディアやSNSを通じて、病気や自身の症状のことをユーモアを交えながら明るく伝えていました。
グレート義太夫、晩年の仕事は?
グレート義太夫は闘病しながら仕事もしていた
グレート義太夫さんは闘病しながら、舞台出演やギター漫談、落語、ラジオ出演など仕事を精力的に行っていました。
透析により仕事が制限されてしまうことがあったものの、それでも透析と仕事の両立ができていたのは周囲の支えがあるからだと語っていました。
透析中にはネタを考え、スマートフォンにメモする。家では文章を書き、音楽を作る。「家でできる仕事」を増やしながら、それでも「お笑いのライブだけは、やっぱり現場に行かないと難しいですね(笑)」と話した。
引用:[2/3]〈グレート義太夫さん死去、67歳〉週3回、1回4~5時間の人工透析も笑いと音楽を手放さず「一人では絶対に続けられなかった」
グレート義太夫さんはブログやX、Instagram、YouTubeも定期的に更新し、近況などを発信し続けていました。

出典:https://www.instagram.com/
舞台に立ち続けていた
亡くなる約一か月前の2026年8月1日には、ギター漫談で舞台に立ったことをインスタグラムで報告し「舞台に立ち続ける67歳。まだまだ頑張ります」と綴っていました。
ブログは毎日更新し、同じように闘病生活を送る読者を勇気づけていましたが、亡くなる前月は体の不調を訴える内容も多くなっていました。
2026年9月7日の朝にはブログに「予報通りの雨 都庁も見えません 新島が心配です…。」と綴っていましたが、この後に亡くなったとみられており、これが最後の投稿となってしまいました。
8月18日には「体が…。動かない…。と言うのは大げさですが(笑)足と腰が痛いと、何をするにも億劫です」と足腰の痛みが続いている様子を明かし、「少しでも動かさなきゃいけないのに、どんどん筋力が 『老いは足腰から』何遍も言い聞かせてきたのに(泣)」と横たわった写真をアップ。「もうちょっと待っててください、必ず復活しますから」とつづった。
さらに同19日の投稿でも「左肩が…。激しい痛み」と訴え、「身体がどんどんボロボロになって行く…(泣)」と悲鳴。フォロワーからは心配の声が寄せられていた。ブログの最新投稿は7日朝6時頃だった。
グレート義太夫の死去と死因

出典:https://shinshoga-museum.com/
2026年9月に死去
2026年9月にグレート義太夫さんの訃報が伝えられました。
関係者などによると、グレート義太夫さんは、9月7日に自宅マンションの階段で倒れているところを知人に発見され、緊急搬送されたものの病院で死亡が確認されたということです。
長く闘病生活を続けていたグレート義太夫さんですが、詳しい死因は公表されていません。
所属事務所もHPで訃報をアップ。「弊社所属タレント グレート義太夫は2026年9月7日、満67歳をもって永眠いたしましたことをここに謹んでご報告申し上げます。葬儀につきましては、ご遺族の意向により、近親者のみで執り行う予定でございます。なお、本発表をもちまして公式なご報告とさせていただきます。ご遺族への取材ならびに個別のお問い合わせにつきましては、何卒ご遠慮くださいますようお願い申し上げます」と記している。
引用:https://origin.daily.co.jp/gossip/2026/09/08/0020795522.shtml
9月10日に密葬が行われ、親族やたけし軍団のメンバー、出川哲郎さんなど親交のあった関係者が参列したそうです。
グレート義太夫さんの訃報には多くの追悼コメントが寄せられ、ビートたけしさんも公式サイトで「みんな歳とったな。いずれみんなも追いかけるから。また会おうな」とコメントを寄せました。
グレート義太夫さんも亡くなった(死因は今のとこ不明だけど) 私は「1970年以降に産まれた人の寿命は70歳未満」と見る 魚食わないで肉ばっかり 野菜もロクに食わない 添加物まみれの食事 で長生きできる訳が無い ただ、毎年健康診断を受ける人はもう少し長生き出来るだろう
— フロースレの≫1 (@flowthread1) September 8, 2026
グレート義太夫の若い頃や晩年の画像特集
グレート義太夫の昔の若い頃の画像①
『オレたちひょうきん族』の「ひょうきん懺悔室」の神様はグレート義太夫さんがやっていたと思っている人が多いようですが…。
グレート義太夫の昔の若い頃の画像②
実は番組の初代プロデューサーのブッチー武者さんという人がやっています。グレート義太夫さんの若い頃の画像は見当たりませんでした。
グレート義太夫の闘病中の画像①
糖尿病の怖い合併症である腎不全を煩い人工透析を受けることになったグレート義太夫さん。
グレート義太夫の闘病中の画像②
週に3回は欠かさず透析を受けないと死んでしまう身体になってしまったグレート義太夫さんはとても憂鬱だったことでしょう。
グレート義太夫の闘病中の画像③
グレート義太夫さんは持ち前の明るい性格で闘病生活を乗り切っていたようです。
グレート義太夫の闘病中の画像④
グレート義太夫さんは透析患者とは思えないほど精力的に活動をしていました。
グレート義太夫の闘病中の画像⑤
グレート義太夫さんは「落語家のいない落語会」を定期開催していました。
グレート義太夫の闘病中の画像⑥
トーク力にも定評があり、ラジオ出演も多くこなしていました。
グレート義太夫について総まとめすると・・・
ビートたけしさんの弟子、たけし軍団のひとりとして活躍を続けてきたグレート義太夫さんについて総まとめしてきました。
シロップやはちみつ一気飲みなど体を張りすぎた芸が祟り、30代で糖尿病になりその後腎不全を併発して亡くなるまで人工透析生活を続けていました。
闘病しながら仕事も続けていましたが、2026年に67歳で亡くなっています。
グレート義太夫さんの明るい姿は世の中の人工透析をしている人々を勇気づけていたことでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
































