日本人初のICC所長である赤根智子氏がトランプ政権からの制裁対象にされ注目されています。
この記事では赤根智子氏の父親や大学などの学歴や若い頃からの経歴、結婚と旦那や子供、検事の激務の中一人娘の育てた逸話、制裁対象は何したためかや現在についてまとめました。
この記事の目次
赤根智子氏は日本人初のICC所長でトランプ政権から制裁対象にされ注目

2026年現在、世界の司法の頂点に立ち、国際社会における「法の支配」の最前線で前代未聞の闘いを続けている日本人女性がいます。オランダ・ハーグに本部を置く国際刑事裁判所(ICC)の所長を務める赤根智子(あかね・ともこ)氏です。
日本人として初めてICC所長という歴史的な大役を担う赤根智子氏は、ロシアのプーチン大統領やイスラエルのネタニヤフ首相に対する逮捕状を発行するなど、国家のトップであっても戦争犯罪や人道に対する罪を犯せば決して容赦しないという毅然たる姿勢を貫き、世界中から高い評価と注目を集めています。
その一方で、その断固たる姿勢ゆえに大国からの猛反発を受け、ロシアからは指名手配と実刑判決を受け、さらには2026年8月にはアメリカのトランプ政権から異例の経済制裁の対象に指定されるなど、想像を絶する試練の渦中にあります。
この記事では、世界を揺るがす決断を下し続ける赤根智子氏とは一体どのような人物なのか、その核心に迫るべく、詳細に掘り下げていきます。赤根智子氏の生い立ちや若い頃のエピソード、進路を決定づけた父親の言葉、学歴や検事としての輝かしい経歴はもちろんのこと、プライベートな側面である結婚、元夫(旦那)との関係、一人娘の存在や家族の支えについても詳しく解説します。
そして、赤根智子氏が「何した」ことで大国からの制裁対象となっているのか、緊迫する現在の状況までを詳しくまとめていきます。
赤根智子氏の若い頃と学歴① 外交官の父親の言葉で法曹界へ

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赤根智子氏は、1956年(昭和31年)6月28日、愛知県名古屋市に生まれました。彼女が生まれ育った1950年代から70年代の日本は、現在とは比較にならないほど「男性優位」の価値観が根強く残る社会でした。
女性が一生涯にわたって働き続け、キャリアを築くことへのハードルは極めて高く、「結婚したら家庭に入る」のが当然とされていた時代です。
赤根智子氏は地元でも有数の進学校である愛知県立旭丘高等学校に進学します。高校時代の彼女は、実は当初「理系志望」であり、医師などの理系分野に進むことを考えていました。
しかし、そんな赤根智子氏の運命を大きく変えたのが、実の父親からのあるアドバイスでした。
女性の就職が極めて難しかった当時の世相を見据え、父親は娘に対し「一生仕事をしたいなら、法学部で資格を取れ」と説いたのです。
この父親の先見の明に満ちた言葉が、赤根智子氏に「文転」を決意させ、法曹界への道を切り開く原動力となりました。
赤根智子氏の若い頃と学歴② 東京大学法学部を卒業し司法試験にも合格

「真実を追及し、被害者を正義によって救いたい」という思いを抱くようになった赤根智子氏は、猛勉強の末に日本の最高学府である東京大学へ進学します。
大学時代、赤根智子氏は東京大学法学部で法律の基礎を徹底的に学びました。当時の東大法学部は今以上に男性が圧倒的多数を占める環境でしたが、彼女は父親の言葉を胸に、自立した女性として生きていくための「資格」、すなわち司法試験の突破を目指します。
そして1980年(昭和55年)、見事に東京大学法学部を卒業し、超難関である司法試験に合格。司法修習生として、法曹界への第一歩を踏み出しました。
その後、アメリカのジャクソンヴィル州立大学の刑事司法コースも修了するなど、国際的な視野も培っていくことになります。
若き日の赤根智子氏を突き動かしたのは、「女性だから」という理由で社会的な選択肢を狭められたくないという強い意志と、社会の不正義に立ち向かいたいという純粋な正義感でした。
父親の現実的かつ愛情深い助言がなければ、現在の「ICC所長・赤根智子」は誕生していなかったかもしれません。
赤根智子氏の家族① 結婚歴と旦那との離婚について公表

キャリアウーマンの先駆けとして法曹界で生きる決意をした赤根智子氏ですが、プライベートでも大きな決断を下しています。彼女は司法修習生だった1980年前後に結婚をし、その翌年には第一子となる子供(娘)を出産しました。
結婚した夫(旦那)の素性(名前、職業、学歴など)については、赤根氏自身がプライバシーを極めて重視しているため、公には一切明かされていません。
検察官という、時に危険を伴い、恨みを買う可能性もある厳格な職業柄、家族の安全を守るために情報を伏せるのは当然の配慮と言えます。
実は現在、赤根智子氏は夫(旦那)とは離婚しており、シングルマザーとして子供を育て上げたことを(内閣官房発行の広報誌などで)公表しています。
赤根智子氏の家族② 子供について
赤根智子氏が検事に任官した1982年当時は、1985年に男女雇用機会均等法が制定される前の時代です。
彼女自身が過去の国連広報センターのインタビューで語っている通り、当時は「ワーク・ライフ・バランス」などという言葉も概念も存在せず、育児休業制度すら整っていませんでした。
「何とか男性社会に潜り込んで、キャリアを積もうとしていた」と回顧する赤根智子氏にとって、幼い子供(娘)を抱えながら激務の検察官を務めることは並大抵の苦労ではありませんでした。
この絶望的とも言える状況を救ったのが、赤根智子氏の両親(父親と母親)の存在です。多忙を極め、全国各地の地方検察庁への転勤を伴う検事生活の中で、赤根智子氏は一人娘の育児を自身の両親に大いに頼ることになりました。
両親は彼女のキャリアへの熱意を理解し、孫娘の面倒を献身的に見てくれたといいます。
赤根智子氏は後に「それでも、一人娘は元気に育ちました。面倒を見てくれた両親には感謝しています」と、深い感謝の意を述べています。
離婚後も、両親と協力しながら愛情を注がれて育った一人娘は、現在ではすでに30代後半から40代の立派な大人へと成長しています。
世界を飛び回り、時に命の危険にすら晒される現在の赤根智子氏の活動の裏には、「自分の信じる道を突き進んでほしい」と応援してくれた両親と、元気に育ってくれた娘という家族の強固な支えがあるのでしょう。
赤根智子氏の輝かしい法曹経歴…女性検事の苦悩と国際司法への道のり

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赤根智子氏の経歴は、まさに日本における女性法曹の開拓史そのものです。1982年(昭和57年)、彼女は検事に任官しています。
赤根智子氏の経歴① 「女だから」となめられた若い頃の苦難
当時の検察庁は、圧倒的な男性社会でした。赤根智子氏は産経新聞のインタビューで、当時の苦労について「若い頃は、女だからと被疑者になめられたこともある。そういう時代でもあった」と率直に語っています。
犯罪に手を染めた屈強な被疑者たちと対峙する取調室で、若き女性検事である赤根智子氏に向けられた偏見や侮蔑の眼差しは想像に難くありません。
しかし、若い頃の赤根智子氏は決して屈することなく、圧倒的な法的知識と、真実を追及する執念、そして被害者に寄り添う正義感をもって、一つ一つの事件に向き合い続けました。
赤根智子氏の経歴② 検察官としての確固たるキャリアの積み重ねが現在の礎に
その後、赤根智子氏は、横浜、名古屋、仙台、東京など日本各地の地方検察庁で勤務し、着実に実績を積み上げていきます。彼女の能力は捜査や公判の現場だけにとどまらず、法務行政や後進の育成、さらには国際的な司法協力の分野でも発揮されました。
赤根智子氏の検事としての主な歴任ポストは以下の通りです。
札幌地方検察庁公判部長
函館地方検察庁検事正(トップ)
最高検察庁検事
名古屋大学大学院法学研究科教授、中京大学大学院法務研究科教授(高等教育への貢献)
国連アジア極東犯罪防止研修所(UNAFEI)所長
法務省法務総合研究所長
国際司法協力担当大使
特に、犯罪の防止や犯罪者の処遇改善など、世界の刑事司法分野の発展に貢献する「国連アジア極東犯罪防止研修所(UNAFEI)」での経験や、法務総合研究所国際協力部長としての開発途上国への法整備支援の経験は、彼女の視野を世界へと大きく広げました。
日本の優れた司法制度を海外に伝えるとともに、国際社会が抱える複雑な司法課題に直面したことが、後の国際的な活躍への強力な布石となったのです。
赤根智子氏は日本人3人目のICC判事から初の所長就任

国内で検察官として最高のキャリアを築き上げた赤根智子氏は、次第に国際司法の最高峰へと導かれていきます。
国際刑事裁判所(ICC)とは
国際刑事裁判所(ICC)は、2002年にオランダのハーグに設立された世界初の常設の国際刑事裁判所です。二度の世界大戦やルワンダ、旧ユーゴスラビアでの悲惨な大虐殺(ジェノサイド)への反省から生まれました。
ICCの最大の目的は、集団殺害、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪といった国際社会全体にとって最も重大な犯罪を犯した「個人」の刑事責任を追及し、処罰することです。
国家間の争いを裁く国際司法裁判所(ICJ)とは異なり、「個人の犯罪」を裁く点に大きな特徴があります。
現在、日本を含む125の国と地域が加盟していますが、アメリカ、ロシア、中国といった大国は加盟していません。
赤根智子氏のICC判事への選出
2017年12月、赤根智子氏はニューヨークの国連本部で行われたICC裁判官選挙において、88票という高い支持を獲得して見事に当選を果たします。
2018年3月に正式に判事に就任し、故・齋賀富美子氏、尾崎久仁子氏に次ぐ、日本人として3人目のICC判事となりました。
赤根智子氏はICC判事として主に予審審問部門を担当し、重大犯罪の証拠を精査し、裁判にかけるべきかどうかの重大な判断を下す役割を担いました。
赤根智子氏の日本人初のICC所長就任という快挙
そして2024年3月11日、赤根智子氏は他の裁判官からの互選により、日本人として初めて国際刑事裁判所の所長に選出されました。任期は2027年3月までの3年間です。
日本の司法界が長年培ってきた高い信頼と、赤根智子氏自身の実績、公平無私な姿勢、そして強靭な精神力が国際社会から高く評価された結果であると言えます。
しかし、この栄誉ある所長就任は、同時に世界の最も危険で困難な政治的対立の矢面に立つことを意味していました。
赤根智子氏は一体「何した」のか…プーチン大統領らに対する歴史的逮捕状
ネット上では「赤根智子は何したの?」という疑問の声が多く見られます。赤根智子氏が世界的なニュースの中心となった最大の理由は、絶対的な権力を持つ国家元首に対して、ひるむことなく「逮捕状」を発付したためです。
赤根智子氏は何したのか① ロシア・プーチン大統領への逮捕状

2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻。この戦争において、ロシア軍はウクライナの占領地域から多数の子供たちを強制的にロシア国内へと連れ去りました。
2023年3月、当時ICCの予審裁判部の裁判官であった赤根氏は、この行為が国際法上の「戦争犯罪(住民の不法な移送)」に該当するとして、ロシア連邦のウラジーミル・プーチン大統領およびマリア・ルボワ=ベロワ大統領弾劾(子供の権利担当)に対する逮捕状を発付しました。
核兵器を保有する国連安保理常任理事国の現役の国家元首に対して逮捕状を出すという行為は、歴史的な決断でした。
赤根智子氏は後に「“大統領だから”とか“非常に力のある国だから”とか、そういう考慮は一切なされていません。我々は中立に刑事司法の立場から、市民に対する被害に対して立ち向かう」と語気を強めています。
法の前には誰もが平等であるという、検事時代から貫いてきた信念の表れでした。
赤根智子氏は何したのか② ロシアからの猛烈な報復と実刑判決

この決断に対し、ロシアは猛烈な報復に出ました。ロシア内務省は、赤根智子氏ら逮捕状発付に関わったICCの裁判官を指名手配しました。
さらに2025年12月12日には、モスクワの裁判所が赤根氏に対し、欠席裁判のまま「無実の人物に刑事責任を負わせた」などの理由で実刑判決を下すという暴挙に出たのです。
ロシアの暗殺部隊の影すらちらつく極度の緊張状態の中、赤根智子氏はメディアの単独会見で「自分の墓を作る所はどこでもよい」と語りました。
正義と法の支配を守るためならば、自らの命すら懸けるという凄まじい覚悟を示したこの言葉は、世界中の人々に深い感動と畏敬の念を抱かせました。
赤根智子氏の現在① 米国トランプ政権による制裁対象指定

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ロシアとの対立に続き、2026年現在、赤根智子氏とICCはさらに強大な国家からの直接的な攻撃を受けています。それは「同盟国」であるはずのアメリカ合衆国です。
イスラエルへの逮捕状とアメリカの反発
発端は、パレスチナ・ガザ地区での戦闘を巡るICCの捜査です。ICCは2024年、ガザ地区の民間人を飢餓に追い込み、意図的な攻撃を指示した戦争犯罪および人道に対する罪の疑いで、イスラエルのネタニヤフ首相らに逮捕状を出しました。
同時にハマスの指導者らにも逮捕状を出していますが、親イスラエル姿勢を鮮明にするアメリカは、ICCのこの動きを「国家主権への侵害」として猛烈に批判しました。
トランプ政権による経済制裁の発動
大統領選を経て再び権力の座に就いたアメリカのトランプ政権は、ICC解体キャンペーンを推し進めました。
ルビオ国務長官はICCを「腐敗し、致命的なまでに政治化された超国家的な裁判で、悪意をもって権限を乱用している」と非難。
そして2026年8月18日、トランプ政権はついに、ICC所長である赤根智子氏個人を、テロリストや麻薬密売組織の首領らと同じ「SDNリスト(制裁対象者リスト)」に追加指定し、経済制裁を発動したのです。
制裁がもたらす生活への影響
「制裁対象」と言われてもピンとこないかもしれませんが、その影響は甚大です。アメリカの金融システムから完全に締め出されるため、米国内の資産が凍結されるのはもちろんのこと、アメリカのネットワークを経由するクレジットカード(VISAやMastercard、アメックスなど)は一切使用できなくなります。
さらに、Apple、Google、Amazonといった米国発のサービスのアカウントも停止され、日本の銀行口座からの海外送金すらブロックされる可能性があります。
赤根智子氏自身、出張中に突然クレジットカードが使えなくなるなど、日常生活や組織の運営において多大な不便と屈辱を強いられています。
さらには入国禁止措置により、9月にニューヨークで開催される国連総会にICC所長として出席し、演説することすら阻害される事態となりました。
高市政権(日本政府)の対応とICCの徹底抗戦

日本はICCに対して年間約46億円を拠出する世界最大の資金拠出国です。自国の国民であり、国際社会の宝とも言える赤根智子氏が理不尽な制裁を受けたことに対し、日本国内からはアメリカへの強い抗議を求める声が上がりました。
しかし、当時の日本の高市早苗首相は、報道陣に対し「大変残念に思っています(very unfortunate)」と述べるにとどまり、アメリカへの直接的な非難や抗議のトーンを意図的に落としました。
これは重要な日米同盟への配慮から仕方がない反応だとはいえ、一部からはあまりに「弱腰」な対応だと指摘され、国内外から「法の支配を守り抜く覚悟が足りない」との厳しい批判も出ました。
四面楚歌とも言える状況の中、当の赤根智子氏とICCは全くひるんでいません。ICCは直ちに声明を発表し、「司法に携わる者が法を適用したことを理由に脅迫されれば、国際的な法秩序そのものが危険にさらされる。職員らを標的とする措置にはひるまない」と徹底抗戦の構えを見せています。
赤根智子氏自身も「私たちは決して負けない」と毅然とした姿勢を貫いており、EUのフォンデアライエン委員長ら国際社会の心あるリーダーたちから強い連帯と称賛の意が表明されています。
赤根智子氏の現在② 著作『戦争犯罪と闘う』に見る「法の支配」への執念
赤根智子氏は、ロシアからの圧力が強まっていた2025年6月、著書『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』(文春新書)を上梓しています。
この著書の中で赤根智子氏は、ICCの内部にロシアのスパイが潜入しようとした生々しい事件や、超大国からの執拗な圧力の実態を告白しつつ、ICCの存在意義を熱く訴えかけています。
「もしICCが完全につぶれてしまったら、世界は『戦争で勝った側が負けた側を裁く』状態へと逆戻りしてしまうかもしれない。そうなれば法の支配ではなく、力が支配する世界となってしまう」
また、同書や関連するインタビューでは、単に加害者を罰する「応報刑」だけでなく、被害者の救済や関係性の修復を中心に据えた「修復的司法(Restorative Justice)」の重要性にも言及しています。
戦争や残虐行為によって奪われた人々の尊厳を取り戻し、被害者中心の新しい司法の形を追求すること。それこそが、赤根智子氏が命を懸けて守ろうとしている「正義」の本質です。
そして赤根智子氏は日本の読者に向けて、こう呼びかけています。
「私たちの活動には、戦争の惨禍などに苦しむ世界中の被害者たちの希望が託されていることを忘れないでほしい。この人たちの希望の灯りを消してはならないのです」
まとめ
今回は日本人初のICCの所長であり、米国のトランプ政権からの制裁対象に指定された事で国際的に注目を集めている赤根智子氏についてまとめてみました。
昭和の時代、名古屋の女子高校生が外交官の父親の「一生仕事をするなら資格を取れ」という現実的なアドバイスを受けて歩み始めた法曹の道。女性差別が色濃く残る検察の現場で悔し涙を流しながらも屈さず、結婚・出産を経験し、両親のサポートを受けながら一人娘を育て上げたひとりの母としての強さ。そのすべてが、現在の「揺るぎない赤根智子」の土台となっていると考えられます。
検事として国内の悪と闘い、途上国の法整備に尽力し、そして今、日本人初のICC所長として、プーチン大統領やネタニヤフ首相といった世界的権力者の戦争犯罪に立ち向かっています。
2026年現在、アメリカ・トランプ政権からの理不尽極まりない経済制裁により、クレジットカードすら使えない不自由な生活を強いられ、ロシアからは実刑判決を言い渡されるという、まさに針のむしろに立たされています。
しかし、「墓を作る所はどこでもよい」と覚悟を決めた彼女の目は、決して死んでいません。赤根智子氏の闘いは、個人の名誉のためではなく、戦争の犠牲となった名もなき世界中の被害者たちに「正義」を届けるための闘いです。
大国のエゴや「力による支配」が横行し、国際的なルールが崩壊の危機に瀕している現代において、赤根智子氏が放つ希望の灯火は、私たちが未来の世代にどのような世界を残すべきかを強烈に問いかけています。
国際社会の秩序を守るためにも、一人ひとりが赤根智子氏の今後の動向と、国際刑事裁判所の果敢な闘いを注視していく必要があるのではないでしょうか。


















