「蛇にピアス」で芥川賞を受賞した金原ひとみさんが離婚を発表し話題です。
この記事では金原ひとみさんの生い立ちや父親や母親など家族、大学や作家としての経歴、天才の呼び声や年収額、結婚と旦那、子供、離婚の原因や現在の自宅、現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
金原ひとみのプロフィール
金原ひとみのプロフィール
生年月日:1983年8月8日
出身地 :東京都
金原ひとみさんは、2004年にデビュー作である「蛇にピアス」で第130回芥川賞を受賞(綿谷りささんの「蹴りたい背中」と同時受賞)し、若い天才2人が芥川賞を同時受賞し、しかもそれが共に女性(現在は芥川賞受賞者は女性が多いが当時は男性優位の雰囲気が現在よりも強かった)だった事が社会現象にまでなった事で知られる小説家です。
代表作となった「蛇にピアス」は大ベストセラーとなり、2008年に吉高由里子さん主演、蜷川幸雄監督で映画化されこれもヒットを記録しました。
そんな芥川賞受賞作である「蛇にピアス」の印象がどうしても強くなってしまう金原ひとみさんですが、その後も作家としてさらなる才能を発揮しており、天才性を強く感じる作品をコンスタントに世に放ち続け多くのファンを獲得しています。
プライベートでは、芥川賞受賞の1年後の2005年に集英社の編集者と結婚して話題になり、その後2人の子供を出産しました。
そんな金原ひとみさんですが、2024年12月9日放送の生放送番組NHK「あさイチ」にVTR出演し、トークの流れの中で思い出したように「あっ。でも私、最近離婚したんですよ」と旦那さんと離婚していた事を明るく告白して視聴者を驚かせ注目が集まっています。
金原ひとみの生い立ち① 小学4年で不登校に小学6年で小説を書き始める
金原ひとみさんの生い立ちも注目されています。
金原ひとみさんは、1983年8月8日に東京都で生まれました。
父親は当時は翻訳家をしながら、法政大学大学院人文科学研究科で学ばれていた金原瑞人さんで、母親は一般女性で厳しく真面目なタイプの方だったようです。きょうだいはおらずひとりっ子の家族で育ったようです。
金原ひとみさんは「子供なのに子供が嫌い」な子供で、集団に入るのも毎日同じ場所に行って同じ人間と一緒にいる事も苦手だったそうで、幼稚園の頃から休みがちで、小学校に入学後も頻繁に休んで、小学4年生の時に完全に不登校になったそうです。
〝子どもなのに、子どもが嫌いでした〟。 幼稚園の頃から休みがちで、小学4年の時には全く学校に行かなくなりました。いじめられていたわけでもなく、友達もいましたが、毎日同じ時間に同じ場所に行き、同じ人間と一緒にいることが苦しかったんですね。今でもそうですが、ずっと同じグループの中にいることが苦手なんです。特に集団的な子どもらしさや無邪気さは、自分の性に合わず、息苦しさしかなくて……。
金原ひとみさんは小学生の頃から自死を考えて、定期的に非常階段から飛び降りようと悩んでいた時期があったそうです。
学校や家庭には自分の居場所と思えるような場所がなかった。小学生の頃は、定期的に非常階段から飛び降りようか悩んでいた時期があり
小学6年生の時に父親の金原瑞人さんの留学に伴って家族でアメリカのサンフランシスコへ移住。この時に、父親の金原瑞人さんから「日本語を忘れないように」と日本人作家の小説を与えられたそうで、これが金原ひとみさんが小説を書く最初のきっかけだったそうです。
小学6年の時、父の仕事の都合でサンフランシスコに移住。日本語を忘れないように、と父から買い与えられた村上龍さんや山田詠美さん、宮部みゆきさんに原田宗典さん。現地でもほぼ学校には通わなかったので、毎日小説を読み漁り、いつしか自分でも物語を書くように。
当時の金原ひとみさんのお気に入りは、村上龍の「69 sixty nine」、山田詠美の「放課後の音符(キイノート)」で、現地の学校にもほとんど通わずに何度も繰り返し読んだいたのだそうです。
金原ひとみさんにとってアメリカでの1年間の暮らしは居心地の良いものだったそうで、おおらかで自由な時間を大好きな本と過ごせたとしています。また、現地ではオーストラリア人の女性が家庭教師に来てくれて、親友のような関係を築けたのだそうです。
金原ひとみの生い立ち② 中学も不登校が続き父親の小説創作ゼミに参加
1年後、日本に帰国した金原ひとみさんでしたが、中学に進学後も不登校は続きました。
中学2年生の時(中学3年の時との情報もあり)、父親の金原瑞人さんが自身が法政大学で担当していた小説創作ゼミに「姪っ子の高校生」と偽って金原ひとみさんを参加させ、この頃に本格的に小説を書き始めたそうです。
1年で帰国し中学に入学するも不登校は変わらず。父は私に何か熱中するものを残したかったのでしょう。中2の頃、担当する小説創作ゼミに私を参加させました。本格的に小説を書き始めたのはこの頃です。
ちなみに、金原ひとみさんは中学には3年間で4日ほど登校したそうです。
中学校に登校したのは4日ほど。
金原ひとみさんは、中学時代には自由に過ごせるアメリカへの恋しさと日本の「皆同じでなくてはならない(学校にちゃんと通う事が普通で不登校は落ちこぼれだというレッテル)」という閉塞的な雰囲気に負の気持ちが高まり、拒食症になり14歳の時には左腕の外側、手首からひじの間に縦と横に5、6本カッターで傷つける自傷行為(リストカット)もしています。
一方で、父親の小説創作ゼミでの大学生との交流は新鮮で、自分の書き上げた小説を見てもらったり、アドバイスをもらったりし、自分を見てくれる人がいるというのが当時の金原ひとみさんにとってとても大きな事だったという事です。
ただ、金原ひとみさんは当時の自身の書いた小説について「暗い感情のはけ口みたいなもの」、「怨念の塊のよう」と語られています。金原ひとみさんは言葉にできない感情をなぜか小説には書く事ができたと語られています。
金原ひとみの生い立ち③ 高校は半年で中退し「蛇にピアス」でデビュー
金原ひとみさんは4日だけ登校した中学を卒業した後は文化学院の高等科へ進学しています。しかし、こちらもサボりがちだったそうで半年くらいで中退されています。
高校に進学しましたが、約半年で中退しました。
金原ひとみさんは高校時代について、作家の花村萬月さんとの対談で「昼休みにご飯食べに行って、そのまま遊びに行っちゃうっていう感じで、留年するなとわかってからもう行かなくなりました。」と語っています。
金原ひとみさんは高校に行かずに、友達や彼氏と地元の府中や新宿に行き、飲みに行ったりカラオケに行ったりして過ごしていたとの事です。
高校を中退後、金原ひとみさんは彼氏と同棲をしたり、友人の家に居候をしたりと実家を離れて転々とされています。これは母親の干渉から逃れたいという気持ちもあっての行動だったようです。
ただ、小説は書き続けていて、金原ひとみさんは小説を書き上げるたびに実家へ行って父親の金原瑞人さんに読ませて批評してもらっていたそうです。
そして、金原ひとみさんは19歳の時に「すばる文学賞」に応募した「蛇にピアス」が第27回すばる文学賞を受賞。「蛇にピアス」は翌年の第130回芥川賞を受賞し、金原ひとみさんはプロの小説家の道へと進みました。
金原ひとみの家族① 父親は法政大学社会学部教授の金原瑞人
金原ひとみの家族・父親の金原瑞人のプロフィール
生年月日:1954年11月29日
出身地 :岡山県岡山市
生い立ちのところでも書いていますが、金原ひとみさんの父親は法政大学教授で翻訳家、児童文学研究家の金原瑞人(かねはら・みずひと)さんです。
金原ひとみの家族・父親の金原瑞人の経歴
金原ひとみさんの父親の金原瑞人さんは、1954年11月29日、岡山県岡山市の生まれで、県立岡山大安寺高校を1973年に卒業後、法政大学文学部英文学科へと進み、大学時代に英文学者の大久保博さんや犬飼和雄さんに学んでいます。
大学在学中に「鏡美香」の名義で翻訳家の仕事を始め、1979年に大学卒業後は法政大学大学院人文科学研究家英文学専攻課程へと進み、1982年に修士課程を修了し、その翌年に金原ひとみさんが生まれています。
1985年に法政大学大学院人文科学研究家英文学専攻博士課程の単位を取得後に満期退学し、法政大学の第一教養部非常勤講師として勤め始め、1989年に法政大学社会学部専任講師、1991年に法政大学社会学部助教授、1998年に法政大学社会学部教授、2010年に法政大学社会学部長に就任しています。
金原ひとみと父親の金原瑞人の関係
金原ひとみさんの父親の金原瑞人さんが、金原ひとみさんが小説を書くきっかけを作った事は生い立ちのところで書いていますが、金原ひとみさんが「蛇にピアス」で芥川賞を受賞した後、父親の金原瑞人さんは金原ひとみさんに向けて「学校以外で好きなものを見つけた。もっと恥ずかしいものを、親が地元に住めなくなるくらいの作品を書け」と伝えたそうです。
父親の金原瑞人さんはさらに、「不登校だった娘が芥川賞を取ったからって子育てが成功だとは思わない。僕は子育てでは落第点でした。娘を救ったのは、本です。世界で唯一、彼女の逃げ場になってくれた。そして芥川賞という最高の形で彼女に自信を与えてくれた」と語り、「受賞後、僕が『そろそろ第一の読者を卒業させてくれよ』と娘に言ったら、『あと2年お願い』と頼まれてしまいました」とも語られていました。
金原ひとみさんは父親の金原瑞人さんが、不登校の自分に無関心だったと語られていますが、客観的に見ると、とても金原ひとみさんの事をよく見ていて、将来を案じて色々なアプローチをされていた素晴らしい父親のように感じられます。
金原ひとみの家族② 母親は厳しい人物だったとの事
金原ひとみさんは母親は一般の方で、具体的な情報は何1つ公開されていません。
ただ、母親方の祖父母が共に千葉県大多喜町の歌人で、祖父は、短歌が国語教科書に掲載された事もある人物である事が明かされています。
金原ひとみさんは母親について、折り合いが悪かったと明かしていて、不登校の時代に母親に厳しく学校に行くように促された事を度々明かされています。
母親との折り合いも悪かった。「学校に行かないことは世界の終わりだ」と言わんばかりに悲観した母親に引きずられ、学校に連れて行かれたこともありました。
金原ひとみさんの母親は非常に一般常識に囚われた方だったようで、学校に行かない事は人生が終わるのに等しいかのように考えて、激怒して金原ひとみさんを引きずって学校に登校させ流ような事もあったそうです。
母は私が登校しないことに激怒してましたね。引きずられて登校させられることもありましたが、私もあの手この手で応戦。その頃は今以上に不登校に対しての理解が乏しい時代。不登校は自分が母から勝ち取った勲章であり成功体験でもありました。
金原ひとみは大学には進学していない
生い立ちのところでも書いたように、金原ひとみさんは文化学院の高等科を半年ほどで中退していて、大学には進学されていません。その後に高校卒業資格を取得して大学に進学し直したといった事もありません。
金原ひとみの経歴
金原ひとみさんの小説家デビュー前の経歴は生い立ちのところで書いたので、以下は小説家としてデビューしてからの経歴です。
2003年、小説「蛇にピアス」で第27回すばる文学賞を受賞
2004年1月、「蛇にピアス」が第130回芥川賞を受賞し一躍時の人に
2004年4月、小説「アッシュベイビー」発表
2005年7月、小説「AMEBIC アミービック」発表
2006年7月、小説「オートフィクション」発表
2007年4月、小説「ハイドラ」発表
2007年11月、アニメ映画「カフカ 田舎医者」でローザ役を演じる
2007年12月、小説「星へ落ちる」発表
2009年9月、小説「憂鬱たち」発表
2009年12月、小説「TRIP TRAP トリップ・トラップ」発表
2010年、「TRIP TRAP トリップ・トラップ」にて第27回織田作之助賞を受賞
2011年7月、小説「マザーズ」発表
2012年、「マザーズ」にて第22回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞
2012年11月、小説「マリアージュ・マリアージュ」発表
2015年4月、小説「持たざる者」発表
2016年2月、小説「軽薄」発表
2017年1月、小説「クラウドガール」発表
2019年5月、小説「アタラクシア」発表
2020年、「アタラクシア」で第5回渡辺淳一文学賞受賞
2020年4月、エッセイ「パリの砂漠、東京の蜃気楼」発表
2020年9月、小説「fishy」発表
2021年5月、小説「アンソーシャル ディスタンス」発表
2021年、「アンソーシャルディスタンス」で第57回谷崎潤一郎賞受賞
2022年1月、小説「ミーツ・ザ・ワールド」発表
2022年、「ミーツ・ザ・ワールド」で第35回柴田錬三郎賞受賞
2022年8月、小説「デクリネゾン」発表
2023年6月、小説「腹を空かせた勇者ども」発表
2023年10月、小説「ハジケテマザレ」発表
2024年10月、小説「ナチュラルボーンチキン」発表
金原ひとみは天才という声が多数
出典:https://www.bungei.shueisha.co.jp/
金原ひとみさんに対しては天才という声が多数上がっています。
アッシュベイビー(金原ひとみ)
— よう (@blackbird_2100) December 5, 2024
基本的に『言語化できない自分だけの苦しみ』みたいなものを無理に文字起こしすると、痛々しくなりすぎて読むに堪えない代物ができあがるはずなんだけど、この作品ではそういったものがある種のグルーヴ感をまとって提示されていて、一気に読んでしまった。天才かよ。 pic.twitter.com/HRq2Cc33qD
読書の秋だしと思って読み始めた金原ひとみの『アンソーシャル・ディスタンス』まじで金原ひとみの書く文章って気持ちをズーンとさせる。(笑)さすが蛇にピアスを書いただけあるな、天才だわって思って読んでいる。行き場の無い思い、やるせなさを表現させたら金原ひとみの右に出る者はいないよね
— 怪力ゴリラネキ (@kairikigorilla) September 21, 2024
金原ひとみ「fishy」了
— Shoichi Miyake (@shoichimiyake) May 16, 2021
時間を忘れた…
怒り、言語化!金原ひとみ、天才的。
寝かせていたのがもったいない、もっと早く読めば良かった。 pic.twitter.com/Qc6uYiWFIY
20歳の若さで芥川賞を受賞し、その後も次々と話題作を生み出し続けている点が天才だと評価されているようですが、何がどう天才なのかを具体的に説明している方はあまりいないようです。
金原ひとみの年収
金原ひとみさんの年収は公開されておらず不明です。
金原ひとみさんのデビュー作で、ベストセラーとなった「蛇にピアス」の単行本の累計発行部数は52万部でした。当時の定価は1260円だったため、この作品だけで印税は約6500万円ほどと推測されます。
金原ひとみさんの他の作品の発行部数は公開されておらず不明ですが、人気や作品の話題性から見ても数万部〜10万部くらいは売っていると推測されるので、1作品あたり少なくとも数百万円の印税は得ていると推測されます。
金原ひとみさんは単行本を毎年大体1冊〜2冊程度は出しているので推定年収は平均して1000万円〜1500万円くらいはあるのではないかと推測されます。
金原ひとみの結婚と旦那
出典:https://芸能人噂・経歴恋愛事情裏の顔.com/
金原ひとみさんは芥川賞を受賞した翌年、21歳だった2005年に結婚しています。
金原ひとみさんが結婚した旦那さんは集英社に勤める担当編集者だった方という事ですが、名前や年齢、どのような方なのかは明かされておらず不明です。
ただ、金原ひとみさんは旦那さんとは1年未満の交際期間で同棲を経て結婚されたそうです。
金原ひとみさんは2009年のインタビュー記事で、結婚と旦那さんについて以下のように語っています。
結婚は、何の変化も感じませんでした。その前から同棲もしていたし、相手の親に挨拶に行ったりもしなかったので、ただ単に戸籍が変わっただけという感じでした。
そして、2017年のインタビュー記事でも下のように語っていて、ずっとお互いの家族に挨拶をしないままの結婚関係を続けていたようです。
――21歳の時に、担当編集者の方とご結婚されたんですよね。結婚はどうでしょうか?
影響はなかったですね。私は結婚をそんなに大きく捉えていなくて、好きだったら結婚すればいいんじゃないくらいの気持ちだったんで。
1年も付き合わずに結婚しました。お互いの両親に挨拶もしていません。いまだに私は夫のお母さんに会ったことがないんですよ。
金原ひとみの子供は娘が2人で2024年時点で17歳と13歳
出典:https://gendai-m.ismcdn.jp/
金原ひとみさんは編集者の旦那さんとの間に2人の子供がいます。
金原ひとみさんの子供は2人とも娘さんで、長女は2007年に、次女は2011年に出産しています。
金原ひとみさんは2人目の子供を産む直前に東日本大震災が起こり、旦那さんの実家の岡山県に避難して出産した後、福島原発事故の影響なども考慮して子供を連れてフランスへと移住されています。
金原さんは芥川賞を受賞した翌年の‘04年に結婚、’07年に長女を出産した。’11年、次女を出産する直前に東日本大震災が起こり、父親の実家がある岡山県に一時避難、結局はそこで次女を出産することになった。さらにその後、子どもたちを連れてフランスに6年にわたって移住した。
引用:小説家・金原ひとみが今だから語る“ぼろぼろになっていた”子育てと作家の二足のわらじ「爆発していたと思います。内側から木っ端みじんになって、元がわからないほどに」
金原ひとみさんは1人目の子供を産んだ後、1度流産を経験されている事を明かしています。この経験後に2人目が欲しいという気持ちが込み上げてきたと話されています。
私は1人目を生んだ後に流産したのですが、それまでは正直2人目が欲しいとは全然思っていませんでした。子供1人でも大変なのに、さらにもう1人なんて絶対に無理だと。ですが2人目を流産したとき、「もう1人欲しい」と体内から込み上げてくるような欲望が芽生えたんです。
引用:『蛇にピアス』著者・金原ひとみさん(41歳)は17歳&13歳の母も「第二子で流産を経験後、自分が自分でなくなっていく感覚が…」|美ST
金原ひとみさんの子供は2024年時点で、長女が17歳の高校2年生、次女が13歳の中学1年生だという事です。金原ひとみさんによれば、元気に学校に通っているそうです。
金原ひとみが離婚を発表
2005年に担当編集者の旦那さんと結婚した金原ひとみさんですが、2024年12月9日にNHK「あさイチ」にVTRで出演し、旦那さんと離婚していた事を明かしました。
「あ、でも私、最近離婚したんですよ」と突然に告白。「そしたらすごい目の前がパーッと開けて、視界がクリアみたいな…4Kの世界に来たような」と明るい様子でトーク。
この放送では、旦那さんと離婚した時期や、離婚原因については触れられませんでした。
金原ひとみの離婚原因
金原ひとみさんは離婚原因は特に発表されていないのですが、今回の離婚発表より2年前の2022年10月のインタビュー記事で結婚生活や旦那さんとの関係について語っていました。
このインタビューで金原ひとみさんは、結婚からしばらくして様々な原因によって夫婦関係が破綻していった事を赤裸々に語っていて、すでにこの時点で旦那さんとの関係がうまく行っていない事を示唆していました。
結婚当初は、それなりに互いに尊重しながら良好な関係を築けていたと思いますが、ワンオペ育児、別居、フランス移住のための旦那の休職、異国で家計を支える不安とプレッシャー、経済面を担ってなお家事育児事務処理の負担が女性により多くかかる理不尽、互いへの無理解と苛立ちによる思いやりの欠如、様々な問題や壁にぶち当たり、長い時間をかけて破綻してきました。
この時点ではまだ離婚はされていなかったようですが、この記事の内容を見るに、フランスへ家族で移住して、環境や関係性が多く変わった事が離婚の大いな原因の1つとなったように推測されます。
また、旦那さんとは2021年頃には別居されていたようなので、この頃から事実上離婚状態でその後正式に離婚が成立して発表に至ったという事ではないかと推測されます。
金原ひとみの自宅
金原ひとみさんの自宅は公開されていません。
金原ひとみさんは東日本大震災の後に旦那さんと子供2人と家族でフランスのパリへと移住されたので、パリに自宅を構えられていましたが、2018年に帰国されています。
その後は日本に自宅を構えているはずですが、どこに住まわれているのかは明かされていません。金原ひとみさんの出身地は東京なのでおそらくは東京都内に自宅を構えていると思いますが、そもそも東日本大震災の後に福島原発の影響を考慮して移住されているので、もしかしたら現在も関東や東北とは離れた場所に自宅を構えてられているかも知れません。
金原ひとみの現在
出典:https://m.media-amazon.com/
金原ひとみさんは現在も作家として第一線で活躍されています。
金原ひとみさんの最新作は2024年10月に発売の「ナチュラルボーンチキン」で、ネット上でも話題になっていて売れ行きは好調のようです。
まとめ
今回は、デビュー作「蛇にピアス」で20歳にして芥川賞を受賞した天才作家・金原ひとみさんについてまとめてみました。
金原ひとみさんは小学4年生から不登校になり、中学までほとんど登校せず、高校には進学したものの半年で中退した生い立ちを持ちます。当時から希死念慮があり死を考えていたようですが、小説を書く事で救われている面もあったという事です。
金原ひとみさんの家族は父親が法政大学教授の金原瑞人さんで、母親は一般の方で情報は非公開ですが厳しく真面目な性格の方のようです。
金原ひとみさんは高校を中退しており、その後も大学には進学されていません。
金原ひとみさんの経歴は、2004年に「蛇にピアス」で芥川賞を受賞し、その後もコンスタントに作品を発表して数々の文学賞を受賞している輝かしいもので、ネット上では天才とも呼ばれています。
金原ひとみさんの年収額は不明ですが、作品の発表ペースや作家としての人気度から推測して、少なく見ても年収は1000万円〜1500万円ほどあるのではないかと思われます。
金原ひとみさんは2005年に結婚していて、旦那さんは担当編集者だった方です。子供は娘が2人で、長女は2007年、次女は2011年に生まれています。
金原ひとみさんは2024年に旦那さんと離婚した事を発表されていますが、離婚原因は明かしていません。ただ、以前から結婚生活が破綻している事を明かしていて、2021年頃には別居されていたようです。本人の発言から東日本大震災の後に家族でフランスに移住し、環境や関係性が変わった事が離婚の原因の1つになったと見られています。
金原ひとみさんの自宅は不明ですが、2018年にフランスから帰国して現在は日本に住んでいるようです。
現在も金原ひとみさんは作家として活躍されていて、2024年10月に最新作の「ナチュラルボーンチキン」を発表しています。