日本にも女性経営者が増えてきましたが、その中でも最も有名で知名度が高い人が南場智子さんではないでしょうか。
DeNAの代表取締役会長の南場智子さんのプロフィールや家族・生い立ち、大学や若い頃からの経歴と、資産や自宅、結婚した旦那(紺屋勝成)や子供について、旦那さんの死因や現在と再婚の有無をまとめました。
この記事の目次
南場智子はDeNAの創業者&代表取締役
南場智子
生年月日:1962年4月21日
出身:新潟県新潟市
活動:実業家
南場智子さんは株式会社DeNA(ディー・エヌ・エー)の創業者・代表取締役会長であり、プロ野球の横浜DeNAベイスターズのオーナーです。
1999年DeNAを創業して以降、モバゲーなどの事業でどんどん会社を大きくし、2015年には横浜DeNAを買収して、初のプロ野球の女性オーナーになりました。近年では女性実業家のロールモデルとしてだけでなく、理想的なプロ野球オーナーとしても注目を集めるようになりました。
南場智子の家族や生い立ち
南場智子さんは新潟県新潟市で生まれました。姉が1人いる4人家族で育ちましたが、石油卸売業経営者である父親が非常に厳格で、身長182cm・体重100kg超という体格をしていたので、家族はみんな父親の言いなりであり、どんなことでも「父親がNoと言えばすべてがNoになる」という状態でした。
南場智子さんはそんな父親におびえながら、地元の小学校・中学校に通い、高校は父親が指定した県立新潟高校に進学します。新潟高校は県内トップの進学校です。
高校時代の門限は午後6時。模試で遅くなると伝えたら、「模試を受けろなんて誰が頼んだ」と言い放ち、水泳部に入って帰宅時間がわからないと伝えると「やめろ」と言われる状態。
そのような中で、自由への渇望があり、それが爆発したのが高校3年生の夏でした。高校3年生の夏に、南場智子さんは父親に「東京の大学に行かせてください」とお願いします。
しかし、もともと父親は「女性に教育は必要ない」という考えの持ち主だったこともあり、「地元の新潟大学に行きなさい。東京の大学で独り暮らしする女性は100%不幸になる」と言い放ちます。
そこで、南場智子さんは初めて父親に反抗します。ボストンバッグに荷物を詰めて、部屋を出て行こうとしましたが、入口には父親が立ちはだかっていて出ていけません。体当たりをしましたが、3度目の体当たりで跳ね返され、家具の角に体をぶつけて流血騒ぎになりました。
その後、母親が「新潟大学は男が多いから良くない」と数ヶ月かけて父親に吹き込んだこと、高校の先生も父親を説得してくれたおかげで、南場智子さんは上京できることになりました。
ただ、上京するにあたり、父親からは次の条件が提示されました。
・女子寮がある女子大であること
・卒業後は新潟に戻ること
・就職は自分(父親)に任せること
・ボーイフレンドを作らないこと
・学生運動には参加しないこと
そして、父親は「津田塾大学を受けなさい」と大学を指定してきました。南場さんは津田塾大学の英文科と国際関係学科を受験し、どちらも合格。父親は「女なんだから英文に行け」という言葉に従い、津田塾大学の英文科への進学が決まりました。
南場智子の若い頃:大学は津田塾&首席で留学
「家を出る」という念願を叶えて上京し、津田塾大学に進学した南場智子さんは父親の影におびえながら大学生活を送ります。
門限は午後11時前後でしたが、アルバイトや遊びに行って遅くなると、その度に連絡がいっているのではないか、誰かが父のスパイなのではないかと恐ろしくなったり。東京の生活ではじける感じはありませんでしたね。
小さい頃からの刷り込みの影響でしょう。父親の影におびえていた南場さんは、アメリカの大学への留学を目指すようになりました。
アメリカに行けば父親はさすがに来ないだろうという想いがあったそうです。また、もともと中学生の頃から文通したりとアメリカへの思いがあり、津田塾大学でゃ首席の学生にはアメリカ留学のための奨学金が利用できる制度があったことも留学を目指した理由です。
そして、南場智子さんは見事首席になり、アメリカのブリンマー大学に留学することになりました。留学が決まると、父親が大学に乗り込んできたそうですが、教授がしっかり話してくれて、留学を許可してくれました。
1年間アメリカで勉強漬けの生活を送った南場さんでしたが、留学が終わるころには父親との心の距離も近づき、一緒にハワイ旅行をするまでの仲になっていました。
そして、大学4年の春に帰国します。そのタイミングで、マッキンゼーに就職した大学の先輩から誘われて、ミーハーな気持ちで就職試験を受けたら、見事に内定を勝ち取ります。倍率は約100倍!それを勝ち抜いての内定ですから、南場智子さんは本当に優秀な女性であることが分かります。
南場智子の経歴
マッキンゼー時代
マッキンゼーに入社した南場智子さんですが、仕事についていけず、心身ともに追い込まれていきました。
専門用語がわからず、指示の意味もなかなか理解できない状態で、毎日深夜の3~4時まで仕事をする日々。睡眠時間は毎日2時間くらい。しかも、上司からは「お前のバリューを出せ」と言われ続ける。そんな日々を送る中で、倒れて病院で注射を打ったこともありました。
そんな日々を2年間続けた結果、心身ともに追い込まれ、現実逃避の意味もあり、MBA取得のための留学を口実にマッキンゼーを退職しました。そして、ハーバードビジネススクールに留学します。現実逃避のための留学がハーバードビジネススクールって、どれだけ能力が高いのでしょうか…。
ボストンで2年間リフレッシュしてMBAを取得すると、アメリカの投資銀行やマッキンゼーのニューヨークオフィスなどからも内定をもらっていましたが、母親が病気になったという事情もあり、日本に帰国しました。
「日本でどうしようか」と考えた時、「マッキンゼーから逃げた」というわだかまりがあったこともあり、マッキンゼーに戻りました。すんなり戻れるなんて、本当に能力が高く、マッキンゼーから評価されている証拠ですね。
マッキンゼーに戻った後、南場さんがコンサルタントとして担当した案件は次々に成功し、どんどん昇進して、1996年・34歳の時にコンサルタントの最高位であるパートナーに昇進しました。
DeNAを創業
マッキンゼーでコンサルタントとして働いていた南場智子さんは、「携帯電話でオークションサイトをやったら面白い」というアイディアを思いつき、顧客にその事業をプレゼンしました。
すると、その顧客から「君がやればいいじゃないか」と言われ、そこで初めて「自分で起業する」という発想に至ります。
そして、南場さんは一気に起業に突き進みます。マッキンゼーを退職して1999年3月に有限会社DeNAを起業します。
「ビッダーズ」というオークションサイトを同年6月に立ち上げようとしますが、いろいろと滞り、実際に立ち上げたのは同年11月29日。それまでにヤフオクが始まってしまい、ビッターズは2番煎じのオークションサイトになってしまったのです。
その後、ショッピングサイトへの転換を図り、ようやく黒字化できた2003年、オークションサービスをモバイルにシフトすることにして、モバオクをスタート。その他のサービスもモバイルを専門にして、ポケットアフィリエイトやDeNAの代名詞にもなったモバゲーをスタートさせ、DeNAは右肩上がりに成長していきました。
2007年には東証一部上場を果たし、売上高1369億7100万円(2021年3月期)総資産 3271億2100万円という超大企業へと成長させました。
南部さんは2021年に株式会社ディー・エヌ・エー 代表取締役会長に就任しています。
また、これまでの業績が評価されて、2003年には内閣IT戦略本部員、2004年には内閣府規制改革・民間開放推進会議委員、2015年には財務省財政制度等審議会委員、2025年には経済財政諮問会議委員に就任しています。
プロ野球オーナーとして
DeNAは2011年にプロ野球球団の横浜ベイスターズを買収し、横浜DeNAベイスターズの親会社になりました。買収当初はオーナーは当時のDeNAの取締役会長だった春田真氏でしたが、2015年に南場智子さんがオーナーになりました。
女性初のNPBの球団オーナーになった南部智子さんですが、横浜DeNAベイスターズファンからは「球場に顔も出すし、お金も出すけれど、口は出さないオーナー」と言われていて高く評価されています。
2024年に横浜DeNAベイスターズが日本一になった時にはビールかけに参加して、選手や監督、スタッフ陣と共にビールまみれになっている姿がニュースで報じられ、祝福・称賛されていました。
横浜DeNAベイスターズ公式Xが4日、三浦大輔監督が南場智子オーナーの頭にビールをかける写真を投稿、ファンから「最高のオーナー」などと絶賛の声が届けられた。
引用:DeNA、びしょびしょ南場智子オーナーのビールかけに注目集まる 「お金は出す、球場に顔も出す。現場に口は出さない。最高のオーナーやん」:中日スポーツ・東京中日スポーツ
南場智子さんからは「ビジネスオーナー」ではなく、本当に横浜DeNAのファンであることが伝わってくるので、ファンからも評価されているのでしょう。
南場智子の資産がすごい!
南場智子さんの資産の詳細は公開されていませんが、記事によると総資産は811億円とのこと。
4位はDeNA創業者の南場智子氏。“給料”である役員報酬は1億円に満たないが、創業者として保有する資産は811億円にのぼる
引用:【保有資産100億円超えの女性大株主たち】南場智子氏を筆頭に「大手外資系出身」の女性経営者が増加、モデルとしても活躍する二刀流経営者も | マネーポストWEB
DeNAの創業者なので、株による資産増加が大きいと思います。南場さんは自社から独立する人には「むしろ創業者には当初82%から95%というマジョリティーを持ってもらう」と話していましたので、南場さん本人も創業者としてDeNAの株をたくさん持っているはずです。
それにしても、「811億円」という資産。一般市民にはどのくらい凄いのか、ちょっと具体的にはイメージできませんね。
南場智子の自宅は?
南場智子さんの自宅は公表されていませんが、ネット上では東京都渋谷区の高級住宅地にある豪邸と言われています。
資産811億円を考えると、豪邸であることは間違いないでしょう。
ちなみに、都内の自宅だけでなく、葉山に別荘を持っていることがわかっています。葉山の別荘には社員を招くこともあるそうなので、別荘も豪邸であることは間違いありません。
南場智子は紺屋勝成と結婚!子供はいない
南場智子さんは紺屋勝成さんと結婚しました。
結婚した詳細な時期は明かされていませんが、2011年末のブログで「20年前に結婚して」と書いてあるので、1991~1992年頃に結婚したものと思われます。
南場さんは1990年にハーバードでMBAを取得していますので、マッキンゼーに戻った後早い時期に結婚したとになります。
旦那の紺屋勝成さんはマッキンゼー出身でリムレット社COOやUSEN取締役などを歴任したビジネスマンです。
「マッキンゼー出身」という経歴からも分かるように、南場智子さんと紺屋勝成さんはマッキンゼーで出会いました。南場さん自身が「マッキンゼーで見つけた相手と、人並みに結婚しました」と語ってます。
子供はいない
南場智子さんには子供はいません。
仕事が忙しかったという理由もあると思いますが、自ら希望して子供を作らなかったわけでなく、希望したけれども授からなかったようです。
家族と言っても子供ができなかった私たちはたった二人の小さな家族だ。
また、講演でも「私は子どもに恵まれなかったので、」と話しています。高学歴で仕事に邁進している女性は子供を作らないことが多いから、南場智子さんもそういう理由なのかと誤解されがちですが、「授からなかった」ということのようです。
南場智子は旦那の看病のためにCEOを退く
南場智子さんと旦那の紺屋勝成さんは結婚後もそれぞれの仕事に邁進していて、一般的な夫婦生活を送っていたわけではありません。
・食事は100%外食
・夫の洗濯物は触ったこともない
・家事はしない
・マッキンゼーの同窓会で「久しぶり」と顔を合わせる
そんな南場さんと紺屋さん夫婦でしたが、2011年4月に状況が一気に変わります。旦那の紺屋勝成さんががんと診断されたのです。紺屋勝成さんは手術はできるけれど、治るかどうかは不透明な状態で、それを知った南場さんは仕事よりも旦那と一緒にいることを選びました。
このように、私は闘病中も相変わらず家事が苦手で、役立たずでした。でも、とにかく夫と一緒にいたかった。だから術後の療養の間には、一緒にいろんなことをしましたね。
「とにかく夫と一緒にいたかった」、素敵な言葉ですよね。
南場智子さんは旦那さんと一緒にいるために、DeNAの代表取締役社長を退任し、「取締役」になりました。週1回の出勤と月数回の会議のみの業務になったのです。
その甲斐もあったのか、2年間の闘病生活後には旦那さんの腫瘍は画像にも映らないほど縮小し、海外旅行にもゴルフやダイビングにも行けるようになりました。
旦那さんが回復した後、南場智子さんはフルタイムに勤務に戻り、2017年にはDeNAno代表取締役会長 兼 執行役員に就任しました。
南場智子の旦那・紺屋勝成の死因はすい臓がん
2011年にがんが発覚し、南場智子さんの看病で回復した旦那の紺屋勝成さんは、2016年に53歳で亡くなりました。死因はすい臓がんです。
亡くなった当初は死因は公表されていませんでしたが、後日に知り合いの人のインタビュー記事で「紺屋勝成氏(南場智子氏の夫)がすい臓がんでこの世を去った。」と公表されています。
南場智子の現在…再婚はしてる?
南場智子さんは現在も再婚はしていません。
旦那さんの命日には夫婦の思い出をSNSに投稿していますし、看病のためにDeNAの代表取締役社長を退任するほどの思いがあったのですから、なかなか再婚という考えにはならないのかもしれません。
現在はDeNAの「AIオールイン」に向けて注力しています。また、AI特化型起業支援プログラム「DelightX」をスタートさせ、AI企業家支援にも力を入れています。
南場智子のまとめ
南場智子さんのプロフィールや家族・生い立ちと若い頃や大学、経歴、資産・自宅と紺屋勝成さんとの結婚や子供、旦那の死因や現在の再婚の有無をまとめました。
今後DeNAはどこまで成長していくかに注目したいですね。






























