自らの小腸がんの闘病を発信し多くの人々に勇気を与えてくれた永島龍さんが亡くなりました。
この記事では永島龍さんの年齢や高校、かつての職業など経歴、結婚と家族、『24時間テレビ』への出演と小腸がんでの残酷な余命宣告からの闘病、現在と死因などについてまとめました。
この記事の目次
永島龍さんはがん闘病をネット発信し多くの人々に勇気を与え28歳で死去

SNSやYouTubeで自身のがん闘病を発信し続け、多くの人々に勇気と感動を与えた永島龍(ながしま・りゅう)さん(活動名:ながっしー)が、2026年9月10日に逝去しました。
享年28というあまりにも早すぎる旅立ちでした。2025年に放送された『24時間テレビ48』に出演し、俳優の志尊淳さんと交流したことでも大きな話題を呼んだ彼の人生は、決して病に屈するだけのものではありませんでした。
この記事では、永島龍さんの年齢や高校などのプロフィール、理学療法士としての経歴と職業、最愛の妻や子供との結婚・家族の形、そして突然襲いかかった小腸がんとの過酷な闘病生活、さらには「現在」に至る最期の日々と死因まで、彼の遺したメッセージとともに詳しく掘り下げてまとめます。
永島龍さんの年齢や高校などの学歴とかつての職業・理学療法士の経歴

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永島龍さんの年齢
永島龍さんは、1998年(平成10年)7月11日生まれです。2026年9月10日に亡くなった時点での年齢は28歳でした。SNS上では「ながっしー」という親しみやすい愛称で活動し、同世代を中心に多くのフォロワーから支持されていました。
永島龍さんのの高校など学歴について
永島龍さんは、愛知県名古屋市にある私立・享栄高等学校の出身で、2016年に同校を卒業しています。高校卒業後は医療系の学校へ進み、国家資格である理学療法士の資格を取得しました。
特筆すべきは、闘病中であり亡くなるわずか2ヶ月前の2026年7月8日に、母校である享栄高校を訪れ、在校生に向けて特別講演会を行っていたことです。
講演のタイトルは、「普通だった日常が突然変わったとき(何を考えて、どういきるか)。
ご自身の享栄高校での学生時代から、社会人として働いた日々、そして突然「小腸がんステージ4」を宣告された現在の闘病生活に至るまでを赤裸々に語りました。
命の期限と向き合いながら、母校の後輩たちに「当たり前の日常の尊さ」や「どう生きるべきか」を直接語りかけたこの事実は、彼がいかに最期まで他者のために命を燃やし続けていたかを物語る感動的なエピソードとなりました。
永島龍さんの経歴と職業…理学療法士としての日々
病魔に襲われる前、永島龍さんの職業は「理学療法士(PT)」でした。理学療法士とは、病気やケガで身体機能に障害を持った患者に対し、リハビリテーションを通じて基本動作能力の回復をサポートする医療の専門職です。
記録によると、永島龍さんは2021年4月に医療法人の総合病院に新卒の理学療法士として入職しています。
当時の広報誌では、新入職員として「社会人として自分自身の知識・技術を向上させ、患者様の問題点に対してアプローチできるようにしていきます」と、医療従事者としての熱意にあふれる抱負を語っていました。
しかし、小腸腺がんステージ4が発覚する約半年前の2024年7月に極度の体調不良により退職されています。
日々患者の回復のために尽力していた彼が、のちに自らが重篤な病を抱える患者の立場となったことは、非常に残酷な運命でしたが、その「医療従事者としての視点」や「患者の痛みがわかる優しさ」があったからこそ、SNSを通じた彼の言葉は多くの人々の胸を打ったのではないでしょうか。
永島龍さんの家族…最愛の妻・香帆さんと長男・凪くん

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幸せな結婚生活と新たな命の兆し
永島龍さんは、2023年7月に妻の香帆(かほ)さんと結婚しています。SNSやテレビ番組では、非常に仲睦まじい夫婦の姿が紹介されていました。
結婚から約1年が経過した2024年秋頃には、香帆さんの妊娠が判明します。新しい家族を迎える準備を進め、新米パパになる喜びに満ち溢れていた矢先、永島龍さんご家族を想像を絶する試練が襲いました。
病室で迎えた長男の誕生

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がんと診断されたのは、まさに香帆さんが第一子を妊娠中のことでした。「なぜ今なのか」と深い絶望を味わいながらも、永島龍さんは生まれてくる子供のために「絶対に生きる」と固く決意したそうです。
そして、闘病開始から約2ヶ月後の2025年4月25日、待望の長男・凪(なぎ)くんが誕生しました[。
永島龍さんは自身のXで、我が子を抱いた思いを次のように綴っています。
《息子が生まれたことによって“生きたい”がさらに強くなった。息子をずっと見つめてると、ふとした瞬間に笑顔になることがある。その笑顔を見ると“生きててよかった”と涙がこぼれそうになる。必ず生きて、奥さんと息子と最高の家族に》
息子が
— 永島龍|ながっしー@ガンと共に生きる (@nagashi4645) May 4, 2025
生まれたことによって
“生きたい”
がさらに強くなった。
息子をずっと見つめてると
ふとした瞬間に笑顔になることがある。
その笑顔を見ると
“生きててよかった”
と涙がこぼれそうになる。
必ず生きて
奥さんと息子と最高の家族に。
この言葉からは、家族への深い愛情と、父親としての並々ならぬ覚悟が痛いほど伝わってきます。
永島龍さんの闘病生活…小腸がんステージ4と「余命7ヶ月」の宣告
発症率10万人に1人の「小腸がん」
2025年2月、当時26歳だった永島龍さんの体に異変が起きました。激しい吐き気に襲われ、嘔吐を繰り返したため緊急入院となります。精密検査の結果、告げられた病名は「小腸がん」でした。
小腸がんは、消化器がんの中でも非常に稀な「希少がん」に分類され、発症率は10万人に1人程度と言われています。症状が出にくいため早期発見が難しく、永島龍さんの場合も発見された時点ですでに「ステージ4」まで進行しており、がん細胞がお腹の中に散らばる「腹膜播種(ふくまくはしゅ)」を伴う極めて厳しい状態でした。
「余命7ヶ月」の宣告からの決断
医師からは「抗がん剤治療を行わなければ、余命は約7ヶ月」という非情な宣告を受けました。
妻のお腹には新しい命が宿っている状況下での余命宣告は、永島龍さんに大きなショックを与えた事は想像に難しくありません。
しかし、永島龍さんは絶望に沈みかけながらも、ある決断を下します。それは「自分の経験が、どこかの誰かの勇気に変わるかもしれない」という思いから、自身の闘病生活をSNSやYouTubeで包み隠さず発信することでした。
こうして、YouTuber「ながっしー」としての活動がスタートしました。抗がん剤の激しい副作用や、入退院を繰り返す過酷な現実をリアルに伝えながらも、常に家族との時間を大切にし、笑顔を絶やさない彼の姿は、瞬く間に多くの人々の心を打ち、YouTubeのチャンネル登録者数は5万人を超えました。
永島龍さんの『24時間テレビ』への出演と俳優・志尊淳との絆

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永島龍さんの前向きな発信はメディアの目にも留まり、2025年8月に放送された日本テレビ系の特番『24時間テレビ48』で大きく特集されました。
この企画でチャリティーパートナーとして永島龍さんを取材したのが、俳優の志尊淳さんでした。実は志尊さん自身も、2021年に26歳という若さで「急性心筋炎」という命に関わる大病を患い、ICU(集中治療室)での闘病を経験していました。
同じ「26歳」という年齢で死の恐怖に直面した2人は、初対面から「龍くん」「淳くん」と呼び合うほど意気投合しました。志尊淳さんは「何か力になれることはないか」と寄り添い、将来の家族に残すための写真を1500枚以上撮影して、手作りのアルバムをプレゼントしました。
番組内での対談で、志尊淳さんが「龍くんの動画を見ていると『俺は何を言っているんだ、もっと頑張れるよな』という気持ちになる」と語りかけると、永島龍さんも「話を聞いてもらえることが嬉しい」と笑顔を見せました。
この『24時間テレビ』での放送は、日本中に「命の尊さ」と「当たり前の日常のありがたさ」を強く訴えかけるものとなりました。
永島龍さんの現在と最期の日々…過酷な闘病の末の死因
亡くなる直前までの発信
余命7ヶ月という宣告から1年以上が経過した2026年になっても、永島龍さんは懸命に命を燃やし続けていました。2026年4月には、診断から1年を迎えられた喜びとともに、妻と長男の誕生日を兼ねて家族でディズニー旅行や淡路島旅行に出かける様子をYouTubeで公開していました。
しかし、病魔は確実に彼の体を蝕んでいました。2026年8月下旬、家族旅行から帰宅した直後に吐き気が止まらなくなり、鼻から胃へ管を通す「NGチューブ」を入れる苦しい処置を受けたことをInstagramで明かしています。「たった数分でも鼻から異物を入れるのは地獄すぎる。頑張った」と綴りながらも、病と闘う姿勢を崩しませんでした。
そして、亡くなるわずか2日前の9月8日にも、ショート動画で自身の体の状態について発信を行っていました。最後まで「クリエイター」として、そして「父親」として生き抜こうとする“生き様”が痛いほど伝わってきました。
永島龍さんの永眠と死因
2026年9月10日の午前7時47分、永島龍さんは息を引き取りました。享年28。死因は、闘病を続けていた「小腸がん(ステージ4)」でした。
訃報は数日後の9月15日、ご本人のInstagramアカウントを通じてご家族から発表されました。
家族一同からのメッセージには、次のように記されていました。
これまで病気と向き合いながら家族との時間を大切にし そしてたくさんの方に「生きること」や「家族の大切さ」を伝え続けてきました。ここまで頑張ることができたのは、皆さまからいただいた温かい言葉や応援があったからこそです。本人に代わり、家族一同、心より御礼申し上げます。最後まで彼らしく、精一杯生き抜きました
永島龍さんの訃報に志尊淳さんからの追悼メッセージ
訃報を受け、『24時間テレビ』で深い絆を結んだ志尊淳さんも、自身のInstagramのストーリーズで追悼の意を表しました。
龍くんの頑張る姿に、言葉に、笑顔に何回も背中を押されました。どんな時も前を向き続ける姿に、心配になる時もあったけどそれでも戦い続ける龍くんが残したもの、忘れません。本当に本当にありがとう。天国でゆっくり休んでね。ご冥福をお祈りします
志尊淳さんの言葉は、永島龍さんの生前の発信に勇気をもらっていたすべての視聴者、フォロワーの気持ちを代弁するものであったと思います。
まとめ
今回は、自らの小腸がん闘病をSNSやYouTubeで発信し、多くの人々に勇気を与え、2026年9月に28歳という若さでこの世を去った永島龍さん(活動名はながっしー)についてまとめてみました。
28年という短い生涯でしたが、永島龍(ながっしー)さんがこの世に遺した功績は非常に大きく意味のあるものでした。理学療法士として人々の健康を支えようとした優しい青年は、過酷な「がん患者」という運命を背負いながらも、最後まで自らの人生を呪うことなく、妻の香帆さん、長男の凪くんへあふれるほどの愛を注ぎ続けました。
「余命宣告」という重圧の中で、彼がSNSやYouTubeを通じて発信し続けた「当たり前の日常がいかに尊いか」、「家族と過ごす時間がどれほど幸せなものか」というメッセージは、多くの人々の心にこれからもずっと残り続けます。
肉体は失われても、永島龍さんが命を懸けて教えてくれた「生きる意味」は、これからも遺された動画や言葉とともに、誰かの生きる希望となり続けるはずです。最後になりましたが、心よりご冥福をお祈りいたします。

















