細山貴嶺くんは、ぽっちゃり系の子役としてブレイクしましたが、2017年3月に大学卒業と同時に芸能界から引退することを発表しました。
ここでは細山貴嶺くんの引退発表や、イケメンになった現在についてまとめています。
細山貴嶺くんのプロフィール
名前:細山貴嶺(ほそやまたかね)
出身地:東京都
生年月日:1994年12月22日
身長:173cm
学歴:慶應義塾大学法学部(2017年3月卒業)
元所属事務所:ホリプロ
活動期間:1995年〜2017年
細山貴嶺さんは、バラエティなどを中心に活躍した元”ぽっちゃり子役”です。生後数ヶ月の頃には既に紙おむつモデルをするなど、芸歴=年齢という細山貴嶺さんですが、2017年3月の慶應義塾大学卒業と同時に芸能界から引退することを発表しました。
出演していた主なテレビ番組は、「おはスタ」や「世界一受けたい授業」、「サルヂエ」など。
細山貴嶺くんが芸能界を引退した経緯
慶應大学を卒業&引退発表
細山貴嶺さんは、2017年3月に自身のブログにて芸能界引退を発表しました。
3月23日をもって、在籍している慶應義塾大学を卒業することとなりました。
また、それに合わせ、芸能界を卒業することとなりました。
正直なところ、自分から卒業すると言っておきながらもあまり実感がわきません。
芸能プロダクションに入ったのは僕が生まれてまだ2週間の頃で、ホリプロのアカデミーには3歳の時からずっとお世話になっています。
それゆえ、物心がついた時には日常生活の中に「テレビのお仕事をする時間」がありました。
芸歴は自分の年齢と同じ、22年。
だからこそ、自分の大切な一部分が抜け落ちてしまうような感覚さえあります。
ただ、卒業を間近に控え将来について考える機会が増える中で、しっかりと自分なりに考えて出した結論です。なので、後悔はありません。
芸能界での22年間は自分という人間が出来上がる過程において、間違いなく必要な期間だったと強く思います。
慶應義塾大学を卒業する細山貴嶺さんは、いろいろと将来について考える中で、「芸能界引退」という結論を出しました。
過去に将来の進路に悩んでいるような投稿も
細山貴嶺さんは2016年1月に更新したブログでも、将来の進路について悩んでいるような投稿をしています。当時、そんな細山さんが考えていた将来のヒントは「死ぬとき、どんな自分でいたいか?」ということでした。
最近、改めて自分はどういう人生を生きたいのか、よく考えるんだよね。
周りが就職活動をはじめ、自分の人生について考える中、僕も同じようなことを考えてます。
僕はどういう人間なんだろう?
どんなことしてるときに幸せなんだろう?
将来歩みたい道ってなんだろう?
どこにいたら自分は一番輝くことができるんだろう?
いろいろと考えた上で僕なりに思ったことは、「死ぬとき、どんな自分でいたいか?」
を基準に人生を設計することです。
そりゃあね、いろんな基準があると思うよ。就職って考えれば、
仕事のやりがい、名声や社会的地位、年収、職場環境、仕事の適性…….。
他にもいっぱいあると思うし、人によっても違うし、そもそも上には就職についての基準を書いたけど、道なんていくらでもあるし。
就職、進学、起業、世界を回る、なんもしない、などなど(後ろ2つ自分でもよくわかってない)。
だけど、僕は抽象的ではあるけども、自分自身が死ぬときに充実した人生だったと思いながら死にたい。だから、最悪志半ばで死ぬ運命となっても、「でも僕は自分で考え、自分であらゆる選択肢を検討した上で、自分がやりたいことをやってきたから、もう思い残すことはない」と思えるような道が良いんじゃないかと思いました。
正直、僕は自分の評価を社会の僕に対する評価をベースに考えてきたから(まぁ少なからずみんな社会からの評価は気にするとは思うけど)、どうしても社会的地位とか年収といったものはかなり重要だと思ってきた。でも、最近になってそれを基準に頑張って、本当に最後の最後で「幸せな人生だった」と心の底から思えるのか、と疑問に思ってしまいました。
だから、あと1年後、大学を卒業した後どうしたいのか、じっくり考えてみようと思います。
少し長文になりましたが、細山貴嶺さんがどんな風に考えて出した芸能界引退という結論だったのか、もちろん1年も経てば考え方が変わっていくこともあると思いますが、少しは重ね合わせることができるのではないでしょうか。
かつて語っていた将来の夢は?
芸能界引退にあたり、その進路について語っていない細山貴嶺さんですが、芸歴22年ということで、折々で自身の夢について語ることがありました。
子供時代は、コメディアン!
2006年(11歳時)の頃の夢は「コメディアン!」。
「夢はコメディアン」と話す貴嶺。デブタレの大先輩、伊集院光からは「大食いは体に悪いよ」などとアドバイスされているというが、自分なりのビジョンを持つ。「中2になったら、やせます。声変わりしたら仕事が減るかもしれないし、イメージチェンジしたほうがいいと思って」
少し成長したときには、「教師」。
大学進学を目指す頃(2012年)になると、かつていじめられていたことを告白し、「教師になりたい」という夢を語っていました。
「いじめられた経験をもとに、いじめられっ子に寄り添ってあげたいと思ったためです。いじめが多く起こっている小、中学校の教師になりたいですね」
――いつごろから夢になったんですか。
「いじめが一段落した時に振り返ってみて、やっぱり教師の対応ってすごく大きかったんですね。ある学校では教師も見て見ぬふり。もしかしたら加担していたかもしれない。でも別の学校では、教師が僕のことを気遣って、苦しいいじめを乗り越える手助けをしてくれた。いじめが終わって1か月か、2か月かたったころ、そんな教師になりたいという夢を持ちました」
慶應義塾大学在学中にはカリフォルニア大学に交換留学をし、その際にもいじめに関連して心理学を学びたいといった話もしていましたね。
現在、慶応義塾大学法学部政治学科2年生だ。
「今年の夏からカリフォルニア大学サンディエゴ校に交換留学が決まり、今は準備に追われてます。向こうでは心理学を学びたい。今のボクはいじめられた経験がすべての根源になっていて、いじめっ子といじめられっ子、それを見てるだけの傍観者、そういった人間の心理を深く勉強したいと思ってます」
いじめを克服してからは、講演に招かれる機会も増えた。
「まだ拙いですが、毎回、50人から100人の方が集まって下さる。ボクの活動が少しでもいじめ撲滅につながれば、と思ってます。交換留学から帰国したら、芸能と文化人としての活動を両立させるのが目標ですね」
細山貴嶺くんの現在① 40キロ以上のダイエットに成功しイケメンに
細山貴嶺さんといえば、ぽっちゃり・デブキャラ……といったイメージが強いですが、現在ではかなりほっそりとしたイケメンになっているのをご存知でしょうか。
イケメンになった細山くん
ダイエットをしてイケメンになった細山貴嶺さん。
かつて自分で考えたというキャッチコピー「太いけど、細山ですっ」は、「細くなった、細山ですっ」に変化したといいます。
印象がかなり変わりましたね!
そんな細山貴嶺さんが痩せた理由は、いじめを経験した学校生活にあったようです。
小学校はインターナショナルスクールに通っていたという細山貴嶺さん。当時テレビでは明るいキャラを演じながらも、実生活では内気で太っていたということも重なりいじめられていたそうです。そして、そのストレスからさらに暴食してしまい、悪循環になってしまっていたといいます。いじめに傷つき、自殺まで考えてしまったこともあるほどだとか……。
そして中学になると当時テレビで共演していた芸人などの姿に感化され、いじめを克服。
番組で共演するタレントや芸人たちの「マイナスを笑いに変える姿」に学び、太っていることをネタにすることでクラスで笑いを取れるようになった。それ以来、いじめが減ったのだそうだ。その頃から彼は猛然と勉強してダイエットもし始め、テレビでも「細くなった、細山です!」と言えるようになったのである。
とき同じくして細山貴嶺さんは、ダイエットも決意。やはり当時はいじめに関連して痩せたいという気持ちが強かったようです。
「健康を心配してくれた先生の言葉がきっかけで、107キロあった体重を40キロ減らしました。それまで意地悪で、『やせろよ』と言われることはあっても、健康を気遣って言われることはなかったので、素直に受け止めることができたんです。太っている限りはいじめの種はなくならないという思いもありました。でももし、また太ったとしても、心まで弱い頃には戻りません。『太っているのも一つの個性。そのおかげで、テレビにも出られたんだよ』と今なら胸を張って言えます」
ダイエット方法は?
最終的には、47、8キロ減量。
実際に痩せ始めたきっかけは、2008年に放送された「ピン子の時間」のダイエット企画。まずそこでは、107kgから89kgまで減少。ダイエット方法は「レコーディングダイエット」「サラダダイエット」「ランニングやエアロビクスによる運動」だったようです。
きっかけは7年前のバラエティー番組「ピン子の時間」のダイエット企画だった。
「レコーディングダイエットといって、食べた物とそのカロリーを記すダイエットで10キロ痩せ、さらにドレッシングなしのサラダを3食食べ、毎日2時間のランニングやエアロビクスを続けたら、見る見る体重が減っていった。とたんに体重計に乗るのが楽しくなりました」
そして、その後もダイエットを続け、最終的には47,8kg体重が落ちました。ダイエットのポイントは、5食から3食にしたことや食事内容、それからランニングなどを挙げています。
細山は、「昔5食食べてたんですよ。5食がカツ丼やカルボナーラとかだったんで、それを3食に変えたら痩せましたね」と、実践したダイエットを説明。
「以前は1日5食だった食事を3食に改めて、毎日2時間のランニングを続けてきた」と減量の努力を話している。
細山貴嶺くんの現在② ゴールドマンサックス勤務を経て起業家に
2017年に大学卒業と同時に芸能界を引退して以降、テレビ出演などはしてこなかった細山貴嶺さんですが、2022年10月に「NEWSポストセブン」で近況を語りました。
出典:https://mobile.twitter.com/
2022年時点(27歳)の細山貴嶺さん
身長173センチ、体重58キロのほっそりしたイケメンです。
細山貴嶺さんは慶應義塾大学卒業後は、大手外資系金融会社「ゴールドマン・サックス証券」に入社し、六本木ヒルズで英語を駆使しながらビジネスマンとして働いていたそうです。
米国証券アナリストの1次試験にも合格したという細山高嶺さんは、ゴールドマン・サックスに3年程勤務した後、学んだことを活かすために別の資産運用会社に転職し1150万円もの年収を稼いでいたといいます。
ちなみに芸能界での最高年収は600万円程度だったそうです。
「オペレーションズ部門(業務統括本部)で日本国債の決済などの業務を担当していました。ただ、3年弱で外資系生命保険会社傘下の資産運用会社に転職したんです。GSではバックオフィス業務(後方支援)だったので、トレーダーやリサーチ、セールスなど顧客と関わるフロント職で、実際にビジネスを動かす仕事をしたいと思い、在籍中に米国証券アナリスト(CFA)の1次試験に合格しました。
ところが、GSでは試験で学んだことを活かすことができず、活かせる仕事がしたいなあと思っていたところ、エージェントから声をかけていただいたんです。資産運用会社では証券アナリストとして大企業などの資産運用を手がけ、年収はGS時代の910万円から950万円に上がり、直近では1150万円でした」
しかし、新型コロナの影響で在宅勤務となり家に引きこもっていたことでメンタルを崩してしまったそうで、2022年8月にはこの資産運用会社も退職しています。
子供の頃から動物が好きだった細山貴嶺さんは、「動物を救う仕事がしたい」と考えるようになり、体調も回復した現在は、あひるの遺棄防止などを啓蒙する「あひるネットワーク」というNPO法人の理事をボランティアで務めているそうです。
また、「人間と動物が共生できる持続可能な社会を作る」という目標を掲げ、起業することを考えているとも明かしていました。
「具体的にはまだこれから詰めていこうと思っているのですが、ひとつの理想案として、保護イヌ・ネコと共生型の老人ホームをやりたい。今後、法律改正で殺処分の危機にあるイヌ、ネコが増える可能性があります。一方で、高齢者の増加とともに老人ホームももっと求められていくと思うので、その両立ができたら。動物にはアニマルセラピー効果があるので、動物と高齢者は相性がいいんですよ」
起業家になる目処もたっているという細山貴嶺さんですが、「もし経済や金融のコメンテーターなどとして需要があるなら使ってもらえたらおもしろいかな」とも語っていたのでまたテレビなどで活躍する日が来るかもしれませんね。